CANADA-ISRAEL FRIENDSHIP ASSOCIATION
カナダ・イスラエル友好協会
October 30, 2016
Mr. Frank La Rue, UNESCO Assistant Director-General
Secretariat of UNESCO Memory of the World Programme
Communication & Information Sector
7, place de Fontenoy
75007 Paris, FRANCE
ユネスコは世界の平和と調和を達成するために、文化交流や相互理解を促進するという崇高な目的で設立された。これは、ユネスコ憲章の第1条で以下のように明確に述べられている。
この機関の目的は、国際連合憲章が世界の諸人民に対して人種、性、言語又は宗教の差別なく確認している正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育、科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによつて、平和及び安全に貢献することである。
残念ながら、今日のユネスコの実態は全く違っている。ユネスコは、設立当時の原則を踏みにじり、保護されるべき文化の問題を歪曲することで、最も攻撃的な加盟国の政治課題や目的を他の加盟国に強要する道具になってしまった。最近になり、私たちは優れた2つのユネスコ加盟国に影響を及ぼす非常に憂慮すべき動きを目のあたりにした。イスラエルと日本である。イスラエルと日本が懸念する問題を誤った解釈に基づいて対処していることは、互いを尊重し平和を築くとうユネスコの目的にはほど遠い。ユネスコの対応は憎悪と対立を生み出すだけである。
エルサレムにあるユダヤ人の遺産を否定する決議案が採択されたことは憂慮すべき事態だ。ユネスコは決議では神殿の丘(Temple Mount)と嘆きの壁(The Western Wall)をアラブ・イスラム教徒*の遺産と認定し、ユダヤ人の3000年以上の歴史を、たった1回の投票で一掃したのである。中国は、決議に賛成票を投じた国の一つである。もしユネスコが、科学と客観性を指針としているのなら、問題となっているエルサレムの土地と、ユダヤ人を繋ぐ膨大な考古学的、歴史的、また聖書に基づく証拠に気が付くはずである。神殿の丘はかつて第一神殿と第二神殿が建っていた場所である。第二神殿の一部として残る城壁は、ユダヤ教徒が礼拝をする最も崇拝されている場所であり、毎年何百万もの人々が訪れる。
神殿の丘とユダヤ人の繋がり否定することは、最大の皮肉だ。同時に、その反ユダヤの決議を支持するグループの議論は、その議論が疑わしい、いうようなレベルを超えている。このエルサレムの地とイスラム教を結びつける唯一のリンクは、ムハンマド(モハメッド)はメッカからエルサレムに奇跡的に旅をしたという空想話だけである。もしコーランが、イスラム教とエルサレムの繋がりを説明するために使われているのなら、聖書の方がはるかに信頼性がある。実際のユダヤ人の存在を詳細に示しているし、歴史的に確認されている。
世界の多くの地域で実際に起きているように、古い歴史的事実の解釈に影響を与える決定は、目に見える形で負の結果をもたらす。国際機関によるユダヤ人の遺産の否定は、さまざまなアラブ過激派グループを勢いづかせ、彼らの流血を伴う残忍な活動を正当化してしまう。
このようなユダヤ人の遺産を否定する人々や組織は多くの場合、偽善者だ。偽善者はユダヤ人に害を及ぼす見解を助長する一方で、政治目的を強力に推進するために、ためらいもなく過去のユダヤ人の苦しみを搾取する。この目的のために,最も頻繁に使われる歴史的事件はホロコーストである。大多数のイスラム教国とそれらを支持する加盟国が採択した神殿の丘の決議は、イスラエルに対する一撃である。
