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映画「主戦場」 大学院生の学術研究の正体は左派のプロパガンダ映画

映画「主戦場」に抗議します!から「映画「主戦場」 大学院生の学術研究の正体は左派のプロパガンダ映画」の記事を転載いたします。

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新しい歴史教科書をつくる会会報誌『史』135号(令和元年7月号)

山本 優美子(なでしこアクション代表)

去る5月30日、日本プレスセンター会議室にて「映画『主戦場』に抗議する出演者グループ」(加瀬英明、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、藤木俊一、トニー・マラーノ、山本優美子)の共同声明「映画『主戦場』の上映差し止めを求める-上智大学修士課程卒業制作を擬装し商業映画を制作した出崎幹根の違法行為について-」の発表記者会見を行いました。メディア関係者およそ50名が参加し、立ち見が出るほど。各メディアからは質問が続出しました。

取材を受けた経緯

記者会見から三年前に遡る2016年5月、私は「件名:上智⼤学院の出崎幹根のドキュメンタリーインタビューご協⼒のお願い」というメールを受信しました。メールは丁寧な日本語で、こう書いてありました。

「私は日系アメリカ人で、現在上智大学で大学院生をしております。

慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。

大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません。公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です。」

私は卒業プロジェクトに協力することにし、同年6月に東京四谷の上智大学の一室で出崎氏と仲間の大学院生二人から取材を受けました。

その後、卒業プロジェクトが完成したという連絡はなく、私は取材のことも忘れていました。

卒業プロジェクトのはずが釜山国際映画祭に

それから二年以上たった2018年9月に突然、出崎氏から監督した映画『主戦場』が「10月7日に釜山国際映画祭において公開」というメールが届きました。そして今年2月には「4月20日(土)から東京・渋⾕を⽪切りに、全国で順次公開していきます」というメールが届きました。

映画を見ましたが、「学術研究」、「尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務」、「公正性かつ中立性」からかけ離れていることに驚きました。

映画は冒頭で慰安婦の強制連行と性奴隷説を否定する私や保守系の人たちを画面いっぱい大きな文字で「右翼」、「ナショナリスト」、「歴史修正主義者」、「歴史否定主義者」とレッテルを張って進行します。映画の終盤では私たちを「人種差別主義者、性差別主義者、ファシスト」と強く印象付けます。そして最後には慰安婦問題からかけ離れて日本の保守による陰謀論に脱線し、日本の再軍備化の問題にすり替わり、最後のナレーションで出崎氏はこう語ります。

「日本にとっての再軍備は、米国が始めた戦争で戦うことを意味する。だから、自らに問うてほしい。本当に私の国の戦争で戦いたいのかと。」

この映画は、安倍政権や日本の保守を叩きたい人たちの妄想プロパガンダ映画です。保守が嫌いな一部の人にとっては面白いかもしれませんが、とても学術的ドキュメンタリー映画と言えるものではありません。

映画監督は中野晃一教授の教え子

私も他の保守系の出演者も、公正で中立で学術的で偏向してないはずの上智大学院生の卒業プロジェクトに協力したのです。この映画はそうした私たちの好意を裏切るもので、学生が大学の名前を利用してこのような道義に反することをすべきではありません。出崎氏らは上智大学の信用を落とす行為をしたことを自覚しているのでしょうか。

出崎氏は中野晃一教授の教え子でした。映画にも出演している中野教授は映画公開の直前、「安倍内閣打倒」を掲げた集会で映画を宣伝しています。講演では、保守系の出演者を右翼、歴史修正主義者と呼び「なかなかこの顔見てるのは苦痛だなっている人たちが出てくるんですけれども、いかに荒唐無稽で馬鹿げたことを言っているのか」と語っています。たとえ思想が違っても、自分の教え子の学究のために取材に応じてくれた人たちに対して非常識、失礼な発言ではないでしょうか。

反撃はこれから

この映画は日本語版に加えて、韓国語版、英語版もあり、海外でも上映予定されています。私たちはこれからしっかりと抗議、反論していかなくてはなりません。

様々なメディアがこの映画について報じています。中には私たち「映画『主戦場』に抗議する出演者グループ」に批判的な報道もありますが、私たちはブレることなく毅然と行動してまいります。

「主戦場」監督への反論文 「ニューズウィーク日本版」七月九日号

映画「主戦場」に抗議します!から「「主戦場」監督への反論文」の記事を転載いたします。

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「ニューズウィーク日本版」七月九日号(七月二日発売)

藤岡信勝(教育研究者)

★8月29日、ケント・ギルバート他5名が、代理人弁護士を通して、上智大学に「通告書」を内容証明郵便で送りました。6月21日、研究上の不正行為を告発する窓口として指定されていた大学の監査室に被害を申し出たにも関わらず、一切無視されてきたので、やむを得ず取った手段でした。

すると上智大学は一転して対応を変え、9月4日、学長名で「調査委員会」を設置したので、学内手続きの必要から委員について異議があれば7日以内に異議申立書を提出せよと求めてきました。わずか1週間の猶予しかありませんでしたが、期限の11日、上智大学研究推進センターに出頭し、事務の担当者にA4・6ページの文書を手交して来ました。調査委員会なるものの実態については、いずれ書くことになるでしょう。(9月12日、藤岡信勝記)

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大学院生の卒業制作を名乗り「合意書」にも違反ー議論を呼ぶ慰安婦映画の「出演者」がデザキ監督に反論

本誌「ニューズウィーク日本版」の19年6月25日号に「『主戦場』の新たなる戦場」というタイトルの記事が掲載された。筆者は朴順梨(以下、人名は全て敬称略)で、今後はこの記事を「朴レポート」と呼ぶことにする。

私・藤岡は、自分の意思に反してこのドキュメンタリー映画に「出演」させられている者の一人だが、藤岡のインタビューが入場料1800円で一般の劇場で上映される商業的目的の映画に使われるとは夢にも思わなかった。寝耳に水である。

慰安婦問題の最も大きな論点は、慰安婦は単なる売春婦であったのかそれとも性奴隷だったのかという問題だ。映画は「慰安婦=性奴隷」説に立ち、この説に反対する人物に「歴史修正主義者」などのレッテルを貼っている。

そこで、映画の中でこの種の不当な扱いを受けた櫻井よしこ、ケント・ギルバート、加瀬英明、トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、藤岡信勝の7名は連名で共同声明を発表し、5月30日に抗議の記者会見を開いた。

それに対しこの映画の監督ミキ・デザキは私たちの記者会見の同日、同時刻に合わせてYouTubeに反論の動画を流し、さらに6月3日には配給会社「東風」の役員や弁護士と共に対抗する記者会見を開いた。朴レポートはデザキサイドに立って書かれたものである。

本稿では当事者の一人として、この記事に反映されたデザキの主張に対し、2つの論点に絞って反論したい。他の論点については、紙幅の都合で別の機会に譲る。

●「卒業制作」の触れ込みで

第一の論点は、インタビューが何を目的にしてなされたかという問題である。デザキは藤岡あての最初のメールで、上智大学の大学院生を名乗り、インタビューの目的を次のように書いてきた。

「卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは『歴史認識の国際化』をテーマとしています。ご承知の通り、現在、慰安婦問題には多くの国々が関わっています。問題に関わっている方々やその活動について学ぶと共に、権威でいらっしゃる藤岡先生のような方からもご見解をお聞かせ願いたく存じております」

歯の浮くようなお世辞はともかく、かつて大学教員のはしくれであった藤岡も学生を指導していた時には、外部の方々にいろいろお世話になった。だから、大学院生の卒業研究のためなら協力しなければならないと思ったのだ。

山本優美子に対するメールは、もっと詳細にその目的を述べていた。

「これは学術研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」「公正性かつ中立性を守りながら、今回のドキュメンタリーを作成し、卒業プロジェクトとして大学に提出する予定です」

このように、私たちは例外なく、「学術研究」「卒業制作」「卒業プロジェクト」であると説明されて、その前提で協力し、文書にサインしたのである。「出来がよければ、映画祭への出品や一般公開も考えている」と伝えたとデザキは言うが、藤岡は一切聞いていない。

