AJCN(Australia-Japan Community Network)代表 山岡 鉄秀 氏が日本会議発行「日本の息吹」2015年6月号に寄稿した「〈カナダ〉バーナビー市の皆様へ 慰安婦像は平和の象徴にはなり得ません」をご紹介します。
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〈カナダ〉バーナビー市の皆様へ
慰安婦像は平和の象徴にはなり得ません
AJCN代表 山岡 鉄秀
上の写真は米ニュージャージー州ユニオンシティに昨夏設置された慰安婦碑の近くに置かれた血だらけの人形である。このような感性を持つ人たちが主張する像が、今度はカナダにも飛び火しようとしている。果たして、これが〝平和の象徴〟たり得るのか!?
なぜcase closedとしないのか?
今年に入り、中韓反日団体による慰安婦像建立の動きがカナダにまで飛び火したとのニュースを聞き、心を痛めておりました。私共AJCNからもバーナビー市長宛てに反対の手紙を送りましたし、事務局を通じて現地で反対活動をしている方々への支援も行いました。幸いにもバーナビー市は本件がコミュニティを分断する問題であり、なおかつ、国際政治上の対立を無関係なコミュニティに持ち込む行為であると悟り、審議を継続しないことを宣言しました。ほっと胸を撫で下ろしたのもつかの間、現地日系社会の重鎮といわれる人々が韓国側と話し合いを持ち、その結果、韓国側が「想像以上に肯定的な反応だった」と喜び、慰安婦像推進委員会を作ったというニュースが流れ、「まだ油断は禁物」と緊張感が走りました。
実は、この「推進委員会」の正式名称は、「平和の少女像建設推進委員会」となっています。慰安婦像=平和の少女像としているのです。
これがいかにまやかしであるか、豪州で慰安婦像建立阻止の活動を行なってきた体験から以下、お示ししたいと思います。
慰安婦像の目的は日本を貶めて孤立させること
昨年3月、豪シドニー郊外のストラスフィールド市で、慰安婦像建立の発議がなされた時、推進派の韓人会の会長は日系コミュニティ紙のインタビューに答えて「慰安婦像建立の目的は、日本が如何に酷い国だったか、そして、今も如何に酷いか、世界中に知らしめるためです。その目的を果たすために、全豪に10基の慰安婦像建立を計画しています」とはっきり述べました。同時に地元の政治家を呼んで決起集会などを開いていましたが、そこでは「日本の軍国主義復活反対」が唱えられ、安倍政権批判が繰り返されていました。慰安婦像が日本非難の象徴に過ぎないことはこのことからも明らかです。
さらに、昨年7月の安倍首相来豪時には、反日団体の代表を務めるストラスフィールド市の副市長が、トニー・アボット豪首相宛てに公開レターを書いて国会議員や地方議員に拡散するという挙に出ました。その内容は、前述の日本非難に加えて、「豪州政府は日本をベストパートナーと見做すべきではない」などと政治的主張をした上で、その流れで慰安婦像を設置せよと要求しています。
また、9月にはこの団体が改めて韓国系の新聞に活動目標を掲載しましたが、「安倍のどす黒い魂胆」というような下品な表現に加え、在豪の団体でありながら、「米国政府に日本と距離を置くように」求めることまで主張していました。ここまでくると、彼らの目的が、慰安婦問題にかこつけた、日豪、日米の離反であることがわかります。それは海洋進出を謀る中国の政策とずばり一致します。韓国系の背後で、中国が糸を引いているのです。現に豪州では「中韓反日連合」であることを隠していません。
女性の人権という隠れ蓑
こうして極めて攻撃的な態度で攻めてきた中韓反日団体ですが、昨年4月1日のストラスフィールド市の公聴会で頓挫して以来、自分たちの主張がすんなりと通りそうもないと悟ると、一転して「慰安婦像は女性全体への暴力を防止するためのもので、家庭内暴力の被害者も含める」などと、論点をすり替える作戦に出て来ました。さらに、ナチスのホロコーストを記念するモニュメントを建てたからといって、ドイツ人が差別されるわけではないのだから、日本人も大丈夫だ、などという理屈まで持ち出す始末です。そして、米国でやったのと同じように、市長や議員たちに票田を背景とした圧力をかけ続けています。
さて、慰安婦像が純然たる女性の人権擁護が目的で、平和の象徴になり得るのなら、慰安婦像の建立を含む全ての活動は、和解(reconciliation)を目指すものでなくてはなりません。もし、和解と共存が目的なら、いきなり議会に持ち込む前に、日系人コミュニティに相談を持ち掛け、合意を形成しようとするのが筋ではないでしょうか? なぜ、意表を突いて強引に決めてしまおうとするのでしょうか? それも、世界中で同時多発的に行おうとしているのです。
