【署名お願い】ニュージャージー州フォートリー慰安婦記念碑設置計画を阻止しましょう!

★ 【緊急抗議 署名/メール】カナダ バーナビー市 慰安婦像反対!ご協力を!はこちら

米国ニュージャージー州フォートリーの慰安婦記念碑設置計画を阻止しましょう
Seeking a cancellation of plan to install “Comfort Women” memorial
Say “NO” to the “Comfort Women” memorial in Fort Lee, NJ.

既に慰安婦記念碑が3つ建っている米国ニュージャージー州。 フォートリーでは2013年に計画が持ち上がりましたがその後中断していました。
ところが最近また韓国系団体が慰安婦記念碑推進の動きを見せています。
この度、ニュージャージー在住の邦人女性が反対署名を立ち上げました。
一筆でも多く署名が集まり、現地邦人の反対運動を応援いただけますよう、皆様のご協力何卒お願い申し上げます。

署名はこちらから

↓↓↓↓↓↓↓↓

http://chn.ge/1Ns15M5

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【WeeklyBZ 広告 Japanese Women’s Center からのお願い】
2015年4月24日(金)より、アメリカ全国35都市に配布されるWeeklyBZ (日本語フリーペーパー)に掲載される広告です。
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Japanese Women’s Center からのお願い
フォートリー慰安婦碑、絶対反対!!
日本人が一丸となって、反対署名運動を行っています。
皆様のご協力をよろしくお願いします。

2013年に計画され、その後中断していた、ニュージャージー州フォートリー市の慰安婦碑の設置活動が、韓国人会を中心に再び動き出しており、署名サイトChange.orgにおいて、慰安婦碑の設置反対の署名活動を、日本人が一丸となって行っております。これまでに慰安婦碑が設置されたアメリカの自治体では、コミュニティー内に亀裂を起こし、カルフォルニア州では、慰安婦像設置後に、日本人に対してひどいいじめが起きているとの報告もあります。現在、アメリカ国内で日本人が最も多く住む町の一つであるフォートリー市で、このようなコミュニティーを破壊する暴挙を許すことはできません。また、韓国人によって捏造された、間違った歴史認識がアメリカに広がるのを防ぐ為にも、ぜひ慰安婦碑の設置反対のご署名をお願い申し上げます。

署名はこちらから

↓↓↓↓↓↓↓↓

http://chn.ge/1Ns15M5

<参考ニュース>
THE KOREA TIMES 2015-04-03 (韓国語)
「フォトリー慰安婦碑、今度は必ず成功させよう」

ブログ 続・慰安婦騒動を考える 2015/04/04
フォートリーの慰安婦碑計画、再び始動

<参考サイト>
フォートリー公式サイト
http://fortleenj.org/

フォートリー議会
http://fortleenj.org/index.php/fort-lee-mayor-and-council.html

17 thoughts on “【署名お願い】ニュージャージー州フォートリー慰安婦記念碑設置計画を阻止しましょう!

  1. JUN ISOBE says:

    日本は朝鮮賤民を解放した(つづき)

    1909年の日本流の戸籍制度を導入は、「創氏改名」よりも前です。「創氏改名」は1939年に朝鮮人の姓名を日本風に変えるように,朝鮮総督府が始めた制度です。

    1909年の日本流の戸籍制度を導入では、朝鮮名と日本名は本人が自由に決めることができました。李氏朝鮮で姓をもっていた両班などは朝鮮民族に誇りを持ち、朝鮮名を選んだようですが、白丁らは自身の損得から日本名を選んだ人が多かったようです。ホンダ議員の祖父母がこの時期から日本名をもっていることは、白丁身分であったかもしれないということになります。

    1939年の「創氏改名」は、当時の満州にいた朝鮮人(帝国臣民、1930年当時60万人いたと推定されている)が満州で漢人から迫害を受けていたので、朝鮮人から「朝鮮名では迫害を受けるから、日本名をもつことによって、日本人として迫害の対象から逃れられる」と請願されて実施された。これを在日の人が半ば強制的に行われたと主張しています。

    1910年の併合の時期、日本と朝鮮では社会・生活・教育などの多くの面で雲泥の差がありました。そのため日本に密入国した白丁は、日本よりもずっと遅れていた朝鮮においても教育をうけていない階級の人々だったので、日本でも役に立たず、生活に困るようになり、強盗・略奪したり、婦女暴行で自分の欲望を満たすものが出るようになります。

    白丁(よみは、ペクチョンまたはペッチョンなど)は李氏朝鮮での屠畜業者で最下級の人々です(本によっては「奴隷」と書かれています)。朝鮮人を指すチョンという言葉がありますが、これも白丁からきています。
    (かれらとは別に韓国併合当時、日本には朝鮮人留学生が数百名いたといわれます)

    そのため朝鮮人の入居を嫌がる日本人家主が多くなり、朝鮮人は借家できず、空き地や河川敷、埋立地などにバラック小屋を建てて住むようになります。のちにそこに同胞の在日朝鮮人が集まって朝鮮人集落を形成していきます。

    在日朝鮮人の増加問題はかなり深刻で、日本の各地に住み着いた朝鮮人が急増したため、付住民とトラブル となり、のちに「朝鮮人内地渡航制限」を実施するほどになります。

    日本国内への朝鮮人の流入を防ぐために、当時の岡田内閣(1934年7月8日 — 1936年3月9日)は、1934年に「朝鮮移住ノ件」満州開発を行うことを閣議決定します。これによって今まで以上に朝鮮人の日本密航を厳重に取り締まり、朝鮮人の流入を防ぐごうとしました。


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