ところが、朴レポートでデザキは、承諾書・合意書には「学術プロジェクトとは一切書かれていない」とシラを切っている。アプローチの段階では、商業映画であることを隠蔽し、映画を公開するときは、それが大学院の卒業制作であることをあくまで隠す。これはデザキの企画が初めから巧妙に仕組まれたものだったことを疑問の余地なく示している。

第二の論点は、デザキの行為が合意書に明白に違反しているという問題である。

藤岡はデザキの研究的な誠実さを一貫して疑わなかったが、一度だけ不審の念を抱いた瞬間があった。それは、インタビューのあとデザキが契約書にサインを求めた時だった。〈大学院修士課程修了に必要な卒業制作であると言っておきながら、人に契約させるとは何事だ〉と藤岡は腹の中で思った。

それで、「そういう契約書にサインすることは趣味に合わない」と言って文書を見ることもせずにサインを拒否し、学生たちを追い返した。藤岡らを騙し商業映画をつくろうと企んでいたデザキは困ったのだろう。指導教官から「承諾書への藤岡のサインなしには卒業制作を続けてはならない」といわれた、修士を期限までに修了できない、と泣き落とし作戦に出た。

それでも藤岡が無視すると、今度は、デザキが藤木俊一と交わした「合意書」を送ってきて、これで何とかサインしてほしいと懇願した。読んで見ると、藤木が全面的に書き換えた「合意書」は、取材される側の権利も書かれていて、よく出来ている。それで藤岡は妥協して、合意書にサインしたのである(詳細は「月刊Hanada」8月号の拙論を参照)。

●明白な「合意書」の違反

デザキによる合意書の違反は、2点ある。順番に説明しよう。

①5項違反
合意書5項には次の規定がある。「甲[デザキ]は、本映画公開前に乙[藤岡]に確認を求め、乙は、速やかに確認する。」

本映画とはデザキの「卒業制作」を指す。それ以外の話は全く出ていなかったのだから、これ以外の解釈はあり得ない。ここで「公開」とは、作品が修士課程の修了を認めるに足る水準の内容であるかどうかをコースの教授陣が審査するために上映することである。紙の論文なら「提出」のみでよいが、ビデオ作品だから上映して「公開」しなければ内容を評価することは出来ない。「公開」には、学内で学生を対象に上映することも含まれる。その公開の「前に」映画を見せる、というのが5項の規定の意味である。

ところが、18年5月21日にデザキから送られてきたのは「映画」ではなく、「映画の中で使用する[藤岡の映像の]クリップ」だった。それでも、藤岡はクリップを見て感想を言うつもりだったが、多忙に紛れて期限の2週間が経ってしまった。その時藤岡は、どうせ映画が送られて来るのだから、その時に自分の映像も見ることができる、と軽く考えていた。

しかし、その後デザキは映画の映像を送ってこなかった。ただ、藤岡はデザキを疑っていなかったから、特に請求して送信を急がせることもせず、そのうちこのことは忘れてしまっていた。もしこの時、映画を見ていたら、「歴史修正主義者」などのレッテル貼りを絶対に見逃したはずがない。当方から請求しなかったからといって、5項の「不作為」がゆるされるものではない。

②8項違反
合意書の8項には、「甲[デザキ]は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」と書かれていた。藤岡は、デザキの「卒業制作」には協力したが、商業映画に使用してよいという許可を与えたことは一切ない。藤岡の許可なく、無断で、勝手に藤岡のインタビュー映像等を自分の商業映画に使ったデザキは、「他の映画等の作成に使用することがないことに同意する」という合意書の禁止規定に明白に違反している。これでデザキはアウトなのだ。

「主戦場」指導教官・中野晃一上智大学教授の責任 月刊Hanada2019年9月号掲載

映画「主戦場」に抗議します!から「「主戦場」指導教官・中野晃一上智大学教授の責任」の記事を転載いたします。

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月刊Hanada2019年9月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

●被害者七名の「共同声明」

日系二世で、アメリカ国籍を有するノーマン・ミキ・デザキ(Norman Miki Dezaki/日本名・出崎幹根)が、上智大学の大学院生の肩書きをフルに利用した詐欺的な手口で、「慰安婦=性奴隷説」を否定する保守系論者を人格攻撃するドキュメンタリー映画「主戦場」を製作したことを前号で述べた

 被害者八名のうちの七名は見解を「共同声明」としてまとめ、去る五月三十日、日本記者クラブで開催した記者会見にて公表した。なお、藤岡のもとにデザキは「出崎幹根」という日本名を名乗って現れたので、以下では、原則としてその日本名を用いることにする。

 共同声明のメイン・タイトルは「映画『主戦場』の上映差し止めを求める」で、サブタイトルは「上智大学修士課程卒業制作を擬装し商業映画を制作した出崎幹根の違法行為について」となっている。署名者は、加瀬英明、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、藤木俊一、トニー・マラーノ、山本優美子である。

 A4判十ページの共同声明の小見出しは、次の通りである。

 (1)商業映画への「出演」は承諾していない

 (2)「大学に提出する学術研究」だから協力した

 (3)合意書の義務を履行せず

 (4)本質はグロテスクなプロパガンダ映画

 (5)ディベートの原則を完全に逸脱

 (6)目的は保守系論者の人格攻撃

 (7)デザキと関係者の責任を問う

 これによって、おおよその内容を覗うことが出来るだろう(共同声明のテキストの全文は、ネット上で読むことが出来る)。

なお、共同声明に署名しなかった一人は衆議院議員の杉田水脈で、杉田の場合、仮に不本意な映像を撮られたとしても、国会議員として肖像権の主張には一定の制約があることから、他の七名の民間人とは立場が異なるという事情によるものだった。

●出崎と配給会社を提訴

 タイトルが示す通り、共同声明の趣旨は、映画「主戦場」の「監督」である出崎(当時は上智大学大学院生)の、真の目的を隠した詐欺的な取材方法と、映画の中で被害者らに対し「歴史修正主義者」などの不当なレッテルを貼るなど、被害者らの人格を侮辱したことを問題としたもの。

 これに対して出崎は、映画の配給会社である合同会社東風(代表社員・木下繁貴)と、弁護士・岩井信とともに、六月三日、東京弁護士会館で記者会見を開き、被害者側の共同声明に反論するとともに、上映差し止め要求に対して明確な拒否回答を行った。

 こうしたことから、被害者側は受けた被害の深刻さに鑑み、六月十九日、東京地裁に民事訴訟を提起する訴状を提出し、その後、地裁内の司法記者クラブにて記者会見を開いた。

 原告は共同声明に署名した七名のうち、ケント・ギルバート、トニー・マラーノ、藤岡信勝、藤木俊一、山本優美子の五名で、櫻井よしこ、加瀬英明は諸般の事情で原告には加わらなかった。被告はノーマン・ミキ・デザキ(出崎幹根)と合同会社東風で、請求は、

 ①ドキュメンタリー映画「主戦場」を上映してはならない

 ②被告らは連帯して、原告ケント・ギルバートと同トニー・マラーノに対して、それぞれ五○○万円を支払え

 ③被告らは連帯して、原告藤岡信勝、同藤木俊一、同山本優美子に対して、それぞれ一○○万円を支払え

 ④訴訟費用は被告らの負担とする

 ⑤右の①から④につき仮執行宣言を求める

というものである。

請求原因の理由は、(1)被告が原告トニー・マラーノのYouTube動画を本件映画において無断で使用したことは、原告マラーノ、同藤木(藤木はマラーノの動画を日本向けに編集する「テキサス親父日本事務局」の事務局長で、マラーノの動画の共同著作権保持者)の著作権を侵害する不法行為であること(2)原告らは意図に反して本件映画に「出演」させられているが、そのことによって原告らにも著作権が生じ、原告らは被告の学術研究及び卒業制作のためにインタビューを受けることに合意していたにもかかわらず、被告が原告らに無断で不特定多数に商業的に公開する映画に使用したことは、承諾書・合意書で定めた義務に反する違法行為であり、かつ、原告らの著作権、肖像権、同一性保持権を侵害する不法行為でもあることなどである。

