国連 人種差別撤廃委員会 参加報告 山本優美子

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2018(H30)年9月3日   なでしこアクション代表 山本優美子

 

国連 人種差別撤廃委員会 参加報告
委員会の審査・勧告は日本に必要なし

 

国連ジュネーブで人種差別撤廃員会96期(8/6-30)(以下、委員会)の対日審査会が行われ、日本政府への最終見解書が発表された。

中国のように深刻な人権侵害・差別が現在進行形で起きている国に対しては委員会の審査が必要だ。今期は対中国審査会も行われたが、我々がサポートした南モンゴル出身者のオルホノド・ダイチン氏が訴えた結果、委員会からチベット・ウィグルに加えて初めてモンゴルの人権問題が中国政府に勧告された。

しかし、日本の場合は全く状況が違う。自分たちが差別されていると訴えることによって利する所謂左派のNGOが政治目的を持って委員会で活動し、委員会は彼らの意見そのもののような勧告を出しているのだ。

委員会の委員18名は世界各国から集まった優秀な経歴の人たちではあるが、複数の国のたくさんの問題を短期間に審査する。一つの問題について深く調査研究しているとは思えない。

私は、保守系の各団体と協力して二十一NGO合同意見書を取り纏めて提出、現地で会議に参加・発言した経験から委員会の実態を知っていただきたくここに報告する。

 

◆  慰安婦問題  委員の偏向

本来であれば委員会は「事実を基に」で審査すべきである。ところが実態は大きく違う。

米国のマックドゥーガル委員は、1998年に国連特別報告者として報告書「現代的形態の奴隷制度」を書いた女性である。この報告書では、慰安所を「強姦所」として日本の法的責任を非難した。委員会では「私は25年間ほどこの問題に関わってきた」と専門家であることを強調する一方で、「事実の議論はやめましょう。これは女性の尊厳の問題です。」、「慰安婦の大多数は韓国出身だったのが事実です」と発言した。

韓国の鄭鎮星(チョン・ジンソン)委員は、元慰安婦の支援を行う「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」の共同代表だった女性である。日本代表団が強制連行と性奴隷を否定したのを受けて鄭委員は、「慰安婦の悲惨な状況の文書、写真、映像、証言など証拠はたくさんある。」と反論。挺対協の英名「The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan」に性奴隷Sexual Slaveryという言葉を使っていると性奴隷の理由にならないことを述べた。

中国の女性委員もいる。このような委員会が慰安婦問題について勧告を出すのは極めて不公正である。

 

◆ 慰安婦問題  日本政府、謝罪の説明はもうやめよ

日本政府代表団は慰安婦問題を「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」として、多くの時間を使ってアジア女性基金、日韓合意などのお詫びと償い金の取り組みを説明し、最後に「一部に不正確な情報や理解がある」として強制連行や性奴隷を否定した。

しかし、謝罪とお金は慰安婦への犯罪を認めたことを意味する。その後に性奴隷と強制連行を否定するのは矛盾した話で委員は理解できない。日本政府はこれまでに何度も繰り返してきた「謝罪の説明」はもうやめるべきだ。

ベルギーのボッソート委員は、ハーグ常設仲裁裁判所の裁判官で元ベルギー憲法裁判所の判事という識者だ。彼でさえ「問題を矮小化、否定するのは受け入れられない。性奴隷が適切でないという理由が理解できない」と会議の最後に発言している。

日本政府は国連の場で長年ひたすら謝罪の説明をしてきたが、2014年7月に初めて性奴隷を否定した。それでも、国連は変わらず「慰安婦への人権侵害の責任を認めよ、被害者中心に取り組め」、更には「家族にも適切な対応を」と勧告する。被害者としての慰安婦を訴え続けるNGOがいる限り、同じような勧告が繰り返されるだろう。

日本政府代表の大鷹審議官は、「客観的な見方や議論も必要だ。有識者や学者の研究成果が発表され英訳もすすんでいる。是非ご覧いただきたい。」と述べている。その通りではあるが、委員がそこまで調べるとは到底思えない。

