【ブルガリア出身ジャーナリスト記事】ボコバ一族の闇 ~イリナ・ボコバは国連事務総長としての資格があるのか~

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イリナ・ボコバ ユネスコ事務局長

現在ユネスコの事務局長で、国連の次期総長に出馬するブルガリア出身の女性イリナ・ボコバ氏について、同国出身のジャーナリスト、ミロスラフ・マリノフ氏が書いたコラム「ボコバ一族の闇」をご紹介します。
ボゴバ氏が北京で行われた抗日戦争勝利70年記念行事(2015年9月)に出席したのも、南京大虐殺の記憶遺産の登録を決めたのも、このコラムを読んで彼女の背景を知ると頷けます。

 

 

マリノフ氏著書

 

 

【 コラム 著者 ミロスラフ・マリノフ(Miroslav Marinov) 】
カナダ在住のライター・フリーランスジャーナリスト。ブルガリア出身。ソフィア大学哲学科を卒業後、ブルガリア科学アカデミー哲学研究所にて博士課程修了。北米の政治を中心に執筆活動中。
近著は Lynched:The Media War against Rob Ford

 

 

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★ 英語版 Bokov Family ENGLISH PDF

ボコバ一族の闇
~イリナ・ボコバは国連事務総長としての資格があるのか~

ミロスラフ・マリノフ

ボコバ一族が権力中枢にのし上がった背景

次期国連事務総長として最有力視されている現ユネスコ事務局長のイリナ・ボコバは、これまで以上にその個人的資質や経歴が注目を集めることになると思われる。イリナのキャリアは、共産主義国家ブルガリアの支配階級だけが有する特権によってもたらされたものであり、その生い立ちは腐敗した組織である国連に深く共鳴している。

ボコバ家という特異な一族がブルガリアの権力中枢に上り詰めることができたのは、第二次世界大戦中の激動のブルガリアの歴史を振り返る事によって説明ができるだろう。

当時のブルガリアにおける共産主義運動は、常に取るに足りないもので大きな流れとなることはなかった。1939年、スターリンとヒトラーの間で独ソ不可侵条約が締結されて「友好関係」が結ばれ、コミンテルンは各国の共産党に対してナチスドイツを支援するように指示をした。1941年3月、ブルガリアの「ファシスト」政府(実際にはファシスト政権ではなかった)は枢軸国に入り、ブルガリア共産党はその政府の決定を支持しなければならなかった。つまり、反ファシズム戦線を棚上げせざるを得なかったのである。ブルガリア共産党は、1941年6月にナチスドイツがソ連に侵攻した後に、初めて反ファシズム政党としての活動を開始した。

ブルガリアはナチスドイツと同盟を結んだが、当時のブルガリア国王はあらゆる手段を用いて自国が戦場にならないように尽力した。ソ連には軍隊を送らず、ヒトラーの度重なる要求にもかかわらずユダヤ人の送還、すなわち強制収容所に送ることを拒否し続けたのである。当時、ブルガリア共産党のレジスタンスは惨めな状況にあり、どこからも大規模な支援は受けられず、1000人規模の党員が森に立てこもって実現不可能と思われる政権打倒の機会を狙っていた。

共産党の状況が劇変したのは、ソ連軍がブルガリアに侵攻した1944年9月のことである。1944年9月8日、ソ連がブルガリアに侵攻し、翌日の9月9日、合法的政権であった当時のブルガリア政府は、祖国戦線(Fatherland Front)と呼ばれた陸軍将校グループのクーデターにより退陣を余儀なくされた。ソ連がブルガリアを占領するやいなや、ブルガリアの共産党員は新政府で主導的な役割を担うようになり、最初の数日間で「古い秩序」の支持者であった20万人もの国民を粛正したのである。粛正の犠牲となった人々の大多数が高等教育を受けた人々であった。正確な犠牲者数は未だに公表されていない。その後、ブルガリア共産党が「人民裁判所」を設置し、これにより5万人近くの人々が「ファシズム」を支持したという罪で投獄されたり、殺害された。こうして欠員となった当時の政府や教育機関の数々のポストを埋めたのは、共産主義に対する熱意のみが認められて選ばれた教育程度の低い労働者や農民達であった。

これが、ボコバの一族が共産党政権下で頭角を現してきた歴史的な背景である。

 

イリナ・ボコバの父親であるゲオルギ・ボコバが殺人事件に関与

ボコバ一族の家長であるゲオルギ・ボコフ (Georgi Bokov) *は、無学の農民の息子であった。ゲオルギは1940年にブルガリア共産党の党員となり、1942年から1943年までソフィア大学で法律を学んだ。しかし、過激な共産主義活動を行ったゲオルギは、大学入学1年目で退学処分となり、その後反政府武装グループの「政治委員」となった。1944年9月のクーデター以降、このようなゲオルギの活動が彼の共産主義活動家としてのキャリアを切り開いていったのである。