●決着がついた慰安婦論争

出崎は映画「主戦場」の監督として、今や「慰安婦=性奴隷」派からは、慰安婦問題復活の救世主であるかのようにもてはやされている。ネットでも紙媒体でも、「映画に感動した」「出崎監督は素晴らしい人だ」「この映画を観て、やっと溜飲を下げた」などの熱烈なラブコールがあがっている。ツイッターなどでの称賛の文言があまりにワンパタンなので、多数の人間に指示し組織的に投稿させているという見方も生まれているほどだ。

 ようするに、今や出崎は慰安婦問題の逆転を狙う勢力の期待を一身に集めた、「慰安婦=性奴隷」派の寵児となっているのだ。

 なるほど、出崎に対し、それらの賛辞を浴びせている人々の気持ちも分からないではない。慰安婦問題については、これが日本社会の政治的・社会的問題として提起された一九九一年以来、幾多の論争が積み重ねられてきた。

 その中で早くも一九九二年には、歴史家の秦郁彦が、韓国・済州島の現地調査によって詐話師・吉田清治の「慰安婦奴隷狩り」体験記の嘘を暴いた。また、朝鮮半島現代史の研究者・西岡力は、元慰安婦を自称する韓国人老女へのインタビューなど徹底的な調査によって、元慰安婦の誰一人として軍や官憲による「強制連行」の事実を整合的に証言できた者がいないことを立証した。

 こうして、一九九二年段階ですでに、「慰安婦強制連行説」が虚構であることは、学問的・実証的には結論が出ていたのであった。

 さらに、同時期の日本政府の調査によっても、一九四四年十月のビルマにおける日本軍慰安所と慰安婦に関する米陸軍心理作戦班の作成した公文書によって、「彼女らは軍に付いて歩く売春婦に過ぎない」ことが明らかにされていた。

 さらにさらに、今では「慰安婦=性奴隷説」を唱え続けるほとんど唯一の歴史研究者と言っていい吉見義明だが、一九九六年十一月三十日に放映されたテレビ朝日の番組「朝まで生テレビ!」で、他ならぬその吉見が「朝鮮半島では強制連行の証拠はない」と言い放ったのである。これで、慰安婦論争は事実上、「ジ・エンド」となったのだ。

 「強制連行はなかった」という仮説をもって調査する者は、強制連行の証拠を探すに際してそれほどの熱意を持てないのが人情だが、吉見はその正反対で、相当の執念をもって慰安婦強制連行の証拠を探したはずだ。その吉見ですら見付けることができなかったのだから、他の者については何をかいわんや、強制連行の証拠を発見する見込みはない。

●「四つの自由」論の愚劣

慰安婦強制連行説が頓挫すると、どうしても慰安婦問題をネタに日本を糾弾したい者たちは、二つのコースに分かれることになった。というか、論理的に考えて二つの道しかないのである。一つのコースは、あくまで事実の世界にとどまって、証拠を朝鮮半島の外に探し、証拠らしきものを「製造」することだ。

 実際にこの道をたどったのが、インドネシアを初めとする東南アジアの各地に出かけていった弁護士や活動家の一群である。

 もう一つのコースは、強制連行の話は諦める代わりに、言葉の定義を変えることだ。いわば、事実の世界から逃避して、概念いじりをすることによって自分たちの日本国家糾弾の正当性を維持しようとするものである。この道を行ったのが吉見義明だった。

 彼は、軍慰安婦の境遇が「性奴隷」であったということを強調し、「奴隷」の概念を恣意的に変えてしまおうとする。吉見の提唱する「四つの自由」論は、こういう問題意識から吉見がこしらえ上げたものだった。

 吉見のいう四つの自由とは、居住の自由、外出の自由、接客の自由(=接客拒否の自由)、廃業の自由を指す。吉見によれば、この四つの自由がない者は「奴隷」であると定義される。それゆえ、日本軍の慰安所は「性奴隷制度」であったとする。

 もしそうだとすると、遠洋航海に出る漁師は、吉見の定義によって「奴隷」となる。遠洋航海では何ヶ月も船に乗ったきりだから、居住の自由などあるはずがない。外出の自由も、廃業の自由もない。

 ただし吉見の定義では、四つの自由の全てが失われていなければ奴隷とは言えないのか、それとも一つでも失われていれば奴隷になるのか判然としない。それによって、戦地の軍慰安婦の位置づけがまるで変わってくる。

 もし、四つとも自由が失われていることが条件ならば、軍慰安婦は断じて奴隷ではない。前出の米軍の公文書によれば、ビルマのミートキーナの慰安所にいた慰安婦には、外出の自由も、接客の自由も、廃業の自由もあったからだ。ただし、居住の自由はなかった。戦地だからこそ慰安婦に自由に住居を選ばせたら危険この上もなかっただろう。

 こんなことは、愚にもつかない言葉の遊びに過ぎない。こんな「理論」を大真面目に振り回して、「慰安婦=性奴隷説」を喜ぶ読者にリップ・サービスしているのが吉見義明の実像である。

 吉見は映画「主戦場」のなかで、唯一「歴史家」の肩書きで遇され、出崎は吉見のご託宣を押し抱き、その言葉の一言一句が真理であるかのように扱われているが、その理論の実体は、右のような愚かなシロモノである。

●なぜ反日左翼の寵児なのか

ところで、行動的な学者でもある吉見は、「慰安婦=性奴隷」説をひっさげて、異論を唱える人を狙い撃ちにする名誉毀損訴訟を行ってきた。しかし吉見の提訴は、一審から三審までの全てで敗北した。元朝日新聞記者の植村隆が櫻井よしこと文藝春秋を訴えた訴訟でも、去る二○一八年十一月九日、一審の札幌地裁で櫻井側の完全勝訴の判決が出たばかりである。その他、一連の慰安婦訴訟では、「性奴隷」派は連戦連敗である。

 司法分野だけではない。二○一六年二月、ジュネーブの国連人権理事会で、外務省の担当者は、「強制連行説」も「性奴隷説」も「慰安婦二○万人説」も、いずれも根拠がないとして否定したのである。行政が初めて真っ当なスタンスンに立ち返った瞬間だった。

 その二年前の二○一四年八月には、崩壊した吉田清治の証言の扱いについて頬被りを決め込んできた朝日新聞までもが、ついにその誤りを認め、のちに謝罪するにいたったのである。これはまさに、慰安婦問題で日本を糾弾したい勢力にとって、致命的な打撃となる出来事だった。

 このように、論争に負け続けて気息奄々だった「慰安婦=性奴隷」派にとって、出崎のドキュメンタリー映画の出現は干天の慈雨であり、出崎は彼らの希望の星となった。

 最近、映画「主戦場」に関わる記事を特集した月刊誌『創』八月号では、「メディアが慰安婦問題をタブーにしてきた」などとしきりに述べられているが、この論評は的外れである。メディアが慰安婦問題を取り上げなくなったのは、右に見たように、もし取り上げると朝日新聞の二の舞になりかねないからだ。

だから、右の展開を体験していない、アメリカ国籍の外国人でもある出崎が反日左翼の寵児となったのである。しかし、映画「主戦場」が実質的に何を成し遂げたのかといえば、善意の保守系の言論人を誑かして血祭りに上げたことである。

 映画「主戦場」のインターネットのサイトには、映画の予告編がアップされているが、そこで前面に押し出されているのは、櫻井よしこを筆頭に、ほとんど専ら保守側の人物である。これらの人々は、出崎の映画の宣伝の出汁にいいだけ使われていることがわかる。

 映画の入場者の多くを占めるであろう左翼・リベラル系の人々や、海外の反日ジャーナリストは、映画の中でにっくき保守系の連中が嘲笑・侮辱されていることに快哉を叫んだ。四月四日、外国特派員協会における試写会に出席した、原告の一人である藤木俊一は、試写会の様子を次のようにレポートしている。

「このフィルムは、われわれに先にインタビューし、それに対して左翼が反論を行っているので、完全に『一方通行』の内容となっており、各段階で(強制か否か、高給取りだったか否かなど)左翼・朝鮮人たちが、われわれ側の発言を覆した部分で終わっており、その度に会場の白人たちが大歓声を上げるという異様な雰囲気の試写会であった」