ユネスコによる次の攻撃はいわゆる「従軍慰安婦」について提出された文書である。第二次世界大戦中に日本軍が8万~20万人(登録団体は正確な数字を出すことは不可能と言っている)のアジアの女性を性奴隷として強制的に連行したと主張していることである。この主張は、「Voices of the Comfort Women(慰安婦の声)」のタイトルでユネスコの世界記憶遺産の一部として登録申請書に記載されている。とりわけ、登録申請団体は、セクション5.2で次のように述べている。
徐々に積み重ねてきた証言の断片により認識されるようになった「慰安婦」制度は、被害者の数ではなく犠牲者の苦しみや永続的な屈辱の深さという点でホロコーストやカンボジアの大虐殺に匹敵する戦時中の惨劇である。
この主張が正当かどうかは事実の検証をすることで明らかになるが、そのような検証をしなくても、ホロコーストがどのように無責任に利用されてきたかは明確である。ホロコーストを利用する人は、その意味を歪め侮辱している。ユダヤ人に降りかかった比類のない悲劇はさまざまに解説されているが、駐日イスラエル大使を務めたエリ・コーヘン氏が日本のジャーナリストへ宛てた手紙の中でこの問題について完結に非常に良くまとめている。
「ホロコーストに匹敵するものはない。世界の中で、組織的に、冷酷に国家をどのように葬るか、そのようなことを計画した国家は他にありません。ユダヤ人の子ども、女性も男性も、たとえ片親がユダヤ人でも、そしてどちらかの祖父母がユダヤ人であってもすべてのユダヤ人が犠牲になったのです。彼ら(ナチス・ドイツ)はユダヤ人がどこにいようとすべてのユダヤ人を探し出して殺害するシステムを作り上げました。ドイツという国家全体がこの虐殺に関わったのです。ポーランド、オーストリア、イタリアなどのような国々が、ユダヤ人虐殺に協力したとき、その虐殺は何年にも渡り続きました。ヨーロッパ各地の数少ない勇敢な人々が命がけでユダヤ人に救いの手を差し伸べ、彼らをかくまったのです。人類の歴史でホロコーストのような虐殺が起こったことはなく、他の国で決して起こらないことを願っています。」
ここではっきりさせておきたいのは、日本はこの虐殺に加担していないだけでなく ユダヤ人を救っている、ということである。1920年、日本はサン・レモ会議*で「パレスチナの地にユダヤ人のナショナル・ホーム」を樹立することに道を開く「パレスチナ委任統治」を決定した決議に共同で署名した。第二次世界大戦の直前に、日本は満州にユダヤ人を移住させる計画(河豚計画)を推進したが実現しなかった。アメリカのユダヤ教のラビはこの計画を一蹴した。それでも日本は数千人のユダヤ人を救った。最もよく知られているのは、6千人あまりのユダヤ人へ通過ビザを発行したリトアニアの日本の大使を務めた杉原千畝である。日本政府は日本に到着したユダヤ人に対して定期的にビザの更新をおこない、ヒトラーからの強い抗議にもかかわらず数千人のユダヤ人を日本が統治する上海に移住させた。
日本の第二次大戦の記録は敏感な問題であるが、特定の人物が糾弾されているとき、過去について論じるときは、事実は感情よりも重要である。この点を考慮すると、「慰安婦問題」がホロコーストに匹敵する事実かどうかをよく考えなければならない。
日本が占領した国々で日本がどのようなことをしたか、それは戦後に徹底した調査が行われた。東京裁判で日本は戦争犯罪人として裁かれた。判事の一人であるインドから派遣されたラダ・ビノード・パル判事は、起訴の内容が一部厳しすぎるとし、反対の意見書を提出した。日本は判決を受け入れ、1952年、サンフランシスコ条約が発効した。東京裁判の法廷で、20万人の女性が性奴隷にされそのことを日本政府が隠匿した、などという陰謀説が判事の目に留まったことは一度もない。もしこれが本当に重大なことであれば、判事たちが見逃すことは考えられない。
8年にわたり日本を占領していた連合国軍は、実質的に日本を支配しており、日本政府が持っていた文書や資料には何の障害もなくアクセスできたはずである。ダグラス・マッカーサーがポケットに手を入れて昭和天皇の隣に立っている写真を見ればわかるように、連合国側が、大戦時の日本の指導者の誇りを失わせたいと考えていたことを隠そうとはしなかった。そして、多くの政府関係者が職を失った。ホロコーストからユダヤ人を救った英雄として最も良く知られている杉原千畝は、人員削減で外務省を退職した後は、さまざまな職を転々とした。
