Monthly Archives: August 2022

韓国市民団体 慰安婦法廃止国民行動『私たちの「表現の不自由展・その後」』抗議活動の記録(名古屋 2022.8.26-27)

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2022年8月26日から28日までの4日間、名古屋市民ギャラリー栄で開催された『私たちの「表現の不自由展・その後」』における慰安婦関連展示に抗議するために、韓国から市民団体「慰安婦法廃止国民行動」が来日。名古屋地元の市民団体「愛国倶楽部」と連携して『「表現の不自由展」に抗議する日韓連帯行動』を結成し、街頭抗議活動、名古屋市長へ意見書提出、記者会見、講演会などの活動を行いました。

慰安婦法廃止国民行動は「慰安婦被害者法」 廃止と慰安婦像撤去を求めてソウルを中心に活動する市民団体です。代表の金柄憲氏は「赤い水曜日30年間の慰安婦歪曲」(文藝春秋より日本語版近日出版)の著者で、今年6月に独ベルリンでも慰安婦像撤去活動を行いました。

以下、名古屋での記録、資料の纏めです。

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慰安婦法廃止国民行動の金柄憲代表、表現の不自由展を見学(2022.8.26)

※プラカード画像をはめ込んだものです


「表現の不自由展」に抗議する日韓連帯行動による街頭活動(2022.8.26-27)mediawatch記事より

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記者会見配布資料より

1. 慰安婦法廃止国民行動 について

慰安婦法廃止国民行動は、「日帝下の日本軍慰安婦被害者に対する保護·支援及び記念事業等に関する法律(略称慰安婦被害者法)」の廃止を目的に、令和2年10月に結成された市民運動団体です。
「慰安婦被害者法」は日帝によって強制動員され慰安婦としての生活を強要された被害者を保護·支援し、日本軍慰安婦被害者の名誉回復と真相究明のための記念事業を遂行することで、彼らの生活安定と福祉増進を図り、国民の正しい歴史観の確立と人権増進に貢献することを目的としています。 また、この法第2条1項には「日本軍慰安婦被害者」に対して「日帝によって強制的に動員され性的虐待を受け慰安婦としての生活を強要された被害者をいう。」と定義しています。
しかし、大韓民国女性家族部に登録されたいわゆる日本軍慰安婦被害者240人のうち、日帝によって強制動員された被害者は1人もいません。 したがって、この法律は適用対象のない法律なので、当然廃止されなければなりません。 これに対し、同法の廃止のため、団体名を「慰安婦法廃止国民行動」と定めました。
団体結成後、これまで115回にわたって日本大使館の少女像と全国の少女像を訪ね、慰安婦詐欺の中止と少女像の撤去を促すデモを行いました。 また、慰安婦補助金に対する国民監査請求、イ·ヨンス、キル·ウォンオクに対する告訴告発、人権委員会への報告、女性家族部に対する慰安婦強制動員情報請求嘆願提起など持続的に慰安婦詐欺中断のための活動をしています。

2.  韓国から来日した「慰安婦法廃止国民運動」のメンバー

・金 柄憲 (キム・ビョンホン):成均館大学校漢文学科の修士および博士を修了。韓国の歴史学者、大学講師。 韓国国史教科書研究所所長、慰安婦法廃止国民運動代表、国史問題研究所理事を務めている。2019年度から、在大韓民国日本国大使館前の少女像撤去を求める集会を開いており、2022年1月には経済学者である李宇衍氏などと慰安婦詐欺清算連帯を結成。近著には「赤い水曜日、30年間の慰安婦歪曲」など。
・朴 世媛 (パク・セウォン):慰安婦法廃止国民行動幹事
・郭 妙淑  (ワ・ウンギョン):慰安婦法廃止国民行動メンバー兼YouTuber
・吉田 賢司 (ヨシダ・ケンジ):パリ政治学院に留学後、米ウィリアム・アンド・メアリー大学で政治学を専攻。韓国の保守言論社メディアウオッチ記者、翻訳家。「慰安婦と戦場の性」韓国語版を共同翻訳、「中国共産党、ニュージーランド侵略」監修。

3. 名古屋訪問の理由と目的

表現の不自由展に展示されているキム·ウンソン·キム·ソギョン作少女像が偽りと憎悪の象徴物であることを知らせるためです。

4. 日程

2022年 8月 25日(木)
来日 名古屋着

26日(金)
午前 『私たちの「表現の不自由展・その後」』見学
午後  街頭活動
名古屋市役所 文化芸術推進課 市長宛「意見書」提出

27日(土)
午前  街頭活動
午後  記者会見・講演会

28日(日) 帰国

5. 声明文

令和4年8月 27日
慰安婦法廃止国民行動 代表 金柄 憲

偽りと憎悪の象徴物 少女像の展示を中止せよ!