 その反面、この映画が何か新しい材料を提供したり、何らかの論点を解明したりしたかといえば、そうした成果は何一つない。

 例えば「慰安婦二○万人説」の検討にしても、吉見は仮定の数字をいろいろこねくり回しているが結論は曖昧のままであり、そこで上げた数字は多数の仮定の積み重ねの上に立って、数万人のオーダーのものであり、その発言の中に二○万人説を正当化するに足るものは何もなかった。

 この点に関連して、ここで重要な論点を提示しておきたい。六月三日の記者会見で、会場から「歴史修正主義者」の定義を聞かれた出崎は、「慰安婦は二○万人で、強制連行され、性奴隷であったというのが世界の通説だ。この通説に反対する者は歴史修正主義者である」と答えた。

 そうすると、「強制連行」の証拠がないと言い、「二○万人説」を映画で言わなかった吉見は「歴史修正主義者」になる。それだけではない。監督の出崎も、映画で「二○万人」という結論を出さなかったのだから、立派な「歴史修正主義者」である。

 その他、映画に登場する多数の左翼活動家も「歴史修正主義者」である。WAM(女たちの戦争と平和資料館)の渡辺美奈などは映画の中で、「大きい数字が出てくると、すぐにそれを言いたくなるが、そうしてはならない」と戒める発言をしている。彼女もまた「歴史修正主義者」である。  出崎がいかに無責任で、物事の論理的帰結に関心を持たない、その場その場でいいかげんなことを言って恥じない、デタラメな人物であるかがよくわかる。

●第二の「クヒオ大佐」?

出崎の人物像を知る上で欠かせないのは、ユーチューバーとしての過去である。JETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)の英語の補助教員として来日し、「Racism in Japan 日本に人種差別はありますか?」という動画をつくって高校生に与えた話はすでによく知られているし、出崎自身が映画の冒頭で使っている。

 しかし、日本の国籍を持たず、日本の教員免許を持たない出崎が、このような社会的問題に関わる私見を生徒の前で開陳すること自体、問題である。彼の行動は、JETプログラムの趣旨を汚すものである。

 また、出崎が女装して日本の若い女性の口まねをし、日本人女性を侮辱する動画をつくっていたこともよく知られている。藤岡もこの動画を見たが、最後に卑猥な言葉を絶叫するシーンで終わっていた。

 このことについては、本誌六月号でも山岡鉄秀が書いているので繰り返さない。今出崎は、この動画を著作権を理由に消し回っている。各種SNSでも、リンクが貼られている先を見ると、「この動画はMedama Sensei から著作権の侵害を申し立てられていますので、削除します」などのメッセージが出て視聴がブロックされる。Medama Senseiとは、出崎のユーチューバーとしてのペンネームである。

 自らトニー・マラーノの動画を商業映画に無断で使用して作者の著作権を侵害しておきながら、自分の動画については著作権を主張して削除を求める。とんでもない御都合主義だ。

 ここではさらにもう一つの、別の問題を指摘しておこう。

 映画「主戦場」は四月二十日から渋谷の映画館で一般公開されたのだが、その宣伝のため出崎は各種のメディアに登場した。ラジオでもいくつかの番組に出演した。

 ①四月二十四日、TBSラジオ「荻上チキ Session22」という番組で、出崎は梁澄子(日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表)とともにゲストとして出演した。

 ②四月二十五日、JーWAVE のJAM THE WORLD という番組で、ニューススーパーバイザーの堀潤がインタビューした。

 私が聞いたのは右の二つのラジオ放送の録音なのだが、極めて不自然に感じたことがある。出崎が藤岡のところに取材に来た時は、彼はごく普通の日本語を話す青年だった。なぜか、出崎は藤岡に対するメールでは、自分がアメリカ国籍を持つアメリカ人であることを一切述べていなかった。だから、藤岡は彼を普通の日本人だと思い込んでいたのである。

 しかし、①のラジオ番組で彼は日本語が出来ないふりをし、わざわざ通訳をつけて番組を進行させていた。ところが質問者が日本語で質問すると、間髪を入れず英語でいきなりベラベラと話し始める。それを通訳が日本語にする。出崎は完璧なバイリンガルである。だから、日本語が分からないというのは演技なのだ。不自然極まりない。

 ②の番組も通訳付きで始まった。ところが、しばらくすると、質問者が右に書いたのと同じ問題に気付いたらしく、いきなり「出崎さん、あなた、日本語が分かるのでしょう?」と言った。不意を突かれて戸惑う様子が聞こえ、出崎は「ええ、まあ、少しは話せますけど・・・」と、いかにも日本語を習いたてのガイジンがしゃべるようなたどたどしい日本語で答えた。それ以後、番組は日本語で会話が進行した。

 日本社会には、ときどき日本語と英語の狭間を利用した詐欺師が出現する。生粋の日本人でありながらカタコトの日本語を話す米軍の特殊任務を帯びたパイロットに擬装して、日本人の女性を次々にだました「クヒオ大佐」という結婚詐欺師がいた。 出崎は、気に入らない某出版社の取材を断るのに、自分は日本語ができず、通訳の手配がつかないという理由を使っている。こういう調子で、都合よく英語と日本語を使い分ける。こういう部分だけを取り出せば、出崎は第二の「クヒオ大佐」といえるかも知れない。

●不誠実な上智大学

上智大学には「学術研究倫理ガイドライン」(平成二十二年制定)がある。その前文では、「イエズス会の設立による本学は、カトリシズムの精神に基づき、学術の中心として真理を探究し、文化の発展と人類の福祉に寄与する研究活動を行ってきた」と宣言し、「研究活動には高い倫理性が求められている」としている。

 対象となる「研究者」には、研究活動に従事する限りにおいて学生も含まれる(2項)。また、「研究を指導する立場にある者は、不正行為が行われないよう、指揮下にある研究活動及び研究者等の管理、配慮を行う」(4項)としている。

 「上智大学における研究活動上の不正行為の防止に関するガイドライン」(平成二十八年制定)では、告発窓口に関する規定があり、「研究活動上の不正行為に関する告発は、監査室で受け付けるものとする」となっている。

 そこで、藤岡は山本優美子の協力のもとに、六月二十一日、告発窓口の置かれた監査室に電話をし、担当者の男性に約三十分にわたって事情を説明した。当方の希望は、学長または研究倫理担当の副学長に面会し、事情を訴える機会を得るためのアポを取ることだった。それは、大学が正確な事情を知って主体的に問題を処理することを期待しての行動だった。

 しかし、担当者は、「不在で連絡がとれない」→「連絡がついたが、検討中で返事ができない」→「面会希望の件を取り上げるかどうかも含めて検討中である」→「いつまでに回答出来るか約束はできない」といった調子で何日も費やし、大学トップの誠意ある態度がうかがわれなかった。この上は、別の方法で大学としての責任を問うしかない。

●いかなる責任を取るのか

ここで、大学がこの種の出来事についていかなる責任を取るべきかについて考えるために、「首都大学ユーチューブ事件」を取り上げてみよう。

 平成二十二年(二○一○年)六月、首都大学東京システムデザイン学部インダストリアルアートコースに所属する四年生の二人の男子学生は、卒業制作として動画作品の製作に携わっていた。

 彼らは、かねてからニセの街頭募金活動をやったり、商店に飛び込んでアポなしでインタビューを行う様子などを、ユーチューブに投稿していた。いわゆるユーチューバーだったわけだ。

 さて、その卒業制作だが、彼らは「ドブスを守る会」と称して道行く女性たちにインタビューを行い、その容姿について無礼な論評をし、その女性の反応の一部始終をビデオカメラに収めるということをやっていた。当時の新聞から、その様子を描写した記事を引用する。

〈「写真撮らせてもらえますか?」

 「・・・なんか雑誌ですか?」

 「(撮影が終わり)ありがとうございました。タイトルはドブスを守る会です」

 「・・・写真、消してもらっていいですか? 自分のことブスだと思ってないし、そんなふうに使うんだったら最初から言うべきだと思います」

 「ありがとうございます。やっと、こういった反応が撮れました」〉(「卑劣な『ドブス』動画の中身」夕刊フジ平成二十二年六月十九日付けに掲載)

