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自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは

長尾秀美氏(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)より論考「自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは」をいただきましたので、ご紹介します。

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英語/English

令和2年(2020年)6月15日

長尾秀美(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)

自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは

1.驚愕

5月7日、自称元慰安婦の李容洙氏が韓国の大邱で記者会見を開いた。彼女は正義連(旧挺対協)の資金管理が不透明だと批判し、毎週実施される水曜デモにはもう参加しないと述べた。

正義連は慰安婦募金、寄付金、および政府補助金を使って活動してきたようだが、驚いたのは、政府補助金が2016年から2019年まで約13億4300万ウォン(約1億1670万円)もあったことだ[1]。さらに驚いたのは、最初の少女像(高さ1.3メートル)」を製作した彫刻家の金運成氏はこれまでに100体近い少女像を作り、少なくとも31億ウォン(約2億7700万円)の売り上げがあったとされ、高さ10-50センチメートルの少女像も1万体近く売ったと推定されている[2]。少女像には大小を問わず著作権がある。ちなみに金氏は正義連の理事になっている。

検察当局が正義連の資金流用疑惑解明を進める一方、有識者や論説委員などは、国として、あるいは国民として、彼女たちに何ができるのか、何をするべきなのかを模索している。

李氏の批判は一部の人権保護活動家の私欲を白日の下に曝(さら)すと同時に、慰安婦問題に対する未曽有の意識変革をもたらしている。

2.なぜ

李氏はなぜ公の場で正義連を非難したのだろうか。その動機は何なのだろうか。私は彼女の立場になっていくつかの理由を推測してみた。

(1)30年にもなろうとする自分の活動に対し、納得できる結果が出なかった。

(2)自分は主役の1人なのだが、現状のままだと、舞台から引き摺り下ろされるという怯(おび)えがあった。

(3)これまで国内外の多くの場所に出掛けて話をしてきたが、報酬が少なかった。

(4)数年前の大統領晩餐会でトランプ大統領に抱き付こうとした行為が正当に評価されなかった。

(5)「容洙は独島だ、独島は容洙だ」と述べたことを世間が忘れようとしている。

(6)数十年前の実体験とこれまで自分が述べてきたこととの区別が最近あやふやになってきているので、今のうちに、世間の目を逸(そ)らそうとした。

(7)偽善に対する良心の呵責にやっと目覚めた。あるいは、

(8)最近は孤独に耐えられなくなっていた。

3.正義連と尹美香正義連前代表に対する批判

李氏は正義連と尹美香正義連前代表を以下のように批判しているが、多くが金銭に絡んでいる。

「挺対協が元慰安婦を30年間も売り飛ばしてきたことが、今やっと表沙汰になった。私は絶対に…正しい慰安婦歴史館を建てる」[3]

「水曜集会を中断すべきだ」 [4]

「30年間、芸は熊がやり、カネは熊使いがかすめ取った」 [5]

尹美香正義連前代表は、「私利私欲のため国会議員にもなっていった。容赦できない」 [6]

「尹氏に空腹なので食べ物を買ってほしいと頼んだが、カネがないと断られた [7]

4.韓日学生交流の提言

李氏は正しい歴史が何なのかを理解している。と同時に、韓日双方が受け入れられる歴史があれば、憎らしい正義連はともかく、自分たちすべてが否定されることも知っている。その上で以下のように訴えている。

「日本は1000年後も1万年後も慰安婦問題のために謝罪し、賠償しなければならないが、そのためには韓日両国の学生が正しい歴史を学ぶ必要がある。…。これを実現するためには両国が親しく過ごし歴史の勉強をしなければならない」[8]

5.自称元慰安婦の懊悩

5.1.人権活動の推進

日本を糾弾する慰安婦問題が韓国で大きなうねりとなったのは1990年代初めに挺対協(現正義連)が設立されてからだ。挺対協は慰安婦制度の被害者の名誉と尊厳を回復させ、人生の安定と自由を確保するという方針のもとに日本を糾弾する活動を始めた。

