【署名ご協力御礼】パリ ユネスコへ反論書と反対署名を提出しました

<2015年8月3日記>
7月30日にパリのユネスコを訪問し、反論書・参考書籍と共に署名を提出いたしました。
産経新聞7月30日付
「捏造された資料」 ユネスコに反論書簡 日本の民間団体「南京」「慰安婦」中国の記憶遺産申請に異議

<2015年7月21日記>
7月20日までに集まりましたオンライ署名8,238と直筆署名を合わせ、いただいたコメントと共にユネスコ提出用に纏めました。
たくさんの署名、ご協力有難うございました。
signatures
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中国が2014年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関/“United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)の世界記憶遺産(
Memory of the World)に「慰安婦性奴隷の記録」、「南京大虐殺の記録」資料を登録申請しました。

今年2015年の9月頃にその可否が決まる予定です。

このような記録がユネスコで一度登録されてしまえば、慰安婦性奴隷・南京大虐殺が史実であるかのように利用され、更なる慰安婦像建立や日本糾弾に繋がり、日本の名誉が貶められ続けることになりかねません。

これに対し、民間有志が藤岡信勝先生(拓殖大学客員教授)、高橋史朗先生(明星大学教授)らにご協力いただき、反論書を作成しました。

この反論書に「中国の記憶遺産登録反対の請願署名」を添えて、7月下旬にパリのユネスコに提出する予定です。
※7月20日までにいただいた署名をコメントと共に纏めます。

皆様の反対の意志を国際社会に直に届ける機会です。
署名が一筆でも多く集まりますよう、ご協力、何卒宜しくお願い申し上げます。

署名はこちらから

↓↓↓↓↓↓↓↓

chn.ge/1dMMXwT

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<参考ニュース>

夕刊フジzakzak 2015.6
中韓が「慰安婦」世界遺産登録を画策 断固阻止へ反対署名がスタート

産経 2015.6.10
【解答乱麻】慰安婦40万人…中国の「虚説」記憶遺産に反論を 明星大教授・高橋史朗

産経 2015.6.10
中国が記憶遺産の証拠として父撮影写真を無断申請、福岡の医師抗議 

62 thoughts on “【署名ご協力御礼】パリ ユネスコへ反論書と反対署名を提出しました

  1. うらら says:

    連投すみません。

    ユ・フイナムさんYu Hui-nam 

    彼女の情報↓
    1929年生まれ 当時16歳で大阪の売春宿で働かされていた

    2014年には85歳、 2015年には87歳、88歳になってるようです。1年で3歳も年を取っています。

    ちなみにこの当時の大阪は大空襲があったそうです。

    今、韓国人に彼女の証言を聞いてる最中ですが、もし回答があれば知らせます。


  2. Makoto Wakayama says:

    中国韓国の捏造・横暴にはもう限界がきました。捏造が通るようではユネスコもしれてますが、これ以上世界に捏造が常識化されないように、反対します。


  3. nozaki nozomu says:

    本当にやり口がきたない


    • shoutarou katsumi says:

      そして日本人や米国人の政治家や学者の中に、そんな嘘出鱈目を広めようとすることに協力している者がいるからたちが悪いですね、日本政府には中韓だけでなくそういった人物にも何らかの制裁をくわえるいただきたいですね。


  4. JUN ISOBE says:

    南京虐殺は、中国国民党の蒋介石がアメリカに参戦を促すための宣伝として創作したものです。

    アメリカは「正義」や「人権」を尊重するので、「日本軍は中国人を非人間的な手段で虐殺している」と訴えて、アメリカに助けてもらおうとしたものです。当時のジャーナリストたちは国民党に雇われたり(注)、国民党から「一日二回の豪華な食事を提供されて」国民党側に味方し日本軍に不利な情報を流し続けました。
    また蒋介石の妻・宋美齢はアメリカで日本軍の「蛮行」について演説して、アメリカ人の「正義」や「人権」に訴えたりしました。こうしてアメリカを戦争に対日戦争に誘ったわけです。
    (注)ハロルド・J・ティンパーリ。中国国民党国際宣伝処の顧問。南京事件を題材に『What War Means: The Japanese Terror in China』を刊行。

