GAHT-Japan の非営利法人(NPO)としての正式発足の為、東京を訪問中の目良代表が、
2015年3月30日のチャンネル桜にて活動の現況報告をしました。
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歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)
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★クレジットカードでの寄付
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★銀行振込みによる資金提供
銀行名:三菱東京UFJ銀行
ミツビシトウキョウユウエフジェイギンコウ
支店名:藤沢支店、支店番号257
口座番号:0351034 普通預金口座
口座名:歴史の真実の会寄付金口座 会計桝田淑郎
振込の際の記入口座名:レキシノシンジツノカイキフキンコウザ
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チェック送付先:
GAHT-US Corporation
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こんちは、
さっそくですが、
米国国務省の、慰安婦制度は「性目的の人身売買」との見解表明、また、先日の安倍総理の「人身売買」発言。
慰安婦問題において、「人身売買」がひとつの争点になってきているようにも思われますが、以下の「メモ」、よろしければ、ご参考にして頂ければと思い。
以前、こちらでコメントさせて頂いた内容にいくつか新しい事項を追加し、また、箇条書きにして読み易くしたものです( 上記の安倍発言を受けて、同じ内容を、日本政府の官邸にもメールしておきました )。
<慰安婦制度が人身売買的、強制売春的制度であったか否かについてのメモ>
(以下の内容のまとめ) 当時の日本においても法令的には人身売買、強制売春は違法行為であり、日本軍、憲兵隊、警察が法令順守の立場から、そうした違法行為の排除、取り締まりに(結果としては不十分であったかもしれないが)、一般の公娼制度の場合以上に努めていた可能性は十分にあり、ならば、慰安婦制度を、人身売買、強制売春を前提にした制度かのような主張は的外れと言わざるを得ないのではないか。慰安婦制度の実態については、ゼロベースで検証をしなおすべき。
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・そもそも、当時の日本においても法令的には人身売買、強制売春は違法行為だった(娼妓取締規則(1900年))。
・また、実際、例えば、秦郁彦『慰安婦の戦場の性』(以下、「当該書」)によれば、旧日本軍は、女性の慰安婦登録の際には女性本人の意思を確認していた、また、騙されたとか意に反するような場合には別の職を斡旋していた、などの証言もあり(当該書93頁)、旧日本軍側は、人身売買的、詐欺的な違法行為については排除、取り締まりに努めていた可能性がある。
・また、【引用1】のように、詐欺的な違法行為で連れてこられた女性たちを内地に送り帰したとの証言もある。
・慰安婦の女性たちは、後述もするように、慰安婦業就業は本意でなかったとしても、親の借金返済のためと思い、あるいは、現在の貧困、飢餓から抜け出すためなどの理由から、最終的には「納得」し(当該書38頁)、(慰安婦登録の際などには)少なくとも外形的には慰安婦業就業に同意していた可能性が考えられる。
・オランダの軍事裁判によって事件内容が調査された「スマラン事件」においても旧日本軍の上級司令部は自由意志の女性だけを雇うよう指示していたことが事実認定されている(ようである)(吉見義明『従軍慰安婦』177頁)。
・因みに、本題とは直接関係はないが、「スマラン事件」に関連していえば、事件の真相は、処刑された担当者の手記も参考にすると(当該書220頁)、当初、オランダ人女性は慰安婦業就業に同意していたが、仕事を実際に始めてから、文化、言葉の壁もあり、仕事内容、待遇の面で話が違うなどのトラブルが発生したとの可能性も十分に考えられる。