 被害に遭った女性は、判明しているだけで六人で、そのうち少なくとも二人の女性の動画がユーチューブに投稿されていた。学生らは、この不謹慎な会をつくった動機について、動画の冒頭で「ドブスが絶滅の危機に瀕している。わが国から消えゆくドブスの姿を収めた写真集を作り始めた」と説明していた。

 これに激怒した一部のネットユーザーは学生らの素性をばらしたが、学生らは動画を削除した上でミクシーなど会員制サイトを退会した。そして、個人名や大学名が書き込まれたネット掲示板の管理人には、自分たちの行為を棚にあげて「著しく個人の利益を損なう」などの理由をあげ、削除申請までしていた。

 この行為について、前掲夕刊フジには、学生らの行為が刑法上の名誉毀損罪または侮辱罪に該当し、民事訴訟でも肖像権や人格権侵害などで慰謝料を請求できる、との弁護士のコメントが載っている。

 抗議が殺到した首都大学東京は素早く対応し、「大学としては女性の人権を無視した行為を重くとらえ、全てが明らかになった時点で対応を決めます」との見解を発表した。

結果はどうなったか。

 六月二十四日、動画の制作に携わった二人の学生には退学処分が言い渡された。処分の理由は、①映像作品を完成するという名の下に、被写体となった方々に対し公然と人権侵害をしたこと②映像を作品として公開することにより、被写体となった方々の精神的苦痛を増大させたこと③首都大学東京の社会的信用を失墜させたこと、の三点であった。

 また、教員に対しても、七月六日、動画制作に携わった学生の指導教員に対しては諭旨解雇が言い渡された。処分の理由は、①平成二十二年六月に、自らのゼミにおいて、先般退学処分とした学生が卒業制作に関連して作成した映像を視聴した際、その内容の不適切さを認識し、当該学生が企図したインターネット上の動画サイトへの投稿については制止の指示をしたものの、製作の継続については容認するかのような発言を行うなど、その教育指導が不十分であった。その結果、本学の社会的信用の著しい失墜など、重大な事態を招いた②今回の不適切な映像についての問題発覚後、上記の経緯と異なる虚偽の報告を行った、の二点であった。 「首都大学ユーチューブ事件」は、藤岡らが被害を受けた今回の事件との細部に至るまでのあまりの類似に一驚する。上智大学はその名誉を問われ、出崎の指導教官で、出崎のインタビューを指導しただけでなく、彼の商業映画の宣伝まで買って出ていた中野晃一は、その責任を問われているのである。

慰安婦ドキュメント「主戦場」 デザキ監督の詐欺的手口 月刊Hanada 2019年8月号掲載

映画「主戦場」に抗議します!から「慰安婦ドキュメント「主戦場」 デザキ監督の詐欺的手口」の記事を転載いたします。

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月刊Hanada 2019年8月号掲載

新しい歴史教科書をつくる会副会長
藤岡信勝

●連載開始にあたって

日本の保守系論者約十人を、学問研究の名をかたって取材し、「慰安婦=性奴隷」説に立ったプロパガンダ映画「主戦場」のなかで侮辱・論難の材料とした事件は、日本の左翼・リベラル派が犯した前代未聞の大規模な計画的詐欺事件として将来記録されるでしょう。
9月19日には、上映差し止めと損害賠償を求める民事訴訟の第一回口頭弁論が午後2時東京地方裁判所で行われます。それに向けて、より多くの方々にこの事件の真相を知っていただき、慰安婦問題にも最終決着をつける一つの機会としてこの訴訟に勝訴すべく、これから拙文を連載します。
各種媒体にご自由に拡散し、ご利用下さいますようお願いいたします。また、ご意見をお待ちしています。 (藤岡信勝記)

●「大学院生」という肩書

今話題の映画「主戦場」の監督ミキ・デザキが、上智大学大学院生として出崎幹根という日本名で、男女二人の院生とともに、東京都文京区水道にある「新しい歴史教科書をつくる会」の事務所に現れたのは、二○一六年九月九日のことだった。藤岡はこの日に、出崎らの慰安婦問題についてのインタビューを受け、それをビデオに録画することを承諾していたのである。

出崎に同道してきた二人は、岡本明子、オブリー・シリブイ(Silviu Oblea)という名前である。ビデオカメラの操作、マイクの音量の調整、インタビューアーを三人で分担していた。三番目の役目はもっぱら出崎が担っていた。出崎の年齢は三十代と推定され、鼻髭を蓄えたやさ男といった風貌の人物だった。

日本語を流暢に話す百パーセントの日本人で、ハーフっぽい顔立ちの影はどこにも見当たらなかった。だから藤岡は出崎を、アメリカ留学や在住の経験があるだろうが、普通の日本人と思い込んでいた(実際はアメリカ国籍を有する日系二世のアメリカ人だった)。

出崎は、〈アメリカのリベラルなメディアの情報の影響を受けてきたが、慰安婦の強制連行の証拠はなく、慰安婦の待遇も言われているほど酷くはなかったことを知った〉という意味のことを、インタビューの合間に、断片的にしゃべった。態度は紳士的で、藤岡の話に批判的な眼を向けたりすることはなく、かといってなれ合うでもなく、ごく普通の学生のように見えた。

藤岡は慰安婦問題の起こりから現状まで系統立ててたどり、慰安婦の「強制連行」説はどのように崩壊したか、なぜ慰安婦は「性奴隷」ではなかったといえるのか、「20万人」説がなぜ荒唐無稽な数字なのか、などの論点をわかりやすく、体系的に話した。約束ではインタビューは一時間の予定であったが、実際は一時間半程度の長さになった。出崎の質問のなかに特にユニークな、印象に残るような内容のものはなかった。藤岡は大学の授業のちょうど1コマ分に当たる90分のレクチャーを、無償で上智大学の三人の大学院生を相手に施したことになる。

藤岡がこのインタビューを引き受けたのは、出崎が上智大学の大学院修士課程に在籍する学生であり、修士課程を修了するための修士論文に相当する「卒業制作」として、この映像作品を仕上げて大学に提出するためである、との説明を受けたからである。それが最大の、決定的な要因であった。

よもや一般の映画館で上映する商業映画の素材として、しかも藤岡を貶める材料として自分の発言が使われるなどとは夢にも思わなかった。藤岡はいかなる意味でも、作品の商業的な公開を許可したことはない。もし、それが商業映画だとわかっていたら、初めからインタビューに応じることはあり得なかった。出崎は契約違反を犯し、平たく言えば嘘をつき、藤岡を騙したのである。

騙されたのは藤岡だけではない。櫻井よしこ、加瀬英明、ケント・ギルバート、杉田水脈、山本優美子、トニー・マラーノ(テキサス親父)、藤木俊一、という錚々たる保守系の論客が出崎の毒牙にかかったのである。総計八名になる。

ジャーナリストの江川紹子はツイッターで、「どういう口車であれだけの人たちを引っ張り出したのか、その手腕はすごいとひたすら敬服。どこかでその手法を語られているのであれば、ぜひ学びたい。皮肉ではなく、本当に」(5月7日発信)と書いた。出崎は八人のそれぞれの特徴を調べて、アプローチの仕方や対応を変えている。以下にやや詳細に述べるのは、その中の「藤岡ケース」にすぎない。ただ、以下の記述が少しでも江川の参考になれば幸いである。

●取材対象者へのアプローチ

まず、出崎はどのようにして藤岡にアプローチしてきたのだろうか。

出崎からインタビューに応じてほしいとの依頼を受けたのは、二○一六年八月十一日のメールだった。以下、全文を引用する。

▽出崎幹根から藤岡信勝へ(2016.8.11)

《藤岡 信勝 先生

突然のメール失礼致します。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科の出崎幹根と申します。六月に中野サンプラザでの『国連が世界に広めた「慰安婦=性奴隷」の嘘』出版記念シンポジウムでお会いし、ご挨拶させていただきました。この度は、慰安婦問題に関して、藤岡先生にインタビューへのご協力をお願いいたしたく、ご連絡させていただきました。

卒業制作として、他の学生と共にビデオドキュメンタリーを製作しておりまして、ドキュメンタリーは「歴史議論の国際化」をテーマとしています。ご承知の通り、現在、慰安婦問題には多くの国々が関わっています。問題に関わっている方々やその活動について学ぶと共に、権威でいらっしゃる藤岡先生のような方からもご見解をお聞かせ願いたく存じております。