トドル・ジフコフとゲオルギ・ボコフ(右)

トドル・ジフコフとゲオルギ・ボコフ(右)

ゲオルギは、当時ブルガリアで人気のジャーナリストで漫画家であったライコ・アレキシエフ (Raiko Aleksiev) の殺害に及んだ民兵らの残虐行為に積極的に関与していた。1944年のクーデター後に、アレキシエフは第二次世界大戦中にスターリンの漫画を出版したことを罪に問われて逮捕され、獄中で民兵による拷問を受けて死亡した。共産党政府はその事件を隠ぺいしようとしたが、ゲオルギが重い靴でアレキシエフに殴る蹴るの暴行を働いたと証言する者が現れた。

ライコ・アレキシエフ

ライコ・アレキシエフ

アレキシエフが獄中死すると、彼の遺体は棺桶に密封され、決して棺桶の蓋を開けないようにという命令と共に家族の元に送り返された。しかし、アレキシエフの妻はその命令に従わなかった。棺桶の蓋を開けた妻が目にしたのは、体中の骨を折られ、睾丸までも潰された無残な姿に変わり果てた夫の遺体であった。

アレキシエフが殺害された直後に、残された遺族は自宅から追い出された。当時、このような「国民の敵」に対する措置は、よくあることであった。被害者が殺害あるいは追放された場合、その自宅は没収され、「貴族階級」の共産党員に与えられたのである。

ブルガリア共産党に対する徹底した忠誠心を表明し続けたゲオルギは、地元の党委員会で短期間働いた後、1946年にプラウダのブルガリア版と言える共産党機関紙(Rabotnichesko Delo (Workers’ Action))に職を得ることができた。ジャーナリストとして相応しくない経歴であったにもかかわらず、ゲオルギは1958年には党機関紙の編集長となり、更には1960年、ブルガリアのジャーナリスト労働組合委員長に就任し1976年までの16年間その役職を務めた。また、ブルガリア共産党中央委員会のメンバーにも選出された。しかし、ゲオルギは1976年に突然全ての党役職を解任され、早期退職をしてしまった。その理由は、未だに明らかにされていない。

ブルガリア共産党書記長のトドル・ジフコフは、スターリンとは異なり、揺るぎない支配を確立するために政敵を寛大に扱い従順にさせ、ジフコフ支配の35年間の間に政権内であえて彼に挑戦する者が誰も出てこない空気を醸成することに成功した。ジフコフ書記長の融和戦略により、退職後もゲオルギは在職中と変わらない特権を維持することができた。ゲオルギはジフコフに従順な共産党幹部の一人だったのである。彼は1989年にその生涯を終えた。

 

特権を享受するボコバ一族

1944年、ゲオルギ・ボコフは、共産党党員で後に妻となる女性、ナデジダ (Nadezhda)と出会った。ナデジダは、当時既婚者で幼い息子がひとりいたが、離婚してゲオルギと再婚した。その後、ボコバ夫婦に二人の子どもが生まれた。フィリップ・ボコフ(Filip Bokov,1948年~)とイリナ・ボコバ(Irina Bokova,1952年~)である。フィリップとイリナの兄妹は、共産党支配階級出身者として、生まれた時から特権を最大限に享受して育てられた。両親が「資本主義とファシズムに対抗する「アクティブ・ファイター」と呼ばれる共産党幹部であったことにより、フィリップとイリナ兄妹には更なる特別待遇が与えられた。当時ブルガリアでは、大学を含めて全ての教育が無償であった。しかし、ブルガリア国内の大学が全ての入学希望者を受け入れることは不可能だった為、大学入学試験は熾烈を極めた。特権階級出身で「アクティブ・ファイター」の子弟であったボコバ兄妹は、このような社会状況にもかかわらず、本人の能力や学業成績に関係なくブルガリア国内のどの大学にも無試験で入学が許可されたのである。

外交官になるべく教育を受けたボコバ兄妹は、一般市民は入学ができないソフィアのエリート英語学校を卒業し、その後モスクワ国際関係大学に進学した。このように海外の大学で教育を受けることが出来るのは、著名な共産主義者かシークレットサービスの協力者の子弟のみである。ブルガリア共産党あるいは「ふさわしい人物」の子弟であれば、望むキャリアを何でも手に入れられる。それは、実に簡単で当然なことでもあった。

 

