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性奴隷の記念碑 カルフォルニア州

カルフォルニア州第一号は

「慰安婦記念碑」どころか「強制された性奴隷記念碑」だった!


<碑文に刻まれている英文>
“FORCED SEX SLAVES”
In remembrance of more than 200,000 women and girls
who were abducted for the use of sexual slavery by the
armed forces of the government of Imperial Japan between
1930’s-1945 is known to the world as “Forced Sex Slaves.”
They suffered heinous crimes against humanity
that must not go unrecognized. The violation of human
dignity they endured will not be forgotten.

カルフォルニア州ガーデングローブのAR Galleria ショッピングモール近くの私有地に昨年12月出来たという慰安婦記念碑。
なでしこ仲間が探しに行ってくれた時は見つからなかったのですが、その後再度行ってみたところ、非常に目立たない道路沿いにあったとのことでした。
写真が撮りにくい場所だったため遠方から撮影して送ってくれました。(下に写真)
上記はどなたがアップした動画かわかりませんが、記念碑の文面・イラストが良くわかるように撮影されています。現地の仲間によるとこの場所のこの碑で間違いないとのことです。
映像の記念碑を見ると慰安婦Comfort Women ではなく、強制された性奴隷 FORCED SEX SLAVES と書かれており、イラストには旭日旗も描かれています。
この碑は私有地ですが、グレンデールでは公共の敷地に慰安婦少女像が建ちました。。
これらの記念碑のどこが平和で人権を大切にする記念碑なのでしょうか?!
日本がここまで侮辱されたままで良いのでしょうか?

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<以下の写真はカルフォルニアのなでしこ仲間が撮影したものです>
001ガーデンブローブ記念碑 (1)_2001ガーデンブローブ記念碑 (2)001ガーデンブローブ記念碑 (3)001ガーデンブローブ記念碑 (1)

第二話「日本人の娼婦は?」

朝鮮ピー と ピー屋 のお話 を書いてくださった”12歳1945年まで朝鮮の首都京城府にお住まいだった女性”から第二話「日本人の娼婦は?」をいただきました。是非ご一読ください。

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拳を突き上げ「日本人がワリイー」と叫ぶ「旧日本軍の従軍慰安婦」だったという韓国人女性の抗議団。若い女性達や宗教関係者に守られて居るとはいえ、高齢の身に同情は沸くにしても、何か寒々と言いようのない哀れを誘うのは何故なのかーーーー。戦後70年も過ぎて韓国人老女の、この慰安婦騒動は、吉田清治の売らんが為の偽作発表以後、何度、反日騒動を繰り返した事か。今回ご登場の「旧日本軍慰安婦」はーー

金福童(キンボットン)さん87歳。吉元玉(キルウオノク)さんは84歳。二人は沖縄、広島、岡山、大阪で街宣をやり、東京で橋下大阪市長と会見の予定だった、が、「橋下発言」で会見はキャンセル。その事が外国人記者団の発信で世界中に広がった。韓国政府のユン・ビヨンセ外相は、国際裁判所に提訴する、と口走る騒ぎでした。私個人としては、竹島問題もあり、OK待ってましたーーやって下さいよと言いたいところでしたーーー。しかし、提訴発言は即刻立ち消えに。一方、韓国の捏造で有名な「戦争記念館」は、あらたな観光客で質問が飛びかい活況だという。一時的にせよ、好奇の視線が注がれるのでしよう。

一方、在米コリアンの反日活動は更に活気づいて、旧日本軍は20万の慰安婦を強制連行し性奴隷にしたと、今度は英語版のパンフ10万部を空から撒くということです。なぜ「旧日本軍慰安婦」なのか?不思議に思う人は居ないのでしょうか。「従軍」というからには「従軍記者」「従軍看護婦」つまり軍属であるはず。朝鮮人慰安婦は朝鮮ピーさんです。旧日本軍の軍属慰安婦である筈はないのです。嘘を見破るのが先決ではないでしょうか。

70年前の戦時、朝鮮人娼婦より遥かに多かったという日本人娼婦です。それだのに、戦時、従軍慰安婦だったという日本人女性は一人も現れた形跡はありません。私達同窓生が調べた限り、娼婦たちの多くはそっと消え去っています。(例外を後記します)親しかった常連さんに電話で別れの挨拶をして、そっと消えて行ったという話が大半です。