もしドキュメンタリーについて更にお知りになりたい場合は、何なりとお聞きください。インタビューにご協力いただけるようでしたら、仮の質問のリストをお送りします。宜しくお願い致します。      出崎幹根》

意を尽くした立派な日本語の文章である。ただ、藤岡はこのメールにすぐに返事を出すことはしなかった。多忙でもあった。

メールの交信記録を辿っていくと、次に出崎からアプローチがあったのは、八日後の八月十九日だった。この時は「新しい歴史教科書をつくる会」の事務所に藤岡宛のメールが送られてきた。つくる会を経由してのアプローチである。今度は無視することで会のイメージを損ねてはいけないという心理がどこかで働いた。

つくる会経由の二回目のアプローチがなければ、藤岡のインタビューは実現しなかった。ターゲットとする人物に直接アプローチしてダメな時は組織を経由するとよいということは、営業マンの鉄則のひとつなのかもしれない。出崎の作戦はまんまと成功したことになる。

二回目のメールは、最初のものと文面は同じだった。出崎のメールによれば、藤岡は一度出崎と会っていたことになる。出崎が言及している中野サンプラザでのシンポジウムとは、二○一六年六月四日に開催した藤岡信勝(編著)『国連が世界に広めた「慰安婦=性奴隷」の嘘』(自由社刊)の出版記念会を指す。この本は、二○一六年三月ころまでの、世界の国々にまたがる慰安婦問題の経過の整理と運動の総括を兼ねて、なかんずく二○一四年から始まった、ジュネーブの国連人権理事会や条約にもとづく各種委員会への代表派遣の意義と現状を明らかにするために出版したものであった。

百人あまりの人が集まった出版記念会の会場では、学生風の三人組の人物がビデオを撮影したりしてごそごそやっているのは気付いていたが、集会が終わってから、女性の立場から慰安婦問題に取り組む「なでしこアクション」の山本優美子代表から紹介を受けていたことを思い出した。

あれは上智の学生だったのか。道理であのとき、山本の出崎らを見る表情に、学生に対する保護者のような好意的な笑みがあった記憶が藤岡の中で甦った。学生たちは山本の大学の後輩にあたるのだ。

藤岡は、「返事が遅れて申し訳ありません。インタビュー、お引き受けします。日程を調整したく存じます。ご希望の日時をお知らせ下さい」という文面のメールを送った。八月二十一日のことだった。

●人を乗せる鉄則に合致

ここまでのところを、小さく総括してみる。藤岡は、メディアの取材で何度も裏切られた苦い経験を持ち、従ってそれなりに警戒心を持っていたはずだが、出崎はどのような仕掛けで藤岡をインタビューに引っ張り出すことに成功したのだろうか。

第一に、そして今回の係争問題の発生において最も重要なポイントは、出崎が大学院生の身分を獲得しており、しかも、インタビューでも真面目そうな学生を演じ切ったことだった。私学の名門・上智大学という名前のブランド力も、人を信用させる重要な要素のひとつだ。ブランド力の利用は、詐欺師の常套手段でもある。

藤岡が過日観たテレビのワイドショウでは、いわゆる「オレオレ詐欺」の手口として、「NHK静岡放送局の世論調査」を装って被害者にアプローチした事例が取り上げられていた。ここでは「NHK」のブランド力が利用されている。

さらに言えば、複数の学生で行動したのも、ビデオ撮影などの手間が実際に必要だったとはいえ、確かに学生のグループなのだと人を安心させる要素になっている。出崎ひとりが歩き回っている図と比べる思考実験をしてみれば、両者の違いは明らかだ。

第二に、学生といえども、いきなり未知の者からメールや電話をもらったら、信用出来るかどうかを疑い、警戒するのが普通であろう。出崎はその恐れをなくすために、保守派の集会に顔を出し、ターゲットに顔つなぎをしていた。先輩の山本を「ゲイト・パーソン」(民族誌的な研究において使われる専門用語)にしたのも、うまい作戦だ。実社会では、同郷に次いで同門がビジネスのきっかけになることがしばしばある。そして藤岡宛のメールに、話の糸口として「集会でご挨拶した」と書く。

メールの中で、藤岡の編著書のタイトルを正確に書いていることも見上げたものだ。これを抽象的に「出版記念会で」というのと比較してみれば効果は歴然だ。ただし、その本を出崎が読んでいないことだけは間違いない。

第三に、一度無視されたり拒否されたりしても、諦めずに粘り強くルートを変えてアプローチする。藤岡の場合、「つくる会」という組織を経由している。藤岡にとって「つくる会」は大切な組織なので、そこに迷惑がかかってはいけない、という無意識の心理が作用したらしいことはすでに書いた通りだ。  以上の三つが、藤岡の場合の基本的仕掛けなのだが、まとめてみると、人を乗せるための鉄則に合致しているとはいえ、ありきたりで単純なものだ。しかし、それをここまで実行する人はそんなに多くはない。

●衣の下の鎧が見えた

出崎の完璧と見えた作戦も、ほころびを見せた瞬間があった。それはインタビューの収録が終わってから、彼がインタビューの内容に関する権利関係について承諾書を用意して来たのでサインしてほしい、と切り出した時だ。〈今のインタビューは大学院の卒業制作のためであると言ったではないか。こいつは何を言い出すのか〉と藤岡は思った。

藤岡がこのような反応をしたことには伏線があった。それより半年くらい前、ある外国のテレビ局の取材を受けた際に、契約書にサインを求められたのだが、その契約書の中味を見ると、取材者の権利だけを書き込んで、取材される側の権利には何も言及しない「やらずぶったくり」の内容であった。

契約とは当事者の双方を縛るものであるはずだ。片方の権利だけを一方的に書いた契約書など、契約の名に値しない。そこで、藤岡は取材は受けたが、署名は拒否した。テレビ局というのは誠に傲慢で得手勝手なものである。結局、放送では藤岡の発言は全てボツにされ、別の人物が「軍国主義者」の「悪役」を演じさせられていた。

そんな経験があったので、藤岡は出崎が承諾書を取り出す前に、出崎に対して「そういう類いの契約書にサインすることは私の趣味に合わない」と言って署名を拒否し、チームを追い返した。だから藤岡は、出崎が用意した承諾書なるものの中味を見ていない。

この承諾書の一件は、あとから考えると、衣の下から鎧が透けて見えたようなものである。にもかかわらず、藤岡はその疑念を突きつめることなく、契約社会のアメリカかぶれの青年だから、欧米のテレビ局の悪しき慣習を模倣したのだろう、というくらいに考えていた。それほど、真面目な学生になり切った出崎の演技がうまかったということでもある。

しかし今では、初めから商業映画をつくって日本の保守派を侮辱し、攻撃しようとした出崎の意図が明白になっている。おそらく、藤岡にサインを拒否されて出崎は計画が頓挫しかねず、大いに困惑したのだろう。取材日の三日後に、次のメールを藤岡に寄越した。以下は原文のままであり、[ ] 内は藤岡による最小限の訂正ないし補足である。

▽出崎から藤岡へ(2016.9.12)

《ドキュメンタリー承諾書の件ですが、私たちの指導教官と話しましたところ、藤岡先生の出演部分がドキュメンタリーを[の][中]核を占めるのであれば(そうなると思います)、やはり承諾書へのサインがなしには、ドキュメンタリーの製作へ着手することが難[し]いという(ルビ=ママ)言われました。

ご提案させて頂きたいのですが承諾書に、以下の一文を加えるのはいかがでしょうか?「製作者は、出演者の姿・声の整合性を保ち、出演者の言葉を謝(ルビ=ママ)り伝える、あるいは、文脈から離れて使用することがないと、同意する」

また、映画をご覧になって、ご自身が不正確に描写されているとお感じになった場合は、ドキュメンタリーの最後に先生が、本ドキュメンタリーにおける説明に異を唱えていらっしゃると付け加えます。しかし、藤岡先生の出演箇所を全て削除することは、新しいドキュメンタリーを製作しなければならず、修士を期限までに修了するためには、再製作は難しいことをご理解いただきたく存じます。》