1991年8月14日、韓国では「キム·ハクスン」という女性が日本軍慰安婦被害者を自認して以来、慰安婦問題は今日に至るまで「日本軍が朝鮮の幼い少女たちを強制的に連れて行き、性的暴行を日常的に行い、性奴隷生活を強要し、甚だしくは殺害したりもした」という正義記憶連帯(前挺対協)の主張がまるで定説であるかのように(人々の脳裏に)固まってしまいました。

さらに、2011年12月14日には正義記憶連帯が水曜デモ1,000回を記念して駐韓日本大使館の向かい側の歩道にいわゆる「平和の少女像」を設置しました。 既に慰安婦少女像は国内に150体、海外に30体以上設置されました。 そして、これと同じ形の少女像が「表現の自由」を口実に日本各地で展示されています。 同じ形の銅像をこれほどたくさん立てて展示までするケースは、世界史上、北朝鮮の金日成、金正日の銅像と同じく類を見ることのできない奇怪なことなのです。

しかし、少女像は彫刻家の誤った歴史認識が投影された偽りと憎悪の象徴物であり、慰安婦詐欺劇の宣伝道具に過ぎません。 彫刻家は「空いた椅子に刻まれた約束」という作家ノートの中で「日本による植民地時代朝鮮の娘盛りの少女たちと若い女性たちを騙したり強制的に戦場に連れて行って性奴隷にし、さらには殺害までするという無残な犯罪を躊躇なく犯した。」として慰安婦がすなわち戦争犯罪の被害者だと主張したのです。

1998年、ゲイ・マクドゥーガル国連人権委報告書では戦争犯罪について「強姦を含む性暴行行為が国際紛争が進行される間に敵軍や占領軍によって行われた時」と定義しました。 したがって、国際紛争や武力衝突地域で敵対国の女性を拉致·強姦·殺害するなどの行為がまさに戦争犯罪なのです。

しかし、当時の朝鮮は日本の占領地ではなく、朝鮮女性は日本国民でした。 また、慰安所は占領地の女性に対する戦争犯罪防止のために設置·運用された合法的売春空間であり、慰安婦は慰安所の主人と契約を結び営業許可を得て儲けた職業女性でした。 これは、彼らが相手にしていた顧客のほとんどが日本人だったため、日本式芸名を各自の部屋の前にかけて営業したという事実だけを見ても、戦争犯罪の被害者でなかったことは、三尺の童子でも分かることです。

そして、作家は「日本軍の甘い言葉に騙されたり強制的に戦場に連れて行かれた10代前半の幼い少女」を作品として表現するために、11歳の自分の娘をモデルに13歳~15歳の少女のイメージでこの少女像を制作したと言いました。

しかし、日本軍の慰安婦になるためには、まず出国前に慰安所の主人と契約を結んだ後、管轄警察署に直接出頭して身分証明書の発給を受けなければならず、現地に到着しても現地領事館警察署に親権者承諾書、戸籍謄本、印鑑証明書、営業許可願書、営業人調査書とともに写真2枚を提出して営業許可を得てこそ慰安婦として活動することができました。 この時、戸籍謄本は親権者の他にも慰安婦の実際の年齢が確認でき、これを騙すことはできませんでした。 問題は当時、日本軍慰安婦は法律上17歳以上でなければできなかったため、13~15歳の少女はそもそも日本軍慰安婦として働くことは不可能だったのです。

以上で述べたように、国内外の数多くの少女像は、慰安婦に対する歪曲·捏造された情報をもとに制作·設置されています。 今回、この「表現の不自由展」に展示された少女像も全く同様なことなのです。

