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ジョージア便り ① (2012年8月) ~なでしこ海外部情報~

米国の穀倉地帯では旱魃が酷いと聞いてますが、ジョージアは程よく雨が降り、裏庭の無花果は毎日私が食べるだけ実ってます。八月半ばは、早朝の犬の散歩はさわやかな22度(C)の気温で45分の運動を楽しんでます。ジョージアピーチは最盛期で、1ポンド(450g)本日は69セントです。黄色いカリカリの甘酸っぱい桃は、昔はトラックで桃農家の人が町に籠一杯いくらで売りに来ました。一抱えもある籠です。ちなみに桃の籠(バスケット)は、これを柱にくくり付けて、ボールを入れる遊びがバスケットボールの始まりだそうです。ジョージア州のナンバープレートは桃の絵です。

Georgia car tag

全国ニュースはもちろん毎日、大統領候補の事ですが、この郡のコミッショナーの選挙もあります。この間まで戦士者の名前が書かれた星条旗が町中に立ってましたが、今はコミッショナーの候補者の立て看板が立ってます。9月のレーバーデー(勤労感謝の日)にはまた同じ星条旗が町中に立てられます。米国は人口寄せ集めの国ですが、この国建国以来の戦死者に対する思いと扱いはわれわれが学ばなければなりません。ヨーロッパの各地にも米兵の米軍墓地 (USA CEMETERIES IN EUROPE) があり、米国により管理されてます。この町の戦死者の名前には、第一、第二、Korean, Vietnam, Iraq, Afghan と戦争の名が添えられてます。古い町に行くと、南北戦争の戦死者の旗もあります。そして、今も戦争に行っている家族は車に黄色い磁石リボンを付けて、若者の無事な帰還を祈ってます。

韓国系米人の多いこの郡で、ずらっと並ぶ米人のKorea War での戦死者の星条旗を彼らはどのように思って見ているのでしょうか。Korean Warでは、毎日800人の韓国人若者が戦死していったと聞きます。そして、韓国ではKorean Warの話はタブーになっているとも聞いてます。次世代の人々が前の世代の若者を知らないで生きて行くのは、国の歴史を知らないで生きる事でしょう。国と先祖を知らない事は、自分をも知る事が出来ないでしょう。嘘の上塗りの歴史で、他国を傷つけ、一時の利益を得ようとしても、このような捏造の歴史は実は自国の尊厳と高潔を失わせています。それは、日本が言わなくても世界が見て、韓国と言う国の評価は自ずとされて行きます。彼の国が自らの言動で自国を表明して来た故に失った物の大きさに気付かない愚かさに哀れを感じます。

それを欲したか否かは兎も角、日本も長い年月間違いを強いられて来ました。今私達は国民全体で気付き始めてます。幸いにも、学校の教育では教えられなかったことを家庭で、武道で、町内の子供会で、私達日本の子供たちは教えられて来ました。“恥”を知れ。ということです。私達は何が大切か、は忘れなかった。戦後、靖国へのお参りはしなくても、 “源四朗さん” “喜吾さん”には家族でお盆にはお墓参りしてました。この二人は戦死した母の兄と弟です。母の実家の泊まる部屋には亡くなった家族の写真が掛けてあります。母は特に二人の話をたくさんしたので、良く知っているおじさんたちです。二人共21歳で出征です。私達国民は戦争を知らなくても、戦後教育をどのようにされても、2500年猶予の国の歴史と家族の絆を忘れません。家族のような国だからです。

