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【情報まとめ】欧州初ドイツ・バイエルン州・ウィーゼント慰安婦像

【2017.4.28記】
慰安婦像の碑文は撤去されました。
園の所有者は、日韓双方の納得が得られない場合、「像は公園においておけなくなるだろう。私は中立でありたい」と述べています。

産経新聞H29/2017年4月28日付
歴史戦 独の慰安婦像 碑文撤去

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2016年ドイツのフライブルクで慰安婦像設置に失敗した韓国の水原市の「ドイツ平和の少女像水原市民建立推進委員会」が、バイエルン州ウィーゼント市(Wiesent/人口2500名)のネパール・ヒマヤラ・パビリオン園に像を設置し、2017年3月8日に除幕式を開きました。

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以下、情報まとめです。ドイツ現地のなでしこアクション仲間が調べて下さっています。新たな情報は追記し、更新します。

 

【2017年3月16日(日)更新】

ネパール・ヒマヤラ・パビリオン園は、ヴィルト家(Fam. Wirth)個人が経営する施設で私有地です。

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ウィーゼント市のホームページにも載っている観光施設ですが、市長Mrs.Kerscherに問い合わせたところ、園について詳しくなく、慰安婦像についても知りませんでした。また、撤去を求めるメールを送ったところ、園に問い合わせるようにとの返信でした。

園と韓国の接点は、過去に韓国の舞踊団(Tchum Sa、Won Hwa)招いてイベントを開催したことが考えられます。

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園の経営者Wirth氏はドイツで勲章を受けた方ですが、慰安婦問題は知らずに善意で受け入れたのでしょう。
現在、園は冬季休園中で5月1日からオープンします。(開園期間5月1日~10月3日)
一般の入園者の目に触れるようになる前に、園とウィーゼント市に撤去を求めて働きかけができます。

外務省、日本大使館、ミュンヘン総領事館もかなり努力している様子ですが、楽観はできません。

皆さんにお願いです。

1.ネパール・ヒマヤラ・パビリオン園とウィーゼント市にメッセージ
ドイツ語のメッセージ例文を用意しました。こちら「ドイツ慰安婦像 撤去を求めます!/ドイツ語のメッセージ文例」をご覧ください。

2.ミュンヘン総領事館にメッセージ
像の撤去に向けて、ウィーゼント市とネパール・ヒマヤラ・パビリオン園を説得するように要請しましょう。

3.他関係各所へメッセージを送る
各所の連絡先を下に掲載しますので、撤去に向けて、皆さんの意見を送ってください。

 

設置されたからと諦めずに、私たちのできることしましょう!

※メール送信前に「海外にメールを送る際の留意事項」をお読みください。

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<ネパール・ヒマヤラ・パビリオン園 / Nepal-Himalaya-Pavillon >

公式サイト
http://nepal-himalaya-pavillon.de/

住所 Martiniplatte, 93109 Wiesent, Bavaria, Germany
(Google 地図)
電話 +49 9482 959686
オーナー Mr. Heri Wirth
メールアドレス  info@nepal-himalaya-pavillon.de

園内ツアー案内園内地図
※ オーナー Wirth氏が理事の財団 “Wasser für die Welt” 「世界のための水」

 

< ウィーゼント市 / Municipality of Wiesent >

市HP  http://www.wiesent.de/

住所
Municipality of Wiesent
Railway station 15
93109 Wiesent
Phone: 09482 / 90958-0
Fax: 09482 / 90958-20

メール:Gemeinde.wiesent@realrgb.de

問い合わせフォーム http://www.wiesent.de/aktuelles/kontakt/

市長 連絡先
1.Mayoress Elisabeth. kerscher
メール elisabeth.kerscher@realrgb.de
電話 09482/90958-0

2.Mayor Herbert Hanwalter
メール hanwalter-heizung@t-online.de
電話 09482/959777

3.Mayor Alfred Stadler
メール alstad@r-kom.net
電話  09482/2496

 

< 在ミュンヘン日本国総領事館 >

文化、広報担当メール kultur@mu.mofa.go.jp

住所:
Karl-Scharnagl-Ring 7
80539 München
Bundesrepublik Deutschland

電話: +49 (0)89-4176040
FAX: +49 (0)89-4705710

外務省 意見フォーム https://www3.mofa.go.jp/mofaj/mail/qa.html

 

<ドイツ観光局日本事務所 >

HP http://www.germany.travel/jp/index.html

住所: 〒107-0052 東京都港区赤坂7丁目5−56 403 OAGHAUS 4F
電話: 03-3586-5046
メール: office-japan@germany.travel

 

< 他 >

レーゲンスブルグ独日協会

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<関連ニュース>
◆ 国民日報 2017-03-14 10:48
「ヨーロッパ初の「少女像」が危険です “… ドイツで伝えられた訴え
“유럽 첫 ‘소녀상’이 위험합니다”… 독일서 전해진 호소