表現の自由は当然尊重されなければなりません。 しかし、嘘を土台にした表現まで尊重される資格はありません。 何より、少女像は表向きには平和を掲げていますが、実状は平和ではなく対立と葛藤だけを引き起こしています。 偽りで成し遂げられる平和はないからです。 これに対し私たちは少女像制作者であるキム·ウンソン氏、キム·ソギョン氏に厳重に催促します。

「表現の不自由展」に出品された少女像の展示を即刻中断せよ。

以上

【 声明賛同団体 】(順不同)
愛国倶楽部
(愛知トリエンナーレの)天皇陛下に向けるヘイト行為を許さない会
一般財団法人 日本安全保障フォーラム
一般社団法人 国際歴史論戦研究所
史実を世界に発信する会
朝鮮近現代史研究所
慰安婦の真実国民運動
なでしこアクション

声明文朗読 韓日語

声明文朗読 英語

6. 名古屋市長宛意見書

令和4年8月26日

名古屋市
市長 河村たかし 殿

慰安婦法廃止国民行動
代表 金柄憲

「表現の不自由展」に関する意見書

拝啓 時下、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。この度はご多忙のところ、書簡文の提出をご承諾いただき心よりお礼申し上げます。

私どもは、ソウルの日本大使館前に設けられた少女像周辺で30 年間も続けられてきた正義記憶連帯の慰安婦運動に対抗し、2019 年末から水曜デモ中断と少女像の撤去を要求してきた市民団体です。

1991年8月14日、韓国では「キム·ハクスン」という女性が日本軍慰安婦被害者を自認して以来、慰安婦問題は今日に至るまで「日本軍が朝鮮の幼い少女たちを強制的に連行し、性的暴行を日常的に行い、性奴隷生活を強要し、甚だしくは殺害したりもした」という正義記憶連帯(前挺対協)の主張が、まるで定説であるかのように人々の脳裏に固まってしまいました。

さらに、2011年12月14日には正義記憶連帯が水曜デモ1,000回を記念して駐韓日本大使館の向かい側の歩道にいわゆる「平和の少女像」を設置しました。 既に慰安婦少女像は国内に150体、海外に30体以上設置されています。 そして、同様の少女像が「表現の自由」を口実に日本各地で展示されています。 同一の銅像をこれほどたくさん立てるケースは、世界史上、北朝鮮の金日成、金正日の銅像以外、類を見ることのできない奇怪なことです。

しかし、少女像は彫刻家の誤った歴史認識が投影された偽りと憎悪の象徴物であり、慰安婦詐欺劇の宣伝道具に過ぎません。 彫刻家は「空いた椅子に刻まれた約束」という作家ノートの中で「日本による植民地時代朝鮮の娘盛りの少女たちと若い女性たちを騙し、強制的に戦場に連れて行って性奴隷にし、さらには殺害までするという無残な犯罪を躊躇なく犯した。」として、慰安婦がすなわち戦争犯罪の被害者だと主張したのです。

1998年、ゲイマクドゥーガル国連人権委報告書では戦争犯罪について「強姦を含む性暴行行為が国際紛争が進行される間に敵軍や占領軍によって行われた時」と定義しました。 したがって、国際紛争や武力衝突地域で敵対国の女性を拉致·強姦·殺害するなどの行為がまさに戦争犯罪なのです。

しかし、当時の朝鮮は日本の占領地ではなく、朝鮮女性は日本国民でした。 また、慰安所は占領地の女性に対する戦争犯罪防止のために設置·運用された合法的売春空間であり、慰安婦は慰安所の主人と契約を結び営業許可を得て儲けた職業女性でした。 これは、彼らが相手にしていた顧客のほとんどが日本人だったため、日本式芸名を各自の部屋の前にかけて営業したという事実だけを見ても、戦争犯罪の被害者でなかったことは、三尺の童子でも分かることです。

そして、作家は「日本軍の甘い言葉に騙されたり強制的に戦場に連れて行かれた10代前半の幼い少女」を作品に表現するため、自らの11歳の娘をモデルに13〜15歳の少女を表す像を制作したと言いました。

