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【情報まとめ】独フライブルク市に欧州初の慰安婦像計画
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独フライブルグ慰安婦像計画についてのドイツ語の記事の日本語訳をご紹介します。
ドイツ在住sasasaさんのブログ「ドイツ、フライブルクに慰安婦像が建つなんて絶対反対!」の9月21日付けの記事「フライブルクと慰安婦像」より転載させていただきました。
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Deutsche Welle 21/09/2016 (ドイツ語ニュース)
Freiburg und die Trostfrau フライブルクと慰安婦
http://dw.com/p/1K5SX
フライブルクと慰安婦
ブロンズ製の、手を固く握りしめた、ひとりの韓国の少女。戦争中の日本の軍事売春宿のすべての強制売春婦の身代わり。この様な1つの銅像がまもなくフライブルクに建立されるはずだった。でもトラブルがあった。
彼(フライブルク市長)が何週間か前に、フライブルク市の新しい韓国の姉妹都市である水原市の市長に、電話で、1つの慰安婦像をフライブルクに建てる事を提案された。そこでフライブルク市長のディーターザロモンは、思いつきでイエスと言った。
もしこれが実現すれば、ヨーロッパでこの種の初の銅像ということとなった。韓国にはもちろんのこと、米国、カナダそしてオーストラリアにはもうこの種の像が建っている。フライブルク市ザロモン市長(緑の党)は、水原市への任意の訪問時、水原市の公立公園で、そんな1体の銅像を見ていた。それを見た時、心に触れた。と彼は言います。
深刻な視線で座っている像は、アジアの戦争の過去の、あるとても深い出来事を象徴としている。
彼女は、第二次世界大戦の前戦売春宿で扱き使われ、セックスを強要された、推定20万人の、殆どは韓国の少女と婦人であった女性の身代わりとして建っている。殴打、拷問、レイプ。毎日。その上心の傷。専門家が推測するには、被害を受けた犠牲者の3分の2は戦争が終わる前に、病気等が原因で死亡し、多くは絶望から自殺した。
70年以上開いたままの傷
日韓間の関係にこの慰安婦問題の様にとても重いテーマは他にない。戦後数十年以上もずっとこの2つの東アジアの国家間は氷河期だ。長く、慰安婦問題は完全に沈黙されていた。90年代初め最初の韓国の強制売春婦が彼女の運命を公表し、受けた苦しみに謝罪と補償を要求した。日本はしかし自らの責任への認識がなかった。というのも、被害者のためのプライベートな基金が設立された、これはしかし多くの韓国人に充分に行かなかった。
戦後約70年の2015年12月、韓国の大統領パククネと日本の総理大臣安倍晋三が、ついに契約上合意した。数十人のまだ生存している被害者に、ユーロ換算して約870万ユーロ(10億円)の資金、それは日本からの公式な謝罪と見られた。これによってこの問題は、最終的に解決されなければならなかった。
感情的な問題 – 外交上の合意にも拘らず
そのことからも、ディーター ザロモンは判断した。彼が振り返って考えてみると、失敗だった。「このテーマは、日韓両国民にとっての解決に至ってない。この信念は、私たちの側からの根本的な誤解だった。両政府が 自分たちのために外交上の解決の道を見つけた事実は、今日本と韓国がこれによってリラックスして付き合って行けるという意味するものではない。
今回の事は、まさにその逆だった。ディーターザロモン市長の元には、今回の件で日本から全く違う反応が来た。日本には、すでに30年来の姉妹都市があり、その存在はすべての状況を容易にしなかった。「私は日本の姉妹都市松山市の市役所の同僚と話した」と緑の党議員は語る。「彼は私に説明しました、今膨大な数のメールをもらっていると。」それは、何をドイツの姉妹都市フライブルクがそこでしようとしてるか、理解出来ないという、怒りのメールだ。「人々が市長に嵐を起すそして言うという事は、これはやっぱり何かおかしい。」
そして、これはまだ全てではない : 外交レベルからも来た。東京のドイツ大使館、ソウルの日本大使館、そしてベルリンの日本総領事館が懸念を表明してきた。韓国からの銅像の提案にしてしまった、フライブルク市長の対応を、しかし彼は、文化の無知として名付けたくない。慰安婦問題の爆破力を、 彼は単に “よくわかってなかった”のだ、とザロモンは語る。もちろん彼は感情を傷つけるつもりはなかった。「私は、全てにおいて軽く考えていた。それは大変申し訳なかった。」
オーストラリアの場合
ラインハルト ツェルナー(Reinhard Zöllner)にとって(ザロモンの)説明が充分ではない。彼はボンの大学の日本学と韓国学科の教授である。彼が思うに、ザロモンはこういった事を一人で決断するべきではなかった。オーストラリアのシドニーの手前のStarthfieldでも、約一年前これと同じ状況があった。: 慰安婦像 - イエスかノーか?「そこでは市民へのアンケートが実施された。市役所では、公聴会が開かれた。そこまでしてやっと、市議会が決断した。」とツェルナー。ちなみに、この件は、慰安婦像反対だ。