日本政府はクマラスワミ報告のへの反論書も含め、事実関係を纏めた資料を作成し、委員会に提出してはどうだろうか。今も委員にとって慰安婦は日本軍に残虐な扱いを受けた性奴隷のままなのだ。

 

◆ 特定のNGOの影響を受ける委員たち

前述のボッソート委員は在日韓国人問題についての発言の冒頭で「日本にいる40万人の韓国人の大多数は植民地時代に強制移住させられた人とその子孫である。」と全く事実に反することを述べた。このような誤った前提の上で、日本で差別されている少数民族としての在日韓国人の人権が審査されるのだ。

今回も、在日韓国人の差別をなくす為として、地方参政権、朝鮮学校への補助金、意思決定ができる公職への参画、国民年金加入を認めよ、などの勧告が出された。

アイヌ、部落民についても同じようにNGOからの差別の訴えが勧告となっている。

ヘイトスピーチにも多くの時間を割いて審査された。委員は、日本はヘイトスピーチが増加していると言うが、果たしてそうだろうか。予想通り勧告は更に厳しい取り締まりを求める内容になっている。一点注目すべき点は、現在のヘイトスピーチ解消法は「本邦外出身者」のみ対象となっているがこれを「hate speech against any person」つまり「誰でも対象にすべき」と勧告されたことだ。もし、このように改正されれば日本人へのヘイトスピーチも対象となりえる。

また、今回は仲村覚氏(日本沖縄政策研究フォーラム)が、沖縄県民は「先住民族」ではないと主張する意見書を出し、会合でも直接委員に口頭で訴えた。それにも関わらず委員会は沖縄県民を「先住民族」と認識するよう勧告を出した。沖縄県民の殆どが知らぬ間に勝手に先住民族勧告をするのは異常な状況だ。これも政治目的をもった一部のNGOの意見を委員会が取り入れているためである。また今回は、そういったNGOと委員会が予定表に記さない非公式会合をもった事実も確認されている。

 

◆ 見過ごせない勧告の影響

委員会の勧告には法的拘束力はない。しかし実際は、国連のお墨付き勧告となって影響を及ぼす。

例えばH28年(2016年)から施行されたヘイトスピーチ規制法だ。法務省のサイトには施行の背景として「平成26年7月の国連自由権規約委員会による日本政府報告審査における最終見解、及び同年8月の国連人種差別撤廃委員会による同審査における最終見解で,政府に対してヘイトスピーチへの対処が勧告されています」とある。この法が出来たのは人権委員会の勧告の影響があるというのだ。

また、H10年(2008年)に最高裁が国籍法の婚外子差別を違憲と判断した判決文では、「我が国を取り巻く国内的,国際的な社会的環境等の変化に照らして」として、自由権規約委員会と児童の権利委員会による「婚外子差別をなくすための法改正勧告」を違憲の理由としている。

勧告には拘束力がないとは言え、実際はこのように法の施行や最高裁判決の理由に使われてきたのだ。国会や最高裁は、間違っても委員会勧告を理由に法を施行したり、判決を出すべきでない。

 

◆ 捏造慰安婦問題の基を断つ

国連の人権関連委員会で慰安婦問題が取り上げられている委員会は人種差別撤廃に加えて女子差別撤廃、拷問禁止委員会、自由権規約、社会権規約などがある。これらの委員会における数年ごとの対日審査会で、慰安婦問題が同じように審議されるのだ。今回の勧告にあるように慰安婦の「家族」までもが日本の責任の対象になっている。

これのままでは元慰安婦が一人もいなくなっても、訴えるNGOがいる限り問題は続きかねない。しかし国連における慰安婦問題に終止符を打たない限り、世界に広まる捏造慰安婦の基を断つことは出来ない。

