2023. 3. 1.
慰安婦法廃止国民行動代表 金柄憲
声明
偽慰安婦 李容洙氏を誣告の疑いで告訴します
2022年3月16日、いわゆる「日本軍慰安婦被害者」李容洙(イ·ヨンス)氏は私、金柄憲をはじめとする右派市民運動家5人を虚偽事実の適時による名誉毀損と侮辱の疑いで鍾路警察署に告訴状を提出しました。
告訴内容を詳しく見ると、2021年末、連合ニュース前と永登浦区所在の共に民主党本部前で行われた慰安婦法廃止国民行動集会での発言と横断幕内容を問題視し、なんと40種類もの犯罪事実を指摘した。
それと共に李氏は「慰安婦被害者法」に規定された「日本軍慰安婦被害者」であるにもかかわらず、金柄憲(キム·ビョンホン)らが「偽慰安婦」、「慰安婦は詐欺」、「李容洙を処罰しなさい」など「慰安婦被害者」事実を否定する発言で自身の名誉を毀損したり侮辱したと主張した。
これに対し私は、李氏の告訴が刑法第156条に定めた「他人に刑事処分を受けさせる目的で公務所または公務員に対して虚偽の事実を申告した」事実、すなわち無罪に該当すると判断し李容洙氏を告訴することに決めた。 一言で李容洙氏は「日本軍慰安婦被害者」ではなく偽の慰安婦被害者でありながら、研究者として国民に真実を知らせようとする口を塞ぐために虚偽の事実をもって告訴したので、それに対する責任を負うべきだということです。
ここで、偽物とは「慰安婦被害者法」で定義した「日本軍慰安婦被害者」ではないという意味です。 「慰安婦被害者法」第2条1号において、「日本軍慰安婦被害者」とは、日帝によって強制的に動員され性的虐待を受け、慰安婦としての生活を強要された被害者のことです。 つまり、日本軍の慰安婦被害者になるための前提条件が「日本軍による強制動員」という意味です。 しかし、李容洙氏は過去の証言集などで日本軍に強制動員されたのではなく、慰安所の主人について行ったと明らかにしたため、日本軍慰安婦の被害者にはなれないということです。
李氏は1992年8月15日、KBS「生放送女性:私は女子挺身隊、民族受難の痛みを乗り越えて」に出演し、「その時の歳が16才だったのですが、着る服もなく、ろくに食べることもできなかったときに、ある人がワンピース一着と靴一足を持ってきてくれました。 そしてそれをくれながら『行こう』と言って、それをもらってとてもうれしくて、その時はまあ、そういうことも知らずに『はい』と言ってついて行きました」と証言した。
また、挺対協が1993年に初版を発行した日本軍慰安婦証言集『強制的に連れて行かれた朝鮮人軍慰安婦たち(1)』でも、「日本人男性が渡した赤いワンピースと革靴をもらって、幼心にどれだけ嬉しかったか、つい他のことも考えずに気軽について行くことになった」と証言しています。
このような証言は2018年にブックコリアが発刊した『アイキャンスピークの主人公イ·ヨンス』という本でも一貫して続きました。 そして2冊とも「大邱から台湾まで私たちを連れて行った男が慰安所の主人だった。 私たちは彼をオヤジと呼んだ」と言って、慰安所の主人、つまり抱え主について行ったことを自ら明らかにしています。
どこに日帝が出て日本軍が出てくるのでしょうか。 また、李容洙氏は「外に出て診断を受けた記憶はありません。 サック(コンドーム)ということも知りませんでした」と言い、「主人が赤みがかった強い606号注射を打ってくれた。治らなかったのに客を受けなければならなかったので、あまり治らなかったのです。 それでずっと注射を打ちながら軍人たちを受け入れました。 近くには病院もなく、保健所もありませんでした」と証言した。
これは厳格に管理されている日本軍慰安所では決して起こらないことです。
一方、1996年のラディカ·クマラスワミ国連人権委の報告書では、「慰安所という制度設立の公式な名分は売春行為を制度化し、それをもって売春行為を統制することで陸軍の占領地域で報告される強姦報告の数値を減らすことができる」として、占領地域の戦争犯罪を最小限に抑えるために戦線を中心に日本軍慰安所を設置·運用したことを認めています。
また、1937年頃から日本軍が占領していた中国などの戦争地域に慰安所が本格的に設置され始め、1941年の太平洋戦争勃発後、日本軍が占領する地域が拡大したことにより、東南アジア·南太平洋地域にまで軍慰安所が拡大設置されました。 よって李容洙氏が慰安婦生活をしたという台湾の新竹には、最初から日本軍慰安所が設置されてもいなかった場所です。