◆mittelbayerische 12. März 2017
„Trostfrau“ mahnt zum Frieden
コンタクト

◆ ドイツのNPO Korea Verband korea communication & research center
記事2017/3/8 ドイツで最初の平和像の除幕
Enthüllung der ersten Friedensstatue in Deutschland

◆ 産経 2017.3.9
【歴史戦】ドイツに欧州初の慰安婦像 南部バイエルン州 南西部で頓挫の韓国団体が主導

◆ TBSニュース 2017.3.9
欧州初の慰安婦象徴する少女像、独に設置

◆ KBS World Radio 2017-03-09
欧州に於ける性奴隷犠牲者為の初の平和像
Erste Friedensstatue für Opfer der Sexslaverei in Europa enthüllt

◆ Koreaverband 8. März 2017
ドイツにおける最初の平和像の披露
Enthüllung der ersten Friedensstatue in Deutschland

◆ 聯合ニュース 2017/03/09
ドイツで「平和の少女像」除幕式 欧州初の設置

Statue remembering Korea’s comfort women erected in Germany

◆ 連合ニュース2017/03/08
ヨーロッパ初の「平和の少女像」ドイツに立つ
유럽 첫 ‘평화의 소녀상’ 독일에 서다 / 연합뉴스TV(YonhapnewsTV)

◆ ARIRANG NEWS 2017/03/08
Europe’s first ‘comfort woman’ statue installed in Germany

フライブルク市長 ドイツ紙インタビュー「私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。」

ドイツ Badische Zeitung (バーディシュ新聞)
Badische Zeitung
9月 24日付け 記事
Salomon sieht Statuen-Streit als “kulturelles Missverständnis”
サロモン(フライブルグ市長)は彫像紛争を「文化的な誤解」と見ている
http://www.badische-zeitung.de/freiburg/ob-salomon-ueber-den-wirbel-den-eine-statue-ausgeloest-hat–127585600.html

ドイツで慰安婦像計画が中止に持ち込まれたフライブルク市のソロモン市長が直接インタビューに答えた記事をご紹介します。
市の正式な回答と取ることができると考えます。
以下、日本語訳と原文ドイツ語をご紹介します。
日本語訳はドイツ在住の有志の方によるものです。

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Badische Zeitung
Freiburg 24.September 2016 12.39 Uhr

サロモンは彫像紛争を「文化的な誤解」と見ている

フライブルク市の韓国姉妹都市からのブロンズ像はシグナルとなるべきであった -日本の姉妹都市との紛争の種をまく-
ディーター・サロモン市長は慰安婦に関する怒り憤懣をどう捉えているか?如何に考えるか?
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一見、悪意無く見えた贈り物は外交上の混乱につながった。フライブルクの姉妹都市、韓国Suwon市の市長は同じく市長仲間であるサロモンに感動的な彫像を贈与した – いわゆる慰安婦と呼ばれる人や戦争における性的暴力に対する追悼として-
この為の設置場所は既に確保されていたが日本からのプロテストは巨大なものであった。

記者 ウーヴェ・マウフはこのスキャンダルについてソロモン氏にインタビュー。

BZ (Badische Zeitung = バ-ディシュ新聞)
あなたの今までの任期中にこの様な国際的な反響を含む大混乱を経験しましたか?
S (Salomon)
まったくありません。もし誰かが3週間前にこの様な話をしたら私はまったく有り得ないと言っていた筈です。
私たちは、全く無実無罪の状態に在ったが気がついたら大いなるジレンマに陥ってしまっていた。
(オリジナルのドイツ語表現は:“くるぶしまで糞溜めに浸かっている“と品の無い言葉)

BZ
なぜアジアの2国間の戦争時の残虐行為を思い出させる記念碑をフライブルクに立たせる必要があるのか?これは模範的では無いと思うが?
S
これはどう評価するかの問題だと思います。我々がSuwon市で話し合ったことは現在の日本の政治に汚名を着せる事ではなく、同様に、私たちはドイツの痛みを伴うプロセスと歴史の暗い章を回避することを学んだ - この様なことが再び起こらぬよう-
戦争中の性暴力は日本だけで作り出されたものでは無いと私たちは考えています。考えてみて下さい旧ドイツ軍が何をしたかを、20年前に旧ユーゴスラビアで何が起こったかを。この彫像は、模範的、例示的であるべきなのです。

BZ
振り返って見て、あなたは無知、無邪気だったと言えますか?
S
もし我々が問題を感じ取っていたなら、この事件を調べ習熟した筈です、そして直ぐに紛争の種となるとの考えに行き着いたはずです。
私は単にパートナーシップに際してSuwon市からのプレゼントと理解しておりました。しかし、それはより複雑でした。
Suwon市長は市民主導の寄付により調達された資金でこの彫像を賄ない、そしてその意義は, この彫像を世界中に設置し日本に外交的圧力を加えることにありました。私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。
私は、韓国と日本の間の紛争での一つのツールでした。これは姉妹都市提携の目的では無く、この件で敏感になっている同じ提携都市を日本に持っている以上は特にです。