日本軍の慰安所の問題は連合国軍が調査をおこなっている。機密解除された文書は、ほとんどの慰安婦には賃金が支払われていることを示している。繰り返しになるが、性奴隷という陰謀説のような話は見つからなかったのである。
日本は韓国と交渉を重ね、1965年に日韓基本条約を締結し、その結果、韓国に対して協定で決められた多額の資金供与及び融資が行われた。条約交渉中に、韓国も中国も慰安婦の問題を提起することはなかった。慰安婦問題は1991年になり大きく取り上げられるようになった。
登録申請のセクション3.4では以下のように説明している。
「1991年まで、「慰安婦」の問題や組織的、強制的に性奴隷にされた女性の苦しみの実態は一般的にまだ知られていなかった。アジアの多くの地域で支配的である強力な父権的イデオロギーの下では、女性のセクシュアリティはタブーであり貞操を失った女性は、家族の中でも居場所がなかった。慰安婦たちは激しい社会的不名誉にさらされ、自分の身に起こったことを話してはいけない、という圧力の下で生きてきた。
50年近く経ってからこのような説明をされても説得力はない。そして、1949年に樹立した中国に共産党政権は、「貞操」や「家父長制度」は時代遅れの概念として断ち切り、新しい道徳と一体となった社会に変えていった。セクション3.4にはこの視点が抜けている。中国は、常に日本に対する宣伝戦や世論戦に関与してきた。「慰安婦問題」は完璧な宣伝戦の道具であり、家父長制度の考察を持ち込むのは論外であろう。中国はその敵を攻撃することに何のためらいもない。この事実は登録申請書に明確に表われている。登録申請は中国を含む数か国が参加している。申請国の一つである「中華民国」または「台湾」を「チャイニーズ・タイペイ」と呼んでいるのは台湾に対する尊敬の念の欠如である。慰安婦に対する正義を「回復」することを意図したはずの申請文書の中で、中国が共同申請国を見下すような態度であることは、ユネスコがどのような国に牛耳られているかを示している。
慰安婦の問題が重要になったのは韓国と中国が競争相手である日本に対して経済力をつけてきてからである。それは彼らが競争相手に対して敵意を生み出すための道具として使われている。その意味で、この状況はイスラエルに対するBDS (Boycott-Divest-Sanction)運動*とよく似ている。その目的は、まやかしの「アパルトヘイト」の問題を作りだしイスラエルの信用を落とし孤立させることである。イスラエルの場合と同様に、慰安婦問題のような活動は様々なNGOや組織が原動力になっている。実際には政府からの財政的な援助がなければまとまらないような活動が、大きな大衆運動であるかのような印象をつくりだしている。
これまでのところ、登録申請団体は、慰安婦は性奴隷説について説得力のある文書を提供できていない。彼らがユネスコに提示したは資料は公開もされていない。1993年、日本政府は、河野談話で戦時中の売春宿の存在を認めているが、この談話はアメリカ軍が収集した情報と異なる点はどこにもなかった。このような慰安所の存在は良いとは言わないが、それをもう一つのホロコーストであると主張するにはあまりにも無理がありすぎる。
大虐殺に関する証拠が不十分であるにもかかわらず、登録申請団体はまだホロコーストである、とセクション3.4で主張している。
25年以上に渡る慰安婦問題の事実に基づく真実が明らかになったことは、犠牲者からの要求、犠牲者を支援する組織、ドイツ政府のホロコーストに対する謝罪と同様に日本政府も正式な謝罪をすることなどを含め、外交的な紛争を引き起こした。
慰安婦問題を実際のホロコーストと比較してみよう。欧米のメディアは最初はホロコーストの事実を取り上げるにの躊躇していたが、1940年代初頭からすでに世間に知られるようになっていた。イスラエルのホロコースト記念館(ヤド・ヴァシェム)を訪れるとその体験は脳裏に焼き付いて忘れられないであろう。この記念館を訪問する人々は、戦後から収集された多くの展示物に圧倒される。何百万におよぶ文書や写真、ビデオが虐殺の恐怖を伝えている。だからこそ多くの人々がホロコーストの影響力を模倣し、自らの目的達成のために利用しようとするが、うまくいったためしがない。これは驚くべきことではない。