    1.蒋介石の南京計画

    ソ連のスターリンは、ソ連の両側に日・独がいることを危惧した。
    「砕氷船のテーゼ」によって、日・独に敵対する勢力を作り消耗戦を計画する。(独には英米、日本には中国国民党)
    西安事件(1936.12.12)では監禁した蔣介石をソ連のスターリンの命で釈放したといわれる。(注1)
    (注1) 中国共産党(国共合作で国民党に紛れ込んだ共産党員やその工作員に先導された中国人など)がその後、日本人を殺害する事件が続きます。国民党内に潜んでいたスパイといわれるのが、張治中です。

    盧溝橋事件(1937.7.7)で中国の挑発(*)を受けても、当初は、日本陸軍も外務省も事件を拡大させるつもりはなかった。[脚注-3 盧溝橋事件]
    (*)中国共産党の工作員が日本軍と中国国民党を衝突させようとしました。

    日本国内では、朝日新聞が日中開戦を扇動します。朝日新聞にはゾルゲ事件での日本人スパイ・尾崎秀実記者がいました。尾崎秀実は、ゾルゲ(コミンテルンのスパイ)を通して日本の情報をドイツやコミンテルンに流したり、中国強行論を唱えて、コミンテルンの「日本と中国国民党との衝突計画」を実行しようとしました。
    尾崎は1937年7月、東京朝日を退社し、第1次近衛内閣の内閣嘱託となり、近衛主催の政治勉強会「朝食会」に参加します。1939年6月1日、満鉄調査部嘱託職員として東京支社に勤務。ゾルゲ事件で逮捕されるまで、同社に勤務しています。[脚注-1 尾崎秀美]

    通州事件(1937.7.29)がおきます。中国国民党に紛れ込んだ共産党員やその工作員に先導された中国人などによって、民間人を含む230名の日本人が猟奇的な方法で(つまり、相手を起こらせるような方法で)殺害された事件です。通州事件の発生は前年の1936年()には現地の中国人・朝鮮人の間には知られていたようです。

    大山中尉殺害事件(1937.8.9)
    蒋介石の承認を得ないまま、張治中の指示で、上海の飛行場の外で中国軍部隊が動き、日本軍海軍陸戦隊の中尉と一等兵を射殺しました。飛行場の門外では中国軍の軍服を着せられた一人の中国人死刑囚も射殺されていて、日本側が先に発砲したように見せるための工作がされてました。

    こうしたことが続き、日本軍部はかっとなって、中国国民党を攻撃していきます。

    張治中による偽情報 (1937.8.15)
    張治中は、蒋介石の了解もないまま記者発表を行い、日本の艦船から上海への砲撃が行われ、日本軍による中国人への攻撃が開始されたとする偽情報を出します。そのため翌8月16日には蒋介石が総攻撃を命令せざるを得なります。蒋介石は日本との交戦を一日行ってから攻撃中止を命じますが、張治中はこの命令を無視し、戦闘を拡大しました。そのため日中は全面戦争となり中国国民党が大敗しました。

    当時の蒋介石は抗日より抗共(中国共産党との戦い)を優先したかったので、日本軍との衝突はまるく収めようとしていました。抗日の後には抗共が控えている。そのため兵力温存が必要だからです。
    しかし、日本軍の攻撃によって抗日を優先しなければならなくなっていきました。

    中国国民党の軍事指導をしていたドイツ顧問団は、蒋介石に外国に助けてもらうように提言していました。
    そこで、蒋介石はアメリカを参戦させ、日本軍と戦わせようと計画します。
    当時のドイツはヨーロッパ戦線で英仏と対立していたので、アメリカがヨーロッパ戦線に介入するのを牽制していたのです。そのためアメリカの目を日中戦争に向けようとしました。