慰安婦ドキュメント「主戦場」 デザキ監督の詐欺的手口 (2) 修士の終了期限に間に合わなくなる、という泣き落とし作戦である。最初のメールに比べると、文章の推敲が不十分で、誤字と文法的な間違いだらけだ。よほど急いで書いたのだろう。今から考えると、ここで「指導教官」という言葉が登場するのは注目に値する。出崎は「指導教官」の指導を絶えず受けながら卒業制作と称する作業に励んでいたのである。だとすれば、出崎の詐欺的行為に「指導教官」も最初からかんでいたことになる。  このメールを受け取ったとき、藤岡は〈出崎の「提案」なるものはあまりに微温的で、取材対象者の権利を守るための役には立たない〉と思った。藤岡はすぐに返答せずに、「十三日から十九日まで、ジュネーブとパリに行ってきます。帰国後、相談しましょう」と返答した(九月十三日)。

●「承諾書」から「合意書」へ

帰国後の九月三十日、出崎からメールが届いた。「先日、[テキサス親父事務局の]藤木俊一さんにインタビューさせていただきまして、その際に新しい合意書を作成致しました。添付をご確認くださいませ。ご覧いただき、こちらでご承諾頂けるかご確認頂けますでしょうか?」という文面だった。添付されていたのは別掲の文書(合意書)だった。

このメールで、藤岡は藤木も出崎のインタビューを受けていたことを初めて知った。この間、ジュネーブへの往復などで藤木とは頻繁に会う機会があったが、どちらからも出崎の取材の話は出なかった。普通、誰の取材を受けたなどとは、特別のことでもない限り他人に話さないものである。ここまでのところは、出崎のインタビューを受けたことの中に、藤岡にとって「特別なこと」は何もなかった。

ただ、藤木の場合も、映像・音声機器の開発・販売の会社を経営し、ビジネスの世界で生きてきたので、出崎の承諾書を見て、藤岡が外国のテレビ局の契約書に感じたと同様の異様な片務性を感じとったに違いない。

その合意書を読んだ藤岡は、これは比較的よくできていると思った。5・6・8項に、取材対象者の権利がキチンと書き込まれているからだ。藤木は相当注文を付けたに違いない。そこで、合意書の「藤木」を「藤岡」に変えて送るように返信した。

時が流れて約二年後の二○一八年五月二十一日、出崎は藤岡のインタビューの映像を送ってきた。ところで、それは「クリッピング」だという。全編はいずれ改めて送ってくるのだろうと藤岡は思った。自分だけの映像なら見る必要もない。それが映画の全体の中にいかに組み込まれているのかが重要だ。

例えば、藤岡の発言の前に、「『歴史修正主義者』の藤岡はこう語る」というナレーションを入れて藤岡の映像を入れても、クリッピングを見ただけではその処理はチェックできない道理だ。そして、これは実際に起こったことなのだ。

後で分かったことだが、藤岡がサインした合意書は、確かに藤木が全体的に手を入れたものだった。出崎のつくった「承諾書」という文書名を「合意書」と変更し、「甲・乙」で表記する形式にしたのも藤木の修正だった。何よりも重要なのは、「承諾書」にあった次の一項が「合意書」にはないことだ。

 《5 製作者またはその指定する者が、日本国内外において永久的に本映画を配給・上映または展示・公共に送信し、または、本映画の複製物(ビデオ、DVD、または既に知られているその他の媒体またはその後開発される媒体など)を販売・貸与すること》

これほど詳細かつ具体的に、制作者側のやりたい放題の権利を書き込むとは、ずうずうしいにもほどがある。「合意書」でこの5項が拒否され、明確に否定されたことは、今配給会社を通して上映されているような事態を「合意書」が認めていないことを意味する。

それだけではない。「合意書」には

 《8 甲は、撮影・収録した映像・写真・音声を、撮影時の文脈から離れて不当に使用したり、他の映画等の作成に使用することがないことに同意する》と書かれている。出崎のその後の行動は、この規定を破っていることが明白だ。この点に関して、二つの重大な事実を指摘したい。

●的外れな論評

第一に、出崎は藤岡の映像・音声を、「撮影時の文脈から離れて不当に使用」した。藤岡は映画「主戦場」の中で、「国家は謝罪してはいけない。国家は謝罪しないというのは基本命題だ。国家は、仮にそれが事実であったとしても、謝罪したらその時点で終わりなんです」と発言している。これをドキュメンタリー制作者の大島新は、「あまりにもあけすけで、無防備な発言」と評している(文春オンライン、六月十一日)。しかし、それは全くの的外れである。この発言は、口にすることがはばかられるような性格のものではない。

藤岡はこの発言を、アメリカを念頭において行った。アメリカは第二次世界大戦末期に、日本に原爆を投下して多数の無辜の人々を殺害するという、大戦中でも最大・最悪の戦時国際法違反を犯した。これはまぎれもない事実だが、これについてアメリカは、日本に一度も謝罪していない。オバマ前大統領が広島に来たのは、生きのこりの男性被爆者の肩を抱いて共感の意を表現しただけで、国家として謝罪したのではない。アメリカだけではなく、かつて植民地を持っていたヨーロッパの国で、旧植民地国に謝罪した例はない。藤岡は事実を述べただけである。

これは事実であるだけでなく、国家間のあり方の原則だ。かつて戦争をした国同士でも、いったん講和条約を結んで戦争に終止符を打った後には、戦争中の出来事について相手国に謝罪したり、謝罪を求めたりしないのが国家間のルールである。日本だけがいつまでも謝罪を求められ、かつ謝罪しているのは、日本が完全に独立した国家ではないことの現れである。

さて、映画「主戦場」では、藤岡の発言の直後に、レーガン大統領が第二次世界大戦中に強制キャンプに入れられた日系アメリカ人に一律二万ドルの補償をした上で謝罪する映像を、これ見よがしに流した。「ほら、アメリカという国家もこのように謝罪しているではないか」と言いたいのだ。藤岡は事実に反する嘘をついている、というのが映画が藤岡に加えた非難である。

だが、これほど愚かな話はない。「国家は謝罪しない」という命題は、国と国との間、国家間の関係について述べたものであって、一つの国家の中での政府と国民の間の関係について述べたものではない。レーガン大統領が謝罪した相手は、強制キャンプで辛酸をなめた日系人であり、彼らはれっきとしたアメリカ国民だったのだ。

●発言の文脈を無視

国家は国民の間で差別的処遇をしてはならないというのは、近代国民国家の存立の基礎であり、国家の大原則である。だからレーガンは、この件について犠牲者に謝ったのだ。これは政府(国家)と国民の間の関係である。日本だって、公害で敗訴すれば国家は謝罪することがあるし、最近の例ではハンセン病の患者のかつての処遇について安倍首相が謝罪したが、これは国家間ではなく国家と国民の間の関係であるから、誰も原理的には問題視しない。

全ての単語は、それが発せられる場の文脈のなかで意味をもつ。文脈を無視して単語の意味を確定しようとすることは、日常の会話においてさえ不可能である。慰安婦問題とは国際問題だと、出崎自身がメールでも文書でも繰り返し述べているではないか。合意書にすら、卒業制作のテーマを「歴史問題の国際化」だと出崎は書いているではないか。慰安婦の半数は日本人で、朝鮮半島の出身者よりもはるかに多かったのだが、元日本人慰安婦で国家を訴えたケースは存在しない。これだけでも、韓国人慰安婦の証言の信憑性を疑うに十分な事実である。

「国家は謝罪しない」という命題が語られる文脈とは、国際関係を論じている場の話であり、国家と国民の間の国内問題は視野に入っていない。映画のつくりは、原理的に異なる二つの文脈を混同し、映画制作者の無知をさらけ出したのだ。

ジャーナリストの江川昭子も、「国家が過去を謝罪する問題について、米国の戦時中の日系人強制収容問題という国内問題を対比させて、日本を批判するのはアンフェアの一例」(五月七日発信)とツイッターに書いた。何も特別なことではなく、常識のある人ならだれでも気付くことなのだ。