夫の実家は西ジョージアのコロンバスという基地の町の更に南の田舎町です。彼らは今でも北の州の人をヤンキーと呼びます。自分達はサザナーです。南北戦争は米国、特に南部の人々にとって熾烈だったらしく、今でも根に持っているようです。田舎の人だからでしょうか。南部式の深い前ポーチで、ロッキングチェアをゆらしながら時を忘れてビールを飲みながら、時にはフットボールを見ながら、話込んでいる情景は古き良きアメリカでしょう。このアメリカ人、いやサザナーはシンプルライフが人生です。鹿撃ちと、魚釣りと、フットボール。いつか夫が鹿狩りに行った友だちから鹿の足一本をもらってきて、びっくりしました。今、町中の方に住んでいるのに、先週も車に衝突した鹿の死骸が道端にありました。前は“かわいそう”と思ってましたが、4年前に信号で止まっていた私の車に子鹿がすっ飛んで来て衝突し、車の損傷が酷かった時以来、この大鹿を轢いた車はどれ位ダメージがあったかと同情します。

さて、なぜかこのようなシンプルライフの人々が、いざ国が戦争となると命を掛けて、または負傷で不具になる可能性も含めて出かけるのです。息子の友人も一人イラクで戦死しました。UGA(University of Georgia)を中途退学して、マリーンに入りました。息子と似たような、ノー天気な、あっけらカーンの子でした。米国は今、戦士兵士の遺体をお棺に入れ、輸送機で帰国させます。ヨーロッパには米兵戦死者の墓地があちこちにあり、米国により管理されてます。これは普通の事でしょう。日本がなぜ戦死した若者の御遺骨を今もって集められないのか。なぜ普通のことが出来ないのか。その事の方が国としての“義務”を疎かにしていると思います。

私が母から聞いた暴れん坊のゲンちゃんも、真面目なキーゴさんも普通の日本の田舎の男子でした。母はおばあちゃんと一緒に最期の面会に行った時、喜吾さんが大切に貯めていたお金を“マーちゃん、これあげる”と全部くれたそうです。新聞やラジオが何と言おうとも、戦争の行方は知ってたのでしょうか。

私は今、韓国の死んだ若者達に思いを馳せています。誰にも思い出されもせず、国も沈黙して、国のために死んで行った多くの若者達。今、偽りの歴史を育んでいる人たちも、やがて存在した事も忘れ去られるようになります。韓国は過去の歴史のように、自らが自らの歴史を消し去り、捏造して虚飾の上に虚飾を塗りつけて行くのでしょう。すでに自分が何者か解らなくなっている国民です。

国は国民を作り、国民は国を作って行きます。そして、その繰り返しが歴史を作ります。この韓国の現実と日本の戦後67年の政治、教育、報道、全て反面教師でしょう。韓国を非難できません。

米国に30年住んで、米国と日本との違いを日々、仕事場や家庭で繰り返し味わって来たのに、自分を失わずに来られたのは私が常に底流に日本人としての誇りや尊厳、成り立ちを忘れなかったからだと思っています。これは団塊の世代の人間にとって孤独な生き方です。数少ない在住日本人の殆んどが反日です。日本人二世も同じ。私は彼らにとって偏向右翼。しかも、この人たちは自分は“愛国者”だと思い、更には涙を浮かべながら”私は日本を愛しているから“と言います。”日本は戦争で悪い事したから“と口をそろえて言います。戦後教育や報道の間違いのない成果です。私は息子に日本はパールハーバーで、市民を68人殺した。しかし、この人たちは基地にいた人々だった。米国は普通に自分の家で暮らしている日本人市民を百万人殺した。戦争だから非難はしないが、これを不戦闘員の大量虐殺と言わないで、何と言うか。パールハーバーを繰り返し非難する米国は間違っている。と教えてます。彼は疑い深いから、Webで調べて認識してるようです。息子の心の中にも、真実の石を一粒ずつ入れてます。

ジョージアの事はやっと理解し始めたところです。また、米人という人々はいないというのもわかり始めました。日本から見たらカリフォルニアやニューヨークが米人代表みたいですが、南部から見たら外国のような所です。現代人の息子でさえ、あいつは北から来た人間だから。とコメントします。ジョージアはアラバマをバカにし、アラバマはミシシッピをバカにし、インディアナはケンタッキーをバカにします。アラバマに対するジョークは限りなくあります。

次回をお楽しみに!