 家庭崩壊に直面した兄フィリップ・ボコバ

イリナの兄フィリップ・ボコフは、1974年にブルガリア外務省に入省、1986年に駐英大使に就任した。1989年、共産党政権が崩壊したが、そのことは彼のキャリアに大きな影響を及ぼさなかった。ブルガリア共産党からブルガリア社会党へと党名が変更されても中身は変わらず、党員や上級幹部はそのまま党に残り、1990年に実施された最初の「自由」選挙では社会党は不正行為とプロパガンダで勝利を手にした。フィリップは、その後すぐに社会党の著名な政治家として知られるようになった。

1970年代に、フィリップは党中央委員の娘であるユリア・ブラディコバ (Yulia Vladikova)と結婚した。ユリアは、1973年にソフィアで車を運転中にスピードを出しすぎ老女をはねて死亡させるという事故をひき起こした。この交通事故の犠牲者の家族は正当な裁判を望んだのだが、事故はもみ消され、ユリアが加害者として罪に問われることはなかった。また、ガーディアン紙(The Guardian)が駐英大使としてフィリップがロンドンに赴任中に、ユリアが幾度か万引きをしたことを記事にした、とブルガリアの新聞は報道している。ユリアの行動は窃盗癖や不安定な精神状態のせいであるとされたが、それによってフィリップのイギリスでのキャリアに終止符が打たれた。

フィリップ・ボコフ(左)とゲオルギ・ジュニア 『犯罪者の体質を受け継いだ父と息子』(原文ブルガリア語)

フィリップ・ボコフ(左)とゲオルギ・ジュニア
『犯罪者の体質を受け継いだ父と息子』(原文ブルガリア語)

フィリップとユリア夫妻にはゲオルギ (Georgi、フィリップの父親と同じ名前)とビリアナ(Bilyana)という二人の子どもがいた。政治的影響力を持つ父親の存在はゲオルギ・ジュニアに様々な機会を与えてくれたはずであったが、彼が選んだのは犯罪への道だった。ゲオルギ・ジュニアは悪名高い自動車泥棒となり、1993年の逮捕を始めとして、その後何度も逮捕された。拳銃の不法所持を含め、有罪判決を4度も受けて服役した。2001年には盗難車を運転中に警察から追われ、逃げる途中に交通事故を起こして重傷を負った。フィリップはこうなってようやく息子の更生を諦めてゲオルギ・ジュニアと縁を切ったのである。

フィリップの娘ビリアナは弁護士になったが、家庭崩壊による精神的ストレスは相当なものだったのだろう。ビリアナは、2003年に自宅で首をつって自ら命を絶ってしまった。何度も繰り返された兄の犯罪が自殺の原因ではないかと噂されている。

フィリップの家庭は、ビリアナの死後ますます家庭崩壊への道を突き進んでいった。ゲオルギ・ジュニアは母親との折り合いが悪く、ユリアは息子ゲオルギ・ジュニアから幾度も暴行を受けたと訴えていた。最悪の事態が発生したのは2006年のことである。

ユリアが自分の手術費用をゲオルギ・ジュニアから借りていたのだがそれを期限までに返済しなかった為、彼が母親の自宅に押しかけた。二人は口論となり、ジュニアは母親に殴る蹴るの暴行を加え、大怪我を負わされたユリアは警察に被害届を提出したのである。

更に2011年の8月、ゲオルギ・ジュニアと妻のマリアは田舎道を運転中に交通事故を起こしてしまう。スピードの出しすぎでコントロールを失ったジュニアの車が観光バスと正面衝突し、バスの乗客19人が負傷した。ジュニア夫婦は即死であった。夫婦の遺体は地元の遺体安置所に運ばれたが、フィリップもユリアも遺体の引き取りを拒否し、ジュニア夫婦の遺体はボコバ家の墓には埋葬されなかった。ブルガリアの新聞のインタビューでユリアは「息子は罰を受けた」と心境を語った。

『私の息子は当然の罰を受けた』(ゲオルギ・ジュニア死亡後に母親ユリアが出したコメント 原文ブルガリア語)

『私の息子は当然の罰を受けた』(ゲオルギ・ジュニア死亡後に母親ユリアが出したコメント 原文ブルガリア語)

 

イリナ・ボコバのスキャンダル

イリナ・ボコバ自身も、問題の多い人物である。モスクワ国際関係大学を卒業後、兄のフィリップの監督下でブルガリアで働き始める。イリナは、「輝かしい」経歴により国連のブルガリア政府代表部の3等書記官となり(1982年~1984年)、その後昇進を重ねてブルガリア外務省書記官としてニューヨークに駐在することとなった。兄と同様に、共産党政権の崩壊は彼女のキャリアにとっては追い風となった。1990年、ブルガリア議会の議員に当選し、1995年から1996年まで外務大臣としての任期を務めた。