・閑話休題。人身売買に関連しては、慰安婦制度のベースとなった公娼制度においては、外形上は人身売買制度ではないが、業者が悪徳な場合、悪徳な業者が女性たちから料金、賃金を様々な理由を付けてピンハネすることで前借金を返せないようにして、女性たちが、実質、一生、売春業に携わざるを得ないような状況に陥らせるとの実態があったため、公娼制度を、実質、人身売買制度とする批判もある (当該書36頁)。
・しかし、この点について、慰安婦制度においては、通常の公娼制度とは異なり、そのような悪徳な業者を最初から選定しないようにしたり(当該書56頁)、あるいは業者を監督して女性の手取りを多くさせることで(当該書392頁)、また、兵士からの多額のチップもあって、前借金については数年で完済して、その後は、働き続け貯金が溜ってから、現地で結婚したり、故郷に帰っていた可能性ある(当該書383頁)。
・こうした実態については、1944年の米軍の報告書(Report No. 49)にも似たような記述がある ( 1942年の中頃にビルマ現地で慰安婦に就業した女性たちのうちの何人かは1943年の遅くには借金を完済して帰国が許可されていた(1年ちょっとで借金を完済していた女性がいた)。 現地で結婚をした女性もいた)。
・また、慰安所の原型とされる(当該書65頁)第1次上海事変時の陸軍慰安所の規則では「営業者にして接客婦に対する利益の分配並び待遇上不当の所為ある場合は営業を停止することあるへし」(第37条。当該書413頁)とあり、慰安婦の待遇の保全が軍組織として意識されていた可能性が考えられる。
・また、終戦後、慰安婦の女性たちについて、(少なくとも)旧日本海軍は終戦時前後に慰安婦の女性たちを補助看護婦とする措置をとった(林博史ブログなど)
・このような措置について、韓国側は隠ぺい工作であるとの主張をしているが、このような措置では隠ぺい工作にならないし、また、「親切な軍医さんが私たちを看護婦だと英国兵にウソを言って一緒に復員船へのせ連れて帰ってくれました」(「帝国軍隊従軍記 現代史の証言4–千田夏光 (1975年)」)との証言もあるようであり、日本敗戦の混乱した敵地で(旧日本軍に協力した)敵国民間人として女性たちに危害を加えられることを防ぐ目的の可能性も高いのではないのか?いずれせよ、韓国側が主張している、終戦時に慰安婦の女性たちが旧日本軍によって殺されたとの主張は全く根拠のない話となる。
・以上、従って、慰安婦制度は公娼制度とは異なり、運用面などにおいて女性たちに対して様々配慮がなされていた可能性があり、公娼制度が実質人身売買(的)制度と批判されているとの理由だけから、慰安婦制度もそうだと決めつけて(思い込んで)、慰安婦制度を人身売買(的)、強制売春(的)制度とする批判は当たらない。
・なお、旧日本軍が上述のように、慰安婦の女性に対して様々な配慮を何故やっていたのかといえば、法令上、人道上の観点もあったろうが、その他の理由としては、旧日本軍は業者の監督官庁の立場であったと同時に利用者の立場でもあり慰安婦の女性の歓心を買う必要があった(当該書391頁)、防諜および敵地での治安維持の観点から慰安婦に反軍的感情を持たれることを回避する必要があった、公娼制度におけるいわゆる「身売り」などが226事件のひとつの理由であったように旧日本軍兵士の姉妹、知人の中にもそうした職種に就業したものが少なからずおり慰安婦に対して同情的であった、ことなどが考えられる。
・なお、上記米軍報告書に関連して、この報告書では、女性たちは騙されて連れて来られたとの記述もあるが、これについては、同じビルマ、同じ時期(1942年初め頃)についての下添付【引用2】の記事にあるように、このケースでも憲兵隊がそれなりに対応をしていた可能性もある( 騙された女性が慰安婦業就業を拒否している場合には、他の職を斡旋 )。
・また、この騙されたとの関連では、元慰安婦の文玉珠さんも同じ頃の1942年の半ば頃に「騙されて」同じビルマに渡ったと証言しているが、文さんの証言によれば、業者に誘われた時点で「そうした話」だと薄々察しており、そうした女性が結構いたような証言のようでもある(当該書183頁)。