李氏は、1992年6月、元慰安婦だったと名乗り出た。そして慰安婦制度の被害者になり、いろいろな活動に参加するようになった。

正義連の目的は、日本による女性への人権侵害を世界に訴え、日本を糾弾することだ。しかし活動を継続させ、広げるためには資金が必要だ。そこで一般からの寄付を募ることにした。学生を含めた民間人からの募金や企業からの寄付が集まるに連れ、活動は国内から国外へ、国連へと広がっていった。政府からの補助金を得てからは、正義連は政府公認団体となった。とは言え、資金はいくらあっても足りないので、正義連は高額な慰安婦像売買、慰安婦問題関連商品の販売などにも精力を傾けていった。

李氏はそういう枠組みを理解していたつもりだった。

ところが最近になり、3つのことが李氏を悩ませるようになった。1つは、正義連が作り上げてきた自分の人格に対する以前からの批判だ。2つ目は、慰安婦問題の主役は誰なのかということだ。3つ目が、尹氏はもう正義連の代表者ではなく、国会議員になるということだ。

李氏の叫びはそこから派生したものだ。

5.2. 固定観念への疑問

李氏は過去30年を振り返った。恥ずかしさや悔しさが滲み出る思い出があり、高揚感に満ちた思い出もある。講演会や報道関係者との応答などを通じ、多くの人たちに会い、自分の過去を語り続けてきた。2007年には米下院公聴会やハーバード大学などでも自分の体験を証言した。2011年にはアメリカのニュージャージー州パリセイズパーク市に設置された慰安婦碑(*日本軍が20万人の女性を拉致したと記す)の前で号泣した。

様々な場所で会った人たちの自分に対する知識は、すべて自分が中国や台湾などで過ごした1944年からの2年間に凝縮されている。これまでの長い人生のうち青春と呼ぶにはあまりにも短い時間を断片的に切り取ったものだけだ。そして現在の自分を告発者としてしか見ていない。

人は幼少時代、青春時代、壮年期時代を経て人生の後半を迎える。李氏は大邱で生まれ育ち、弟4人のために幼い頃から働いた[9]。そんな辛さもあったが、父や母やおばさんの声は覚えている。14歳か15歳か16歳だった時、軍帽を被った日本人に連れ去られ、その際ワンピースと革靴をもらったような記憶がないではない。戦後、台湾から故郷に戻った。そして朝鮮戦争を含む激動の時代を居酒屋や屋台などで働きながら乗り切ってきた[10]。母の死後は保険会社の勧誘員としても働いた[11]。1989年に結婚したが、疑い深く暴力を振るう夫とは2年ほどで離婚した[12]。そんなごたごたに辟易していた1991年8月、金学順氏が元慰安婦として名乗り出た。挺対協の誘いに乗り、多くの女が自分たちは元慰安婦だったと告白し始めた。李氏も元慰安婦になることにした。渡りに船だった。

そんな過去を振り返っても3つの疑問は解消されない。尹氏は国会議員になるが、自分は没個性の慰安婦仮面を被ったままだ。

5.3. 没個性化の克服

人は嘘を言ってはいけないと言われて育つ。それでも世の中には嘘が溢れている。李氏もそんな相反する世の中を幼いながらも見てきた。自分は便宜上嘘をつくが、他人の嘘は許せない。自分は誰かを利用しても、誰かに利用されたくはない。

李氏は考えた。自分の人格は正義連の尹美香氏などに言われて作り上げてきた1944年から2年間の虚像だ。記憶と意識の作用を意図的に乱し、良心が志向することを無視して作り上げたものだ。

李氏は是が非でも自分の新たな姿を残したくなった。そのためには何をどうすれば良いのか。

日本に対する千年の恨(はん)を声高に主張するのも一つの方法だが、それだけでは弱い。数年前どこかで話した韓日学生交流による歴史的考察は、あまりにも白々しい。自分自身がその限界を知っているからだ。