イリナのキャリアが上向きになってきていた頃、ブルガリアの新聞が彼女のスキャンダルを掘り起こしたことがある。義理の姉、ユリアがひき起こした人身事故と同様に、イリナ自身も1986年にソフィアで車を運転中に老婦人をひいて死亡させてしまっていたのである。すでに退職していた父親ゲオルギがコネを使い動いたため、イリナは事故の罪に問われずに済んでいる。

イリナがユネスコの事務局長として選出された後のことであるが、アメリカン・スペクテイター誌(The American Spectator)が、1980年にブルガリアから亡命した元外交官から聞いた話としてイリナのニューヨーク駐在時代のスキャンダルを暴露している。その元外交官は、イリナは筋金入りの共産党路線のプロモーターではあったが、彼女の行動は「優れた」共産党員の倫理からは程遠いものだったと回想していた。当時、イリナは最初の夫であるジャーナリストのルブミア・コラロフ(Lyubomir Kolarov)と一緒に暮らしていたが、夫が大酒飲みだったために二人の関係はうまくいっていなかった。そのうえ、イリナは同僚の外交官カリン・ミトルフ(Kalin Mitrev)と密かに付き合い始めていたのである。アメリカン・スペクテイター誌に掲載された記事は、イリナとカリン・ミトルフの不倫騒動を面白おかしく次のように述べている。

「ミトルフの父親が共産党の幹部だったことからイリナとミトルフの不倫関係はずっと 秘密にされてきていたが、ある事件をきっかけに公になってしまった。ある夜、マンハッタンのアッパーイーストサイドのあるアパートの外に、多くの人々が集まっていた。当時のボコバの夫であるコラロフが、自宅アパートの11階バルコニーから1階下のミトルフが住む部屋のバルコニーに飛び移ろうとして、ぶら下がったまま動けなくなっていたのである。コラロフがイリナとミトルフとの密会の現場を押さえようとしていたのは明らかだろう」

この事件の後、イリナはアメリカから本国に召還された。ブルガリアの腐敗した政治環境下においては、このような逸脱行為があったとしても当時者の政治家や官僚としてのキャリアが脅かされることはない。ニューヨークでの不倫騒動がイリナ・ボコバのキャリアを傷つけることはなかった。甥の犯罪歴が原因でイリナが駐英大使になれなかったという噂が流れたことがある。その噂は本当だったのかも知れないが、甥のゲオルギ・ジュニアの犯罪歴がイリナの昇進を妨げるようなことは無かった。うわさが広まった直後、イリナはユネスコのブルガリア代表と駐仏大使に任命され、2009年にはとうとうユネスコ事務局長に選出されたのである。そして現在、イリナ・ボコバは次期国連事務総長候補のトップランナーである。

 

腐敗した国連、ブルガリア政府とイリナ・ボコバは完璧にマッチ

暗い想像力をかき立てるハワード・フィリップス・ラヴクラフトやスティーブン・キングのような作家でも、ボコバ一族のおぞましい過去のようなストーリー展開は思いつかないのではないだろうか。ブルガリアでは「ボコバ一族はジプシーに呪いをかけられた」などと噂する人がいる。しかし、ボコバ一族の闇を説明することは簡単である。ボコバ一族は善と悪の概念の基準が曖昧か、または善悪の概念自体を否定する非道徳な社会の産物なのである。ブルガリアでは、共産党の利益とその支配階級が何よりも重要なのである。多くの東欧諸国では、共産党政権の崩壊後も人々の精神構造は変わっていない。

イリナ・ボコバはスキャンダルにまみれた人物だと思うかもしれない。しかし、オバマ大統領やヒラリー・クリントン、カナダのジャスティン・トルドー首相が政治の腐敗に貢献していることを考えれば、ボコバの腐敗ぶりは珍しいことではない。類は友を呼ぶである。イリナ・ボコバが自身の過去より醜い国連という組織の次期事務総長の座を狙っている事実を考えると、彼女のようにスネに傷を持つ人物を他者がコントロールするのはたやすいことだろう。国連がサウジアラビアのような野蛮な国に人権を「擁護」する人権理事会のポストを任せるのであれば、後ろ暗い過去を持つイリナ・ボコバは役に立たない組織である国連にとって理想的な人材と言えるだろう。

※ブルガリアでは、女性の場合名字にaを付けます。これはスラブ語圏では一般的で、イリナ・ボコバの場合父がゲオルグ・ボコフ(Georgi Bokov)なので、Bokovaとなります。

 