また、NGO意見書の情報の真偽を確認せず、誤った勧告を出しても何らペナルティの無い委員会のシステムもおかしい。日本政府は改革を求めるべきだ。

そもそも日本にとって、国連の人権委員会は必要だろうか。私は必要ないと思う。仮にこれらの勧告を全部受け入れて実行したとしたら日本が日本で亡くなってしまう。

膨大な分担金を拠出しているにも関わらず、日本国民の人権を侵害し、国柄を壊すような勧告を出しつづける人権委員会に日本が留まる必要は全くない。

以上

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「慰安婦の真実」国民運動 国連人種差別撤廃委員会 派遣団 活動内容>

人種差別撤廃委員会96期(8/6-8/30)の対中国審査と対日審査にNGOレポートを提出、会合に参加発言、審査会傍聴

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◆ 派遣 8月8日(水)~18日(土)
団員:山下英次、仲村覚、田口鉄之、山本優美子
連携メンバー:オルホノド・ダイチン、藤木俊一
※滞在期間はメンバーによって異なる

 

◆ NGOレポート
対日本レポート
・ 人種差別に反対するNGO日本連合 :21団体の合同レポート 全76ページ(英文) 序文、1.琉球 / 沖縄の状況、2.アイヌの人々の状況、3.朝鮮学校の状況、4.ヘイトスピーチ解消法、5.外国人の政治的権利と地方参政権、6.反日の事例:日本政府の外交失策がもたらした被害、7.慰安婦とクマラスワミ報告、付属書
不当な日本批判を正す学者の会 :「The 100thAnniversary of Japan’s Proposal of Elimination of Racial Discrimination within the Committee for Drafting the Covenant of the League of Nations at the Paris Peace Conference

対中国レポート *提出をサポート
アジア自由民主連帯協議会 :「Situation of Violation of United Nations Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination in People’s Republic of China」
Japan Network to Monitor Violations of the Universal Human Rights :「Call for an Immediate End to China’s Harvesting of Organs from the Victims of State-Sanctioned Mass Murder

 

◆ 派遣団参加・発言会合
8月10日(金)13:45-14:45  中国lunch time briefings by the NGOs
・ダイチン 「中国によるモンゴル人への人種差別について」

8月14日(火)10:00-13:00  日本Informal Meeting with NGOs
・山下「日本人種差別撤廃提案100周年」

8月16日(木)13:45-14:45  日本lunch time briefings by the NGOs
・仲村 「沖縄問題」
・山下 「日本人種差別撤廃提案100周年」
・山本 「慰安婦問題、ヘイトスピーチ」
・藤木 「朝鮮学校無償化、ヘイトスピーチ」

審査会傍聴
・対中審査会 8/10、8/13    ・対日審査会 8/16、8/17

 

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<関連資料・サイト>

◆ 人種差別撤廃委員会96期 日本政府への最終見解書 2018.8.30
Concluding observations on the combined tenth and eleventh periodic reports of Japan
ADVANCE UNEDITED VERSION
https://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CERD/Shared%20Documents/JPN/CERD_C_JPN_CO_10-11_32238_E.pdf

◆ 人種差別撤廃委員会96期 対日審査会 ビデオ
第一日(2018.8.16)
http://webtv.un.org/watch/consideration-of-japan-2662nd-meeting-96th-session-committee-on-elimination-of-racial-discrimination/5823254962001/?lan=original

第二日(2018.8.17)
http://webtv.un.org/watch/consideration-of-japan-contd-2663rd-meeting-96th-session-committee-on-elimination-of-racial-discrimination/5823402297001

◆ 人種差別撤廃委員会96期 サイト
CERD – International Convention on the Elimination of All Forms of Racial Discrimination
96 Session (06 Aug 2018 – 30 Aug 2018)
http://tbinternet.ohchr.org/_layouts/treatybodyexternal/SessionDetails1.aspx?SessionID=1196&Lang=en

◆ 人種差別撤廃委員会 The Committee on the Elimination of Racial Discrimination (CERD)
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CERD/Pages/CERDIndex.aspx

委員のリスト
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CERD/Pages/Membership.aspx

◆ なでしこアクションなど保守系二十一市民団体が合同で委員会に出したNGO意見書
原文英語  https://bit.ly/2Lw5kb1
日本語訳  https://bit.ly/2NuNDcj