BZ
Suwon市長は寄贈した彫像がこのような反応を引き起こすと知らなかったのか?
S
同僚であるSuwon市長を私は高く評価しています。以前、彼は弁護士として人権や環境に取り組み如何にキャンペーンを実行するかを熟知しているはずです。彼はこの手法をまだ完全に放棄していないと私は思います。
もし3週間前に誰かが私に説明したら、有り得ない話と私は一蹴していた筈です。

BZ
どの様にこの問題を解決するのですか?
S
問題は解決されました。今朝、私は松山市長に電話をし我々は韓国Suwon市からのプレゼントを受け取らない旨を伝えました。
松山市長からは事前に、もし我々が慰安婦像を設置すればフライブルグ市との都市提携を解消するとの表明がありました。
そして私は日本総領事ともこの事を話し感謝されました。
既に私は月曜日にSuwon市長と75分も話し – 我々は一方の提携都市と他方を反目させる事はしたくないと伝え- 彼の理解を得ました。

BZ
遠く離れたフライブルグの一体の彫像が日本の松山市以外誰も知らないはずなのに、この様な怒りの反応を引き起こすとは驚異的である。
S
この様な彫像が大渦を誘発するとは私も想像していませんでした。私は日本、アメリカ、ドイツ在住の日本人からメールを受け取りました。
それらは私に大変希望を持たせるものではありませんでした。日本社会では暗い過去の出来事の再処理がかなり進んでいることからです。
慰安婦事件はインターネット陰謀論ではありません、日本政府は韓国人女性が受けた苦しみに正式に謝罪しており補償基金設けております。

BZ
このテーマはこれまで当地では何の役割も果たしていませんが貴方の同僚であるSuwon市長は貴方と違って大きく発表する必要があるのでは。
S
彼は記者会見で発表し韓国内のすべてのメディアで取り上げられました。ソウルの日本大使館を通して情報は東京に届き、そこからベルリンに伝達され日本総領事が動きました。総領事は非常に憤慨し日独関係への損傷を気ずかっていました。

BZ
貴方はこの問題で貴方の管轄でない外交関係に組み込まれたのでは。
S
私が向き合いたくなく、望んでもいない所です。これは古典的な文化の誤解です。

BZ
貴方は彫像を被害者の追悼として捉え加害者を責める為と見ていないのですね。
S
その通りです。英語では “Statue of peace” で平和の像と言っております。

BZ
市議会で採決するつもりは無かったのですか?
S
私はそう高い所に持ち込むつもりは無かった。これは私に取り単なる客からの贈り物でした。庭園局がら市が管理している庭園を提案されたことから慰安婦像をと考えました。

 

(解説)

第二次世界大戦中日本軍は主に韓国の少女や女性に強制売春を強いました、韓国は1945年まで日本の植民地であった。
80年代から、かつての「慰安婦」は謝罪と補償を要求しはじめたことで日本政府は、苦境に立たされていました。
昨年12月に日本と韓国の間に合意があり日本は謝罪を意図し800万ユーロの資金を提供、しかし韓国の世論は契約不十分として拒否。
日本では逆に余りにも遠大と多くの人に考えられています。従って紛争は今もくすぶり続けています。
ソウルの日本大使館の前にブロンズの慰安婦少女像があり 米国、カナダ、オーストラリアにはこの慰安婦像のレプリカがあるがヨーロッパにはまだありません。

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24. September 2016 12:39 Uhr
Freiburg

Salomon sieht Statuen-Streit als “kulturelles Missverständnis”

Eine Bronzefigur der koreanischen Partnerstadt Freiburgs sollte ein Zeichen setzen – und stiftet Streit mit der japanischen Partnerstadt. Was hält OB Dieter Salomon vom Ärger um die “Trostfrau”?

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Im vergangenen März besiegelten Yeom Tae Young und Dieter Salomon die Städtepartnerschaft Freiburgs mit Suwon. Foto: Günter Burger

Das scheinbar harmlose Geschenk führte zu diplomatischen Turbulenzen. Yeom Tae Young, Bürgermeister von Freiburgs südkoreanischer Partnerstadt Suwon, schenkte seinem Amtskollegen Dieter Salomon eine berührende Statue – eine Erinnerung an die sogenannten Trostfrauen und ein Mahnmal gegen sexuelle Gewalt in Kriegen. Es gab schon einen Standort dafür, doch der Protest aus Japan war riesig. Uwe Mauch hat sich mit Salomon über den Eklat unterhalten.

