「慰安婦問題―女性たちの反乱」長尾秀美

長尾秀美(元在日米海軍司令部渉外報道専門官・小説家)氏よりいいただいた「慰安婦問題―女性たちの反乱」をご紹介します。英語版はこちらです。

********************************************************************

令和元年(2019年)11月

長尾秀美

慰安婦問題―女性たちの反乱

 

1.概説

本稿では日本と韓半島の宗教や祭祀にまず焦点を当てる。次にそれらと女性との関わりに触れる。続いて日本と韓国との間で確執となっている慰安婦問題を簡潔に振り返る。最後に強引だと非難されるのを覚悟の上で、この問題に対する結論を出す。

世の中には2種類の人がいるので、理解と解釈の違いについて特記しておく。一般的にいうと、理解とは物事の意味・内容を納得することで、解釈とは物事の意味、内容などを説明することだ。したがって個々人の性癖や思想などが解釈に一定の方向性を与える。たとえば、「こう解釈した方が自分らしい、都合が好い」となる。その際優先されるのは事実関係ではなく、自分の社会的立場でしかない。だから2種類の人がいる。これが世の中の現実だ。

2.宗教

現在、世界には数多くの宗教がある。信徒の多さで並べると、20数億人から5億人強までのキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の順になる。これらの宗教は必ずしも一枚岩とは言えない。キリスト教を例に取ると、カトリック教、イングランド国教会、ギリシャ正教、プロテスタントなどに別れている。これらに加え、特定地域や特定集団が信奉する宗教も世界各地にある。

宗教は信仰の対象により、多神教、一神教、祖霊崇拝、自然崇拝・アニミズム(精霊信仰、地霊信仰)、シャーマニズム(巫師・霊媒師による交信)などに分けられる。経典や教義があるものやないものがあり、多くの場合、儀式を伴う。

現在社会では無宗教の人が数億人いて、その人数は増加しているようだ。

2.1 日本

日本では神道と仏教が2大宗教となっていて、全国各地に神社仏閣がある。

神道には教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話、八百万の神、自然や自然現象などを崇拝している。

仏教は釈迦の教えを信奉するもので、韓半島を通じ、6世紀に日本に伝来した。民間にまで広まったのは12世紀以後だが、神仏習合という形で現在に至っている。

その他には古くから伝わっている儒教があるが、これは思想や行動規範として捉えられている。16世紀にはキリスト教も伝来したが、現在の信徒数は人口の1%ほどだ。

現在、冠婚葬祭は神道、仏教、キリスト教などに従って行われるが、一部では儒教にのっとって行われている。結婚式となると、神道とキリスト教との混在があり、誰も違和感を覚えていない。

呪術は古くからあり、神道や仏教とも深く関わっている。呪術者や霊媒師が降霊など超自然的行為や超心理学的現象を介して霊的存在からの言葉を伝える。

2.2 韓半島と韓国

現代の韓国では仏教とキリスト教が2大宗教となっていて、人口の55%以上が信奉している。特定地域に根差している宗教を除くと、残りのほとんどの人は無宗教だと言われている。

仏教は7世紀ごろから広まり、高麗王朝(10世紀-14世紀)では国教とされた。ところが後を襲った朝鮮王朝(14世紀末-19世紀末)は仏教を排し、儒教から派生した朱子学を唯一の学問(官学)、国家の統治理念(性理学)とした。その朱子学は現代も韓国社会に大きな影響を与えているが、宗教としての信奉者は少ない。

一方、キリスト教が広まったのは19世紀になってからだが、以後信徒が増加していった。3.1独立運動で独立宣言を読んだ33人の代表のうち、16人はキリスト教徒だった。その運動の1年半後、西大門刑務所で獄死した独立運動家の柳寛順と彼女の両親もキリスト教徒だった。