◆帰国報告記者会見8月23日(木)16時~ プレスセンタービル9階大会議室

◆仲村覚氏 報告 (日本沖縄政策研究フォーラム)
【ジュネーブ報告(8・16)】人種差別撤廃委員会対日審査前のランチタイムブリーフィングにてスピーチ実施
http://www.okinawa-seisaku.org/archives/4844

沖縄の基地集中は「人種差別」危険な国連勧告の裏側を読む
https://ironna.jp/article/10607

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<参考ニュース>

産経ニュース-Sept 2, 2018
国連委の対日勧告 思い込みの非難はやめよ
https://www.sankei.com/column/news/180902/clm1809020003-n1.html

日本経済新聞-Aug 31, 2018
慰安婦問題解決「被害者中心に」 国連委、日本に勧告
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO3481842031082018EAF000/

産経ニュース-Aug 31, 2018
国連の慰安婦問題勧告、委員会の仕組みは? 勧告が行われた背景は?
https://www.sankei.com/world/news/180831/wor1808310023-n1.html

産経ニュース-Aug 30, 2018
政府、国連に「遺憾」 人種差別撤廃委の慰安婦問題勧告で
https://www.sankei.com/world/news/180831/wor1808310003-n1.html

産経ニュース-Aug 14, 2018
慰安婦問題、再び焦点に 国連人種差別撤廃委員会、4年ぶり対日審査
https://www.sankei.com/world/news/180814/wor1808140014-n1.html

19 thoughts on “国連 人種差別撤廃委員会 参加報告 山本優美子

  1. 通りすがり says:

    ナヌムの家施設で共同生活する元慰安婦とされる女性
    金君子(キム・グンジャ)
    金順玉(キム・スンオク)
    金貞分(キム・ジョンプン)
    李容洙(イ・ヨンス)
    李玉善(李玉仙)(イ・オクソン)
    姜日出(カン・イルチュル)
    朴玉善(パク・オクソン)
    裴春姫(ペ・チュニ)
    柳善男(ユ・ヒナム)
    鄭福壽(ジョン・ボクス)


  2. 通りすがり says:

    <連行時の証言の変遷> 李容洙(イ・ヨンス)

    ①1993.7「写真記録 やぶられた沈黙」

     1944年夏、友達の母親に「豊かな生活ができる」所へ行かないかと誘われるが断る。  
     その何日か後、その友達が家に誘いに来て外に出ると、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。

    → 明記はされていませんが、「友達は母親に言われて同女を呼びにきた」ということを想像させる内容です。

    <連行時の証言の変遷> 李容洙(イ・ヨンス)

    ②1993.10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」

     1944年秋 友達と川で貝を採っていたら、日本人の男の人と老人に行こうという仕種をされ逃げる。
     その何日か後、友達が家に誘いに来て、ついて行くと国民服を着た日本人の男がいて、ワンピースと革靴をもらって感激してついて行く。

    → 夏から秋に変更され、また、最初、友達の母親に誘われたという記述が削除され、その代わりに貝採りのエピソードが追加されて「人さらい」色が濃厚になっています。さらに、連れ去った男が日本人だったという情報も追加されています。

    <連行時の証言の変遷> 李容洙(イ・ヨンス)

    ③1996.8「私たちと戦争責任」

     1943年、友達と川で魚を捕っていたら、軍服を着た男二人(日本人かどうかは不明)に指差され逃げる。
     同10月のある日の明け方、女の人が家の中に入ってきて「黙っておいで」と言われて引っ張って行かれる。この女の人には「韓国語で話すな」と言われる。
     堤防の所に連れて行かれると前に見た男がいた。先に来ていた親友に赤いふろしきを渡され、その中には靴が入っていた。

    → 何故か1年前倒し。日本人かどうか不明確になった代わりなのか、国民服が軍服に変更されています。 また、家に来たのが、友達から女の人に変更されています。

    <連行時の証言の変遷> 李容洙(イ・ヨンス)