1945年8月の朝鮮半島の南北は、米ソの進駐に時間差が生じ、半島内に居た70万人の日本人の引揚げ世話人会を組織するための初会合は8月16日、つまり「玉音放送」のあった翌日でした。以後、米軍の進駐で朝鮮総督から占領軍へ正式調印が行われ、統治は日本人から進駐軍へ引き継がれます。アーノルド長官との調印が完了するまでの間、日本人世話会の組織化は雑多大混乱で四方八方壁だらけ。事態を素早く察知して闇舟で家財や荷物を積んで日本本土に帰国した人、逆に日本本土から朝鮮に帰還した人も。その混乱の上に日ソ不可侵条約を破って、8月7日には満州から北朝鮮へ南進してきたソ連軍、それに追随して乱暴を働く朝鮮人軍。彼らの略奪、強姦、放火。半島全土は無法地帯と化して大混乱。そういうなかで、遊廓に居た娼婦たちはどうしたか。幾つかのエピソードのなかから、混乱の半島情勢と共に、娼婦物語をひとつご紹介します。

「朝鮮終戦の記録 米ソ両軍の進駐と日本人の引揚」(森田芳夫著、巖南堂書店)で分かるのですが、米ソが進駐してくれば直ちに日本軍は武装解除の運命です。だからこそ自衛のための民間組織の編成、業務遂行の手順は急がなければならないわけです。首都京城の民間有力者は、穂積真六郎京城電気社長はじめ朝鮮繊維産業会社長、朝鮮商工会議所会頭、朝鮮農地開発営団理事長ら。阿部信行総督と遠藤柳作政務総監に向かって穂積氏がこう訴える場面がある。「われわれは小さい時から義士銘々伝や、忠臣蔵を何のために読んだり見たりしてきたのであろう。為政者に、大石の城明け渡しぐらいの決心がないとしたならば、なんのかんばせあって、朝鮮の終末を祖国に報じうるであろう。しっかりして欲しい」と。阿部、遠藤両氏とも、それぞれ身動きとれない事情はあったのですが、それはさて置き。

「忠臣蔵」は当時の日本人には不可欠の娯楽の王者。明治末期から昭和30年代まで映画制作は絶えた事がなく年末のなくてはならない日本人の風物詩だった。激戦時の2年間は映画は激減ですが、それでも絶えたわけではなく、GHQに時代劇映画の制作が禁じられても、サンフランシスコ講和条約締結直後には復活し、昭和27年(1952年)「赤穂城」を製作。1950年代は9本も忠臣蔵の映画が作られています。昭和33年、爆発的に普及するテレビに押しまくられて、この映画も衰退へ。

穂積氏の引揚げ業務についてのこの発意は、迅速に黙々と進める組織力、一糸乱れぬ無血開城の、それこそが、この乱世の日本人の心髄だったと言えそうです。この世話人会で拾った日本人娼婦の姿が、日本人ならでは、いいえ日本人なればこその話なのでご紹介したいと思います。

38度線南部に伝わってくる北部のソ連兵の婦女子への暴行の情報はひどいものでした。朝鮮人、日本人に限らず女と見れば、夜な夜な襲いくる粗暴なソ連兵。ニッポン男子たちが団結して防戦するも相手は銃剣もちで叶わない。女は頭を丸坊主に刈りあげ男に変装。神社に逃げ込んだ二人の姉妹が拒んだために命中弾を浴びて殺されたり。

略奪に対して歯向かった男性は殺されて看護婦が暴行され。マダム、ダワイ(マダム来い)は忽ち有名になります。終戦の翌年には恐怖感より食料や衣服など生活に窮乏が際立ち、食べ物のために逆にソ連兵を求めるものが現れたり、正式にソ連軍中尉と結婚した日本女性も居た程、混乱と変化が相次ぎます。そこへ置き去りにされた子どもや老人たちの話も伝わってきます。

38度線の南への避難民は日を追って増え、京城府内の学校や寺など引揚げ列車に乗り込むまで待機避難所になりますが、忽ちどこもここも避難民で一杯になるのです。彼らの惨状を知って元遊廓の娼婦たちが動き出します。