他に手段はないのか。公けの舞台でもう一度主役になり、主役のまま舞台を去りたい。そこで思い当たったのが暴露戦術だ。資金管理不正を告発すれば、世間は注目する。そこに新たな自分が生まれる。失敗してもこの方法なら、正義連と尹氏は無傷では切り抜けられない。

李氏は、叫び声を挙げることにした。「条件反射的反日だけでは問題を解決できない」などという学者の意見など、自分にも正義連にも政府にも関係ない。

6.以上は私が想像した李氏が叫び声を挙げるまでの過程だ。惜しまれるのは、それまで誰も李氏に女性史研究家だった山崎朋子氏が『サンダカン八番娼館』で書いたおサキさんのことに触れなかったことだ。誰も李氏にキリスト教徒で民主化運動指導者だった威錫憲氏が残した言葉を伝えなかったことだ。

6.1.山崎氏はおサキさんについて、以下のように書いている[13]。おサキさんは10歳で兄に300円で売られ、〝からゆきさん〟としてインドネシアへ行き、戦後夫と息子と共に京都へ行き、寡婦になってから故郷の九州へ戻り、天寿を全うした。からゆきさんとは明治から戦後まで日本から海外へ出掛け、売春婦になった女性のことだ。

〈おサキさんは、…。人びとから差別の目をもって見られながら、拗ね者になったり、反社会的な行為をしたりすることなく、かえって自己の人格を高めたのだ。…。おサキさんの(*思いやり)は、人間はもちろんのこと、「あれも、いのちのあるもんじゃけん――」と言って、自分の食物を削って九匹の捨て猫に分けあたえるほど広いのである。〉

6.2.威錫憲氏は、下記のように書いている[14]

〈「人間は抵抗するものだ。抵抗すること、それがまさしく人間である。…。生活体験というものは、個人が自己の存在を独自な価値を持つ人格的なものとして理解して掘り下げ、とらえ、表そうとすることから生じるものであ」る。〉

7.李容洙氏の目論見は叫びによって一見成功したようだ。しばらくの間は孤独感に苛(さい)まれることもないだろう。しかし、正義連の資金管理に司直の手が入ったことと、世間による彼女の人格評価とは別物だ。誰にとっても現実は厳しいが、人格者に救われる人は多い。歴史認識とは無関係だが、結果として李氏は歴史に名を残すことになった。

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[1] 2020年5月26日 10:17配信 中央日報日本語版
尹美香元慰安婦団体代表、4日後には不逮捕特権…検察、週末も捜査

[2] 2020年6月3日 11:40配信 朝鮮日報日本語版
校庭に少女像設置しようとしたら…正義連理事が著作権を盾に阻止

[3] 2020年6月6日13:11配信 WoW!Korea
元慰安婦イ氏「我々を売り飛ばした“悪人”…必ずいつか恨みを晴らす」

[4] 同上

[5] 2020年5月31日05:40配信 朝鮮日報日本語版
【萬物相】「芸は熊がやり、カネは熊使いがかすめ取った」

[6] 2020年5月26日10:40配信 朝鮮日報日本語版
「なぜハルモニたちを売ったのか」…30年の恨がこもった李容洙さんの絶叫

[7] 2020年5月26日10:10配信 朝鮮日報日本語版
空腹訴える元慰安婦に「カネはない」と言っ放った尹美香氏、家5戸を現金で購入していた

[8] 2020年5月25日 16:47配信 聯合ニュース
慰安婦支援団体批判の被害者 歴史学習と韓日学生親善の必要性を強調

[9] 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『証言―強制連行された朝鮮人慰安婦たち』1993年、明石書店、pp.131-132