BZ: Haben Sie in Ihrer Amtszeit jemals so einen Aufruhr mit internationalem Echo erlebt?
Salomon: Überhaupt noch nicht. Wenn mir das jemand vor drei Wochen erzählt hätte, hätte ich gesagt: Das kann nicht sein. Wir waren im Zustand der völligen Unschuld und haben dann gemerkt, dass wir knöcheltief im Fettnapf stehen.

BZ: Wieso sollte überhaupt ein Denkmal, das an Kriegsgräuel zwischen zwei asiatischen Ländern erinnert, in Freiburg stehen? Das ist eher untypisch.
Salomon: Das ist eine Frage, wie man das bewertet. So wie wir das in Suwon besprochen hatten, geht es nicht darum, aktuelle japanische Politik zu brandmarken. Ähnlich wie wir in Deutschland in einem schmerzlichen Prozess gelernt haben, mit den dunklen Kapiteln unserer Geschichte umzugehen – unter der Überschrift: So etwas darf nie wieder passieren –, haben wir uns gedacht, dass natürlich sexuelle Gewalt in Kriegen nicht allein auf Japan gemünzt werden kann. Denken Sie daran, was die deutsche Wehrmacht getan hat, was vor 20 Jahren im ehemaligen Jugoslawien passiert ist, was Jesidinnen vom IS angetan wurde. Diese Statue sollte beispielhaft sein.

BZ: Würden Sie rückblickend sagen, Sie waren zu arglos?
Salomon: Wenn wir ein Problem gewittert hätten, dann hätten wir uns in diese Geschichte eingearbeitet und wären wohl schnell darauf gestoßen, dass das konfliktreich ist. Ich dachte, es handelt sich um ein Geschenk der Stadt Suwon anlässlich der Partnerschaft. Doch es ist komplizierter. Der Bürgermeister sammelt für eine Bürgerinitiative Spenden, mit denen diese Statuen finanziert werden. Und deren Sinn ist es, weltweit aufgestellt zu werden und diplomatischen Druck auf Japan auszuüben. Als ich das erfahren habe, habe ich mich missbraucht gefühlt. Ich war ein Instrument in einem Konflikt zwischen Korea und Japan. Das kann nicht der Sinn einer Städtepartnerschaft sein, und schon gar nicht, wenn man auch eine japanische Partnerstadt hat, die darauf sehr empfindlich reagiert.

BZ: Musste der Bürgermeister von Suwon nicht gewusst haben, dass die geschenkte Statue solche Reaktionen hervorrufen würde?
Salomon: Der Kollege aus Suwon, den ich sehr schätze, war vor seiner Amtszeit Anwalt von Menschenrechts- und Umweltinitiativen und weiß genau, wie man Kampagnen führt. Ich glaube, er hat diesen Modus noch nicht ganz verlassen.
Wenn mir das jemand vor drei Wochen erzählt hätte, hätte ich gesagt: Das kann nicht sein.

BZ: Wie kriegen Sie die Kuh vom Eis?
Salomon: Sie ist vom Eis. Am Morgen habe ich dem Bürgermeisterkollegen in Matsuyama telefonisch mitgeteilt, dass wir das Geschenk aus Suwon nicht annehmen. Er hatte im Vorfeld angekündigt, die Städtepartnerschaft mit Freiburg zu beenden, falls wir die Statue aufstellen. Und ich habe mit dem japanischen Generalkonsul gesprochen, der sich bedankt hat. Bereits am Montag habe ich 75 Minuten lang mit dem Suwoner Bürgermeister Yeom Tae Young gesprochen – er hat verstanden, dass wir nicht eine Partnerstadt gegen die andere ausspielen können.

BZ: Es ist doch erstaunlich, dass eine solche Statue im weit entfernten Freiburg, das in Japan außer in Matsuyama sowieso niemand kennt, solche wütenden Reaktionen hervorruft.
Salomon: Dass eine solche Statue so einen Wirbel auslösen kann, hätte ich mir nicht vorstellen können. Ich habe Mails von Japanern aus Japan, aus den USA, aus Deutschland erhalten, die mich nicht sehr hoffnungsfroh gemacht haben, dass die Aufarbeitung des dunklen Kapitels in der japanischen Gesellschaft weit fortgeschritten ist. Die Geschichte der “Trostfrauen” ist ja keine Internetverschwörungstheorie. Die japanische Regierung hat sich offiziell entschuldigt für das Leid, das die koreanischen Frauen erlitten haben, und einen Entschädigungsfonds eingerichtet.

BZ: Das Thema hat hier ja bislang keine Rolle gespielt. Der Kollege in Suwon muss das im Gegensatz zu Ihnen groß vermeldet haben.
Salomon: Er hat das auf einer Pressekonferenz vorgestellt, und dann war es in allen Medien Koreas. Über die japanische Botschaft in Seoul ging die Nachricht dann nach Tokio, von dort nach Berlin, und von dort wurde gleich der Generalkonsul in Gang gesetzt. Er war sehr verärgert und fürchtete Schaden für das Deutsch-Japanische Verhältnis.