「私達の体はもう汚れ切って居る。このまま日本に帰ってもろくな生き方は出来まい。ね、そうでしょ。そうよ。ね。だから最後に何か世間様の、お役に立つ事をしようじゃないの」と、彼女らは2人連れ、3人連れになって、前記の引揚者世話人会に申し出て、38度線を越え、孤児や老人や病人の救出に北上して行ッたのです。

放置されたままの幼児をおぶったり、ある時は良家の姉妹を救うために、自分が身代
わりになって身を投げだし、姉妹を逃がす。老人を背負い、腕を取って救出して戻ってくると。世話人会からきた軍服を脱いだ元憲兵やシャツ姿のGIに、彼らを引き渡し、いっとき休養を取って少しばかりの食事の宴を張って元気を出し、また2、3人ずつ連れ立って38度線を越えて北上していくという英断を挙行し続けたのです。

「出かけていく時に、形ばかりの宴会をやるのよ。その場面が今も目に浮かびます。もと遊女だから三味線がなくても歌は上手いし。詩吟とか股旅物をよくやってました。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、と。欲を捨てて身を投げだしてしまえば、生きる道は開けるものよ。捨て身の戦法でさあ、出発。行きましょう、とね。月形半平太なんかよく歌ったり踊ったりして気合を入れてました。月様、雨が、春雨じゃあ濡れていこう、みんなあの名場面がお得意でした。踊りも巧くてね、今も目に浮かびます」

京城府立第一高女の1年生だった小村恵美子の目撃談です。もともと両親は満州ハルピンでカフェの経営者。父親が失踪、のち母ひとり子ひとり。母親はサングラスをかけた超美人で有名で京城本町で食堂を経営。ところが引揚げが始まった段階で寝ついてとうとう帰らぬ人に。一人っ子になった小村さんは引揚げ世話人会のお世話で、この旭町遊廓の空き家に寝泊まりすることになり、保護者として九州の同郷者が現れるまで半年間、彼女らと同居した結果、元娼婦たちの、この捨て身の戦法を目撃する事になったというわけです。娼婦たちは、入れ代わり立ち代わりで、ばらばらですが、全部で10人くらい居たでしょうか。「人間欲を捨てたら道は開ける、今も通じる教訓だと思います」と小村さん。この方の引揚げは翌21年3月、仁川港から博多港へ。今81歳。福岡に居られます。

                                2013年6月16日記
                                         以上

See these photos before you condemn Japan 日本を非難する前にこの写真を見て下さい

Please see the photos below
before you condemn Japan

◆ The Recreation and Amusement Association(RAA)

Mr. Eiichi Isomura, ex-professor of Tokyo Metropolitan University and the President of Toyo University, who was the head of Shibuya Ward in Tokyo at the time of GHQ occupation, received order from officer of GHQ to collect women for prostitution for them and to build a kind of installation named “Recreation Center”. It’s said that there were some women who sold their lives in change of just one bar of chocolate at the time of extreme shortage of food. Now that the issue on Comfort Women is getting a worldwide matter, he confesses that he cannot stop getting ashamed of himself and to blame himself for having thrown his country women into prostitution for American soldiers. (The Sankei Newspaper Sept. 17, 1994)

RAA with beer hall in Ginza, Tokyo
01_RAA_Ginza

RAA “Yasuura House” in Yokosuka, Kanagawa
02_1_RAA_Yokosuka

◆ Korean comfort women at a brothel during Korean War
US and UN military personnel procured prostitutes locally with the cooperation of the Korean government.
03_korea

◆ Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases
The New York Times (January 7, 2009) by CHOE SANG-HUN
http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?hp&_r=0

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Bae worked as a prostitute near an American military base in South Korea, an activity that American and Korean authorities permitted, some Koreans say.

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Bae at 29. Now 80, she lives on welfare and uses an oxygen machine.