    アメリカでのロビー活動では、キリスト教徒の妻、宋美齢に日本軍の蛮行をネタにしてアメリカ参戦を促そうとします。宋美齢はアメリカで育ったので、アメリカ人のことをよく知っているし、上流社会に友人が多かったからです。

    そこで、日本軍に南京を攻めさせ、その様子をジャーナリストや宣教師、宋美齢らによって「日本軍の非人間的な残虐さ」を扇情的な内容で、アメリカに報告させ、アメリカ世論を対日参戦に向かうように仕向けます。

    実際の戦闘での国民党軍は、日本軍を南京に誘導するために交戦しては(一斉)退却を繰り返し、途中、村落・都市を焼き尽くします(あとで日本軍の仕業にするため)。これが「日本軍による残虐な行為の伝聞」として、外国人ジャーナリストらによって発信されていきます。

    南京では、市民を重慶(新首都)へ避難させ(出典1)、一部市民(貧乏人や周辺の農民)を城内の国際安全区に残し宣教師などに守らせ宣教師などの外国人を目撃者にしようとします。国民党軍兵士の一部をトーチカに鎖で縛りつけたり、城門を閉ざして日本軍の攻撃目標にして自軍兵士を戦死させます。(出典2)
    [出典1:南京脱出 集団移住 1937 ttps://www.youtube.com/watch?v=-UN3h1jFr7E]
    [出典2:なぜ、「南京事件」は捏造されたのか?ttps://www.youtube.com/watch?v=9jWIHnks7uo]

    そして、南京が陥落し日本軍に占領されるとアメリカでロビー活動やジャーナリストらにより「日本軍による南京大虐殺」を訴えさせてアメリカの参戦を誘いました。

    国民党軍は南京陥落後、数百回記者会見しますが、自らは虐殺には触れず、ジャーナリストらによって虐殺情報が出回るようにしました。「一切の宣伝の痕跡を消し去り、外国人を利用して各国での宣伝工作を推進する」(対外宣伝工作を取り仕切った董顕光)という方針に基づいていたからです。

    2.中国共産党による「南京虐殺」のプロパガンダ

    第二次大戦後、中国共産党の下で、文化大革命(1966年から1976年)が起こり、南京を始め中国各地で中国人の虐殺、チベット人虐殺など少数民族虐殺が行われた。(注2)
    (注2)文化大革命で殺された人数は、ワシントンポスト1994年7月17日号によると8000万人以上(プリンストン大学研究結果)、
    フランスの「共産主義黒書(ステファン・クルトワ著)」(1997年出版)によると6500万人以上、
    ユン・チアン著「マオ」によると7000万人以上とされます。

    さらに中ソ関係悪化(1969年の中ソ国境紛争)などが原因で、いずれにしても中国共産党はアメリカと国交を回復したかった。
    しかし、アメリカは「人権」を尊重するので、中国人の虐殺、チベット人虐殺など少数民族虐殺が中国共産党には頭の痛い問題だった。

    1969年ごろから対米工作が開始されたようです。
    「1969年より米国政府は貿易や他の二国間にとって障害となる規制を中国の要望に応じて徐々に緩和した。」(wikipedia)
    1972年2月21日から2月28日にかけてニクソン大統領は中国を訪問し、第二次世界大戦後の米中冷戦時代の転機となることになる。
    そのため、文化大革命での死体は、第二次大戦中、日本軍が行った虐殺にすることを計画します。それは文化大革命で中国各地で大量に虐殺された中国人の遺骨は、第二次大戦中の日本軍の仕業とすること。

    そこで当時、国交のなかった日本の朝日新聞の記者・本多勝一に、中国側の資料を提供して取材させ、「中国の旅」を書かせます。
    昭和46(1971)年8月から12月まで朝日新聞に連載。本多勝一は証拠資料の検証はしていないといっています。