    ③2005.4「証言集会(同志社大学)」

     1944年、友達と川で貝を採っていたら、軍服を着た人と白い服を着た人が見ていたので怖くなって逃げる。
     その1、2ヶ月後、軍人と首に何かを突きつけられた女の人が家に来て、同女も口を塞がれ背中に何かを突きつけられて連れ去られる。

    → 1年前倒しされたものが、何故か元に戻っています。
     家に1人でやってきた女の人の他に軍人も一緒に家に入ってきたことになり、女の人はその軍人に首に何かを突きつけられていたことになっています。完全に被害者です。さらに、女の人に「黙っておいで」と言われて引っ張られて行った話が、「口を塞がれて何かを突きつけられて」とかなり強制色が強まりました。
    どうやら、1996年~2005年の間に、同女の「軍による強制連行」の話が出来上がったようです。


  3. 通りすがり says:

    【イ・ヨンスが世界に宣伝した8つのウソ】

    (1)『14歳、16歳で日本軍に強制連行され慰安婦にされた』

    朝鮮の貸座敷娼妓取締規則では17歳未満の者には娼妓稼業許可が下りませんでした。

    娼妓(しょうぎ)とは公娼のことなので、14歳、16歳では日本軍慰安所の慰安婦にはなれなかったのです。戦後71年、韓国では年頃のハルモニを準備できなくなって、強制連行された年齢をどんどん引き下げていますが、戦前朝鮮の公娼制度について日本は国際連盟にも説明しています。

    【朝鮮で施行された貸座敷娼妓取締規則】
    第十七條 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ニ対シテハ娼妓稼ヲ許可スルコトヲ得ズ
    一 十七歳未満の者

    (2)『1944年秋、1943年10月に強制連行され神風部隊の慰安婦にされた』

    日本軍の航空艦隊司令部および搭乗員(特攻隊員)がフィリピンから台湾に転進したのは、1945年1月10日からのことです。

    なので、イ・ヨンスが台湾に到着したときには、まだ特攻隊は台湾にいませんでした。

    【元第一航空艦隊参謀の手記より】
     一月一〇日午前三時四五分、さしあたり作戦に必要なものだけが長官と同乗してクラークを飛び立った。出発前にクラーク所在の司令がある意見を具申したのにたいして、長官みずから説得しているあいだに出発時刻は予定より一時間あまりも遅れたため、台湾に着いたときにはすでに夜明けをすぎていた。
    【出典】1967(昭和42)年 河出書房 猪口力平/中島正 「太平洋戦記  神風特別攻撃隊」 第一航空艦隊、台湾へ

    (3)『自殺パイロット(カミカゼ)の基地の軍用売春宿に配備された』

    慰安所は営外施設だったので、捏造従軍慰安婦の設定のように慰安婦は兵営内で兵と生活をともにするということはありませんでした。

    慰安所とは兵営外で民間人が経営していた遊廓のことです。本来、慰安所と慰安婦は隊と行動をともにするものですが、航空隊の場合移動が激しいので付いていく慰安所は少なかったそうです。

    【読売新聞論説委員「航空部隊の慰安施設は貧弱だった」】
    また、慰安所(軍専属の娼家)まで、将校と下士官用が区別されていた。将校用の慰安所の前には、「下士官と新聞記者入るべからず」という立て札が、されていた。
     航空部隊は、食糧には比較的、恵れていたが、移動が激しいので、慰安施設は、地上部隊にくらべて、貧弱であった。
    【出典】1953(昭和28)年 富士書苑 「秘録大東亜戦史」所収 読売新聞論説委員 大河内敏夫 「〇〇基地異状あり」

    (4)『(慰安所になった)船上』

    戦前の台湾も日本と同様、遊廓を開業できる土地は貸座敷(遊廓)指定地に限られ、遊廓(妓楼=慰安所)の新規開業も許可制でした。

    許可をもらうには営業の場所(建物の所在地)や敷地面積が必要だったので船が貸座敷指定地として許可されるはずがありません。

    売春婦が入港した船に商売しに行くのは常識ですが、特攻隊員が船にかようというのは考えられません。

    当時の台湾の主な貸座敷指定地は9ヶ所あり、朝鮮人経営だったと思われる鮮月楼、朝鮮楼という楼名(妓楼の屋号)も見られます。そして娼妓(妓楼が軍専用として指定されれば慰安婦)たちは、朝鮮人、台湾人もいましたがほとんど日本人でした。