・また、別な例であるが、業者側の証言として、【引用3】のような証言もある( 「騙された」女性たちも、誘った時点で「多少はかんづいてはい」た )
・ならば、業者が騙したといっても、事情は千差万別で、「騙された」女性たちも、「そうした話」の可能性を十分に承知したうえで、高給に引かれたり、現在の貧困、苦しい生活、不本意な生活から抜け出したい一心からとか、あるいは、本人は全く騙されていたが親は売春と承知した上で娘が親に「この人の言う事を良く聞け」と諭されて家を送り出されていたために、(親に)騙されたと悟った時点でも家の借金を返すためとか(当該書38頁)、最終的には「納得」し、旧日本軍の担当者などに意思を確認された際には同意していた可能性も考えられる。
・旧日本軍側も、そうした実態を承知していたので、業者による「騙し」などに対しては、傍から実情も知らずに見ると不十分と思われるような措置しかとれなかった側面も考えられる( 例えば、最終的には女性本人たちも少なくとも外形的には同意しているし、かつ、仮に強制的に女性たちを故郷に帰したとしても借金、貧困については何も解決せず、女性たちが、より条件の厳しい売春宿でそれこそ一生働かざると得なくなるとか一層困難な状況に追い込まれる可能性を考えるのであれば、女性たちを強制的に帰すとの第3者的には最も分りやすい措置は回避して、現地でそれなりの措置を講じようとした可能性 )
・以上、いずれせよ、当時の日本においても法令的には人身売買、強制売春は違法行為であり、日本軍、憲兵隊、警察が法令順守の立場から、そうした違法行為の排除、取り締まりに(結果としては不十分であったかもしれないが)努めていた可能性は十分にあり、ならば、慰安婦制度を、人身売買、強制売春を前提にした制度かのような主張は的外れと言わざるを得ないのでは、と。
・ならば、日本側としては、元慰安婦側、韓国側の彼女たちの証言にのみに基づいた主張に対して、そうした事実はないとの(「ない」ことを証明する悪魔の証明のような)主張だけではなく、併せて、旧日本軍としては、法令順守の立場から、(少なくとも)組織としては人身売買、強制売春の排除の立場であり、(結果としては不十分であったかもしれないが)それに努めていた(可能性が高い)と主張していたった方が(元慰安婦の証言も個別ケースとしては事実だったかもしれないが、旧日本軍は少なくとも組織としては人身売買、強制売春を排除の立場であったとの事実であったと)国際世論に納得してもらうためには効果的ではないのか?
・なお、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』については、当該書は強制連行がなかったことを示すことが目的として書かれているためか(あるいは、そもそも問題意識がなかったためか)、人身売買、詐欺、強制売春の問題に関しては、さしたる裏付け、考察もなく、一読すると誤解を与えるような表現、構成が各所にみられるので読む際には注意が必要かとも(「批判」的に読み返す必要があるかとも)思われますので念のために。
・慰安婦制度の実態については、ゼロベースで検証をしなおすべき。
【 引用1】
(ラバウルに)お国のために働く兵隊さんのお役に立ちたいと志願してくる女学生もあったそうですよ。だけどそういうのは一応病院でもって検査するときに、医者もびっくりするけど本人もびっくりしちゃってね。わたしは兵隊さんの慰安隊だっていうので志願してきたのに、こんなことをするのが慰安とは思いませんでしたと泣き出すのもいました。そんなのはみんな内地へ送り帰しました」( 広田和子著『証言記録従軍慰安婦・看護婦ー戦場に生きた女の慟哭』(53ページ) 昭和15年から敗戦まで南方・トラック島の松島砲台勤務だったという野口の証言 )
(インターネットでの拾い物であり原著は未確認)
【引用2】