BZ: Sie sind mit dieser Geschichte auf ein diplomatisches Parkett gelangt, auf das Sie nicht hingehören.
Salomon: Wo ich auch nicht hin will. Es war ein klassisches kulturelles Missverständnis.

BZ: Sie haben in der Statue wohl eher eine Erinnerung an die Opfer gesehen und keine Anklage der Täter.
Salomon: Genau. Sie heißt auf Englisch “Statue of peace” – Friedensstatue.

BZ: Hatten Sie daran gedacht, den Gemeinderat darüber abstimmen zu lassen?
Salomon: So hoch wollte ich das gar nicht hängen. Für mich war das ein Gastgeschenk. Das Gartenamt hatte den Stadtgarten als Standort vorgeschlagen, und wir haben gedacht: So machen wir das.

 

 

“Trostfrauen”

Im Zweiten Weltkrieg hat die japanische Armee Mädchen und Frauen zwangsprostituiert, darunter viele aus Korea, das bis 1945 japanische Kolonie war. Seit den 80er-Jahren fordern die ehemaligen “Trostfrauen”, wie sie genannt wurden, Entschuldigung und Entschädigung. Die japanischen Regierungen haben sich schwer damit getan. Im vergangenen Dezember gab es ein Abkommen zwischen Japan und Südkorea, das eine Entschuldigung vorsieht sowie einen Fonds mit acht Millionen Euro. In der südkoreanischen Bevölkerung wird die Vereinbarung als unzureichend abgelehnt, in Japan gilt sie vielen als zu weitreichend. So schwelt der Konflikt weiter. Vor der japanischen Botschaft in der südkoreanischen Hauptstadt Seoul steht ein Mahnmal: ein koreanisches Mädchen aus Bronze, das auf einem Stuhl sitzt und die Hände verkrampft. Nachbildungen dieser “Trostfrau”-Statue gibt es in den USA, Kanada und Australien, aber noch nicht in Europa.

フライブルク 街の写真 

★ フライブルグ慰安婦像計画について関連情報、関係連絡先等はこちらをご覧ください。
【情報まとめ】独フライブルク市に欧州初の慰安婦像計画

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ドイツのフライブルグ市の慰安婦像計画 断念が報道された2016年9月21日の翌日の22日、なでしこアクションに協力してくださるドイツ在住の方がフライブルク市を訪問して写真を撮ってきて下さいました。
訪問の感想と一緒にフライブルクの写真をご紹介します。

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像設置が中止との報道があった翌日9月22日にフライブルグに行ってまいりました。

当日は、観光しやすい天気で、街並み、中心の大聖堂、そして設置予定だった市内公園(Stadtgarten)の順で写真を撮ってまいりました。

素人なので、アングルやクオリティについては自信がありませんが、何かのお役に立てることがありますと嬉しく思います。

私の印象は、地元の人たちは、裕福そうな老人や、大学生が多く、難民や浮浪者、そして観光客以外のアジア系の人はほとんどといってよいほど見かけませんでした。

アジア飲食店も、中心部に日本人経営ではない寿司屋が2店舗ほどありましたが中華街のような場所などはなく、情報通りのゴミも少ない綺麗なところでした。

松山市と姉妹都市だけあって、インフォメーションセンターにある地元のニュースペーパーに日本についての記事、、日本語版の案内書などがありました。

あの像がここに設置されたら地元の人たちはきっと首をかしげることでしょう、本当に中止になって良かったと思います。

<フライブルクの街並み>

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<フライブルクの中心の大聖堂>

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<慰安婦像設置予定だった市内公園(Stadtgarten)>

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ドイツ側のニュース日本語訳「フライブルグと慰安婦像」9月21日付

★ フライブルグ慰安婦像計画について関連情報、関係連絡先等はこちらをご覧ください。
【情報まとめ】独フライブルク市に欧州初の慰安婦像計画

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独フライブルグ慰安婦像計画についてのドイツ語の記事の日本語訳をご紹介します。

ドイツ在住sasasaさんのブログ「ドイツ、フライブルクに慰安婦像が建つなんて絶対反対!」の9月21日付けの記事「フライブルクと慰安婦像」より転載させていただきました。

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Deutsche Welle 21/09/2016 (ドイツ語ニュース)
Freiburg und die Trostfrau フライブルクと慰安婦
http://dw.com/p/1K5SX
dw_21-9-2016

フライブルクと慰安婦

ブロンズ製の、手を固く握りしめた、ひとりの韓国の少女。戦争中の日本の軍事売春宿のすべての強制売春婦の身代わり。この様な1つの銅像がまもなくフライブルクに建立されるはずだった。でもトラブルがあった。