しかし、日本軍慰安婦になるためには、まず出国前に慰安所の主人と契約を結んだ後、管轄警察署に直接出頭して身分証明書の発給を受ける必要がありました。また、現地に到着しても現地領事館警察署に親権者承諾書、戸籍謄本、印鑑証明書、営業許可願書、営業人調査書とともに写真2枚を提出し、営業許可を得てこそ慰安婦として活動することができました。 この時、戸籍謄本は親権者の他にも慰安婦の実際の年齢が確認でき、これを騙すことはできませんでした。 問題は当時、日本軍慰安婦は法律上17歳以上でなければできなかったため、13~15歳の少女はそもそも日本軍慰安婦として働くことは不可能だったのです。

以上で述べたように、国内外の数多くの少女像は、慰安婦に対する歪曲·捏造された情報をもとに制作·設置されています。 この度、「表現の不自由展」に展示された少女像も同じく誤った歴史認識が反映されたものです。

表現の自由は当然尊重されなければなりません。 ただ、嘘を土台にした表現まで尊重される資格はありません。 何より、少女像は表向きには「平和」を掲げていますが、実状は平和ではなく「対立と葛藤」だけを引き起こしています。 偽りで成し遂げられる平和はないからです。

敬具

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< 資料 >

◆ 記者会見配布資料
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2022/08/2022.8.27_press.pdf

◆ 抗議声明文 PDF ダウンロード
【日本語】偽りと憎悪の象徴物 少女像の展示を中止せよ!
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2022/08/statement_jpn.pdf

【韓国語】거짓과 증오의 상징물 소녀상 전시를 중단하라!
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2022/08/statement_kr.pdf

【英語】Stop exhibiting the Comfort Women statue: a symbol of falsehood and hostility
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2022/08/statement_eng.pdf

◆ 河村たかし名古屋市長宛 「表現の不自由展」に関する意見書 PDF ダウンロード
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2022/08/letter_nagoya_jpn.pdf

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< 名古屋での活動写真 >

2022年8月26日(金)
午前
『私たちの「表現の不自由展・その後」』(名古屋市民ギャラリー栄)見学

慰安婦像作家のキム夫妻とのトークショーに参加

午後
街頭活動  名古屋市民ギャラリー栄の近くにて

市長宛意見書提出 名古屋市役所文化芸術推進課にて

名古屋市役所前にて

8月27日(土)
午前
街頭活動 名古屋市民ギャラリー栄の近くにて

午後  名古屋市内会議室にて
記者会見 「韓国から来日、慰安婦法廃止国民行動による『私たちの「表現の不自由展・その後」』への抗議活動と声明発表」
講演会 「慰安婦問題の真実 ―日本軍に強制動員された慰安婦は一人もいない! 」

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< 動画 >

◆ 채널fujichan

◆ 産経ニュース

◆ チャンネル桜

◆ ゆんばん윤방

◆ いろはにほへとチャンネル

https://www.youtube.com/watch?v=JxZF5SWMFPw

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< 報道 >

JapanFoward September 17, 2022 By Kenji Yoshida
Comfort Women ‘Artwork’ in Nagoya Exhibit a Facade for Korean Propaganda
https://japan-forward.com/comfort-women-artwork-in-nagoya-exhibit-a-facade-for-korean-propaganda/

産経ニュース 2022/8/27
不自由展の慰安婦像展示中止求め、韓国の市民団体が抗議
https://www.sankei.com/article/20220827-N5SS5IGAHBNI3LJXV3QPA3DOHA/

media watch 2022.08.28
한일우호 시민단체, 일본 현지 방문해 위안부상 전시 중단 촉구 집회
https://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=256140

NHK 2022年8月29日(月)
まるっと! “表現の不自由展”4日間に密着
https://plus.nhk.jp/watch/st/230_g1_2022082957361

zakzak 2022.8/29
問題の本質は「貧しさ」慰安婦は〝韓国の問題〟として解決せよ 尹政権の認識は「文前政権と変わらない」 韓国の歴史学者・金柄憲氏インタビュー
https://www.zakzak.co.jp/article/20220829-JI4THRNECRJ5BIGN576CQ3IBDA/