李容洙氏の証言を総合してみますと、日本軍慰安所ではなく、一般売春宿または私娼で働いた職業女性だったと把握できます。
しかも李氏は自身が『慰安婦被害者法』で定めた内容に従って「日本軍慰安婦被害者」として申告し「生活安定支援対象者」に登録されたという事実以外に何の証拠も提示できずにいます。 そうすると「日本軍によって強制連行され」、「日本軍慰安所で慰安婦としての生活を強要された」というイ氏の主張はすべて嘘であることは明らかだと言えます。
これに対し李氏自身が「日本軍慰安婦被害者」ではないにもかかわらず、「慰安婦問題の実体」を明らかにした私を「虚偽事実の摘示」という理由で告訴したことは明白な誣告に該当するため、これに対する厳格な調査と処罰がなされることを願い、本告訴状を提出します。
偽の慰安婦 李容洙氏が今日まで荒唐無稽な嘘で世界中を駆け巡ったのには、マスコミ、政治家、慰安婦運動団体、研究者など多くの人々の付和雷同行為も大きな役割を果たしました。 しかし、何よりも自ら法で定めた慰安婦被害者になれないことを知っていた李容洙氏本人の責任が最も大きいと言える。 今からでもこれまでの詐欺行為を懺悔し、国民に心から許しを請うことを促す次第です。
以上
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慰安婦像前から中継,、記者会見その他
正義連側の中継 元慰安婦と主張する李容洙(イ・ヨンス)氏の演説
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メディアウオッチ 2023.03.01
日本と歴史紛争中断を宣言せよ❗️3.1節を迎え韓日友好知識人45人声明。
[미디어워치] “일본과 역사분쟁 중단 선언하라” 3.1절 맞아 한일우호 지식인 45인 성명
https://www.mediawatch.kr/news/article.html?no=256424
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冠省
「慰安婦問題」に係る金柄憲氏の真実に基づく毅然とした運動に対し、心から御礼申し上げると共に、一日も早い貴国と我が国の「本来あるべき」な近隣関係となることを願うばかりです。
さて私ごとになり恐縮至極ではありますが、小生の曽祖父は、明治31()年に当時設立されたばかりの台湾総督府糖業試験場に主任技師として招聘(当時の殖産局長は新渡戸稲造で、曽祖父とは札幌農学校農芸科で同期)され渡台しました。
技師としての公務の他、サトウキビ栽培の実際を知るため、「李容洙女史」が慰安婦として働いていたと語る、新竹州(当時は新竹廳)にてサトウキビプランテーション「東耕園」を設立・経営しておりました。それ故、祖母は明治38年(1905年)に新竹にて生まれ育ちました。
その後、曽祖父は東耕園はそのままにし、昭和3()新設された台北帝国大学(現在の国立台湾大学)理農学部植物学講座教授に就任。先の大戦終了まで新竹に住んでおりました。
今でこそ台湾のシリコンバレーと言われもてはやされる新竹ですが、この地は地下水面が高く殆どが所謂「泥地」であり、終戦までは一面に広がるサトウキビ畑と、ガジュマルが鬱蒼と生える海岸、建物といえば精糖工場くらいだったそうです。
そのような泥地に陸軍をして駐屯することは、そもそも有り得ません。
マラリアの巣窟であり、現地の人さえ農作業以外は立ち入らなかったのですから。再々になりますが斯様な衛生状態の地に兵士を置くこと、つまり慰安所を設置するなど笑い話にもなりません。更に言えば、精糖工場用専用軽便鉄道と盛土した一部の道路を除けば、車輪の三分の一がぬかるむ中を水牛車(馬車は不可)を使うしか運搬手段が無かったのですから。
仮に此処に慰安所があったなら、そこに行くまでに兵隊さんも「慰安婦」さんも、それこそ全身泥まみれに・・・。両手にバケツで持って行かない限り、身体を洗う清水もありません。『バケツ担いで慰安所に。(マラリアを媒介する)蚊がブンブン飛び交い、床はぬかるみ、扇風機も何も無い、冬でも酷暑であろう部屋の中』。
如何に言おうとも、「新竹にあった慰安所」とした時点でウソと分かります。
累々記してしまい申し訳なく存じますが、何卒なお一層の御精励と御健勝をお祈り致します。
不尽