彼(フライブルク市長)が何週間か前に、フライブルク市の新しい韓国の姉妹都市である水原市の市長に、電話で、1つの慰安婦像をフライブルクに建てる事を提案された。そこでフライブルク市長のディーターザロモンは、思いつきでイエスと言った。
もしこれが実現すれば、ヨーロッパでこの種の初の銅像ということとなった。韓国にはもちろんのこと、米国、カナダそしてオーストラリアにはもうこの種の像が建っている。フライブルク市ザロモン市長(緑の党)は、水原市への任意の訪問時、水原市の公立公園で、そんな1体の銅像を見ていた。それを見た時、心に触れた。と彼は言います。

深刻な視線で座っている像は、アジアの戦争の過去の、あるとても深い出来事を象徴としている。
彼女は、第二次世界大戦の前戦売春宿で扱き使われ、セックスを強要された、推定20万人の、殆どは韓国の少女と婦人であった女性の身代わりとして建っている。殴打、拷問、レイプ。毎日。その上心の傷。専門家が推測するには、被害を受けた犠牲者の3分の2は戦争が終わる前に、病気等が原因で死亡し、多くは絶望から自殺した。

70年以上開いたままの傷

日韓間の関係にこの慰安婦問題の様にとても重いテーマは他にない。戦後数十年以上もずっとこの2つの東アジアの国家間は氷河期だ。長く、慰安婦問題は完全に沈黙されていた。90年代初め最初の韓国の強制売春婦が彼女の運命を公表し、受けた苦しみに謝罪と補償を要求した。日本はしかし自らの責任への認識がなかった。というのも、被害者のためのプライベートな基金が設立された、これはしかし多くの韓国人に充分に行かなかった。

戦後約70年の2015年12月、韓国の大統領パククネと日本の総理大臣安倍晋三が、ついに契約上合意した。数十人のまだ生存している被害者に、ユーロ換算して約870万ユーロ(10億円)の資金、それは日本からの公式な謝罪と見られた。これによってこの問題は、最終的に解決されなければならなかった。

感情的な問題 – 外交上の合意にも拘らず

そのことからも、ディーター ザロモンは判断した。彼が振り返って考えてみると、失敗だった。「このテーマは、日韓両国民にとっての解決に至ってない。この信念は、私たちの側からの根本的な誤解だった。両政府が 自分たちのために外交上の解決の道を見つけた事実は、今日本と韓国がこれによってリラックスして付き合って行けるという意味するものではない。

今回の事は、まさにその逆だった。ディーターザロモン市長の元には、今回の件で日本から全く違う反応が来た。日本には、すでに30年来の姉妹都市があり、その存在はすべての状況を容易にしなかった。「私は日本の姉妹都市松山市の市役所の同僚と話した」と緑の党議員は語る。「彼は私に説明しました、今膨大な数のメールをもらっていると。」それは、何をドイツの姉妹都市フライブルクがそこでしようとしてるか、理解出来ないという、怒りのメールだ。「人々が市長に嵐を起すそして言うという事は、これはやっぱり何かおかしい。」

そして、これはまだ全てではない : 外交レベルからも来た。東京のドイツ大使館、ソウルの日本大使館、そしてベルリンの日本総領事館が懸念を表明してきた。韓国からの銅像の提案にしてしまった、フライブルク市長の対応を、しかし彼は、文化の無知として名付けたくない。慰安婦問題の爆破力を、 彼は単に “よくわかってなかった”のだ、とザロモンは語る。もちろん彼は感情を傷つけるつもりはなかった。「私は、全てにおいて軽く考えていた。それは大変申し訳なかった。」

オーストラリアの場合

ラインハルト ツェルナー(Reinhard Zöllner)にとって(ザロモンの)説明が充分ではない。彼はボンの大学の日本学と韓国学科の教授である。彼が思うに、ザロモンはこういった事を一人で決断するべきではなかった。オーストラリアのシドニーの手前のStarthfieldでも、約一年前これと同じ状況があった。: 慰安婦像 - イエスかノーか?「そこでは市民へのアンケートが実施された。市役所では、公聴会が開かれた。そこまでしてやっと、市議会が決断した。」とツェルナー。ちなみに、この件は、慰安婦像反対だ。

この慰安婦像は、それ自体はとてもとても友好的に見えます、とツェルナーは考える。この問題には、むしろ、彼女に内装された、コンテキストがあります。「これは基本的に、日本への道徳的非難です。」まさにこの理由でStrathfield は、像の設置を拒否したのだ。「そこで述べられた意見は、これには日本への民族的中傷がある。そして、社会の平和のためにこれを受け入れることはできない。」