第一話「朝鮮ピー と ピー屋 のお話」

12歳1945年まで朝鮮の首都京城府にお住まいだった女性から送っていただいた当時のお話です。

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当時、朝鮮人娼婦は朝鮮にはごく普通に居たのです。

何故か「朝鮮ピー」と呼ばれていました。業者を「ピー屋」と呼び、長崎でも上海でも古老の話で「ピー」「ピー屋」の表現が今も聞かれます。「P」は英語「Prostitute」(娼婦)の頭文字説と、時代は分かりませんがもうひとつ、性器そのものを指す中国語の蔑称説があります。朝鮮語はカルボ。どちらにしても「従軍慰安婦」という言葉はどこを探してもないのです。当然です。何十年も過ぎてからの造語、捏造語でしかないからです。

京城では日本人は組合組織の公娼中心の娯楽街「遊廓」内では、16歳以下の女子を使うと「打ち壊し」の刑で実際に壊されたケースもあったと聞いています。遊廓には病院や組合事務所もあり、定期的巡視もありました。しかし男たちの華やかな楽しい遊楽街、遊興街でもあったのです。

日本人遊廓の傍には、朝鮮人の組合組織ができて居て、それ以外に、男性を誘い込む私娼窟が、あちこちに無数にあってピーさん、ピー屋(業者)は、ごく普通に居た。

中村粲先生(「大東亜戦争はなぜ起こったのか」等のご著書を残して居られる独協大学教授)は「カラスのこっち、入りなさいよお」と、呼び込みをしていた様子を書いて居られます。12歳まで京城にいた私が今改めて当時の中学大学生に聞くと、朝鮮人は「ガ」の発音ができないために「ガラス戸の外から見てないで勇気だして入って来なさい」と言ったのだとのことです。

当時の思い出話を書きとめた林茂太さんのイラスト入り憶え書きには「カクセイさんおはいりよお」と。学生の帽子をひったくって「カクセイさん、勇気だして。帽子いりますか」そんな甘い駆け引き話が書かれています。遊んで病気に罹って、親にも言えず内緒で「治療代のカネ貸して貰えないか」と泣きついてきた硝子屋さんの息子の話も聞けました。朝鮮人ピーさんは安かったので学生は親や教師の目を盗んで行ったのです。

戦争が激しくなって軍隊が大陸や南シナ海に移動していくと、ピー屋がピーさん達を纏めて「渡航証」を持って移動し、半島最北の大河の鴨緑江を渡リ大陸づたいに相当奥地に迄移動しています。この河を渡ると、先は満州、つまり異国ですからパスポート「渡航証」が要る。そこで朝鮮人と解ると満州族に苛められる。そこで日本人名に改名して「娼婦部隊」と名乗りかなり奥地に移動して行ったという話も聞きました。

「おとうさんが病気で、オモニが私を売ったよ」といった悲惨な身売りですが人数では日本人の方が遥かに多数。上海事変に参戦した者が親戚に居ますが、その手記に「日本髪の女給さん」が居たので懐かしく声を掛けたら、「朝鮮人だった」とあり(発音で解る)「どうして日本髪を?」と聞いたら「そのほうが、オカネニナルヨ」と言ったと書いています。

ユーチューブで見た銭湯の写真には日本髪の裸の女性が7人、浴槽から出て洗う感じの場面で、みな朝鮮座りの独特の立て膝です。今、立て膝座りのコリアンは居ませんが、朝鮮戦争が終わって10年、20年後も、まだまだ立て膝座りは居ました。

「性奴隷」ではない絶対に。2年間稼いで帰国する時は.「従軍看護婦で働いていた」という顔をして帰ったのだと証言しているコリアン男性は、何人も居ました。朝鮮戦争に従軍記者として米軍のIDカードで渡鮮した東京新聞外報部記者だった笠井真男さんからも、のち私が同社勤務だった関係で、渡鮮のその時の話を聞いています。韓国人から「わぉ日本人がきた」と大歓迎され民家に招待されマッコリで盛り上がった話を聞いています。こんな問題が起きる以前、草の根の私達も日韓友好で同窓会を日韓でやったり、日本に招いたり、ピアノやパソコンを贈ったり、友好に努めたものです。それだのに今になって強制連行とは悲しい限りです。

もともと李氏朝鮮時代の社会の位層は、王族、両班、中人、常人、白丁、最下層は「奴婢」ピラミッド型に裾野が広かったようです。(奴婢は名前さえなかったケースも)。

姜在彦さんのご著書「ソウル」に奴婢の記述があります。そういう土壌土質の改良が成されていないから売春防止法が出来ても反発が起き「こんな法律があったら私達は暮らして行けない、即刻廃止せよ」とガソリンをかぶって火を点けるぞと抗議する恐しいデモを娼婦達自身が起こしています。悲惨な現象です。