産経 2022/9/4
表現の不自由展は「真実の不自由だ」 慰安婦運動追及する韓国人歴史学者
https://www.sankei.com/article/20220904-5M6FQBKKARK3VIG7HGKV74GR4I/

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【金柄憲所長、国民行動への支援】
Paypal cleanmt2000@gmail.com 金柄憲所長、国民行動への支援

チャンネルfujichan (国民行動に送金します)
後援口座 ゆうちょ銀行
店名 五五八
店番 558
口座番号 2629662
ミヤモトフジコ

【チャンネルfujichanへの後援口座】 (個人)翻訳頑張ります。
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Stop exhibiting the Comfort Women statue: a symbol of falsehood and hostility

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【Japanese】偽りと憎悪の象徴物 少女像の展示を中止せよ!
【Korean】거짓과 증오의 상징물 소녀상 전시를 중단하라!

Press Conference/ Aug 27. 2022 / Nagoya, JAPAN

Kim Byung-heon(金柄憲), Representative of National Movement to End Comfort Women Law

Stop exhibiting the Comfort Women statue: a symbol of falsehood and hostility

Ever since a woman named Kim Hak-soon claimed to be a victim of Japanese comfort women on August 14, 1991, the Korea Council’s assertion that “the Japanese military forcibly dragooned young Chosun girls, sexually assaulted them, forced them into sexual slavery and in some cases even murdered them” became the normative understanding in Korea.

Moreover, on December 14, 2011, the Korea Council erected a so-called “Peace Statue” on a sidewalk across from the Japanese Embassy in Seoul to commemorate the 1,000th anniversary of their ‘Wednesday Rally.’ Today, more than 150 identical statues are installed across Korea, with 30 more exported overseas. And these states are being displayed in various parts of Japan under the guise of “freedom of expression.” Nowhere in the world would one find such a swift proliferation of identical monuments aside from Kim Il-sung and Kim Jong-il’s statues in North Korea.

The comfort women statue is merely a symbol of falsehood and hatred that reflects the sculptor’s distorted historical perception and is utilized to propagate comfort women fraud. The sculptors, in their note, “promise engraved on an empty chair,” claimed, “The Japanese, under its colonial rule, committed heinous crimes by deceiving or forcibly dragging budding Chosun girls and women into the battlezone and sexually enslaving them.” Thus, suggesting that these women were victims of a war crime.

The Gay McDougall’s UN Human Rights Commission report issued in 1998 partially defines war crimes as “sexual violence, including rape, committed by the enemy or occupational forces during an international conflict.” Therefore, acts such as kidnapping, rape, and murder of women in hostile countries during international disputes or armed conflicts are considered war crimes.

Chosun, however, was not an occupied territory then, and the women of Chosun were regarded as Japanese citizens. In addition, comfort stations were legally run brothels established and operated to prevent war crimes against women in occupied territories. The comfort women were professionals who earned income by signing a contract with the station owner. Most of their customers were Japanese soldiers; thus, many posted their Japanese stage names on the front door to attract more visitors. This alone indicates that they were professionals in the wartime sex industry, not victims of war crimes.

The sculptors further suggest that their eleven-year-old daughter was used as a model for the statue to depict victims of the comfort women in their early teens.

However, to work as a comfort woman, one had to sign a contract with their master before leaving the country and, upon arrival at the destination, had to submit a consent form, family register, seal certificate, business license, and two photos to the local consulate police. It was impossible to deceive the actual age as the family register was viewable by people other than their parents. More importantly, however, the Japanese law then required comfort women to be above the age of 17; hence, girls between 13 and 15 were not eligible to become comfort women, to begin with.

As mentioned above, numerous comfort women statues at home and abroad have been reproduced and installed based on distorted and fabricated information on comfort women’s history. The same goes for the sculpture displayed here in Nagoya at the “After ‘Freedom of Expression?’ exhibit.

Without a doubt, freedom of expression should most definitely be respected. Nevertheless, expression based on lies is not worthy of such respect. While the comfort women statue purports to symbolize peace, it frankly delivers more division and stirs hostility, and no peace can be achieved founded on a fallacy.

In light of these facts, we strongly urge sculptors Kim Un-sung and Kim Seo-kyung to cease displaying the comfort women statues in the said exhibit immediately.