右のような混同を犯すとは、制作者には社会科学の基本的な概念すらないことの表れである。この誤りは致命的で、藤岡が指導教官ならこれだけで落第点を出す。出崎の指導教官はどうしてこれを合格させたのか、上智の教育のレベルは一体どうなっているのか、心配である。

第二に、出崎は「卒業制作」として大学に提出した映像を、商業目的で配給する映画に転用したが、これは「他の映画等の作成に使用することがないこと」という「合意書」8項の禁止条項に明確に違反する。多くの人は錯覚しているかもしれないが、商業的に公開されている映画「主戦場」は、私たちが合意した「卒業制作」とは別のものである。

●使用禁止条項を蹂躙

まず、タイトルからして違う。合意書には、「歴史問題の国際化に関するドキュメンタリー映画」とわざわざ下線まで施して書かれている。この映画に登場することを藤岡らは承諾したが、商業映画「主戦場」に出演するつもりはなかった。

両者は制作主体からして違う。卒業制作は、もちろん制作主体は出崎だが、映画「主戦場」の著作権は、劇場で七百円で売っている公式プログラム(28ページ建ての冊子)には、「C(○で囲む)NO MAN PRODUCTIONS LLC」と書いてある。LLCは、日本語で言えば有限(合同)会社である。

つまり、映画「主戦場」は、「ノーマン・プロダクションズ」という会社が制作し、同社が著作権を有しているのである。この会社の作品に藤岡たちの映像を使うためには、藤岡たちはノーマン・プロダクションズ社と契約を結んでいなければならないが、そんな契約はどこにもない。結局、出崎は「合意書」の禁止条項を蹂躙して、卒業制作とは異なる「他の映画」の作成に無断転用したのである。

一体全体、大学に提出した制作物を、研究対象者・研究協力者に無断で商業利用するなどということがあり得るのだろうか。こんなことを認めているらしい上智大学とはいかなる大学か。「指導教官」は誰で、何をしていたのか。こんな疑問がすぐに浮かぶ。

そこで、今回被害者となった藤岡、藤木、山本の三名(順序は五十音順)は四月二十七日付けで、インタビューに訪れた三人の大学院生の在学期間や、指導教官は誰か、などを問い合わせた。これに対して、五月九日に上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科の委員長(David Wank)から回答があった。大学院生本人の許可がなければ教えられないという返答であった。その後、指導教官の氏名だけは、全く別のルートから判明した。ご本人が公の場で名乗ったからだ。  四月十九日、参議院の議員会館一階講堂で、「戦争をさせない一○○○人委員会」と「立憲フォーラム」という団体の主催で、「安倍政治を終わらせよう! 4・19院内集会」という会合が開かれた。この集会で上智大学教授の中野晃一は、「政治を変える! プログレッシブ連合へ」と題して講演をおこなった。この模様はYouTubeでネットに流されたので、誰もが見ることができる。

●「指導教官」中野晃一の責任

そのなかで中野は、なんと映画「主戦場」の宣伝を買って出て紹介し、「実はこれ、私の教え子つくった映画でありまして」と、みずから出崎の指導教官であることを名乗り出たのである。しかも、その講演のなかで中野は、驚くべきことを述べていた。言葉どおりに文字起こしした発言を引用する。(傍線は引用者)

《ちょっとひとつ宣伝をさせてください。お手持ちのチラシの中に、この映画のチラシが入っていると思うんですが、よくご覧いただくと私も│[出演者の写真で]櫻井よしこの上、杉田水脈の隣という非常に微妙な位置に顔があるんですけれども│この映画に関わっておりまして、出てるだけではなくて、実はこれ私の教え子がつくった映画でありまして、修士の院生だったんですね。オリジナルカットのものが修士論文に代わる学位を取るための制作物で、ちょっと変わってるんですね》

その後、さらに編集やったり音楽入れたりとかですね、いろいろこれ本当に手弁当で、クラウドファンディングで少しお金集めただけで、本当に低予算で手作りなんです。もともとユーチューバーで、ビデオをつくって動画を載せたりした経験はあるんですけれども、そんな彼がですね、つくりました》

 

 

中野は、「オリジナルカットのものが修士論文に代わる学位を取るための制作物」(A)であるとし、「その後、さらに編集やったり音楽入れたり」してつくった映画(B)とをキチンと分けて説明している。「合意書」で藤岡らが許可したのは(A)についてであって、それを(B)に転用することは、すでに見たように「合意書」8項で明確に禁止しているのである。それは、契約違反・不履行に当たる違法行為であり、かつ、映像・音声の無断使用という著作権・肖像権・人格同一権を侵害する不法行為でもある。出崎のみならず、それを幇助した「指導教官」中野の責任も免れがたい。

中野は出崎が、ユーチューバーとして、女装して日本人女性を侮辱する動画をつくったりした過去を知っている。それでいて、その「教え子」の違法につくられた映画を宣伝までしてやっているのである。この師にしてこの弟子ありと言われても仕方がない。

●大学の規則にも違反

上智大学の規則を調べて見ると、「上智大学『人を対象とする研究』に関するガイドライン」というものが制定されている。ここで「人を対象とする研究」とは、今回の出崎の「卒業制作」のように、人に対してインタビューを行い、それをデータとしてまとめる研究などのことである。

藤岡らは、出崎の研究の研究対象者であり、研究協力者でもある。そして、研究の公表に当たっては、研究対象者の人権が守られなければならないとしてきびしい審査が課せられており、この審査をパスしなければ研究に着手することが出来ない仕組みになっている。大学としては、研究倫理について大変しっかりした基準を設けているのである。

ところが出崎の研究については、この審査を受けた形跡がない。毎年審査結果として、審査に合格した者のリストがネットにも公表されているのだが、該当する年度とその前後の年度を調べても、出崎の研究を合格したリストの中に発見することはできなかった。

右の「ガイドライン」には、事前審査を受けなければならない研究かどうかを自ら確認するための二十四項目のチェックシートが付いている。その一番目には、「研究対象者が何らかの身体的または精神的な負担、不快、苦痛あるいは危険性を伴う可能性がある」という項目が据えられており、出崎の研究は、まさにこの可能性があるものだった。

現に、藤岡らは名誉まで毀損され、耐えがたい苦痛を感じるほどになっている。各項目には〈yes no〉の選択肢が置かれ、二十四の項目のうち、ひとつでもyesがあれば審査を受けなければならないことになっている。出崎の研究は、一つどころか沢山の項目が当てはまるものである。  今後、藤岡らは、出崎と配給会社東風に対し司法的手段に訴えるとともに、出崎と中野の研究倫理違反の恐れのある行為に関して、上智大学に常設されている告発窓口に被害者として問題を提起する予定である。

映画『主戦場』への抗議声明の発表会見のご案内

映画『主戦場』への抗議声明を発表する記者会見の中継動画
日 時:令和元年5月30日(木)午後2時~4時
場 所:日本プレスセンタービル9階 大会議室

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令和元年5月22日

報道関係各位

映画『主戦場』に抗議する出演者グループ
代表 藤岡信勝 TEL:03-6912-0047 FAX:03-6912-0048

映画『主戦場』への抗議声明の発表会見のご案内

今年の4月より全国各地で公開されております、慰安婦問題をテーマとしたドキュメンタリー映画『主戦場』について、出演者である私どもは、その製作過程や内容に著しく法的、倫理的な問題があると認識しています。よって、この度、抗議声明を発表してそれらの問題点を明らかにし、今後の対応について発表させていただきます。

報道関係の皆様には、本件について是非とも取材・報道いただきたく、ご案内申し上げます。

<映画『主戦場』への抗議声明を発表する会見>

日 時:令和元年5月30日(木)午後2時~3時
場 所:日本プレスセンタービル9階 大会議室
(東京都千代田区内幸町2-2-1)
電話:03-3503-2721 FAX:03-3593-6233
東京メトロ 千代田線・日比谷線 霞ヶ関駅 C4
東京メトロ 丸ノ内線 霞ヶ関駅 B2
都営三田線 内幸町駅 A7
JR新橋駅 日比谷口(SL広場側)

会見者:藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会副会長)
山本優美子(なでしこアクション代表)
藤木俊一(テキサス親父日本事務局 事務局長)
ほか

記者会見