2つの宗教は相互に独立しているが、シャーマニズムの一種とされる巫(あるいは巫堂)と相互に影響し合っているといわれる。

3.祭祀

祭祀とは、生活全般についての感謝や慰霊のために神々や祖先などをまつる儀式のことで、古来、宗教や統治者と密接に結び付いている。人々が集まって供え物を用意し、お祈りをし、踊りや楽曲などを捧げる。祭祀は病気平癒の祈祷や、天候や戦い、作物などについての吉凶占いをするときにも行われる。祭祀をつかさどる人は巫、霊媒師、占い師など呼ばれる。1つの国が成立し、為政者が特定宗教を国教にすると、祭政不分となる。その結果、彼らが告げる神託などは、時に国策をも左右した。

3.1 日本の神話に登場する天照大神は、主神として登場し、女神とされている。天皇家は第1代神武天皇から始まるが、天照大神は数代前の皇祖神だったとされ、8世紀初めに編纂された『記紀』においては太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つとされている。同じく『記紀』によると、古くから太占(ふとまに)と呼ばれた占い方法があり、雄鹿の肩甲骨を使って吉凶を占ったと言われている。後に中国から亀甲を使う方法が伝わると、朝廷の神祇官が亀甲占いをつかさどった。

古墳時代(3世紀-7世紀)においては、ヒメヒコ制度があり、政治をつかさどるヒコ(男)に対し、祭祀をつかさどるヒメ(女、巫女)の権威が強かったとされる。当時男女の古墳埋葬比は6対4とか8対2だったようだ。つまり、ヒメの地位はそれなりに高かった。時代が下るにつれ地位は低くなったが、巫女(シャーマン)は今日でも全国各地にいて、祈祷、占い、神託伺い、口寄せ(降霊)などをしている。ちなみに男性の巫は覡(げき)と呼ばれる。明治以降、神社の神職補佐を務める女性を一般的に巫女と呼ぶ。

現在でも老若男女は元旦に社寺を訪れ、願を掛けている。以前はお祈りのため女性が社寺へお百度参りをする慣習があった。

3.2 韓半島にも神話があり、太陽神の子孫だった檀君が千年以上も国を治めていた。檀君は巫(シャーマン)だったとされ、祭祀はその時代から行われていたようだ。高麗王朝末期までの巫(巫堂)は、国の巫および民間の巫として、日本の巫女と同じような役割を果たしてきた。女性の巫が多いけれど、男性の巫も少なからずいて、博士(박사)とも呼ばれていた。朝鮮王朝が成立すると、巫は儒教の影響で賤民の地位にまで落とされた。しかし一般人の巫術的欲求は強く、巫は朝鮮王朝時代を生き抜いて今日に至っている。

尚、巫に家族の病気平癒などを頼む場合、ある程度の費用が掛かるが、その依頼をするのはもっぱら女性だった。(注:1930年8月現在、韓半島には12,300人の巫がいたとの報告がある。一方、1931年12月現在、官民で医療機関は129、医師は1,791人、医学生は4,472人だったようだが、多くは都市部に集中していた。朝鮮総督府資料によると、1930年の人口は1968万人だった)

4.女性の地位

さて前書きが長くなったけれど、ここから本論に入る。

日本の今上天皇は第126代になられるが、過去には8人10代の女性天皇がおられた。第33代推古天皇(592年-628年)から第117代後桜町天皇(1762年-1770年)までで、短くても7年余り、最長は35年余りご在位された。配偶者に恵まれた方もおられた一方、生涯独身を通された方もおられた。

天皇家の系統維持に際し、公家の間で権謀術数がめぐらされたことは事実だ。武士が統治し始めてからも将軍家内部で争いがあったが、女性が政権を担当することはなかった。ただし、戦国時代に武家の女性当主や城主はいた。明治維新以来現在に至るまで、女性の首相はいない。