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参考資料:
http://www.24chasa.bg/Article.asp?ArticleId=236668
Бокови – от “Работническо дело” до ЮНЕСКО (The Bokov Family – from Rabotnichesko Delo to UNESCO)

http://tutankhamon661.blog.bg/politika/2011/08/28/chernoto-semeistvo-bokovi.810088
Черното семейство Бокови (The Dark Bokov Family)

http://www.blitz.bg/article/26650
Майката на Георги Боков убила баба на булевард (Georgi Bokov’s Mother Killed an Old Woman on a Boulevard)


http://www.168chasa.bg/Article/1007325

Георги Боков не се виждал с родителите си, искали да се откажат от него (Georgi Bokov Had no Communications with His Parents, They Wanted to Abandon Him)

http://www.flagman.bg/article/27705
Майката на Георги Боков: Вселената го наказа! (Georgi Bokov’s Mother: the Universe Punished Him!)

http://www.24chasa.bg/Article.asp?ArticleId=1003527
Синът на Филип Боков загина в зверска катастрофа (Filip Bokov’s Son Perished in a Horrific Crash)

http://www.24chasa.bg/Article.asp?ArticleId=1005082
Филип Боков ще кремира Георги (Filip Bokov to Cremate Georgi)

http://www.thenewamerican.com/world-news/item/21469-bulgarian-communist-and-unesco-boss-irina-bokova-may-lead-un-video
Bulgarian Communist and UNESCO Boss Irina Bokova May Lead UN

http://glasove.com/categories/komentari/news/izborut-na-bokova-e-sram-za-bulgariya-i-yunesko
Изборът на Бокова е срам за България и ЮНЕСКО (The Election of Bokova is Shame for Bulgaria and UNESCO)

http://spectator.org/articles/40776/familiar-new-face-unesco
A Familiar “New Face” at UNESCO: A former colleague recalls the Bulgarian ex-Communist recently named, with Obama administration backing, to head this key UN agency, by Rossen Vassilev

2016年3月1日

翻訳:マリノフ利江
小見出し、家族関係図、地図は翻訳者が追加しました。

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【解説】「国連女子差別撤回委員会」最終見解

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全米フリーペーパーに有志が「慰安婦問題特集」記事掲載

米国のなでしこアクション仲間Japanese Women’s Center がアメリカ全国36都市に無料配布されている日本語のフリーペーパー「ニューヨーク ビズ 」に「慰安婦問題特集」記事を出してくれました。2016年3月3日から4回掲載されます。

米国の皆さま、この記事を見かけたらぜひお知り合いにも広めてください。

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記事 PDF版ダウンロード
※画像をクリックすると別ウィンドウで拡大表示されます。

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外務省は国連への公式文書「国連の報告書・勧告は一方的/20万人は裏付けがない/性奴隷は不適切」をもっと発信してください

国連で慰安婦問題についてこれまで謝罪ばかりを繰り返してきた日本政府は、2014年8月の朝日新聞の吉田清治報道の取り消し以降、国連において事実関係をもってはっきり反論しています。
ただ、折角の反論が殆ど知られておらず、外務省のホームページにも非常に分かりにくいところに掲載されています。
これをもっと発信すべく、外務省や政府のホームページの目立つところに掲載すべきです。

なでしこアクションで日英対訳でPDFに纏めたものはこちら
http://bit.ly/2r7GMLT

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外務省HPから
拷問禁止委員会の最終見解(CAT/C/JPN/CO/2)に対する日本政府コメント(和文仮訳)
より、慰安婦問題 箇所 以下抜粋

英語 Comments by the Government of Japan Concerning the Concluding Observations by the Committee against Torture (CAT/C/JPN/CO/2) 2015.4

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P12 第19段落 ※ 太字は、なでしこアクションによる

51.日本政府は,慰安婦問題そのものを否定したり矮小化したりする意図は毛頭ない。慰安婦問題に関しては,安倍晋三内閣総理大臣は,筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々のことを思い,非常に心を痛めている,この点についての思いは,これまでも繰り返し表明されてきており,歴代内閣総理大臣と変わらない旨繰り返し述べている。