この慰安婦像は、それ自体はとてもとても友好的に見えます、とツェルナーは考える。この問題には、むしろ、彼女に内装された、コンテキストがあります。「これは基本的に、日本への道徳的非難です。」まさにこの理由でStrathfield は、像の設置を拒否したのだ。「そこで述べられた意見は、これには日本への民族的中傷がある。そして、社会の平和のためにこれを受け入れることはできない。」
ソウルの、最初の慰安婦像をめぐる争い
2015年12月にソウルと東京の政府によって達成された合意は、歴史研究と日本研究では、総じてとても脆いと言える。「これは、妥協。日本は、まだ生存している慰安婦に扶助する目的で公金を支払う。そして韓国側には、もう国際的テーマとして、例えば国連などに、持ち込まないという責任がある。 」
そして、さらにもう少し交渉した取引きの内容だ。韓国の一部の人々にとってとても繊細な点は、ツェルナーによると、国では充分意識して「ただとても小さく調理。」された。それは、2011年に民間団体によって日本大使館の前に建てられた、初の慰安婦像即撤去も含みます。それ以来、この像は日韓間の不和の林檎である。「日本政府は韓国に何度も繰り返し像の撤去を要請した。12月にソウルは、この像の背後にある団体と話し合い、日本の心情を汲んで解決へと説得するという事を、承諾した。」とラインハルト ツェルナーは説明する。しかし、今日までその像は相変わらずその場所に建っている。日本のメディアは、それゆえ、韓国が合意に従わないことを非難している。
事態の収拾は、撤回によってのみか
現在、計画されているフライブルクの慰安婦像は、和解に貢献することは不可能である、とラインハルト ツェルナーは確信を持って言う。これは、フライブルク市長も明確にすべきだ。「もし彼がそのまま留まり、和解のプロセスがまだ完了していない現状況で像を建てられたら、彼は韓国側だけの政治勢力となってしまう。」
ザロモン市長は、ジレンマに立っている。もちろん彼は、撤回によって韓国人を寄り付かなくしてしまいたくない。どっちみち彼は、水原のヨン テヨンを市長の同僚としての立場である。多くの罠のある綱渡り。ツェルナーの見解によると、解決策は、形を変えた基本方針にあるかもしれない。「私の提案は、像の計画を白紙にし、その代わり、フライブルクが尽力し、第二次世界大戦中の性犯罪をドイツと日本の共同の歴史研究によって、再考察する事を韓国に提案する。 」
もう1つの選択肢は、彼の考えでは、1つの完全に異なる像。: 違うデザインと異なる意図。 戦争中の女性に対する性暴力のテーマで、総合的に注目させる目的の記念碑。「そして、ドイツの兵隊も性犯罪をしたという、印象的な注意書きを添えて。」この表現によって、日本は一方的にさらし者にされない。
戦争中の性暴力 - 日本だけじゃない
日本と違ってドイツは、この戦後のテーマが、まだ全く公の元で対比されてこなかった。「SS(ナチス親衛隊)の売春宿が強制収容所にあった事、又は、東の前戦の女性達が強姦された事、によってよく知られている。」このようなドイツとの例とドイツの戦争責任に言及せずにして、フライブルクの慰安婦像が建立されることがあれば、これはツェルナーの眼からしたら、1つの”スキャンダル”だ。
まさにこの開かれた対処をするために、過去の暗い章とともに、彼も全ての事においてそれとともに歩いて来た、とディーターザロモンは述べている。緑の党の1960年度世代。彼は、それらを戦後世代の課題として見ている。「このような事は、言い繕うことじゃない。」そうではなく、話し合い、それによって理解を深める合う。「歴史の検証と反省を私は、私の責任の一部と感じている、それによって、そのようなことを繰り返さないように。」この様な理由があって、彼は韓国の同僚市長との電話の会話で「はい。」と言ってしまった。
“ザロモン流解決法”を探る
2、3週間前、人は彼に言ってあげただろう、彼の決断が”地震”の引き金になるなんて、彼は思っても見なかっただろう、とザロモンは振り返って言う。
今日、彼は”多くの点で賢くなった”であろう。彼にとって、損害を出来るだけ小さく保持し、ある程度損害なく全ての騒動を終わりに導く事が、目下の課題である。そのために一日中、全ての当事者と集中的な話し合いが行われている。
今、新しい知らせが入った。水原市の市長との話し合いで 、ディーター ザロモンは、街フライブルクの立場として、慰安婦像を受け入れる事が出来ない旨を説明した。ヨンさんはそれについて理解を示した。そして、お互いの姉妹都市は、いかに違った形でこのテーマに取り組んで行けるか、今それについて相談しあうことだろう。
以上
慰安婦が存在したこと、その大部分は日本人だったものの、多くの朝鮮人もいたことは事実です。一方で「推定20万人」「殆どは韓国の少女と婦人」というのは嘘っぱちですね。
ただ一旦、プロパガンダで洗脳されてしまったドイツ人達とやみ雲に論争しても通じないと思います。
終戦時の朝鮮半島の人口が25百万人で、女性人口の2%もが「誘拐」されても1991年の人権派弁護士福島瑞穂の訴訟まではその「誘拐」の記録、報道、訴え、噂すら存在しなかった事実。そして現在に至るまで詐欺師、吉田清治の著作以外は韓国の活動家に担がれた「慰安婦」本人の証言以外の客観的な証拠が何も存在しないこと、
詐欺師、吉田清治の嘘話を事実として報道し続けたものの、朝日新聞が嘘を認め、謝辞したこと等を淡々と伝え、「これはプロパガンダに騙されていたかも知れない」と気付かせるしかないと思います。