    第二次天安門事件(1989年6月4日) – 民主化を求めるデモ隊と軍や警察との衝突。多数の死傷者を出しました。
    1997年にはアイリス・チャンに、中国側が証人を用意し『ザ・レイプ・オブ・南京』を書かせます。同署の[注]には、証言と書かれていますが、その検証はしていないのではないかと思われます。
    『ザ・レイプ・オブ・南京』を残酷にすることによって、第二次天安門事件の残酷さを隠しているのではないかと思います。

    [脚注-1 尾崎秀美]「1937年(昭和12年)年7月に盧溝橋事件が起こると、『中央公論』9月号で「南京政府論」を発表し、蒋介石の国民政府は「半植民地的・半封建的支那の支配層、国民ブルジョワ政権」であり、「軍閥政治」であるとして酷評し、これにこだわるべきでないと主張した。また、9月23日付の『改造』臨時増刊号でも、局地的解決も不拡大方針もまったく意味をなさないとして講和・不拡大方針に反対、日中戦争拡大方針を主張した。11月号では「敗北支那の進路」を発表、「支那に於ける統一は非資本主義的な発展の方向と結びつく」として中国の共産化を予見した。」(wikipedia)

    [脚注-2 張治中]「張治中は回想録の中で周恩来に中国共産党への入党を申請したが周恩来からは国民党にとどまり「ひそかに」中国共産党と合作することを求められたと書き残している。やがて張治中は国民党の将軍となり、1930年代中期にはソ連大使館と緊密な連絡を取っていた。」(wikipedia)

    [脚注-3 盧溝橋事件]「1937年(民国26年)7月7日の盧溝橋事件の際には張治中は南京上海防衛隊司令官の任にあり、事件の起きた華北から1000キロも南に位置する上海を場所と選んでの日本に対する「先制攻撃」を蒋介石に求めた。しかし、蒋介石はこれを拒否し続けた。上海は中国の産業と金融の中心として機能し、しかも政権の首都南京に近いという土地であり、列強の利害が複雑に入り込んだ国際的な大都市でもあった。蒋介石は上海から部隊と大砲を遠ざけて日本側が攻撃する理由をなくしている。」(wikipedia)


    • JUN ISOBE says:

      >南京が陥落し日本軍に占領されるとアメリカでロビー活動やジャーナリストらにより「日本軍による南京大虐殺」を訴えさせてアメリカの参戦を誘いました。

      の後に、

      「蒋介石自身は、南京が陥落した後、およそ10日後の1937年12月24日付でアメリカのルーズベルト大統領に手紙を書き「効果的な対中国援助をアメリカ国民が与えてくれるよう」求めています。」

      を続けると蒋介石の意図がわかりやすくなると思います。


  5. JUN ISOBE says:

    南京陥落からおよそ10日後の1937年12月24日付で蒋介石はルーズベルト大統領に手紙を奥っいてます。翌1938年1月12日付でルーズベルト大統領から蒋介石に返書が送られています。

    「南京事件資料集 1 アメリカ関係資料集」南京事件調査研究会編・訳(青木書店)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
        134D 蒋介石からルーズベルトへの手紙
                                  在ワシントン中国大使館
      ワシントンD・C
      アメリカ合衆国大統領ルーズベルト閣下

     中国は有史いらい、現在進行しているような容易ならぬ危機に直面したことはかつてありませんでしたし、極東の平和が今日のように破滅的危機にさらされたこともありませんでした。この五ヶ月の間、中国は日本を相手に生死をかけて戦ってまいりました。
     最新鋭の武器で武装しながら、中世の野蛮さの特徴であるような残酷さを発揮した日本軍は、中国に上陸して以後、陸・海・空軍でもってつぎつぎに都市を攻略し、この間、少なからぬ外国人も含めて、無数の非戦闘員を虐殺し、莫大な施設・財産、および宗教寺院、慈善施設さえも容赦することなく破壊してきました。