韓半島では檀君の神話時代から大韓民国に至るまで、いくつもの国家が勃興したが、女王が存在したという事実はないようだ。しかし韓国では近年女性が大統領になっている。

4.1 日本女性

天照大神や実在した女性天皇や養蚕が盛んだった上州(群馬県)の嬶(かかあ)天下を除くと、女性の地位は低かった。儒教の影響もあり、特に武家社会になってからは家父長制度と男子の長子相続制度が定着していた。武士の場合、主君につかえることを除き、子孫に家名と家禄を存続させることが重要課題となっていた。嫡子にしろ、庶子にしろ、男子が産まれないと、同じ地位にある親類縁者から男子を養子として迎えなければ、お家断絶となった。つまり、婿養子を取らない限り、嫡出女子に家督相続権はなかった。

町民や農民の場合、厳格な男子の長子相続制度はなく、単独相続が主流だったが、兄弟姉妹による分割相続もあった。他に嫡子がいない場合は女子が養子を迎え、家業を継いだ。

明治時代になると天皇制が復活したが、政権の中枢にいたのは元武士だった。その後国際紛争(日清・日露戦争など)が続く中、多くの軍人が政治に関わったので、男性中心の社会に変革はなかった。

したがって、近代まで「夫唱婦随」や「女は三界に家なし――幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従う」という状況が続いた。結婚が「永久就職」といわれ、専業主婦は「三食昼寝付き」といわれた時代もあった。ちなみに嫁いだ女性は周囲から奥様、奥さんと呼ばれているが、近代までは夫が妻を家内と呼ぶのがふつうだった。

旧民法には、「被相続人の配偶者は、常に相続人となる。この場合において、前三条の規定によって相続人となるべき者があるときは、その者と同順位とする」、「被相続人の子は相続人となり」、「相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する」との記述があり、男女の区別はない。系譜、祭具及び墳墓の所有権については、「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継する。但し、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が、これを承継する」となっていた。現行民法でも骨格は同じだ。

人が亡くなると葬儀が行われ、墓石が建てられ、故人の名前が刻まれる。本家なら既存の墓石に故人の名前を加える。分家なら新たに墓が建てられる。墓の建立者名を刻むことも多い。その後は婚姻で家を出た女子を除き、直系親族の名前が加えられる。

4.2 韓半島女性

韓半島に住んだ女性の地位も、対男性との関係では近代まで日本女性とほぼ同じだっただろう。武士と軍人が統治した日本と異なり、韓半島では文人が国の公権力を行使した。この違いが日本にはない負の影響力を韓半島女性に与えたかもしれない。

というのも、儒教から派生した朱子学は500年余りも続いた朝鮮王朝唯一の統治理念(性理学)になっていたからだ。その統治機構を担っていたのは両班(文班と武班)だったが、実質的に王朝を支配していたのは中国から取り入れた科挙の試験に受かった文班(文人)だった。知識人としての文班は男性だけの身分制社会を定着させ、文公家礼(冠婚葬祭手引書)を制度化した。その過程で本貫という始祖の発祥地に基づく氏族集団(宗族)を重視し、家父長・長子相続制度を維持した。

日本女性は婚姻後夫の姓を名乗り、実家の家系から離れる。一方、韓半島女性は嫁いでからも父親の姓を保つ。この制度は実家の先祖を守るという意味もあるが、彼女は終生夫の家系とは繋がらない存在だという解釈もできる。

他にも家父長制度の強い影響を伺わせる例がある。嫁いだ女性は実家や故郷の名前などで呼ばれることが多い。すでに英一という子供を産んでいれば、彼女は隣近所から「英一のお母さん」と呼ばれる。さらに女性が実家の姓を名乗り続けることは、必ずしも実家での行事が重視されることに繋がらない。暦の上で大切な祖先祭祀が行われる名節(太陰暦の正月と盆)でさえ、舅や姑が自発的・明示的に許可しない限り、彼女は実家へ帰省することができなかった。ちなみに結婚した女性は「内の人」とか「家の人」と呼ばれた。尚、農業が主要産業だった時代の女性は、村(邑里)での各種寄り合いに参加することもできなかった。