52.実際,日本は,慰安婦問題が多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であることから,日本政府及び日本国民のおわびと反省の気持ちをいかなる形で表すかにつき国民的な議論を尽くした結果,1995年7月19日,元慰安婦の方々に対する償いの事業などを行うことを目的に,国民と政府が協力して「アジア女性基金(AWF)」を設立した。具体的には,AWFは,韓国,フィリピン,台湾の元慰安婦(各政府・当局によって認定され,かつ本人が受取りを望んだ方々)に対し,「償い金」(一人当たり200万円)をお渡しし,最終的に285名(フィリピン211名,韓国61名,台湾13名)の元慰安婦が受け取った。また,AWFは,右に加えて,上記のそれぞれの国・地域において,医療・福祉支援事業(一人当たり300万円(韓国・台湾),120万円(フィリピン))も実施しており,インドネシアにおいては高齢者のための福祉施設整備のための財政支援を実施し,オランダにおいては,先の大戦中心身にわたり癒やしがたい傷を受けた方々の生活状況の改善を支援するための事業に財政支援を行った。政府は,AWFの事業に必要な資金として総額約48億円の拠出を行い,元慰安婦の方々への医療・福祉支援事業(総額約11億2,200万円)や国民からの募金に基づく「償い金」の支給等の基金事業に対して最大限の協力を行ってきた。韓国における事業としては,事業終了までに,元慰安婦合計61名に対し,民間による寄付を原資とする「償い金」200万円を支給し,政府拠出金を原資とする医療・福祉支援事業300万円を実施(一人当たり計500万円)した。さらに,「償い金」が提供された際,その当時の内閣総理大臣(橋本龍太郎内閣総理大臣,小渕恵三内閣総理大臣,森喜朗内閣総理大臣及び小泉純一郎内閣総理大臣)は,政府を代表して,自筆の署名を付したおわびと反省を表明した手紙をそれぞれの元慰安婦に直接送った(別添参照)。AWFは,インドネシアでの事業が終了したことを受け,2007年3月に解散したが,現在も,AWFのフォローアップ事業を行っている。

53.このように,日本政府及び日本国民の善意と真摯な気持ちを少しでも元慰安婦に届けられるよう官民が協力して立ち上げ,多くの元慰安婦にその思いを伝えた「アジア女性基金」の取組について,改めて注意を喚起したい。韓国では,同基金の事業を受け入れた元慰安婦や申請しようとする元慰安婦に対し,韓国内の一部団体から「ハラスメント」が行われ,さらに,同基金の事業を受け入れた元慰安婦は韓国政府が支給することを決定した「生活支援金」の対象外となった。このような理由から全員には受け取っていただけなかったことは残念(ただし,当時,韓国政府により認定を受けていた200名程度の慰安婦のうち,最終的に61名の慰安婦が受け取った)。このような点を含め,同基金の取組については改めて評価されるべきと考える。同基金のような元慰安婦支援事業は,日本が韓国に先がけて行ったものであることにも注意を喚起したい。

54.慰安婦問題を含め先の大戦に係る賠償並びに財産及び請求権の問題については,日本政府は米,英,仏等45か国との間で締結したサンフランシスコ平和条約及び二国間条約等に従って誠実に対応してきており,これらの条約等の当事国との間では,元慰安婦も含めて個人の請求権の問題については法的に解決済みである。特に,韓国との間では,日韓請求権協定第2条1が,「両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された日本国との平和条約第4条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定している。なお,我が国は,この請求権協定に基づき,韓国に5億ドルの資金供与及び3億ドルを超える民間信用供与を実施した。政府が供与した5億ドルは当時の韓国の国家予算の約1.6倍に相当した。上記の「アジア女性基金」は,この法的解決が行われていたにもかかわらず,日本側の善意の努力として行われたものである。

55.また,この機会に,これまでの国連特別報告者による報告書や人権条約委員会による非難・勧告には,一方的で裏付けの取られていない主張が記載されていることを指摘したい。例えば「慰安婦を強制連行した」とする唯一の証言者である吉田清治氏の証言や慰安婦の数字について「20万人」との数字が言及されたが,これまでこれらを積極的に報じてきた日本の大手新聞社が,2014年8月に吉田氏の証言に基づく記事について,証言は虚偽であると判断して取り消し,同氏に関する誤った記事を掲載したことについて謝罪した。また,同社は,慰安婦と「20万人」との数字の基になったと思われる女子挺身隊と慰安婦との混同を認めた。

56.1990年代初頭以降に行った調査で日本政府が発見した資料(対外公表済)の中には,軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった。また「20万人」という数字は,同新聞が慰安婦と女子挺身隊を混同して報じたことが契機に広がった数字であり,具体的裏付けはない。これらの誤った事実関係が国連における報告書や勧告の有力な根拠となっていることがあるのは大変残念。

57.日本政府が求めていることは,正しい事実認識に基づき,日本の取組に対して国際社会から正当な評価を受けることである。

58.これまでの歴史の中では多くの戦争があり,その中で,女性の人権が侵害されてきた。21世紀こそ人権侵害のない世紀にすることが大切であり,我が国としても全力を尽くしていく考えである。

59.最後に,そもそも,拷問等禁止条約は,日本が同条約を締結(1999年)する以前に生じた問題に対して遡って適用されないため,慰安婦問題を同条約の実施状況の報告において取り上げることは適切でないというのが日本政府の基本的な考え方である。また,同条約委員会の最終見解にある「性的奴隷」との表現については,日本政府として,1926年の奴隷条約の奴隷の定義について検討したが,当時の国際法上,奴隷条約第一条に規定された「奴隷制度」の定義に鑑みても,慰安婦制度を「奴隷制度」とすることは不適切であると考える。