[10] 同上、p.142

[11] 同上、p.143

[12] 李容洙・高柳美知子『わたしは日本軍「慰安婦」だった』2009年、東京、新日本出版社、pp.78-79

[13] 山崎朋子『サンダカン八番娼館―底辺女性史序章』1972年、東京、筑摩書房、p.255

[14] 威錫憲『苦難の韓国民衆史』1980年、東京、新教出版社、p.399、p.15

OUTCRY OF LEE YONG-SOO, FORMER COMFORT WOMEN

日本語/Japanese

June 15, 2020

Hidemi Nagao ( Former Civil and Media Liaison Officer of the Commander U.S. Naval Forces, Japan, Novelist and Non-fiction Writer )

OUTCRY OF LEE YONG-SOO,  FORMER COMFORT WOMEN

1.Surprise

  Lee Yong-soo, a self-proclaimed comfort woman, held a press conference in Tague, South Korea, on May 7.  She accused Seigiren by questioning its money management practices.  She added that she would not join the Wednesday demonstrations any longer.

    Seigiren (the Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan) gets not only private funding from individual and corporate donors but also government subsidies.  What is surprising is it obtained 1.343 billion won (approximately 1.167 million yen) from the South Korean government from 2016 to 2019.[1]  Another surprise is that Kim Eun-Sung, the sculptor who made the 1.3-meter-tall girl statue in front of the Japanese Embassy in Seoul, made more than 100 replicas and cashed in at least 3.1 billion won (approximately 277 million yen) so far.  Kim is believed to have sold close to ten thousand smaller statues (10 to 50 centimeters tall). [2]  The replicas, large or small, are copyrighted.  He is one of the directors of Seigiren.

    While the prosecutors are investigating Seigiren’s accounting irregularities, the intellectuals and media columnists are struggling to find out what the nation and the public can do or should do for the comfort women issue.

    Lee’s accusations have not only uncovered personal greed of certain human rights advocates but also brought about an unprecedented change in public perceptions of the issue.

2. Why?

    Why did Lee publicly criticize Seigiran at all?  I got intrigued to figure out what prompted her to do it.  Putting myself in her shoes, I try to make a guess below.

    (1) Lee has not been happy with results of her commitments for the past 30 years.

    (2) Though she has been one of the key players, she is getting afraid of being pulled out of center stage as things are going on now.

    (3) She has not been duly paid for her commitments in places both domestic and foreign.

    (4) Her act to give a hug at President Trump at a presidential banquet has not been properly recognized.

    (5) The public is no longer paying any attention to her bold statement that “Yong-soo is the Dokdo and the Dokdo is Yong-soo.”

    (6) Because she recently finds it hard to tell which is true, her personal experience of decades ago or what she has been narrating about it, she intended to divert the public attention to something else.

    (7) She has, at long last, begun to have qualms of conscience about having practiced hypocrisy.  Or,

    (8) She has lately been suffering from isolation.

3. Criticisms against Seigiren and its former leader Yoon Meehyang

    Most of Lee’s criticisms are related to money as shown below.

    Lee sobbingly said, “The fact that the Korean Council (Seigiren) has been making business of the former comfort women for the past 30 years came to light at last.  I will swear to construct a comfort women history museum.” [3]

    Lee appealed, “The Wednesday demonstrations should be terminated.”[4]

    Lee complained, “The bear trainer taught bears to do tricks and the trainer swindled all the money for the past 30 years.”[5]

    Lee fumingly said, “Yoon Meehyang became a congressperson for her personal greed.  It is unforgivable.”[6]

    Lee once asked Yoon to buy some food because she was hungry.  Yoon refused to do so by saying, “I don’t have money.”[7]

4. Proposal of exchanges of South Korean and Japanese students

    Lee understands what righteous history is.  She is well aware, at the same time, the authenticity of the hateful Seigiren as well as all self-proclaimed comfort women would be denied if there comes a day when both South Korea and Japan can share common historical perceptions.