ソウルの、最初の慰安婦像をめぐる争い

2015年12月にソウルと東京の政府によって達成された合意は、歴史研究と日本研究では、総じてとても脆いと言える。「これは、妥協。日本は、まだ生存している慰安婦に扶助する目的で公金を支払う。そして韓国側には、もう国際的テーマとして、例えば国連などに、持ち込まないという責任がある。 」

そして、さらにもう少し交渉した取引きの内容だ。韓国の一部の人々にとってとても繊細な点は、ツェルナーによると、国では充分意識して「ただとても小さく調理。」された。それは、2011年に民間団体によって日本大使館の前に建てられた、初の慰安婦像即撤去も含みます。それ以来、この像は日韓間の不和の林檎である。「日本政府は韓国に何度も繰り返し像の撤去を要請した。12月にソウルは、この像の背後にある団体と話し合い、日本の心情を汲んで解決へと説得するという事を、承諾した。」とラインハルト ツェルナーは説明する。しかし、今日までその像は相変わらずその場所に建っている。日本のメディアは、それゆえ、韓国が合意に従わないことを非難している。

事態の収拾は、撤回によってのみか

現在、計画されているフライブルクの慰安婦像は、和解に貢献することは不可能である、とラインハルト ツェルナーは確信を持って言う。これは、フライブルク市長も明確にすべきだ。「もし彼がそのまま留まり、和解のプロセスがまだ完了していない現状況で像を建てられたら、彼は韓国側だけの政治勢力となってしまう。」

ザロモン市長は、ジレンマに立っている。もちろん彼は、撤回によって韓国人を寄り付かなくしてしまいたくない。どっちみち彼は、水原のヨン テヨンを市長の同僚としての立場である。多くの罠のある綱渡り。ツェルナーの見解によると、解決策は、形を変えた基本方針にあるかもしれない。「私の提案は、像の計画を白紙にし、その代わり、フライブルクが尽力し、第二次世界大戦中の性犯罪をドイツと日本の共同の歴史研究によって、再考察する事を韓国に提案する。 」

もう1つの選択肢は、彼の考えでは、1つの完全に異なる像。: 違うデザインと異なる意図。 戦争中の女性に対する性暴力のテーマで、総合的に注目させる目的の記念碑。「そして、ドイツの兵隊も性犯罪をしたという、印象的な注意書きを添えて。」この表現によって、日本は一方的にさらし者にされない。

戦争中の性暴力 - 日本だけじゃない

日本と違ってドイツは、この戦後のテーマが、まだ全く公の元で対比されてこなかった。「SS(ナチス親衛隊)の売春宿が強制収容所にあった事、又は、東の前戦の女性達が強姦された事、によってよく知られている。」このようなドイツとの例とドイツの戦争責任に言及せずにして、フライブルクの慰安婦像が建立されることがあれば、これはツェルナーの眼からしたら、1つの”スキャンダル”だ。

まさにこの開かれた対処をするために、過去の暗い章とともに、彼も全ての事においてそれとともに歩いて来た、とディーターザロモンは述べている。緑の党の1960年度世代。彼は、それらを戦後世代の課題として見ている。「このような事は、言い繕うことじゃない。」そうではなく、話し合い、それによって理解を深める合う。「歴史の検証と反省を私は、私の責任の一部と感じている、それによって、そのようなことを繰り返さないように。」この様な理由があって、彼は韓国の同僚市長との電話の会話で「はい。」と言ってしまった。

“ザロモン流解決法”を探る

2、3週間前、人は彼に言ってあげただろう、彼の決断が”地震”の引き金になるなんて、彼は思っても見なかっただろう、とザロモンは振り返って言う。
今日、彼は”多くの点で賢くなった”であろう。彼にとって、損害を出来るだけ小さく保持し、ある程度損害なく全ての騒動を終わりに導く事が、目下の課題である。そのために一日中、全ての当事者と集中的な話し合いが行われている。

今、新しい知らせが入った。水原市の市長との話し合いで 、ディーター ザロモンは、街フライブルクの立場として、慰安婦像を受け入れる事が出来ない旨を説明した。ヨンさんはそれについて理解を示した。そして、お互いの姉妹都市は、いかに違った形でこのテーマに取り組んで行けるか、今それについて相談しあうことだろう。

 

 

以上

ドイツ在住日本人からフライブルク市へのメール / ドイツ語・日本語訳

★ フライブルグ慰安婦像計画について関連情報、関係連絡先等はこちらをご覧ください。
【情報まとめ】独フライブルク市に欧州初の慰安婦像計画

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なでしこアクションに協力して下さるドイツ在住の日本人が、フライブルク市国際交流事業チーム(Leitung des Referats Internationale Kontakte) の代表ギュンター ブルガー(Günter Burger)氏宛に、ドイツ語で慰安婦像反対のメールを送りました。その日本語訳とドイツ語メール文をご紹介します。
このメールは計画断念が報道された9月21日の前、9月13日に送信したものです。