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上記と同内容の日本政府コメントが2015年3月社会権規約、同年7月自由権規約委員会にも提出されています。

■ 社会権規約委員会の最終見解(E/C.12/JPN/CO/3)に対する日本政府のコメント

英語 Comments on the Concluding Observations on the Third Periodic Report of JAPAN

■ 自由権規約委員会の最終見解(CCPR/C/JPN/CO/6)に対する日本政府コメント

英語 Comments by the Government of Japan on the Concluding Observations of the Human Rights Committee (CCPRIC/JPN/CO/6)

■ 女子差別撤廃条約第7回及び第8回政府報告審査(2016年2月16日、ジュネーブ)
質疑応答部分の杉山外務審議官発言概要

英語 Summary of remarks by Mr. Shinsuke Sugiyama, Deputy Minister for Foreign Affairs
in the Question and Answer session

【報告】慰安婦問題の他にどのような問題が検討されたか/ 国連 女子差別撤廃委員会 

「ニューヨーク ビズ 」の署名広告をご覧になった方ここをクリックしてください

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ジュネーブの国連で開催された女子差別撤廃委員会63セッション(2月15日~3月4日)の日本についての検討会議(2月16日)に、慰安婦問題以外にどのようなことが話し合われたか。

会議傍聴に参加して下さった スイス在住のなでしこアクション仲間 から報告いただきましたのでご紹介いたします。
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女子差別撤廃委員会対日審査(2016年2月16日)で指摘された慰安婦問題以外のこと ~ その1

あれよあれよという間に、非嫡出子が嫡出子と同じ相続権を得るようになった。この背景には、何と言っても国連の強い後押しがある。

女子差別撤廃委員会対日審査で、日本はさまざまな「問題点(?)」を突きつけられた。余計なお世話もここまで来ると、単に「委員たちの戯れ言」として聞き逃すわけにはいかない。また、非嫡出子が同権を得たことを鑑みると、ウカウカしてもいられないというのが実感である。そこで、当委員会で日本政府がどのような指摘を受けたか、ここに記録を残し、ご興味のある方々にご報告差し上げたいと思うに至った。

委員たちは発言の中で、「驚いたことに!」や「何と!」を連発した。また、一度だけだが「この前言ったことを日本政府は未だ実行に移していない。」との、やや苛立った発言もあった。「やだ〜あきれちゃったわ〜うっそ〜まじ〜?何回同じ事を言わせるつもりなの?やる気あるの?私たちをナメてるの?」というのが、彼女たち(委員は男性1名のみであとはすべて女性)の本音だったにちがいないと報告者は推察する。

いずれにしても、日本人の感覚からすると高飛車な口吻だったことを前もって述べておく。おそらく、こういう言い方をすれば日本人はすぐに凹むということを計算に入れた上での演出だったと思う。

尚、当委員会に居合わせた方で、これから記す事柄に誤りや重要な事項の抜け落ちを見つけられた場合は、是非ご指摘いただきたい。

当委員会の委員が日本政府に対して突きつけた事項を列挙する。順序は報告者が重要だと思ったそれを優先する。

< 暴力 >
「強姦の定義を広めるべき。膣への挿入に合わせて肛門への挿入を加えることは勿論のこと、局部への接触も『強姦』に入れるべき。」
ここでは、強姦の罰則規定は十分なものか。また、未成年者に対する強姦の刑罰がより重いものになっているかが執拗に確認された。
「DVからの女性の救済は万全であるか。」

< 男女平等 >
「女性の地位が低い。」
ここでは、「000に女性が占める割合は00%である。」という例が延々と挙げられた。例えば、大臣に女性が占める割合は何%という具合である。
この事象の原因は「短大に進学する女性は多いが大学への進学者が少ないから。」とし、「女性の大学進学率を上げ、女性の職業選択の自由を広げるように。」と促した。さらに「特に、理科系学部への女性進学者を増やすこと。」と付け加えた。
ここで注目すべき点は、女性枠を設ける「クオータ制(Quota System)」という文言が一度しか発せられなかったことである。彼らは「クオータ制を早く設けろ。」と何回も言いたかったはずである。恐らく、この制度が「男女平等の理念に反する」と反論されることを避けたかったからではないだろうか。
「男女の役割が未だ未だ固定的である。」「夫婦間の育児や家事の分担が十分に行われていない。」