    Lee preached, “Japan must apologize and pay reparations to the comfort women for the next one thousand years, even ten thousand years.  It is necessary, as a prerequisite, for the students both in South Korea and Japan to learn history from a proper perspective.  Both nations must become friendly to put the process on the right track.”[8]

5. Dilemma of the self-proclaimed former comfort woman

5.1.    Promotion of human rights activities

    The comfort women issue made a big wave in South Korea in early 1990s when Seigiren was established.  Seigiren launched a policy to restore honor and respect and to secure stability and freedom of the victims of the licensed prostitution system and began a variety of protest activities against Japan.

    Lee came forward as a former comfort woman in June 1992.  She became one of the victims of the system and took part in Seigiren activities.

    Seigiren’s purpose was to denounce Japan by appeal violations of the women’s rights to the world.  It required funds to promote and continue its campaigns.  Its leaders decided to collect donations from the public.  As donations came in from students and people and from businesses, so Seigiren expanded its campaigns overseas and to the United Nations.  Once it succeeded in obtaining subsidies from the government, Seigiren became a government-endorsed entity.

    Funds would never be sufficient.  So, Seigiren committed itself to raise money by selling girl statues and other comfort women related goods.

    It was only recently when Lee got concerned about three things.  One is a long-standing criticism against her personality, the image of which Seigiren created.  The second is a question of who should be at center stage as far as the comfort women issue is concerned.  The third one is Yoon is no longer a civic leader but a congressperson.

    Lee’s outcry derives from the three things above.

5.2.    Misgivings about stereotypical views

    Lee reflected on her life for the past 30 years.  Some recollections were embarrassing but others were elating and pleasant.  She always narrated her sufferings at seminars and media availabilities, meeting with a variety of people.  She took a witness stand at the U.S. Congress and at a Harvard University hall in 2007.  She cried loudly at Palisades Park in New Jersey in 2011 when a comfort women cenotaph was unveiled, an inscription of which stated that the Japanese military abducted 200,000 women to warfront.

    The knowledge of those people Lee met at various places is limited to the two years since 1944 when she was in China and Taiwan.  The timeframe—too short for anyone’s adolescent years—was, at best, a fragmentary phase of her long life.  And they regard her only as an accuser.

    One goes through a life being a child, an adolescent, and an adult before becoming an aged.  Lee did so, too.  Being born and raised in Taegu, she had painful days because she had to work for four younger brothers.[9] She still remembers voices of her father, mother, and an aunt.  When she was 14, 15, or 16, a Japanese who put on a military cap gave her a dress and a pair of shoes and took her away though her memories are not so clear today.

  After the war ended, Lee returned from Taiwan to Taegu.  Working as a waitress at taverns and grab-joints, she managed to live through such hard times as the Korean War.[10]  After her mother’s death, she worked as an insurance vender, too.[11]  She got married to an elderly man in 1989 but got divorced in two years as he was very suspicious and violent.[12]  In August

  1991 when she was sick and tired of the personal trouble, Kim Hak-sun came to the fore as a former comfort woman.  Quite a few women followed her suit in response to Seigiren’s encouragement.  Lee decided to join them.  She viewed it as a godsend.

    Those recollections did not help her overcome the three embarrassing questions.  Things are moving; Yoon would soon become a congress person.

Lee remains as a woman putting on a comfort woman mask, which is nothing but a symbol of depersonalization.

5.3.    Overcoming the depersonalization

    One grows being told not to tell a lie.  Reality is the world is full of lies, which Lee also personally experienced.  Lee allows her to tell a lie for the purpose of convenience.  It is unforgivable, however, for others to tell her a lie.  Likewise, she does not mind using others for personal benefit, but she does not want to let others use her.

    Lee gave a serious thought about the status quo for a while.  Her personality was a work-up of Seigiren and Yoon; an idolized creation for the two years since 1944.  It was a product intentionally defying her memory, reason, and conscience.

    Lee made up her mind that she should create a new personality.  What should she do?

    One way is to appeal to the public the Han of a thousand years against Japan more loudly than ever before.  She knows it has already become a

cliché.   A proposal of historical reviews by students of both South Korea

and Japan—which Lee talked about a few years back somewhere—is superficial at best.  For, she is aware of its limitations.