韓半島では小さい山を所有し、そこを墓地として故人を土葬するのが慣例だった。風水で定められた場所に棺を埋め、その上に丸く土を盛る。墓は故人ごとに建てられる。そのとき墓標(床石)が置かれるが、墓の建立者(家長や子孫)の名前が刻まれても、嫁いできた故人の配偶者の名前が加えられることは少なかった。尚、近年は土地確保が難しくなり、法改正により、火葬後に納骨堂に納骨することになっている。

土地などの財産については長男が優先的に相続した。次男以下の男性が一部を相続することはあっても、近代まで長女など女性が遺産を分割して相続することはなかった。(注:朝鮮では17世紀まで男女を問わず、すべての子供に財産が均分相続されていて、この頃の夫婦別姓を女性の高い経済的独立性を表すものとして解釈するべきだという説がある)。

5.慰安婦問題の様相

旧日本軍が戦地において利用した慰安婦(公娼)は、30数名のオランダ人を含め、日本や韓半島や中国や東南アジアの女性だった(概数は20万人ではなく1万人弱)。1990年代初頭より韓国の女性団体が、彼女たちの存在を政治問題として取り上げたことから、日本と韓国の外交問題になった。当初は労働力不足を補う挺身隊と慰安婦との混同があり、彼女たちが強制連行されたという誤解もあった。その後同団体や一部の日本知識人の強い働き掛けがあり、慰安婦問題は国連の人権理事会などで何度も取り上げられた。その過程で慰安婦は人身売買や拉致された性奴隷となり、日本政府は人権侵害の観点から批判され続けている。

これに対し、日本政府は1990年代半ばから何度か関係各国に謝罪をし、基金を設立し、元慰安婦(公娼)だったとされる女性に補償をし、彼女たちに関わる社会福祉施設充実や整備を支援してきた。

韓国だけはそうした措置を受け入れたり、拒否したりを繰り返している。2015年、日韓両政府は慰安婦問題が最終的・不可逆的に解決したという合意に達した。ところが2017年に就任した文在寅大統領は、同合意が問題を解決していないと主張した。同政権下では徴用工(戦時労働者)の補償問題も蒸し返している。現状では韓国側に慰安婦問題と徴用工問題とを解決する意図はないようだ。

公娼にしろ、私娼にしろ、売春は歴史上世界各国に見られる。現在も法的規制のあるなしに拘わらず、売春は多くの国で散見される。それはそれとして、韓国の女性団体や韓国政府は公娼や性奴隷を明確に定義せず、慰安婦と性奴隷とを同列に置いている。したがって、慰安婦あるいは彼女たちの両親が仲介者と契約書を交わし、契約金(前借金)を受け取り、身分証明書を発行され、戦地にある領事館警務部に稼業届けを出し、稼ぎ高に応じた収入を得て貯金をし、実家に送金したことを不問にしている。また、公娼制度により売春を管理したという実態も考慮していない。

今日の世界において売春は疑いもなく人権侵害になる。なぜなら、売春は人身売買と関連する性の搾取になるからだ。しかも男性による性欲を満たすためのみの行為は女性の人格を無視するからだ。しかしながら、日本政府が歴史的背景や事実の妥当性を主張しても、根拠のない主張に基づく非難のみが繰り返されている。

6.結論

6.1 慰安婦問題は、国連の場で何度議論され、日本政府に対する勧告が何度出されようと、国際問題にはなり得ない。なぜなら、この問題は日韓の確執のみに起因するからだ。慰安婦像や慰安婦碑を世界中の都市に設置することは、めくらましともいえる宣伝活動の一環でしかなく、国連には馴染まない。

6.2 慰安婦問題は元慰安婦(公娼)だったとされるすべての女性が他界したとしても、日韓で解決されることはない。なぜなら日韓に新たな懸案が生じる都度、韓国は日本の古傷をつつきたがるからだ。さらにこの問題は日韓併合条約が国際法上有効だったのか無効だったのかという議論にも繋がるからだ。