    【出典】1930(昭和5)年 日本遊覧社 「全国遊廓案内」 台湾地方

    【台湾の芸妓】
    警察に許可された正規の芸妓なので写真も残っている。

    (5)『何ヶ月かが過ぎていき、毎日、10人の兵士がやって来た』

    台湾の新竹基地から特攻隊が発進したのは、1945年4月1日~5月29日の約2ヶ月間だけです。

    台湾で準備できた特攻機はわずか300機で、その一部が新竹基地から発進したにすぎません。

    もちろん日本国内の物資不足と日本の船や飛行機を見れば片っ端から攻撃した連合軍のせいで、新規飛行機の補給はありません。

    イ・ヨンスの証言のように、特攻隊員は何ヶ月も新竹基地にはいませんでした。

    【出典】1997(平成9)年 株式会社ベストセラーズ カミカゼ刊行委員会編 「写真集カミカゼ 陸・海軍特別攻撃隊」/1960(昭和35)年 自由アジア社 安延多計夫 「南溟の果てに-神風特別攻撃隊かく戦えり」

     そのほかに台湾方面にフィリピンから後退した第1航空艦隊の約300機がいたが、まだフィリピン戦の疲れから十分回復していなかった。
    【出典】1983(昭和58)年 講談社 千早正隆 「写真図説帝国連合艦隊-日本海軍100年史-」

    (6)『最後の任務(自殺攻撃)に出て行った彼らは、(わたしの部屋に)長居していた』

    特攻隊員の出撃命令は早くて3日前、おそくて前日に下命されました。
    出撃を命じられた特攻隊員たちはふだんの勉強に加えて、遺書を書く、私物を形見分けして残りを実家に送る、敵艦突入の作戦会議、出撃前日の送別会、出撃当日の長官訓令および別杯式などで超多忙でした。

    なので、船上の従軍慰安婦の部屋に入りびたっている時間などありませんでした。

    【元第一航空艦隊参謀の手記より:新高隊、出撃前夜の研究】
    私の講義を聞き、熱心に研究していたかれらの姿が、いまでも眼底に残っている。質問が続出して、時間はのびのびとなり、私が説明を終って私室に帰ったのは一一時をすぎていた。しかしかれらは、私が帰ったあとでも、おたがいに遅くまで研究をつづけていた。

     こうして、三日後の一月二一日、台湾の東方海面にあらわれた敵機動部隊の空母群にたいして、かれらの攻撃が敢行されたのであった。

    【出典】1967(昭和42)年 河出書房 猪口力平/中島正 「太平洋戦記 神風特別攻撃隊」 第一航空艦隊、台湾へ

    (7)『ある朝、日本兵が突然、いなくなった。『戦争は終った』』

    そんなことはありません。日本敗戦後も台湾には日本軍が残留していました。
    それに台湾の人々は日本を裏切って連合国と結託していた朝鮮人とはちがって、日本敗戦を狂喜乱舞して喜んだりしていません。

    これは過去記事の資料を転用したのでちょっと見づらいですが、台湾には昭和21年12月末で陸軍約80名、海軍約990名ほどが残留していることになっています。
    そしてこちらは明けて昭和22年2月ほぼ引揚げが完了した時点の表ですが、陸軍80名、海軍1名となっています。

    なので、イ・ヨンスは台湾には行っていないのです。

    【出典】アジア歴史資料センター:レファレンスコード:C15010134600:陸軍省 「終連報丙第456号 昭和22年1月24日 連絡課 第1、東亜地域在留邦人引揚者数表 第2、東亜地域在留邦人残留者数表 第3、行方不明者数表