END

2022.8.12 「偽りと憎悪の象徴、軍浦堂井公園の少女像を撤去せよ!」忠清南道洪城にて

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韓国市民団体「慰安婦法廃止国民行動」の8月12日の活動です。

忠清南道の洪城にて「偽りと憎悪の象徴、軍浦堂井公園の少女像を撤去せよ!」の街頭活動。
夕方からは前日に慰安婦映画を上映した弘益大学駅の近くで抗議の街頭活動を行いました。

暑い中ご苦労様でした。そして有難うございました。

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2022. 8. 12.
慰安婦法廃止国民行動
声明文

偽りと憎悪の象徴、軍浦堂井公園の少女像を撤去せよ!

1991年8月14日に「キムハクスン」という女性が日本軍慰安婦被害者を自認して以来、慰安婦問題はこれまで日本軍が朝鮮の幼い少女たちを強制的に連れて行き性的暴行を日常的に行い性奴隷生活を強要し、甚だしくは殺害したりもしたという正義記憶連帯の主張がまるで定説であるかのように固まった。

しかも、2011年12月14日には水曜デモ1,000回を記念して日本大使館向い側の歩道にいわゆる「平和の少女像」を設置し、今や少女像は国内に150個、海外に30個以上設置された。 その中の一つが、ここ軍浦市堂井公園少女像だ。 北壊の南侵で全国土が焦土化した韓国戦争で命を捧げて国を救った戦没犠牲者の銅像もこのような形で立てなかったにも関わらず。 このような現象は、世界史で北朝鮮の金日成、金正日の銅像に見られるように実に奇怪なことだ。

しかし、慰安婦少女像は彫刻家の誤った歴史認識が投影された偽りと憎悪の象徴物であり、慰安婦詐欺劇の宣伝道具に過ぎないのである。 彫刻家は「空いた椅子に刻んだ約束」という作家ノートで「日本による植民地時代朝鮮の花のつぼみのような少女たちと若い女性たちをだましたり強制的に戦場に連れて行き性奴隷にし、甚だしくは殺害までする無残な犯罪を躊躇なく犯した。」と話した。 慰安婦が戦争犯罪の被害者だという主張だ。

1998年、ゲイ·マクドゥーガル国連人権委報告書には戦争犯罪について「強姦を含む性暴行行為が国際紛争が進行される間に敵軍や占領軍によって行われた時」と定義した。 したがって、国際紛争や武力衝突地域で敵対国の女性を拉致·強姦·殺害するなどの行為がまさに戦争犯罪である。

しかし当時、朝鮮は日本の占領地ではない上、朝鮮女性は日本国民だった。 さらに慰安所は占領地の女性に対する戦争犯罪防止のために設置·運用された合法的売春空間であり、慰安婦は慰安所の主人と契約を締結した後、各種書類を提出して営業許可を得て金を稼いだ職業女性だった。 彼らが相手にした顧客の大半が日本軍だったため、日本式芸名を各自の訪問の前にかけて営業したという事実だけを見ても、戦争犯罪の被害者ではなかったことは三陟の童子でも分かることだ。

また、作家は日本軍の甘い言葉に騙されたり、強制的に戦場に連れて行かれた10代初中盤の幼い女性を作品として表現するために11才の自身の娘をモデルに13才~15才の少女の姿で少女像を製作したと話した。

しかし、日本軍の慰安婦になるためには出国前に抱え主と契約を結んだ後、管轄警察署に直接出頭して身分証明書の発給を受けなければならず、現地に到着しては現地領事館警察に親権者承諾書、戸籍謄本、印鑑証明書、営業許可願書、営業人調査書と共に写真2枚を提出して営業許可を得てこそ慰安婦として活動することができた。 この時、戸籍謄本は親権者の他にも年齢が確認でき、これを騙すことは不可能だった。 問題は当時、日本軍慰安婦は17歳以上でなければ可能ではなかった故に、13~15歳の少女ははじめから日本軍慰安婦として働くことは
できなかった。