     日本軍は、中華民国の首都を含めて、南京──上海鉄道沿線の都市や町を不法に占領したうえ、いまや華北の大部分を不当に占領しています。日本軍国主義者によって「中華民国臨時政府」と称する傀儡政権が北平つくられました。日本軍はさらに侵略の矛先を四方八方にいっそう拡大しています。現在の見通しでは、日本軍は江蘇省北部、山東、長江流域および華南への侵攻を企てていると思われます。

     われわれはもてる軍隊すべてを動員し、最善をつくして日本軍の襲撃と戦ってきました。わが国家の尊厳を守ろうという固い意志のもと、われわれは多大な犠牲、すなわち人的資源および物的資源、商業、産業を犠牲にしてきました。わが国家が平和と尊厳のうちに生存することを願ってわれわれは血を流しているのです。われわれは通常の意味でいう戦争を戦っているのではなく、わが領土に対する非道な侵略に抵抗し、苛烈な攻撃に反撃しているのです。われわれは、中国国家の自由のために、そして人類の共通の脅威に対して戦っているのです。

     われわれはわれわれ自身を守るとともに、条約の精神の尊厳を守るために、とりわけ九ヶ国条約にうたわれた中国の主権と独立および領土的・行政的一体性が、日本および他の調印国によって尊重されるために戦っているのです。
     われわれは野蛮な日本軍に降伏などいたしません。日本政府がその侵略政策をやめるまで、中国の国政がわれわれの手にもどるまで、そして国際条約における領土不可侵の理念が守られるまで、われわれは抵抗しつづける覚悟です。

     中国国民は、戦争を通してアメリカが中国を道義的に支援してくれていることを知り、感謝しています。大統領閣下のすぐれた指導のもとにアメリカ政府が、固有の正義心、極東の領土保全をとなえる伝統的な政策に基づいて、すべての法と条約に定められた権利を尊重し、国際関係における平和を持続するのに必要な法と秩序を維持するために最善をつくされることをわれわれ知っています。

     世界平和の大義と連帯とがなるべく早い時期に成功をおさめるための戦いを可能とするような効果的な対中国援助をアメリカ国民が与えてくれるように、閣下に対し、ならびに閣下を通じて、この危機に際して中国国民に代わり私が緊急に訴えるという非礼をお許しください。大統領閣下がそのためにはらわれる努力のすべてに対して、中国国民は永遠に感謝することを忘れないものと私は確信するものです。

                                                                                       蒋介石
            1937年12月24日
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    ルーズベルトから蒋介石への返書
                                   ホワイトハウス
                              ワシントン、1938年1月12日
     親愛なる蒋総統へ
     1937年12月24日付の閣下の手紙を、12月31日に当地の貴中国大使より直接拝受いたしました。
     この手紙のなかで、あなたは立派にも、極東でおこなっているたいへん不幸な状況がもつ、様々な特徴についてのあなたの評価ならびに世界平和の問題に関するあなたの見解を私に示してくれました。
     いうまでもなく、私はあなたが指摘した状況と問題について、強い関心をはらってまいりました。中国における悲劇的な戦争は、最も直接的に関係している二つの当事国だけでなく、全世界の関心事になっています。

     合衆国の政府および国民は、中国でおこなわれている破壊に対して、強い憂慮と深い悲しみを抱いて見守っています。われわれは平和の実現と国際協調の促進にむけて、最も現実的に貢献できる方法と手段について、日頃から研究し思索をめぐらしています。われわれはこの目的を実現するための努力をいつも怠らないつもりです。

     現在の極東の紛争から、それに代わって、和解が出現することをわれわれはこころから望みます。その和解は、すべての関係国の権利、合法的権益および国家としての一体性を適切に考慮した合理的な条項によって、友好的な関係と永続的な平和のための基礎をすえるものとなるでしょう。
                                                                                     敬具
      