6.3 では対処法はないのか。否。現状では無理だが、広角レンズを使って全体像を見直すと、慰安婦問題を韓国女性による日韓の男性に対する反乱だと解釈することができる。もちろん韓国女性は公の場所で韓国男性を非難しない。国民として節度をわきまえているからだ。朝鮮戦争中やベトナム戦争中の彼らの行為に対しては、政府を非難するだけだ。結果として日本男性のみに白羽の矢が立てられる。その男性を象徴するのが日本という国だ。フランス語では定冠詞が付かない少数の国を除くと、女性名詞となる国と男性名詞となる国がある。日本は「le Japon」と表記される男性名詞なので、非難の対象として問題はない。

6.4  ではなぜ韓国女性は日本に対して反乱を起こすのか。彼女たちは、王朝時代、大韓帝国時代、日本統治下時代、解放後の軍事政権時代を通じ、自分たちに与えられた役割を勤勉に着実に果たしてきた。しかし彼女たちの働きは正当に評価されてこなかった。文班は朱子学(性理学)を国家統治理念とし、衛正斥邪思想に固執し、中国を除く国外からの文化などを拒絶してきた。かたくなに家父長制度、長子相続制度を維持しつつ、女性の立場に留意しなかった。文化が支配階級と被支配階級とで異なるのはいつの世も同じだろうが、文班が知識を独占したのは事実だった。

ちなみに平安時代の日本では、紫式部(源氏物語)や清少納言(枕草子)や和泉式部(和泉式部日記)が恋愛について筆を進めつつも、支配階級の男性による権力争にはっきりとあるいはそれとなく触れている。事情が似ていた韓半島女性にも同じ想いを小説、随筆、日記に書き残したいという夢があったはずだが、そんなことは彼女たちに許されていなかった。ただし16世紀には画家の申師任堂や詩人の許蘭雪軒が活躍している。

人の口に戸は立てられないというが、目の前の権力闘争や面子に拘る男性と異なり、各階級の女性たちは物事の推移を見守り続けていた。王朝や政府の繁栄や破綻をまざまざと見ていた女性は、しばしば巫(巫堂)を訪れて宗族を含む一家の繁栄を祈願した。夫(家長)は、知ってなのか、知らないでなのか、彼女たちの宗教心に口出しをしなかった。巫に縋ることだけが、彼女たちに許された精神的自由を象徴するものとなり、男性優越主義に対し女性の欲求不満や恨みを晴らす浄化装置にもなった。

なぜ彼女たちは男性や社会に対しそこまで耐え忍んでいたのか。たしかに檀君の母は、真っ暗な洞窟の中で21日間も一握りのヨモギとニンニク20個だけを食べるという試練を経て、熊から女の身に変わった。だから彼女が女性の忍従を象徴しているというのは無責任だ。それが韓半島固有の文化だったとするのも無責任な捉え方だ。

大きな理由が二つある。一つは朱子学が彼女たちに救いの手を差し伸べなかったからだ。もう一つは仏教の聖典もキリスト教の聖書も、女性たちの身近にはなかったからだ。現実問題として、彼女たちには巫に頼るしか選択肢はなかった。

6.5 時代は移り変わった。1960年代後半から、韓国は漢江の奇跡という経済発展への一歩を踏み出した。ここでは日韓請求権協定に基づく無償資金協力などには触れない。いずれにしても70年代後半になると、都市部の発展はもちろん農村でも機械化が進み始め、国の近代化を享受し始めた女性の生活は少しずつ楽になっていった。その過程で彼女たちの考え方や行動にも余裕が出てきた。さらに母親は娘を含む子供の高等教育に目を向けられるようになった。折しも軍事政権が続いていたが、盧泰愚大統領候補は1987年6月29日、8つの選挙公約を掲げ、青瓦台に入ると民主化を実行し始めた。こうして女性たちは慣習という軛(くびき)から徐々に解放され、歴史上初めて女性としての権利に目覚め、大手を振って社会的関与を強めるようになった。

