1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故から今年2025年で40年になります。残念なことに時が経つにつれ益々事実無根、荒唐無稽な馬鹿げた陰謀説が流れているのが現状です。
そこで「損なわれた当時の関係者と自衛隊の名誉を回復する」目的のためになでしこアクションのサイトに
JAL123 カテゴリー http://nadesiko-action.org/?cat=38
を作成しました。
拡散にご協力お願い申し上げます。
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1985年8月の日航機123便墜落事故の現場「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)。
事故から40年となる2025年のこの秋、冬季閉鎖(11月中旬~4月下旬)になる前の10月30日に有志四人で御巣鷹山慰霊と上野村に行ってまいりました。
現地の様子と発見を写真とショート動画と一緒にご報告します。
<メンバー>
◆ 空花 正人:元日本航空社員、日航機事故当時は大阪空港支店航務課に勤務
◆ 南 尚志:元航空自衛官戦闘機操縦員、事故当時は百里から緊急発進したF4の二番機後席で事故機墜落の位置の測定等実施
◆ 加藤 匡純:登山愛好歴50年・薬学博士
◆ 山本 優美子(記録担当):事故当時、父親が航空自衛隊入間基地副司令、災害派遣の空自現地指揮官を務めた
[09:00ころ] 関越自動車道 下仁田ICを通過してroute45経由で上野村に入りました。
(上野村に向かう道)
[09:35] 川の駅上野(上野村ふれあい館)に到着。小休憩。
山が迫っているので、空が狭く感じられます。
かなり上空を旅客機らしき飛行機が飛んでいるのが見えました。
[09:55] 川の駅を出発。
たくさんのトンネルを抜け、急カーブの坂を上り、登山口を目指します。
[10:30] 登山口駐車場 到着
平日ですが、意外と車が停まっています。
[10:40] ここから徒歩で登ります。登山者用に杖が置いてありました。
階段を登っていきます。
階段が急になってきました。
天候良く日がさしているので、登っていると暑くなります。
[10:55] 途中に休憩できるベンチがあります。
[11:00] この先、犠牲者のご遺族が立てた慰霊の墓標(板や碑)があります。
一番手前にあるのがこの碑です。
「N総理・自衛隊が 意図的に 殺害した乗客・犠牲者」と記されています。
もう一息
[11:12] 昇魂之碑 の場所に着きました。
管理人の黒沢完一さんがいらっしゃいました。
更に登っていくと遺品等のある小屋、様々な碑、遺族が立てた墓標があります。
もっと登っていくと、登山道ができていました。
転げ落ちそうな急斜面です。
説明表示「123便は最初に一本カラ松に接触し、続いてU字溝の部分に接触しました」
[12:00] 管理人の黒沢さんにご挨拶し、下山します。
慰霊登山ができるよう、整備して下さっている上野村と関係者の皆様に感謝です。
山を下って上野村訪問へ。
慰霊の園

上野村役場
(2025.11.1 現在 人口991人 男497人 女494人、世帯数509)
[16:00] 小学校校庭から御巣鷹山の方角を眺めてみると、、、
[16:30] 上野村を後に帰路に着きました。
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御巣鷹山慰霊・上野村訪問の感想
加藤 匡純
今日は、お天気が非常に良くて、山に来てもこのくらいだと非常に助かりました。
今日の収穫は、前回行ったところより、高いとこまで行きまして、一本カラマツとU字溝が実際に目で見えたというところです。
それから、何と言っても小学校の敷地内から稜線で御巣鷹山は見えません、ということが確実に分かったとうことです。その辺が大きいですね。
ものを叫ぶのには、確信を持ってないと言えませんので。
その辺が大変収穫でした
南 尚志
空花さんのお声かけのおかげで、40年かかって「サバイバーズ・ギルト」~ 自分だけ生きて帰ってきて良いのだろうか~みたいな感覚で40年間生きてきたので、その思いがやっと、御巣鷹山の亡くなられた皆様に対して慰霊ができてかないました。
お仕事が忙しい(1番機後席)渡辺修三さんと、連絡が取れていない(2番機・私の前席)赤星さん(編隊長・1番機前席)亡くなられた式地先輩、4人分のお祈りをしてまいりました。
空花 正人
急な企画も含めてね 来ていただきありがとうございました。
私何度も足を運んでいますけど、ますます愛着といますかね、忘れられない存在でいつもそばにいるようなそういった感じにとらわれました。
今日はどうもお疲れさまでした。




