( 昭和17年3月ごろ、ビルマのラングーン )「ある日、『日本から女が来た』という知らせがあった。連絡員が早速波止場へかけつけると、この朝到着した貨物船で、朝鮮の女が4、50名上陸して宿舎に入っていた。まだ開業していないが、新聞記者たちには特別にサービスするから、『今夜来て貰いたい』という話だった。『善は急げだ!』ということになって、私たちは4、5名で波止場ちかくにある彼女らの宿舎に乗りこんだ。私の相手になったのは23、4の女だった。日本語はうまかった。公学校で先生をしていたといった。『学校の先生がどうしてこんなところにやってきたのか』ときくと、彼女は本当に悔しそうにこういった。『私たちはだまされたのです。東京の軍需工場へ行くという話で募集がありました。私は東京へ行って見たかったので、応募しました。仁川沖に泊まっていた船に乗りこんだところ、東京へ行かずに南へ南へとやってきて、着いたところはシンガポールでした。そこで、半分くらいがおろされて、私たちはビルマに連れて来られたのです。歩いて帰るわけにも行かず逃げることもできません。私たちはあきらめています。ただ可哀想なのは何も知らない娘たちです。16、7の娘が8名います。この商売はいやだと泣いています。助ける方法はありませんか』。彼女たちのいうように逃亡できる状態ではない。助ける方法って何かあるだろうか。考えた末に、『これは憲兵隊に逃げ込んで訴えなさい』といった」「これらの少女たちがかけこめば、何か対策を講じてくれるかもしれない」「結局この少女たちは憲兵隊に逃げこんで救いを求めた。憲兵隊でも始末に困ったが、抱え主と話し合って、8名の少女は将校クラブに勤務することになった」( 小俣行男著『戦場と記者』冬樹社、1967年発行。334ページ )
(インターネットでの拾い物であり原著は未確認)
【引用3】
「須川(引用者注:業者) ええ、だますような仕組みの女もありましたですね。それで最初にね、軍の許可をもっていましても、警察の、当時の特高ですね、特高警察のまた許可をとらなくてはいけない」
「小沢 その、むこうで慰安所へ行くんだということを知らない女のコには、なんていって連れていくんですか。詳しく知らない女のコには」
「須川 だいたい、女もね、多少はかんづいてはいましたけどね、まあ、金が非常に儲かると……」
「南京の下関に行ったのは先発でしたね。ええ、最初なんです。そうしてね、そこでもって、慰安所をいよいよ開業しまして、開業する前に女たちを集めましてね、こういう具合でもって、こういう仕事だと、兵隊さんが遊びにくると……(小沢 お国のためだと)ええ、まあ、そういう意味もありますしねえ、それから、やってくれという具合にたのみましたらね、まあ全員、承知してくれたわけです」( 小沢昭一著『雑談にっぽん色里誌』徳間文庫、1985年発行(原本、講談社、1978年発行、86~90ページ )
(インターネットでの拾い物であり原著は未確認)
> 当時の日本においても法令的には人身売買、強制売春は違法行為だった
日本が批准していた条約では、日本国内では違法でした。しかし、朝鮮や台湾などの植民地は除外されていました。
> 旧日本軍は、女性の慰安婦登録の際には女性本人の意思を確認していた
スマラン事件の被害者であった、オハーンさんは、読めもしない日本語の同意書に署名させられたといっています。
禾晴道中尉の手記『海軍特別警察隊 – アンボン島BC級戦犯の手記』
アンボン島のような小さなケシ粒のような島にも、中国大陸の戦線と同じように、性の生理的欲求を処理するための「慰安所」が設置されていた。
そこには日本女性も動員されていたし、もちろん現地人女性が多く集められて運営されていた。彼女たちは、軍人を慰める目的であることから「慰安婦」と呼ばれていた。国家権力による強姦強要でもあった。
早急に対象となる女性のリストを作って、本人に交渉する。ある程度の強制はやむをえないだろうということだった。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書をとって、自由意志で集まったようにすることにしています。 そこまで準備が考えられて、承諾書までとる話にはわたしも驚いた。副官は法科でもでているのか、と思われた。