    There must be other means.  Lee wants to be a central player on stage again and leave the stage as one.  …  It dawned on Lee.  Exposing hidden malpractices would do.  The world would pay attention to her once again, which ushers in her new image.  Even if her exposure tactics fails, Seigiren and Yoon would not survive unscathed.

    Lee finally decided to cry out loud.  She or Seigiren or the government could care less about an academic criticism that Pavlovian anti-Japanese campaigns alone would not solve the issue.

6. What I wrote above is my guess of Lee’s flow of thoughts. It is quite unfortunate for no one to have mentioned her what Tomoko Yamazaki, a Japanese historian on women, wrote in her book about Osaki-san in 1972 and what Ham Seok-heon, an avid Quaker and a pro-democracy movement leader throughout his life (1901-1989), stated in his book in 1962.

6.1.    Yamazaki wrote the following about Osaki-san.[13]

    “Osaki-san was sold as ‘Karayuki-san’ by her brother Funazo for 300 yen when she was ten years old.  She was taken to Sandakan in Borneo, Indonesia and she became a prostitute at the age of 13 (*Karayuki-san are Japanese prostitutes who did business in foreign countries).  After the war, she fled from Manchuria with her husband and a son and lived in Kyoto; upon her husband’s passing, she alone came back to Kyushu; and she peacefully died there years later.”

    “Osaki-san, despite her having been exposed to the villagers’

prejudice in Kyushu, elevated her personality to a noble level, without becoming cynical or anti-social.  She had a big heart not only toward other people but also toward nine stray cats living around her house.  Osaki-san gave them food while having barely enough food for herself.  She said to me, ‘They also have a life to live through.’”

6.2.    Ham Seok-heon wrote as follows in his book.[14]

    “A human being is born to resist.  Resistance proves the existence of the human being.”

    “Life experience derives from a mental process of understanding, scrutinizing, and demonstrating one’s existence as a unique and valuable personality.”

7. Lee Yong-soo’s attempt seems to have achieved an objective. She would not feel lonely for a while.  But the authorities’ investigations to the allegations against Seigiren’s fund management are irrelevant to public appraisal of Lee’s personality.  People always face a harsh reality, but the reality also sees many people being saved by a person(s) of integrity.
Lee Yong-soo will earn her place in history though it has nothing to do with historical perceptions.

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Bibliography

[1] The Japanese language edition of the JoongAng Ilbo dispatch at 1017 on May 26, 2020

[2] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 1140 on June 3, 2020

[3] The Japanese language edition of Wow!Korea dispatch at 1311 on June 6,2020

[4] Ditto

[5] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 0540 on May 31, 2020

[6] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 1040 on May 26, 2020

[7] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 1010 on May 26, 2020

[8] The Yonhap News dispatch at 1647 of May 25, 2020

[9] The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan and Teishintai Research Committee, Ed. (1993). Shogen–Kyosei Renko Sareta Chosenjin Ianfu Tachi [Testimonies – Korean Comfort Women Forcibly Recruited] (author translation). Tokyo. Akashi Shoten Publishing, pp. 131-132

[10] Ditto, p. 142

[11] Ditto, p. 143

[12] Lee Yong-soo and Michiko Takayanagi. (2009). Watashi wa Nihongun Ianfu Datta [I was a comfort woman for the Japanese military] (author translation). Tokyo. ShinNippon Shuppan Publishing, pp. 78-79

[13] Yamazaki, Tomoko. (1972). Sandakan Hachiban Shokan [Brothel Eight in Sandakan] (a/t). Tokyo. Chikuma-Shobo Publishing, p. 255

[14] Ham Seok-heon. (1980). Kunan no Kankoku Minshu-shi [History of hardships of the South Korean people] (a/t). (Kim Hak-hyon, Trans.) Tokyo. Shinkyosha Publishing, p. 399, p. 15