それは前述したような敵対的動機があるからと言わざるを得ません。ニュージャージー州のユニオンシティに建てられた血まみれのマネキン人形をご覧になりましたでしょうか?(上写真)
それでもなお、慰安婦像が平和の象徴になり得ると思う方がいらしたとしたら、失礼ながら、現実から目をそらした恐るべきナイーブさと申し上げねばなりません。そもそも交流と和解を目指すなら、慰安婦像ではなく、文化祭などのイベントにすべきでしょう。
世界中の日系人のためにも毅然とした幕引きを
この問題は、カナダの一都市でたまたま発生したローカルな問題ではありません。中韓による、世界的な反日キャンペーンの一端がバーナビー市に飛び火した、ということです。したがって、万が一、ここで現地の韓国系と日系の住民が妥協して慰安婦像を建てることになった、などという前例を作ってしまったら、彼らは世界中に「慰安婦像は日本人も納得する平和の象徴」と喧伝して、さらなる慰安婦像を建てようとするでしょう。それが現実です。
私共AJCNは「非敵対的合理主義」をモットーとしており、どんなに相手が攻撃的でも、敵対的な言動は慎んで行動していますが、現実から目をそらすことはしません。カナダでの安易な妥協は、世界中で防戦している日系人に多大な損失を被らせることになるでしょう。
バーナビー市では、せっかく市長の良識的な判断を得たのですから、世界中の日系人のためにも、毅然として幕引きをして頂きたいと思います。
ストラスフィールドで慰安婦像阻止のために熱心に活動していたある日本人男性が、市議会で慰安婦像に関する議論を傍聴した数日後、自宅のアパート内を見慣れないアジア人の男性グループが徘徊し、奥様と目が合うと慌てて退去したという不審な出来事があり、その数日後に、男性の乗用車の前輪が鋭い刃物で切り裂かれる、という事件がありました。我々日系人(あるいは在外邦人)は、世界のどこに居ようとも、協力し合って、一日も早くこの問題に終止符を打たねばなりません。
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◆カナダの慰安婦像問題
カナダ西部のブリティッシュコロンビア州バーナビー市で、慰安婦像設置の動きが浮上している。カナダでは初めてのこと。同市の姉妹都市である韓国の華城(ファソン)市からの提案が発端。米国同様、姉妹都市提携から反日行動を展開する韓国側の戦略がカナダにも拡大した実態が浮かび上がった(4月2日付産経)。
これに対し現地在住の日本人やカナダ人らが反対活動を展開。日系住民からの500筆を始め、ネットでも1万3千人以上の反対署名が集った。
コーリガン市長は4月15日、「地元の日系カナダ人社会などにおいて懸念が生じる可能性があることに気付いた」として、判断保留を表明。
沈静化するかと思われたが、今度は、韓国系住民が「平和の少女像建設推進委員会」を発足させ、像設置に反対した日系住民の懐柔策に乗り出している(4月26日付産経)。ことに戦時中に収容所に送られたりして辛酸を嘗めた年配の日系人たちと接触し、同じ「戦争の犠牲者」だとして、「平和の」少女像への理解を求めようとしているという。コーリガン市長は、先述の保留表明時、「日系と韓国系の双方が納得する提案がなされればそのとき検討する」とも述べており、予断を許さない状況だ。
◆プロフィール
やまおか てっしゅう
AJCN(Australia-Japan Community Network)代表。
豪ストラスフィールド市において推進されていた慰安婦像設置計画を阻止するため、地元在住の日本人を集めてJCN(後にAJCNへ改称)を結成、コミュニティの和の大切さなどを訴え、市議会に設置可決を見送らせた。その経緯については、月刊『正論』2月号に執筆している。
【朝鮮日報 「第5種補給品」という言葉が朝鮮にあることを認める】
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「第5種補給品」とは、軍人を相手にする売春婦たちを指す隠語だ。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/20/2015052000784.html
【金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた】
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150511-00000010-pseven-kr