こんな小さな島に、これだけの銃をもった日本軍が陣地をつくっているのだから、日本軍の要求することを自由意志で拒否もでき、承諾もするという対等な自由が、本当に存在すると思っている考え方もじつに自分勝手であっただろうが、そんなことに気づいていなかった。
だが侵略者というものは、その占領地の住民に非常に親切で、最大限の善政をやってやっている、といううぬぼれた大きな錯覚に自分勝手にひたっている場合が多いものだ。わたしは、それすらも気づいていなかった。
民政警察の指導にあたっていた木村司政官が敗戦後、戦犯容疑者として収容されたとき話してくれたが、その時の女性集めにはそうとう苦しいことがあったことを知った。
「あの慰安婦集めでは、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、リストに報告されていた娘を集めて強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れられないが、娘たちの住んでいる部落の住民が、ぞくぞく港に集まって船に近づいてきて、娘を返せ!!娘を返せ!!と叫んだ声が耳に残っていますよ。こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピストルに手をかけましたよ。思い出しても、ゾーッとしますよ。敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなにされたんでは、だれでも怒るでしょうよ」。
このビデオで、秦先生の次の発言を繰り返している人たちいます。
「また20万人の慰安婦が毎日20人から30人の兵士たちに性サービスをしたと書いてあるんですが、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人です。教科書に従えば、接客は1日5回という統計になりますから、20万人が5回サービスすると100万になりますので、兵士たちは戦闘する暇がない。毎日慰安所に通わなければ計算が合わなくなるわけですね。そういう誇大な数字が教科書に出されているということです。」
これでは、「海外に展開した日本軍の兵力は約100万人」のうちの「210万人」が戦死したことになります。
210万人が日単位で戦死してたんですか?
兵士と兵力は意味が違いますよ。
20万人の慰安婦が毎日20人から30人だと4000万人から6000万人ですよ。
訂正
400万から600万
グレンデール市の慰安婦像裁判について、目良氏の言っていることはあまり正しくないです。
次の記事のほうがずっと正確です。
http://synodos.jp/international/13150
嘘だとおもわれましたら、判決文を探して読んでください。マイケル・ヨン氏が掲載していました。
いや、だから、国内法の話です。
日本の内地には「娼妓取締規則」(1900年)
半島では、「貸座敷娼妓取締規則」(1916年)
で、自由廃業の規定があった(秦郁彦『慰安婦と戦場の性』40頁)。
もっとも、「娼妓取締規則」では、
第六条 娼妓名簿削除申請に関して何人と雖妨害を為すことを得ず
との規定に対して、「貸座敷娼妓取締規則」では、
第二十九条
(前略)
娼妓廃業したるときは直に許可証を添え警察官署に届出づべし
と、「何人と雖妨害を為すことを得ず」の文言がないとの違いがあり、
この辺、実際の運用においてどれほどの違いが出ていたかどうか。
これが、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』93頁に紹介されていた「証言」の原典ですね。
(ネットからの拾い物で、正確な引用であるかの確認は出来ていませんが)