以上で述べたように、国内外に設置された数多くの慰安婦少女像は、いずれも慰安婦に対する歪曲·捏造された情報に基づいて製作·設置されている。 その上、これら慰安婦像は表向きには平和という名前を掲げているが、実状は陣営間の葛藤を引き起こし、韓日関係を破綻の状態に追いやっている偽りと憎悪の象徴物に過ぎない。 少女像が一つずつ建てられる度に韓日関係はますます破局に突き進み、ついに大韓民国は嘘の天国という汚名を着せられることになるだろう。

これに対し、我々は軍浦市長をはじめとする党政公園少女像建設主体にこれ以上市民を欺かないことと少女像を直ちに自主撤去することを促す。 歴史を忘れた民族に未来がないのではなく、嘘をつく民族に未来がないからだ。

以上

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1985年8月12日 日航機墜落事故「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たち

なでしこアクション代表山本優美子が、日本航空123便墜落事故について以前産経ウェブに書かせていただいた記事(2016.8.11付)です。
事故の起こった8月に多くの方に読んでいただきたく、ここに再掲します。

https://www.sankei.com/premium/news/160807/prm1608070004-n1.html  より

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日航機墜落事故「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たちの苦悩を忘れてはなりません

8月になると、8月15日の終戦の日や靖国神社参拝が毎年話題になりますが、私が思い出すのは昭和60年(1985年)8月12日に起きた日本航空123便墜落事故です。ヘリコプターから吊るされた自衛隊員が通称・御巣鷹の尾根(群馬県上野村の高天原山)で生存者を引き揚げて救出している映像が印象に残っている方も多いでしょう。あれは陸上自衛隊の写真ですが、航空自衛隊もまた長野県川上村に救難指揮所を設置して活動をしていました。

犠牲者520名、生存者4名。史上最悪の航空機事故に、航空自衛隊は創設以来最大規模の災害派遣出動に踏み切りました。8月12日の事故発生から8月30日の撤収までの18日間は「勝利なき戦い」と呼ばれていました。私の父は当時、入間基地の副司令であり、現地指揮官を務めました。父の保管している当時の資料を見ると、空の守りから陸に降りた航空自衛官の「勝利なき戦い」の様子がよく分かります。

自衛隊のPKO派遣や阪神大震災、東日本大震災での活躍もあり、今では国民の間で自衛隊に対する理解がずいぶん広まりました。共産党幹部が「防衛費は人を殺すための予算」と発言すると非難されるまでになりました。

しかし、昭和60年当時は今のようなインターネットやSNSによる情報はなく、新聞・テレビなどの大手メディアによる情報がすべてでした。その大半は自衛隊バッシングがメディアの正義だと言わんばかりに、まともな防衛知識もないままに自衛隊批判が繰り広げられていました。

事件発生2日後には、ある大手新聞社が「自衛隊に抗議・疑問続々」という見出しで自衛隊の現地到着が遅かったと批判し、それに続いてデマ・放言のようなバッシングが始まったのです。

自衛隊バッシングに熱心な一部メディアは、救難活動の妨げにもなりました。特ダネを求めて軽装で山中に入った記者やカメラマンが脱水症状を起こして陸自のヘリに救助されたこともありました。着陸許可がないのに新聞社やテレビ局のヘリが、救出活動中の現場空域に進入し、2次災害が起きかねない事態も招きました。現場の記者が正確な記事を書いても、冷房の効いた本社にいるデスクに没にされたり、歪められたりして、現場の記者はその都度に自衛隊に弁解したという話も残っています。

では、メディアが批判したように、本当に自衛隊は現場到着が遅かったのでしょうか?

8月12日18時57分、JAL123便がレーダーから消えた4分後の19時01分に百里基地から戦闘機2機が緊急発進し、19時21分には上空から炎を確認しています。

20時33分に羽田空港から災害派遣要請があると、7分後の20時40分には航空自衛隊入間基地から先遣隊30名が出発しました。日付が変わった13日01時10分には同じ入間基地から548名の派遣隊が出発しています。

現地へ急ぐ派遣隊にとって、最初のハプニングは高速道路料金所で起きました。災害派遣で緊急な出動なのだと説明しても料金所の担当者は「料金を払わねば通せない」の一点張り。結局、自衛隊員が立て替え払いしました。急な出動だったので財布を携帯していない隊員も多く、大型車の通行料3200円の支払いに苦労したそうです。