    (8)『台湾新竹の神風部隊で3年間体験した日本軍の蛮行』

    イ・ヨンスが1944年に台湾に強制連行されてきたのならば1947年まで、1943年に強制連行ならば1946年まで神風特攻隊の慰安婦をやっていたことになります。
    大東亜戦争は1945年8月に終戦を迎えています。
    しかしイ・ヨンスは終戦後も、船で慰安婦を続けていたそうです。

    さらに日本は1942(昭和17)年から連合国によって客船や貨物船も撃沈され続け、深刻な船舶不足におちいりました。
    それなのにイ・ヨンスは貴重な船舶を一隻3年間も独占し、しかも連合軍は新竹に3年間も碇泊していたにもかかわらずイ・ヨンスが乗っていた船は撃沈しなかったのです。

    現実では台湾近辺でも日本の船舶は撃沈されまくっていました。

    【艦船喪失一覧図から台湾近辺】
    (船舶の名前)〇〇(昭和年)-△△(月)-□□(日)-時刻。Vは航空機による爆撃、ナベのフタのような記号は潜水艦による攻撃を示す。
    【出典】1954(昭和29)年 富士書苑 「大東亜戦争写真史 特攻決戦篇」


    • 774 says:

      >娼妓(しょうぎ)とは公娼のことなので、14歳、16歳では
      >日本軍慰安所の慰安婦にはなれなかったのです。
      娼妓取締規則は内地で、貸座敷娼妓取締規則は朝鮮で施行されたので、内地や朝鮮には軍慰安所はなく慰安婦も存在しなかった。軍人も一般人と同じ様に公娼と遊んでいた。台湾でも1906年に公娼制度が全島で実施されたので、貸座敷があって娼妓がいても、軍慰安所はなく慰安婦も存在しなかったと思います。

      内地では18歳から、朝鮮では17歳から、台湾では16歳cから娼妓になれたので、内地→朝鮮→台湾という女性の渡航が多くなったと予想できます。16歳で娼妓になれるのでイヨンスは台湾に向かったのでしょう。そして彼女はずっと台湾にいたのですから慰安婦ではなくただの娼妓つまり公娼に過ぎません。


  4. 通りすがり says:

    韓国人「李容洙という証言がコロコロ変わる元慰安婦は一体何者なのか?」

    1. 強制動員に対する証言

    1993年の最初の証言
    私と同い年の友達の中に、キム・ブンスンという子がいました。その母親は酒屋をしていました。
    ある日、私がその家に遊びに行くと、その母親が、「あんたは靴もまともなのを履けないのか?何それは?うちのブンスンが案内するから、あそこに行って来なさい。そこに行けば靴はたくさんあるし、ご飯もたくさん食べられる。あんたの家を楽にすることもできる」と言ってきました。うちは当時、貧しかったので何も言えませんでした。
    それから数日が経ち、ブンスンと川辺にいたところ、丘の上に見知らぬ老人と日本人の男が立っていました。老人が指で私たちの方を指すと、男はこっちに向かって降りてきました。老人は間もなくその場を立ち去りました。男は私たちに身振り手振りで、こっちに行こうと言ってきました。私は怖かったが、ブンスンは気にせずその場を立ち去りました。

    それからまた数日が経ったある日の明け方、ブンスンが、うちの家の窓を叩きながら「黙ってついてきて」とヒソヒソ声で私を誘ってきました。私は母には何も言わず、そっとブンスンの後について家を出ました。案内された先に行ってみると、先日、川辺で見かけた日本人の男が立っていました。彼は40歳ちょっと前に見えました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。彼は、私に包み一つを渡してきました。中には、赤いワンピースと革靴が入っていました。それをもらって幼な心にどれほど嬉しかったか計り知れません。それで、後先考えずに、男について行くことにしました。私を合わせて、少女は全部で5人いました。
    私たちは駅に向かい、汽車に乗って慶州まで行きました。私はその時、生まれて初めて汽車に乗りました。慶州につくと、どこかの旅館に入りました。旅館前の小川で手を洗っていると、山の斜面に紫色の花が一輪咲いているのが見えました。生まれて初めて見る花だったので、あれは何の花かと聞くと、キキョウという花だと言っていました。
    それから二晩かをそこで過ごしました。後から、女性2人も連れてこられ、女性は全部で7人となりました。

