韓国水原市はドイツのフライブルク市の姉妹都市。 2016年にフライブルク市に慰安婦像設置を提案し、実現しなかったことがありました。
[参考]フライブルク市長 ドイツ紙インタビュー「私がこれを知った時、私は悪用されたと感じました。」
水原市には、市内のオリンピック公園に慰安婦像が設置されています。
その慰安婦像前で2021年10月8日、國史教科書研究所の金柄憲 所長が「慰安婦詐欺劇の象徴、少女像を撤去せよ❗️」と横断幕を掲げ、「日韓外交の破綻の主犯戯言を言わずに自信があれば討論せよ❗️」とプラカードを持って一人デモを行いました。
その時に読み上げた声明文をご紹介します。
[声明書]水原市は慰安婦詐欺劇の象徴、慰安婦少女像を直ちに撤去せよ!
現在、水原市庁前のオリンピック公園には2014年5月、市民の建立基金と水原市の積極的な主導によって建てられた慰安婦少女像が設置されている。 当時の除幕式には簾泰英水原市長、詩人の高銀氏、日本軍慰安婦被害者の金福童氏と吉元玉氏、尹美香挺隊協代表、そして水原居住慰安婦被害者の安占順氏などが出席し、盛大な除幕式を行った。
しかし、この慰安婦少女像は彫刻家の間違った慰安婦認識と憎悪心が投影された歪曲と憎悪の象徴物に過ぎない。 彫刻家は「空いた椅子に刻まれた約束」という自身の作家ノートで「日本政府が戦争で’性奴隷’とした対象は、年老いたおばあさんたちではなく、花のような少女たちと若い女性たちだった。 日本による植民地時代 朝鮮の花のような歳の少女たちと若い女性たちを騙したり、強制的に戦場に連れ去ったりして性奴隷とし、ひどい場合は殺害という無残な犯罪をためらわずに犯した残酷な歴史を記憶させたかった」と述べたが、これは作家の歪んだ慰安婦認識と憎悪心の表出に過ぎない。
作家は日本軍が朝鮮少女を強制的に動員したと主張したが、日中戦争と太平洋戦争の時、朝鮮の女性はいかなる名目であれ、動員対象ではなかった。 日本軍が朝鮮の女性を慰安婦に動員するため、戦争中に朝鮮まで来て女性たちを連れて行ったという設定は荒唐無稽だ。 軍人は国家公務員であり、彼らの行為は公務である。 もし女性を動員することがあったなら、必ず関連法令がなければならない。 しかし当時の朝鮮女性たちは国家総動員法による動員対象ではなく、抱え主と人事紹介業者の募集対象に過ぎなかった。 たとえ女性を招集または命令することがあっても、文書を交付して場所や時間を告知すべきであって、各郡あまねくついて行って引っ張って来ることはできない。 日本の軍人たちが銃刀で脅して田舎娘を連行したという主張は、三流小説にも出てくる話だ。
次に慰安婦を日本軍性奴隷と主張するが、これも同様に歪曲である。 奴隷とは、「人間としての基本的な権利や自由を奪われ、他人の言う通りにする人」のことである。 もし、慰安婦が日本軍の性奴隷だったなら、日本軍は誰であれ、またいつでも慰安婦を対象に自分の性欲を満たして暴行を加え、必要ならば売り渡される。 しかし、日本軍は慰安所規定に定められた階級別の時間料金を支払わずして、慰安所を利用することは不可能だった。 また、酒に酔った場合は出入りに制限をし、慰安婦に対する不当な行為があった場合は必ず処罰された。 お金があれば利用でき、なければ利用できなかった。慰安婦にむやみに対することもできなかった。 なのに一体全体何故慰安婦が日本軍の性奴隷なのだろうか。
戦争犯罪の被害者という主張に対してはさらに呆れるほどである。 1998年のゲイ·マクドゥーガル国連人権委員会報告書では、戦争犯罪について「強姦を含む性暴力行為が国際紛争が行われる間、敵軍や占領軍によって行われたとき」と定義している。 国際紛争や武力衝突地域で敵対国の女性を拉致、強姦、殺害するなどの行為が戦争犯罪なのである。 しかし、朝鮮と日本は相互武力衝突国家でないうえ、当時、朝鮮の女性は日本国民だった。 しかも慰安所は占領地の女性に対する強姦という戦争犯罪防止のために運営された合法的売春空間であって、慰安婦はここで規定された料金をもらって性的サービスを提供した女性たちなのである。 なのに何故、彼女らのことを日本軍によって強姦され無残に殺された戦争犯罪被害者と呼ぶのだろうか。
最後に、作家は日本軍にだまされたり、強制的に戦場に連れ去られた10代前半から10代半ばの幼い少女を作品に表現するため、11歳の娘をモデルにして13歳から15歳の少女像を制作したという。 しかし、日本軍の慰安婦になるためには、出国前に砲え主と契約を結んだ後、身分証明書の発給を受けなければならず、現地に到着してからは現地領事館警察に出頭し、親権者の承諾書、戸籍謄本、印鑑証明書、営業許可願書、営業人調査書、写真2枚を提出し、営業許可を得なければ慰安婦生活をすることができなかった。 むろん、戸籍謄本は親権者を確認する以外に年齢の確認が目的であり、これを欺くことは、文書を偽造しない限り不可能だった。 問題は当時、日本軍の慰安婦は17歳以上でなければできなかったため、13~15歳の少女は、国内であれ駐屯地の日本軍慰安所であれ、営業許可が出なかったのである。
年齢について彫刻家は金福童は15歳、吉元玉は13歳で日本軍「慰安婦」に連れて行かれたというが、これも事実とはかけ離れた話だ。 金福童氏の証言によると、金氏は14歳で「挺身隊」動員名目の公務詐称詐欺犯によって連れ去られたというから、正常な手続きによって慰安婦に募集されたのではないし、日本軍に連れ去られたという証言もどこにもない。
一時、平壌(ピョンヤン)妓生学校に通っていた吉元玉氏は、13才の時に父親が古物商をしていたが贓品を取り扱ったために投獄された父親のため、肉屋に自らを20ウォンで売り、金を稼ぐために豆満江(トゥマンガン)を渡って満州に行き、売春宿で働いた後、15才頃に体がボロボロになった状態で帰ってきた。 その後吉氏は軍需工場で働いていたが、妓生学校の友人に会い、「中国に行けば楽に金をたくさん稼げる」という話を聞き、再び鴨緑江を渡って北中国に行くことになった。 したがって、吉氏はお金を稼ぐために自発的に行ったのであって、日本軍に連れて行かれたのではない。
以上に述べたように、国内外に設置された数多くの慰安婦少女像は、すべて慰安婦に対する歪曲·捏造された情報をもとに制作·設置された。 そのうえ、これら慰安婦像は表向きには「平和」という名を掲げているが、実情は国内外で絶えず葛藤と反目を引き起こし、韓日外交を破綻に追い込んでいる醜物であり憎悪と葛藤の象徴に過ぎない。 ここ水原慰安婦少女像も例外ではない。
よって私たち慰安婦法廃止国民行動は、歴史を歪曲し真実をごまかした水原市慰安婦少女像を速やかに撤去することを求める。
2021. 10. 8.
慰安婦法廃止国民行動