御巣鷹山の事故現場までは40度近い急斜面を歩かねばなりません。背丈以上ある熊笹の藪を切り開き、ロープを伝いながらの移動で3時間以上かかりました。

現場のあまりに無残な様子におう吐する隊員もいましたが、隊員達はみな懸命に働き、「一刻も早く遺族のもとへ」と肉片となった遺体を丁寧に毛布にくるみました。

「遺品はそのままにしておくようにという指示が出されていましたが、熊笹の中に時計などが落ちてると、このまま永久に見つからなかったら遺族は悲しむと思い、目立つ場所まで動かしました」

「悲惨な現場でも尻込みする者はいなかった。作業終了、下山といっても『もっと残ってやりましょう』、『休憩だ』といっても『いや続けましょう』という」

「夜、宿営地に帰った時には、みな作業服が汗でズブ濡れで疲労でおし黙っている。それでも足を怪我した隊員に翌日は『休め』というと『どうしても行かせてください』と必死でいう」

このような現場報告が残っています。18日間の救難活動に派遣された航空自衛隊の隊員は入間・浜松・百里などの各基地から延べ約1万人。怪我で手当てを受けた隊員はいましたが、脱落者はゼロでした。

こうして厳しい任務を終えて戻ってきた隊員を待っていたのは、メディアによる一方的な自衛隊批判でした。隊員はさぞ驚き、落胆したことでしょう。

そんな中、隊員の励みになったのは派遣部隊の前線基地となった長野県南佐久郡川上村のみなさんの協力でした。到着早々、地元の農家の方々が「隊員のみなさんにビタミンを」と大量の高原野菜を差し入れてくれました。汗まみれで帰ってくる隊員に、村の健康センターのお風呂を提供してくれました。体育館を宿舎として提供した川上第二小学校は始業式を2日遅らせてくれ、児童たちは励ましのお手紙を送ってくれました。

「じえいたいのみなさん、とてもつかれたでしょう。じこげんばにいって、ぼろぼろのいたいをみつけて、たいへんでしたね。学校にとまって、毎朝そうじをしてくれてどうもありがとうございます」

「8月22日の昼食をじえいたいのみなさんといっしょにたべさせていただいて、どうもありがとうございます。カレーやサラダとてもおいしかったです。げんばなどにいっていたいをはこんだりしますか。ああいうところでは、しごともきつくてたいへんだと思います。まいにちあついなかごくろうさまです」

川上第二小学校の中澤弘之校長先生(当時)は学校の記録書にこう残しています。

「隊員と児童のふれあい、この大惨事の中で昼食会や激励会がごく自然の形でなされた。隊の救援活動や児童の学校生活に効果的であった。組織体としての自衛隊の規律ある行動、礼節をわきまえた奉仕の精神、子供たちへの思いやり等、児童に多くの教訓を与えた」

あれから31年。自衛隊創設以来の大規模な災害派遣となった日航機墜落事故が残した教訓は果たして生かされているのでしょうか。

救難活動を安全・円滑に実施するために不可欠となる救援機や取材ヘリなどの空中統制は、航空法で十分に規定されているでしょうか。災害派遣車両を料金所で止めるようなことはさすがになくなりましたが、大規模な災害など緊急事態に対応するための法律は、その後の2つの大震災を経て整備されたでしょうか。自治体と防衛省の役割分担・協力体制は充分構築されているのでしょうか。災害派遣された自衛隊員への手当ては充分でしょうか。不幸にも殉職した場合、残された家族に充分な賞じゅつ金は用意されているのでしょうか。

自衛隊の任務は、自衛隊法第3条にあるように「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」であり、災害派遣は主任務ではありません。災害時の自衛隊派遣は当たり前だと思われていますが、派遣中も限られた人員で通常の防衛業務も遂行しているのです。

政府は、もの言わぬ自衛官に「勝利なき戦い」を強いてはいませんか。自衛隊がその能力を充分に発揮できるよう、憲法改正とともに法整備を進め、装備や予算も充実させるべきです。それが、日航機事故で亡くなった520名の犠牲者の霊に報いることにもなると私は信じます。

※写真 「中警団新聞 昭和60年(1985年)9月15日」より

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