「慰安婦が漢口へ到着すると、楼主とともに必要書類をもって兵站慰安係へ出頭する。係の下士官は、彼女たち本人の写真、戸籍謄本、誓約書、親の承諾書、警察の許可書、市町村長の身分証明書などを調べ、所定の身上調書をつくり、それに前歴、父兄の住所、職業、家族構成、前借の金額などを書き入れる。身上調書はうつしをとって憲兵隊へまわしておく。あとで反則などで営業停止をうけたりすると賞罰欄に、病気入院などすると、病名、期間などを病歴欄に記入し、また備考欄には、酒癖あり、浪費癖ありなどと、あとからその妓の特徴などを記入しておいた」「内地から来た妓はだいたい娼婦、芸妓、女給などの経歴のある20から27、8の妓が多かったのにくらべて、半島から来たものは前歴もなく、年齢も18、9の若い妓が多かった。『辛い仕事だが辛抱できるか』とたずねると、あらかじめ楼主から言われているのか、彼女たちはいちように仕事のことは納得しているとうなづいていた」( 山田清吉著『武漢兵站』図書出版社、1978年発行 、86~87ページ、著者は漢口慰安所の慰安所担当の陸軍少尉 )
米国の代表的知韓派議員が収賄などで起訴、政治生命の危機に・・
FOCUS-ASIA.COM 4月2日(木)12時38分配信
韓国メディア・ラジオコリアは1日、米国の元上院外交委員長で“代表的知韓派”とされるロバート・メネンデス上院議員(民主党)が、収賄などの容疑で起訴されたと報じた。
米司法省は1日、8件の収賄と3件の詐欺、虚偽陳述などの容疑でメネンデス上院議員を起訴した。収賄容疑だけでも最高15年の懲役刑になる可能性があり、政治生命を絶たれる危機を迎えている。
記事によると、メネンデス議員は長年付き合っているフロリダ州の眼科医から違法な贈り物を受け取ったほか、眼科医所有の飛行機を無料で利用するなどしており、その見返りに医療費支払い方法やメディケア算定方式を変えるよう圧力をかけた疑いがもたれている。メネンデス議員はFBIの捜査が始まると、飛行機の利用代金を支払うなどして容疑を否定していたという。
キューバ系のメネンデス議員はドミニカ共和国出身。韓国人が多く住むニュージャージー州選出で、慰安婦問題などで韓国人社会を支援してきた親韓派として知られている。韓国系団体が設置した同州の慰安婦碑付近で2012年に「竹島は日本領」などと書かれた杭が発見された際には日本政府に謝罪を要求、慰安婦謝罪決議案7周年行事にも参加し、韓国系住民の草の根運動を積極的に支援していた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150402-00000024-xinhua-cn
本当の性奴隷、『韓国軍慰安婦』を取り上げるべきときに来ているのではないでしょうか?
韓国人・韓国政府は日本を敵視していますが、朝鮮戦争時、第五種補給品として供給された事実、韓国がベトナムで行った強姦・虐殺、こそ非難されるべきです。
韓国軍慰安婦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
2014年6月25日、米軍慰安婦で働かされたとして、韓国人女性ら122人が韓国政府を相手に国家賠償を求める訴訟を起こした[68][3][69]。支援者によると、米軍慰安婦による国家賠償訴訟は初めてとされる[70]。1947年に売春禁止法が成立していたにもかかわらず、韓国政府は1950年からの朝鮮戦争時に米軍(国連軍)を相手にした売春を認める「特定地域」を設け、女性たちを売春管理していたとされる。特定地域での管理は強制的で、慰安婦の中には欺されて連れてこられた10代の少女も居たという。慰安婦と支援団体は、第二次世界大戦時の日本軍慰安婦と同様に韓国政府は謝罪と賠償をするべきと訴えている。現時点ではまだ米国を訴えてはいない[71]。当時の朴正煕大統領が直接管理していたとする指摘もある[72]。
2014年12月19日にこの訴訟に対する初公判が開かれたが、政府側弁護人は「慰安婦個々人の訴えが真実だと立証されない限り、政府の責任は問えない」と訴えた。それより前、日本軍慰安婦については「生きているおばあさん達の肉声の訴えが証拠そのものだ」と韓国政府高官が公言していたこともあり、レコードチャイナは「『今生きている元慰安婦のおばあさんたちが何よりの証拠だ!』と日本に強く言っていた韓国政府はどこへ?」との韓国のネットユーザーの声を伝えた[73]。
「韓国軍慰安所」 山口レポートが米に広げた波紋
週刊文春 4月2日(木)18時1分配信