6.6 自分たちの過去を振り返った韓国女性は、いくつかの女性団体を設立し、民主化運動を推進し始めた。その過程である研究者が関心を持ったのが慰安婦問題(当時は挺身隊問題)だった。それが1990年代になって世間に注目され、日韓の政治的確執の主要課題となり、現在まで続いている。

当然のことだが、彼女たちの視点の先には、自分たちを道具として扱い、性欲のみの対象とする男性がいる。表面上、日本(男性)だけを敵視しているが、心裡には韓半島の歴史を牛耳った朱子学があり、それに心酔し家父長制度に胡坐をかいた男性がいる。つまり、慰安婦問題追及は韓国女性にとって男性に対する反乱なのだ。したがって韓半島男性が女性の地位を根底から見直して猛省しない限り、同問題は終息しない。この政治劇場において、日本は彼女たちの脇役にしか過ぎない。残念なことは、日本男性(日本)が各場面で切られ役を演じざるを得ないことだ。

日本はいうまでもなく、韓国にも男性の知識人や政治家や活動家がいて、慰安婦問題で日本の責任を追及している。韓国女性はその事実をすでに織り込み済みとし、男性の贖罪行為の一部だとみなしている。

日本女性は男性に対しどういう立場を取っているのだろうか。彼女たちは同胞に対する希望を諦めてしまい、とにもかくにも自分たちのために前へ進もうとしているのかもしれない。

6.7 この問題を解決するとすれば、男性は単に猛省するだけでなく、自己変革能力を発揮しなければならない。ではどこに視点を置くべきか。男女同権とは、「男女両性の法律上の権利や社会的待遇などが同等であり、差別されないこと」と説明されている。これはすべてのことにおいて男性と女性の役割が平等だと解釈するべきではない。たとえば夫婦間では男性が女性の妊娠と出産と授乳とを肩代わりすることはできない。しかし男性はその負担を理解することなく、性差による役割をはき違え、男性は仕事、女性は家庭としてきた。だからこそ韓国では女性発展基本法(1995 年 12 月制定・2007 年 10 月改正)が、日本では男女共同参画社会基本法(1999年制定、改正同年7月、12月)などができた。

それらの法律は、男性と女性が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、共に責任を担うべきとする。

男性の自己変革とはその意図を理解し、実践することだ。そうしない限り、女性たちは矛(ほこ)を収めてくれないだろう。換言すると、男性はこの世に生を受けたときから女性と同じ出発点にいるのだと常に認識しなければならない。

70年ほど前の著書『第二の性』で、ボーボワール女史は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」、「女性史さえも男性に作られたものだ」と指摘した。男性はこの解釈の過ちを素直に理解しなければならない。

 

******************************************************************

<参考文献>

青野正明 『朝鮮農村の民族宗教』2001年、社会評論社

趙 興胤 Cho Fung Yum (著), 小川 晴久 (監修), 李 恵玉 (編集, 翻訳) 『韓国の巫(シャーマニズム)』2002年、彩流社

韓国宗教民俗研究会編、星合亘子・姜信和ほか訳 『韓国の宗教と祖先祭祀』2008年、岩田書院

『姫神の本』聖なるヒメと巫女の霊力 2007年、株式会社学習研究所

趙戴国(チョジェグク)『韓国の民衆宗教とキリスト教』1998年、新教出版社

The Korea Times: Children Can Adopt Mothers Surname. Posted : 2007-06-03 18:07, Updated : 2007-06-03 18:07

ウィキペディア 『巫(Wu (shaman))』

ウィキペディア 『韓国の姓氏と名前Korean name』

ウィキペディア 『武家の女性当主』

Classification of Religions written by Charles Joseph Adams on https://www.britannica.com/topic/classification-of-religions

古墳の被埋葬者の男女数。ベストアンサー 回答者: dayone 回答日時:2015/01/22 17:54

宋連玉 【特論】『朝鮮女性はどのように生きてきたか?』掲載:2014.06.28、更新:2018-12-11

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *


*