     中国、漢口
     国民政府軍事委員会委員長 蒋介石総統閣下       

                                    フランクリン・D・ルーズベルト 


  6. YOSHIKAZU NOGUCHI says:

    頑張れ!
    でも日本人に参加してもらいたいならば日本語で書いた方がいいよ。
    簡単な英語かもしれないけど、それだけで敬遠してしまう。
    私も書くのを止めようと思った。


  7. Suzuko Wada says:

    戦後70年経過して、過去の教訓(中国・韓国の日本への挑発行為)をもとに
    きちんと事実を整理してきちんと声をあげなければいけないと思います。
    「黙っていても通じる」は自己満足でしかないし、
    異なる人種の友人たちへの理解を促す努力を怠っているだけとしか
    捉えられません。
    今後も「なでしこアクション」を応援します!!
    日本政府も大々的に応援していいとおもう。


  8. HN忘れちゃいました says:

    おはようございます。いつも応援しています。
    署名活動がんばってください。

    しかし、まだまだ日本の人は無関心な人が多いようですね。
    身の回りに話を聞くと、こう言った話題を避ける人、
    また意味がわかっていない人、意味を取り違えている人が多いようです。
    自動車税の署名活動に5万人もの方が署名されているのに、こちらは三千ちょっと。
    もう少し皆が関心を持ってくれればいいのですが・・・。


  9. 日本市民 says:

    台湾人の方も署名に協力して下さったとのこと。
    ===
    twitterより
    「先に、早速に署名致しました。勿論嘘の、捏造のことを反対します。台湾に、正しい歴史学者(教科書編集者)も中国の嘘を認めません!国民党の偏りの学者に非難されましたが。恐らく新しい教科書が変質します、台湾今は抗議しています。」


    • 日本市民 says:

      ここのアクションとは関係ありませんが、「台湾人戦没者慰霊の塔を沖縄に!」活動を国内に拡散してください。

      韓国人慰霊塔があるのに、何故「台湾人慰霊塔」がないのでしょうか?随分と冷たい仕打ちとは思いませんか・・・
      先の大戦では台湾人日本兵(軍属、軍人)20万人の内約3万人の方が戦死されています。

      https://www.facebook.com/from.okinawa.to.taiwan?fref=nf
      ===
      私たちの思い

       平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災に際し、日本人は台湾から200億円をはるかに超える巨額の義援金を含めた暖かい支援が寄せられたことに心から感動し、改めて台湾との歴史的な紐帯を認識しました。 一方、同年12月1日には基隆市和平島公園で「琉球ウミンチュの像」の除幕式が行われました。これは日本統治時代に沖縄県出身漁民が台湾の人たちに漁法を伝え、共に生き抜いた歴史を刻むとともに、この地で没した父祖の霊を慰める目的で日台の有志が発起し、幾多の苦労を乗り越え実現したものです。 

       さて、先の大戦における沖縄戦終結の地となった糸満市の沖縄県平和祈念公園には国立の慰霊施設や各府県立施設に加え韓国人慰霊塔がありますが、台湾出身戦没者を慰霊する施設は建立されていません。

      そこで平成24年6月、有志が発起して沖縄県議会に対して「台湾人戦没者慰霊の塔」建立に関する陳情を提出、各会派に理解を求めた結果、10月12日に全会一致で採択(平成24年陳情第163号)されました。

       これが実現すれば、この施設は海を隔てた「琉球ウミンチュの像」とともに、過去から未来につながる日本と台湾の友情の証となり、沖縄を訪れる台湾の人々が戦没者である父祖の霊を慰めることが可能となります。私たちは建立場所を確保し、建設資金を調達し建立した後も施設を維持管理する主体となる非営利活動法人として「NPO法人日本台湾平和基金会」の設立を決断しました。

       つきましては、本趣旨にご賛同くださり、ご支援くださるよう心からお願い申し上げます。 平成26年3月


  10. Takao Miyamoto says:

    毛沢東・蒋介石・周恩来・鄧小平といった中国の指導者が一度もコメントしたことがない南京大虐殺は、でっちあげです。


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