?TBSワシントン支局長・山口敬之氏による本誌前号の調査報道「韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!」が、ワシントンのアメリカ政府当局者やアジア専門家たちの間で波紋を広げている。
?3月26日の国務省記者会見で「米国立公文書館の文書がベトナム駐留の韓国軍が売春宿を運営していたことを証したという日本からの報道を知っているか」という質問が出た。ラトケ報道官は「知っている」と答えた。「この事例は人身売買だが、調査する意図はないか」「この問題で韓国政府と協議するか」などという関連質問も出た。報道官は確かな答えは与えなかったが、「韓国軍の慰安婦問題」が米側の国政の場で知られる結果となったのは確かだ。
?さらに、本誌報道は同26日、ワシントンのアジア関連ニュースレターの「ネルソン・リポート」でもほぼ全文の英訳が掲載された。同リポートは民主党リベラル派の活動家、クリス・ネルソン氏がアジアのニュースや評論を流すネット・サービスで、米側のアジア問題関係者らが購読し、投稿する。歴史問題では中韓両国の主張を優先して、日本を糾弾することが多い。
?そんな「ネルソン・リポート」が山口氏の調査報道を全文掲載したのは、その重みゆえだろう。ネルソン氏はこの報道が事実ならば「韓国側の偽善や二重基準が証される」と述べたが、同時に「この報道で日韓の歴史戦争はより醜くなる」とも記している。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150402-00004979-sbunshun-int
?これに対して翌27日、慰安婦問題での長年の日本叩きで知られるコネチカット大学のアレクシス・ダデン教授が同リポートに「韓国も同じことをしていたという主張は日本の悪事を帳消しにはしない」という意見を寄せてきた。同教授は同リポートが本誌報道を紹介することがそもそもおかしいとも示唆していた。
?ダデン女史は安倍首相を「悪漢」とののしり、菅官房長官の言辞を「ペテン」と呼ぶほどの反日だ。今年1月には米紙「ニューヨーク・タイムズ」に「尖閣諸島も竹島も北方領土も国際的には日本の領土ではなく、安倍政権がその領有権を主張するのは危険な膨張主義」とまで書いている。そんな人物をたじたじとさせただけでも山口氏の調査報道の意義は大きいといえよう。
募集に日本人関与せず、豊かな生活・・米メリーランド州の議員に慰安婦問題歪曲の怪文書
FOCUS-ASIA.COM 4月9日(木)13時22分配信
朝鮮日報は7日、「慰安婦決議案」が上院で通過したメリーランド州議会の議員らに慰安婦問題を歪曲した”怪文書”が届いたと報じた。
ワシントン韓国日報の報道として記事は、この”怪文書”は6日にメリーランド州議会の上下議員188人全員にメールで届いており、「慰安婦に対する真実なる歴史情報」とのタイトルで動画も含まれていたという。発信者の身元は確認されていない。
このメールには「第二次世界大戦当時、韓国人の採紅使が韓国人慰安婦を募集した。日本人はまったく関与しなかった」「第二次世界大戦当時、慰安婦は劣悪な状況にも関わらず、格別な庇護と補償をもらい、戦争を体験した一般人より豊かな生活をした」といった、いい加減な主張が書かれていたと報じている。
また、この”怪文書”は、「1960~1980年代、米軍相手に性売買をしていた女性らが最近、自らを米軍の慰安婦と名乗り、韓国政府に巨額の損害補償を請求した」と根拠のない主張を述べており、日本軍従軍慰安婦問題の本質をにごす意図が表れているという。
メリーランド州の上院では先月、スーザン・リー議員の発議で「慰安婦決議案」が満場一致で通過し、下院での通過も期待されている。「慰安婦決議案」の初案を作成したマーク・チャン下院議員は「下院での票決が一週間程度残っている状況で、慰安婦となった女性が体験した悲しい歴史を歪曲する試みがあったが、スーザン・リー議員の発議した決議案が上院を通過し、下院でも肯定的だ」と明らかにしている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150409-00000033-xinhua-cn
・慰安婦は募集されたんですね。
・韓国人の採紅使・・・?