「慰安婦」はホロコーストであるという概念は現実的には根拠がない。それにもかかわらず、登録申請団体は、セクション5.2で、彼らは性奴隷の議論に新しい新境地を開いたと主張する。
内戦や国家間で今日起こる武力紛争時の広範囲に及ぶ組織的な性暴力や性奴隷は、慰安婦が体験した残虐行為とその性質が似ている。慰安婦たちの勇気に励まされて、旧ユーゴスラビア、バングラデシュ、ミャンマー、カンボジアなどのレイプ被害者は、様々な形で声を上げるようになった。例えば、女性に対する犯罪を裁く裁判での証言などである。「慰安婦問題」への意識の高まりは、例えば、ナチスのホロコーストにおける性暴力や強制売春などの問題と同様に、慰安婦についての新たな研究に道を開いた。
もしこの記述の論理に従うならば、ユネスコはここに記述されていない数か国を非難しなければならないだろう。1959年、中国によるチベットの侵略では、約120万人のチベット人が犠牲になり、何万人もの女性が強姦され、チベットの仏教文化は完全に破壊された。日本が非難されるべきことよりも、このチベット対する残虐行為の方が、ホロコーストの概念にはるかに近い。さらに、中国では毛沢東の1957年の大躍進政策により数千万人が死亡した。他国の模範となるような平和な国になった日本とは違って、中国は時を異にしてほとんどの隣国を攻撃しており、それは今も続いている。中国の悲惨な政策は法輪功に向けられ、学習者は弾圧され数千人が逮捕、殺害されそして彼らの臓器が摘出されている。
1960年代には、韓国軍はベトナム戦争に参戦した。ベトナム政府は、何千人もの女性が韓国軍によりレイプされたことを確認しているが、この惨事に関する文書を「世界の記憶遺産」に登録申請するという話は聞いたことがない。北朝鮮政府の自国の国民に対する犯罪はさらに残酷である。
1940年代後半、イスラム教国に住んでいた80万人のユダヤ人が追放され、財産が没収されたような壊滅的な出来事はいまだにユネスコの注目を集めていない。現在、何千人ものヤジディ教徒がイスラム教過激派によって殺害され、女性たちは性奴隷としてに売り飛ばされている。ユネスコはそれにも気づいていないようだ。
文化や相互理解を促進するはずのユネスコは、今では最も暴力的な行為を示す国々の支配下に置かれている。民主主義国家である加盟国の中に、互いに尊重し協力するという原則を裏切る組織に分担金の支払いを拒否していることは驚くにはあたらない。ユネスコが現実の世界に対する妥当性を維持したいのであれば、ユネスコは設立当時の理念に戻るべきである。
ユダヤ・イスラエル友好協会
CANADA-ISRAEL FRIENDSHIP ASSOCIATION
アラブ・イスラム教徒*
アラブ人のイスラム教徒。アラブ人の中にはイスラム教徒やキリスト教徒がいる。パレスチナは地域の名称で、国や民族ではないためアラブ・イスラム教徒としている。
サン・レモ会議*
1920年4月、第一次世界大戦後の問題を協議するためイタリアのサン・レモSan Remoで開かれた連合国の会議で、日本からは松井大使が出席した。ここで戦後のオスマン・トルコ帝国領の分割統治が決定された。サンレモでは、連合国はパレスチナの地にユダヤ人の国家を建設することを約束したバルフォア宣言が含まれることを確認した。サンレモ会議はイスラエル建国の重要な布石となった歴史的な会議である。
BDS (Boycott-Divest-Sanction)運動*
BDS/ Boycott(ボイコット), Divestment(投資停止)and Sanctions(制裁) against Israel. イスラエルに対するボイコット、投資の停止、制裁を進める運動。
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