慰安婦記念碑が建ったバージニア州在住の方からの報告です。
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私は5月30日、慰安婦記念碑に関する好奇心で除幕式を見学するつもりで参加しました。午後5時に始まった講堂でのセレモニーは、Chairman Bulovaが郡のProclamation(resolution=声明、決議)を読み上げてその幕を閉じました。
慰安婦記念碑には郡を示す言葉はどこにもみあたりません。ワシントン慰安婦問題連合とマイク・ホンダが設置したことになっています。
前列の席を陣取っていた報道関係者が額に納められたProclamationを撮影していました。これは郡の正式なドキュメントですので、主催者にインターネットで公表するように要請したとろこ、すべてのセレモニー参加者に配布した案内に印刷されている、とのことでした。
配布された案内をみると、確かに印刷されていています。
日本の新聞でほんの一言だけが記事になっていますが、慰安婦問題をめぐる郡の理解とか全体の動きを伝える報道はなされていないようです。
そのProclamationをスキャンした画像がこちらです。
このProclamationには二つの問題点が考えられます。
一つは、ワシントン慰安婦問題連合 (Washington Coalition for Comfort Women Issues. Inc.)から慰安婦碑設置の話が持ちかけられた郡の議員の議事録があるのかどうか、二つは、慰安婦碑設置およびProclamation(決議)は郡の施策として非常に重要な法的・政治的行為ですので、賛否双方の意見を聞く公聴会を開かなければならないはずですが、私の知る限りでは、その記録はありません。
もし、決議および慰安婦碑が郡の名で設置されたとすると、日韓の外交政策への干渉と考えられますので、アメリカの憲法・連邦法(外交権)に抵触する可能性があります。私の推測に過ぎませんが、そのために、慰安婦碑の設置は民間組織によるものであり、決議は非公式なものであるかのように舞台が設定されたのかもしれません。と言いますのは、「9・11慰霊碑」には2002年9月の日付が刻まれていますが、慰安婦碑にもProclamationにも日付が明記されていないからなのです。
この慰安婦記念碑から一跨ぎの所に二つの木製ベンチがあり、その脇にうっかりすると踏みつけてしまうのではないかと思われるほどの目立たない「9・11慰霊碑」があります。
写真をみていただければ一目瞭然、慰霊碑は2002年に郡が正式に設置したものです。
数日後、庁舎にでかけると、裏庭に通じるドアは「関係者のみ」となっていて、ドアをあけると警報機が鳴る仕組みになっていました。受付にでかけ、私の慰安記念碑訪問の目的を説明すると、コンピュータで調べ、「確かに記念碑があります」との返事が返ってきました。すると、一人の受付の女性が「そこまで案内をしましょう」との申し出があり、コロシアムと言われる半円形の建物にそって歩きながらおしゃべりをしました。その週末に三日間の郡のFair(お祭り)があるので準備に追われているとのことでした。子どもを中心とした多くの乗り物や食べ物でにぎわう年一度の祭典です。「9・11慰霊碑」は目に付きませんが、慰安婦記念碑にはブルーの大きな蝶の形をした椅子がありますので、誰の目にもとまります。何事かと思いながら、多くの人の注目を集めるかもしれません。ワシントン慰安婦問題連合はすばらしいタイミングつかんだ除幕式を行った、と感心してしまいました。
私を案内してくださった女性に「ところで、comfort women」とはどういう意味ですか、と質問してみました。しばらく考えて、「そんな言葉は聞いたことがない。もしかすると、自宅で養生する患者を世話する看護婦さんかもしれないが、耳新しい言葉です」、が彼女の返事でした。
後日、郡のお祭りにでかけました。報告したり写真を撮るに値しないほど、閑古鳥がないていました。そこで、お祭りに見えた、若者の集団や孫とも思える小さな子どもと一緒の老夫婦などに「郡の庁舎に慰安婦の碑が出来たと聞きましたが、どこにありますか?」と、声をかけました。「お前は何をいっているのか?慰安婦なんか聞いたことはない、あそこの受付に聞いてみなさい」との言葉が返ってきました。そして、お祭りを案内する受付に出かけ、同じようなことを聞いてみると、「ここは、郡の庁舎だよ、あなたは何を考えているのか」と言われました。三組目の人に声をかけると、嫌な顔して、「お前は英語がわかっていないようだ?comfort womenは英語じゃない、私の知ったことではない」とのこと。そこで、もう声をかけるのを諦めました。
以上
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【碑文】
正面:
IN HONOR OF THE WOMEN AND GIRLS WHOSE BASIC RIGHTS AND DIGNITIES
WERE TAKEN FROM THEM AS VICTIMS OF HUMAN TRAFFICKING DURING WWII.
OVER 200,000 WOMEN AND GIRLS FROM KOREA, CHINA, TAIWAN, THE
PHILIPPINES, INDONESIA, MALAYSIA, VIETNAM, THE NETHERLANDS AND EAST
TIMOR WERE ENFORCED INTO SEXUAL SLAVERY AND EUPHEMISTICALLY CALLED
‘‘COMFORT WOMEN’’ BY IMPERIAL JAPANESE FORCES DURING WWII.
WE HONOR THEIR PAIN AND SUFFERING AND MOURN THE LOSS OF THEIR
FUNDAMENTAL HUMAN RIGHTS.
MAY THESE ‘‘COMFORT WOMEN’’ FIND ETERNAL PEACE AND JUSTICE FOR THE
CRIMES COMMITTED AGAINST THEM. MAY THE MEMORIES OF THESE WOMEN
AND GIRLS SERVE AS A REMINDER OF THE IMPORTANCE OF PROTECTING THE
RIGHTS OF WOMEN AND AN AFFIRMATION OF BASIC HUMAN RIGHTS.
WASHINGTON COALITION FOR COMFORT WOMEN ISSUES, INC.
裏:
US CONGRESS UNANIMOUSLY RESOLVED HR 121 ON JULY 30, 2007
THAT THE GOVERNMENT OF JAPAN SHOULD FORMALLY ACKNOWLEDGE,
APOLOGIZE, AND ACCEPT HISTORICAL RESPONSIBILITY IN A CLEAR AND
UNEQUIVOCAL MANNER FOR ITS IMPERIAL ARMED FORCES’ COERCION OF
YOUNG WOMEN INTO SEXUAL SLAVERY, KNOWN TO THE WORLD AS
‘‘COMFORT WOMEN’’, DURING ITS COLONIAL AND WARTIME OCCUPATION OF
ASIA AND THE PACIFIC ISLANDS FROM THE 1930S THROUGH THE DURATION
OF WORLD WAR II.
REP. HONDA, MICHAEL (CA15) (INTRODUCED JAN. 31, 2007)