< 婚姻 >
「婚姻可能最低年齢が『男性18歳、女性16歳』であり、同じ年齢ではない。」
「選択制夫婦別姓を認めていない。」
ここで注目すべき点は、「夫婦同姓は大多数の国民が支持している。」と回答した日本政府に対して、「国民の気持ちの変化を待つのではなく、政府が率先して国民の意識を変えるように。」と促したことである。ここに国連の本音が見えた。
「女性の再婚禁止期間が180日から100日に短縮されたのは評価できるが、さらに再婚禁止期間を無くすように努力すべき。」
(注)法務省は平成28年2月18日の自民党法務部会で、現在は180日とされている女性の再婚禁止期間を100日間に改めるとともに、離婚時に妊娠していなければ直ちに再婚を認める民法改正案の概要を明らかにした。
「堕胎に夫の承諾を必要としているが、これは女性の自律を阻む。」
それなら、夫の気持ちはどうなるのだろうか?
「嫡出子と非嫡出子というように、子供を差別している。」
結局、「嫡出子」「非嫡出子」という言葉自体をなくせと言いたかったのだろう。

< 人権 >
「あくまでも被害者(この場合は女性)の『傷ついた』という気持ちを尊重するように。加害者(この場合は男性)の『そんなつもりはなかった。』という言い訳には重きを置かないように。」
これは極めて危険。このことはその2で述べる。

< 性教育 >
「行き過ぎた性教育にブレーキをかけようとする動きがあるが、若年層の妊娠を防ぐためにも、ブレーキをかけるのは正しくない。」

< 二重差別 >
「在日韓国朝鮮人、部落民、先住民族(アイヌ)、障害者、移民の女性は二重差別を受けている。」

< その他 >
「セクハラやマタハラ(職場での妊婦に対する嫌がらせ)への対応は十分か。」
「母子家庭や農業に従事する女性への支援は十分か。」
「ポルノへの規制は十分か。」
「同性愛者、両性愛者、性同一性障害者などの性的少数者の問題。」

女子差別撤廃委員会 委員

女子差別撤廃委員会 委員

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女子差別撤廃委員会対日審査(2016年2月16日)で指摘された慰安婦問題以外のこと ~ その2

皆様は「痴漢えん罪保険(月額590円)」というのがあることをご存じだろうか。痴漢に間違えられた際に、弁護士の費用などに当てるのだそうだ。

今回の会議で、私は日本の左派の思惑をまざまざと感じた。「注文の多い料理店」というのがあったが、「注文の多い委員会」にマトモにつき合っていたらとんでもないことになる。どうなるかと言ったら、「電車内での強姦罪が成立」してしまう可能性が出て来るということである。

ここで、委員たちの発言を整理する。

1、「被害者(女性)の『傷ついた』という気持ちを尊重。加害者(男性)の『そんなつもりはなかった。』という言い訳には重きを置かない。」

これはどういうことを意味するかというと、「被害者(?)である女性の証言(?)に重きが置かれる」ということである。慰安婦問題も、この論理で一気に押し切られてきた。彼女たちが本当に慰安婦だったのか、彼女たちの証言に信憑性があるのかといった検証は、すべてすっ飛ばされてきた。彼女たちの「涙」に信憑性を見いだせということである。まさしく暴論だ。

ちなみに、電車内の痴漢事件もこの論理、つまり被害者の証言が優先されている。

2、「強姦の定義を広めるべき。膣への挿入に合わせて肛門への挿入を加えることは勿論のこと、局部への接触も『強姦』に入れるべき。」

ここで注目すべきことは、「局部への接触」が「手による」と限定されていないことだ。

電車内で「手」で接触するだけが痴漢行為ということであれば、両手を上げていれば痴漢えん罪を防げる。しかし、今は「からだを押しつけてきた!!!」でも痴漢行為として認められようとしている。

さらに、ふたりがグルになって被害者と目撃者(証人)を演じれば、簡単にインチキ痴漢行為が成立するわけだ。こうなると、痴漢えん罪を防ぐことは大変難しくなる。その上、局部への接触も『強姦』に入れるとなると、電車内で強姦罪が成立する。

フェミニズム思想は、もともと女性救済を目的にはしていない。ある別の目的のために、「目くらまし」として「女性」が使われているに過ぎない。上に挙げた委員からのアドバイスを受け入れてしまったら、左派にとっての敵(男性)を、いとも簡単に強姦犯として血祭りに上げることが可能になるわけである。

「男は狼なのよ、気を付けなさい〜」という歌があった。これは性教育に使える。「性教育をキチンとしろ。女性が強姦されてもいいのか。」と委員から問いつめられたので、私は次のような性教育(狼を寄せ付けない方法)を提言する。

1、売春婦ファッション及び売春婦のような化粧はしない。
2、夜遅くまで外でウロウロしない。
3、20歳以下の女性の飲酒と喫煙は厳禁。20歳過ぎても、外での飲酒と喫煙は極力控える。
4、電車内など、公共の場で化粧をしない。

以上のことを守れない女性たちは、強姦されたくらいで「傷ついた〜!許せない〜!」なんてしおらしいことを言える立場にはない。

以上