日本語訳 *********************************************

宛先: フライブルク市の国際交流事業チーム  代表 ギュンター ブルガー 様
日付: 2016年9月13日(火)
件名: 像の設置について

Burger 様

今般、日本の新聞報道からフライブルグ市に韓国人慰安婦 (売春婦) の像が設置されることを知りました。
私の個人的意見ですが、これは御市フライブルグにとっては恥辱であり日本人、とりわけフライブルグ市在住の日本人には侮辱以外のなにものでもありません。
この慰安婦問題全般は韓国の反日組織、いわゆるThe Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan によるプロパガンダでそのモチベーションは単に“お金”、即ち賠償金と言う名目と日本の評判を海外、特にアメリカで貶めることで日本政府に謝罪と支払いを促すものです。

第二次世界大戦時に日本軍人用の“女郎屋”の存在は事実です。これは日本軍に限ったことではなくアジアやヨーロッパで同じものがアメリカ軍やドイツ軍にもありました。

日本軍用の慰安婦は大変なる高給取りで日本や日本軍に強制的に売春を強いられた事実はなく彼女らの7割は日本人3割が韓国人と台湾/中国人でした。
これまでに彼女らが単なる売春婦であると言う資料と証拠は数多くあるも売春を強制された、したという資料と証拠はまったく存在しません。
日本政府もこれまで明確に強制売春を否定しており日本外務省のホームページで発表されています。
更にはアメリカ政府が正式に2007年に発表したIWG レポートでも日本軍による強制売春の証拠はないと明確に結論づけております。
このレポートはナチスドイツと日本帝国陸軍の戦争犯罪の調査と文書化の為に7年の歳月と 30億ドルの費用を投じて作成されました。

以上から、ご貴殿が如何にこの件をお考えか、そして誰とこの問題を協議すべきかにつき貴殿の提案と紹介をお願いする次第です。
この件に関し私は日本のあるグループと行動を共にしておりミュンヘンとストットガルトの日本人会の協力を得て御フライブルグ市長へ公開質問状を作成し公表するつもりでおります。

敬具
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メール文 ドイツ語 *********************************************

An: Günter Burger,
Leitung des Referats Internationale Kontakte
Gesendet: Dienstag, 13. September 2016
Betreff: Installation einer Statue

Sehr geehrter Herr Burger,

Aufgrund des Zeitungsberichtes in Japan, habe ich erfahren, dass sich die Stadt Freiburg für die Installation einer Statue einer koreanischen Trostfrau (Prostituierten) entschieden hat. Meiner Meinung nach ist das eine Schande für die Stadt Freiburg und eine Beleidigung für Japaner, insbesondere für die Japaner, die in Freiburg leben.

Lassen Sie mich klarstellen: Die ganze Angelegenheiten bezüglich der Trostfrauen ist eine Propaganda von der koreanischen Bewegung unter Leitung von einer Anti-Japanischen-Organisation, genannt „ The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan “
Motivation dieser Organisation ist Geld, das heißt die Japanische Regierung wird unter dem Namen „Kompensation“ und unter Schädigung der japanischen guten Reputation im Ausland, insbesondere in den USA, zur Kasse gebeten.

Es ist wahr, dass es Bordelle für die japanischen Militärangehörigen während des zweiten Weltkrieges gegeben haben. Das ist nicht nur der Fall bei der Japanischen Armee.
Auch in Asien und in Europa gab es diese damals für die Amerikanische und die Deutsche Armee auch. .

Die Trostfrauen waren alle sehr gut bezahlt und wurden auch niemals zur Prostitution gezwungen seitens Japan oder der Japanischen Armee. Diese Frauen stammten zu über 70 % aus Japan und zu 30 % aus Korea und Taiwan.
Es gibt sehr viele Beweismaterialen, dass es sich nicht um Zwangsprostitution, sondern schlicht um Prostitution handelt.
Die Japanische Regierung hat bereits deutlich gemacht, dass es keine Zwangsprostitution gegeben hat. Diese Erklärung findet man auf der Homepage vom Japanischen Außenministerium und die US Regierung hat mit dem IWG Report vom 2007 bestätigt, dass es keinerlei Beweismaterialien für Zwangsprostitution gibt. Die IWG hat 7 Jahre und $ 30 Mil. Investiert um die Kriegsverbrechen der NAZIs und der Japanische Imperial Armee zu untersuchen und zu dokumentieren.

Ich möchte deshalb gerne erfahren, wie Sie darüber denken. Daher bitte ich Sie um Ihre Empfehlung an wem ich mich diesbezüglich wenden soll.
Ich arbeite zu diesem Thema mit einer Gruppe in Japan auch mit Japan Club München
und Stuttgart zusammen und wir planen einen offenen Brief an den Bürgermeister von Freiburg zu richten und diesen zu veröffentlichen.

Mit freundlichen Grüßen
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