朝日新聞が「吉田証言」(文筆家・吉田清治氏の「日本軍が朝鮮人女性を連行し慰安婦にした」という証言)の誤報を認めた昨年8月以降、強制連行のカードを失った韓国政府は、慰安婦の“人権蹂躙”を訴える戦術に舵を切った。日本政府から謝罪と賠償をもぎ取るための材料だった「強制性」の根拠が揺らいでいるからだ。
人権蹂躙は、韓国が慰安婦問題で日本を非難するうえでの基盤となっている。これをクローズアップし国際社会からの同調を得て、自国に有利な国際世論を形成しようという算段だ。その一方で、「正しい歴史認識」が口癖の韓国政府は、自国が主導したもう一つの慰安婦の存在をひた隠しにしてきた。
韓国軍慰安婦の存在が初めて韓国メディアで報じられたのは2002年2月。慶南大学の金貴玉・客員教授(現・漢城大学教授)が「朝鮮戦争中に韓国軍慰安婦がいた」という調査報告を、立命館大学の国際会議席上で発表したのである。このことは『朝鮮日報』をはじめとする韓国の主要メディアで大きく報じられ、韓国社会に衝撃を与えた。
金教授が根拠の一つとして挙げたのが、1956年に韓国陸軍本部が編纂した公式資料『後方戦史・人事編』にある記述だ。
現在、この資料を民間人が閲覧することは困難であるが、筆者はわずかな手掛かりから資料の入手に成功した。そこには朝鮮戦争(1950~1953年)時の「特殊慰安隊」設置の経緯が次のように記されていた。
「士気昂揚はもちろん、長期間の戦闘で異性に対する憧憬から惹起される生理作用がもたらしうる性格の変化、憂鬱症やその他の支障を未然に防止するために、特殊慰安隊を設置することになった」
資料では、慰安隊として活動する女性を「慰安婦」と称し、「週2回、軍医官が厳格な検診を行い、性病に対する徹底的な対策を講じた」ことも明記されていた。性病検診を定期的に行うのは、慰安婦が不特定多数の兵士と性的な関係を持つことを前提としていたためで、韓国陸軍はそうした組織を公式部隊として運営していたことが判る。
慰安隊はソウル市中区忠武路周辺と、日本海に面した江原道江陵地区にそれぞれ3部隊、そのほか江原道の主要都市である原州、春川、束草にそれぞれ1部隊が配置され、計9か所に89名の慰安婦が動員された。
慰安隊の運営開始時期については定かではない。ただ、設置目的が朝鮮戦争で戦う韓国軍のためであること、前述の『後方戦史』に1952年の特殊慰安隊実績統計表が掲載されていることから、1951年までには運営が開始されたと推定される。なお、慰安隊の廃止は1954年3月と明記されていた。
統計表には、4部隊における1952年の利用実績が月ごとにまとめられている。利用者が多くなるのは春から夏にかけてで、最も多いのは8月の約2万2000名。1年間の利用者は延べ約20万5000名に上った。慰安婦は単純計算で1日平均6名以上の兵士の相手をしていた計算になる。
金教授は、「上記9か所の固定式慰安所のほかに、移動式慰安所があった」ことも明らかにしている。後者は軍部からの要請があると、指示された部隊まで出張して特定期間テントを張り、そこで運営する形態をとっていた。
移動式慰安所については、朝鮮戦争に参加した元韓国軍幹部の回顧録にも書かれている。例えば、全斗煥政権下で陸軍第二司令部司令官などを歴任した車圭憲氏は、回顧録『戦闘』(1985年)の中で、「24人用の野戦テントの内部をベニヤ板と防水布で仕切った野戦寝室に慰安婦は収容されていた」と、当時の移動式慰安所の光景を綴っている。
また、同じ頃に首都師団の小隊長であった金喜午氏の回顧録『人間の香り』(2000年)によれば、移動式慰安所には「小隊ごとに2名(中隊全体で合計6名)の慰安婦が日中の8時間に限って宛がわれていた」という。
さらに金氏は、慰安隊が「第五種補給品」と呼ばれていたことを同書に記していた。
韓国軍の実際の軍補給品は食料や被服類、燃料など一~四種までで、慰安婦をそれに並列させるこの俗称は、慰安隊の女性たちが“物品”として扱われていたことを示している。これが「人権国家」を標榜する韓国の実態だった。
※SAPIO2015年6月号
またこんな声明を出すそうです。日本国民にとって「逆効果」だと、この人達は何時になったら理解するんでしょうか。
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慰安婦:日本の歴史研究16団体、今月25日に声明発表へ
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/21/2015052100737.html