・1960~1980年代、米軍相手に性売買をしていた女性・・・米軍慰安婦のこと
「米軍慰安婦訴訟」が現在進行中
怪文書じゃなくて、本当のことばっかりだけですけど
日本の主張が通らず、「慰安婦決議案」が満場一致で通過することが異常です。
1.Wikipediaより、朝日新聞の吉田清治報道の前後をみてみました。
1950年 辻政信『十五対一:ビルマの死闘』(酣灯社)
慰安婦(p57)として「天草娘・朝鮮娘」(p77)を記載。
1958年 中野清見が「ある日本人」(平凡社)の第2部に「朝鮮から連れてこられた慰安婦と呼ばれる人たち…」(p308)、「慰安所、朝鮮の女たち…」(p349-350)を記載
1965年 朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(未來社)が刊行さる。67頁に辻政信・中野清見の著書を参考にして「戦時中朝鮮女性が慰安婦として多数戦線に動員されているが…」と記載
1969年 伊藤桂一がドキュメント『兵隊たちの陸軍史』(ISBN 9784101486123)を公刊。
『戦場と性』の章に慰安所の光景が解説され「慰安婦も多くは、欺(だま)されて連れて来られたのである。」と記載。
1970年 8月14日、「ソウル新聞」において「1943年から1945年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」と報道される[8]
1976年1月 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房)出版。
金一勉は朝鮮女性が慰安婦にされたのは日帝が朝鮮民族を消滅させようとしたためであった、と主張し、さらに慰安婦は17歳から20歳までの処女だけが20万人集められたとした[15]。
この本は後に韓国挺身隊問題対策協議会を結成することになる尹貞玉に強い影響を与えた。
1983年1月 吉田清治が『私の戦争犯罪-朝鮮人連行-』において韓国の済州島において慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白。初めての加害証言となる。
1990年1月 4日~24日 韓国『ハンギョレ新聞』(現:ハンギョレ)紙上で、抗日運動の家に生まれた尹貞玉(梨花女子大学教授)が「”挺身隊”怨念の足跡取材記」と題する4回に渡る連載で慰安婦問題を告発し、韓国で大きな反響を呼ぶ[20]。
そのなかで尹貞玉は1976年の金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』を参照しながら、慰安婦は朝鮮民族の消滅を企図した日本帝国の国策だったと主張したうえで元慰安婦とされる女性たちの証言を紹介した。
証言のなかには、処女供出が開始されてからは日本軍人がトラックで幼女をいたるところで捕まえていたこと、女性を丸裸にして天井から逆さ吊りにし、乳や腹を切り裂き内蔵を別の少女たちに向かって散布したとするものもあった。
2.投稿キーセンハウスは「売春宿」ではないですか
1991年8月14日 元慰安婦の金学順がソウルで記者会見。14歳の時、家が貧しかったのでキーセンハウスに売られ、17歳になったとき、キーセンハウスの経営者である義父に華北にある日本軍の慰安所に連れて行かれた事などを述べる。
『最近朝鮮事情』1906 (明治39)年刊行の「朝鮮の妓と舞」p119では、「朝鮮では妓女のことをカルボーといって3段階にわけている。…概していえば何れも買春婦である」とあります。
つまり金学順は、(たぶん両親から)義父の経営する売春宿に身売りされたわけでしょう。
このように売春婦が多かったのは、
1. 女子再婚の禁令、p101 があったためで、夫を亡くしたり離縁されたりすると実家に戻っても、身分階級の最下部に位置するためでしょう。
2. 済州島では、女子が多く生まれ、乞食も妻のほか妾を持っていた p102
からでしょう。