    慶州から汽車に乗り、大邸を通りました。走る電車の割れたガラス窓の向こうに我が家が見えました。その時になってようやく家のことを思い出し、母に会いたくなり泣きました。
    服の入った包を投げ捨て、これはいらないから家に帰してくれて泣き続けました。そして、泣き疲れて眠り、どれほど行ったのか分かりませんが、数日が経ったようでした。

    →これを読む限り、日本軍によって強制連行されたというより、ブンスンの母親に売り飛ばされたか、きれいな服に釣られて行ったのか、そんなふうにしか思えない内容である。


  5. 通りすがり says:

    2004年の証言
    大邸の古城洞で16歳まで暮らし、1943年の夏に、鼻と口以外見えないほど深く帽子をかぶった日本軍人が、近所のお姉さん4人と共に、強制的に連行しました。
    どこに行くのか、なぜ連行されるのかも分かりませんでした。
    窓がない汽車に私たちを乗せ、抵抗すると、「朝鮮人」と言いながら足で踏みつけ暴行を加えてきました。家に帰ると言えば再び殴られました。あまりにもたくさん殴られて、歩くこともできないほどでした。

    →我々が一般的に考えるイメージだね。
    日本軍人が、何も知らない女たちを連行したという話に変わった。

    2006年の証言
    15歳だった1942年頃、自宅で寝ていたら、日本軍によって台湾に連行された。

    →寝ている時に連行されたということになる。

    2014年の証言
    15歳になった年のある日、日本軍人が「こっちに来い」と手招きをした。怖くなって逃げたが、別の日本軍人に捕まり、汽車に乗せられ台湾の日本軍部隊に連行された。

    →話が行ったり来たりする。何が真実なのか?
    この部分は非常に重要な部分であり、曖昧であってはいけない。
    もちろん、性暴行を受けた後、深刻なトラウマで記憶が曖昧になっている可能性があるものの、このような事実と異なる話や矛盾が生じたら、記憶が曖昧という一言で済まさず、なぜそのような矛盾が生じたのかをしっかりと検証しなければならない。しかし、この部分に対する検証はまったくない。しかも、記憶が曖昧とするには難しい点が、93年の証言では、国民服に戦闘帽をかぶった40代の男性とかなり具体的に示しているが、この証言を無視して、話が行ったり来たりさせるのは、証言に対する信頼度を大幅に低下させる。
    また、帰国後の人生に対する証言も、これと同じく一貫性がない。


  6. 通りすがり says:

    韓国人「李容洙という証言がコロコロ変わる元慰安婦は一体何者なのか?」

    3. 助けてくれた日本の将校の証言

    1998年の証言
    16歳の時、日本軍の兵舎に入ることを拒み、殴られて瀕死の状態となったが、21歳の将校に助けられ命をとりとめた。この将校は、戦争が終盤になった頃、「死にに行ってくる」と言い残して、帰ってこなかった。名前も知らない将校だったが、1998年に台湾を訪れ、人形に「ハセガワ」という名前をつけ、霊魂結婚式を行った。
    2015年の証言
    17歳の時、神風特攻隊の中にある慰安所に連れて行かれ、若い日本兵と会った。その兵士は、慰安所で拷問を受け、満身創痍となった私に「トシコ」という名前をつけた。
    1998年に日本で、私を助けてくれた兵士の名前が、「ハヤカワキクショニ」であるということが分かった。ハヤカワはある日の夕方、イ・ヨンス氏に「明日死ににいく」としながら詩を読んだ。「トシコ、君の両親は別にいて、私の両親も別にいる。私が明日死ねば星が一つ落ちるだろう」ハヤカワは、次の日にはいなかった。その後も、彼を待ったが、戻ってこなかった。彼は1945年5月に、沖縄戦で死んだという。

    →突然、本名が出てきてドラマチックな話が付け加えられた。1998年にどんな経緯で、その情報を知ることになったかは、いくら調べても出てこない。


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