6年前、横浜でウランバートルでNPO活動をしている韓国人男性の講演があり、その時、日本は売春防止法が出来た時、こういう騒ぎはなかったのでしょうか、と問われたことがあります。

赤線、青線ぐらいは知っていましたが。毎年、大騒ぎになる韓国売春婦のこのようなデモ騒ぎは聴いたことがなく、誰ひとり答える人は居ませんでした。

不幸な話ですが「性奴隷」とか、20万人の強制連行は、でっち上げも甚だしい愚挙です。日韓基本条約でも以後、個人賠償は相互に一切しないことを約束したはずです。

あちらの醜い押しの一手や、醜いロビー活動には適いませんが、日本人は日本人として正統派で正々堂々、根気強くチャレンジ致しましょう。

慰安婦問題 英文 資料集

「慰安婦問題とは?」英文冊子ダウンロード

英語圏に慰安婦問題を説明するお手紙付冊子・資料セットを作りました。
①②③を1セットにして各所(米国議員、役所、図書館等)に郵送してご利用ください。
②③だけでも資料としてお使いいただけます。

①同封するお手紙(PDF)
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/01/letterKNadeshikoWeb-2.pdf
本文の上に日付、下のスペースに差出人の署名、名前、住所を書いて下さい。

②”Yes, we remember the facts”(PDF)
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/08/2012.nov_NJnewspaper_ad_comfort_women.pdf
2012年ニュージャージ州新聞に掲載された慰安婦問題意見広告

nj

③「慰安婦問題とは?」英文冊子(PDF)
Web版:ページ順に配置されています。
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/01/nadeshiko_zWeb.pdf

冊子版:両面印刷して重ねると冊子になるようにページが配置されています。ページ番号を確認して印刷して下さい。
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/01/nadeshiko_zBooklet.pdf

booklet

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チラシ THE KOREAN COMFORT WOMEN ISSUE

各自でプリントして資料として同封するなどしてお使いください。
Comfort Women flyer

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慰安婦問題について 英文解説サイト

「慰安婦問題」とは?(資料による解説)
What is the“Comfort Women Issue?”
http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=2015

産経新聞 古森記者 米国テレビインタビュー動画 英文書き起こし
Mr.Komori of Japanese newspaper being interviewed on the comfort women issue for the PBS series
http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=2535

谷山雄二朗氏 慰安婦問題について語る動画 英文書き起こし
GEISHA, TONY BLAIR & COMFORT WOMEN
http://sakura.a.la9.jp/japan/?page_id=2556

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史実を世界に発信する会 より

慰安婦の素顔 (世界出版 社長 茂木弘道)
THE TRUTH ABOUT THE “COMFORT WOMEN”
Moteki Hiromichi,  CEO Sekai Shuppan
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/84_S4.pdf

組織的または強制的募集はなかった:慰安婦と日本軍についての誤った見方( 秦郁彦 元日本大学教授)
NO ORGANIZED OR FORCED RECRUITMENT: MISCONCEPTIONS ABOUT COMFORT WOMEN AND THE JAPANESE MILITARY
Hata Ikuhiko  Professor Emeritus, Nihon University
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/31_S4.pdf

「従軍慰安婦問題」の真実 (尾形美明)
The Truth about the Question of “Comfort Women”
Ogata Yoshiaki
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/24_S4.pdf

『よくわかる慰安婦問題』(基督教大学教授 拉致被害者を救う会会長 西岡力)
BEHIND THE COMFORT WOMEN CONTROVERSY: HOW LIES BECAME TRUTH
NISHIOKA Tsutomu
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/39_S4.pdf

反日ファッシストたちの情報ロンダリング(西村幸祐,ジャーナリスト)
The Truth of the “Comfort Women” Intelligence Warfare:
Information laundering by anti-Japanese fascists,
Nishimura Kohyu, Journalist/Critic
Summary: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/97_S2.pdf
Full text: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/97_S4.pdf

私が見た慰安婦の正体(小野田寛郎)
The Real Identity of Military Comfort Women I Saw
Onoda Hiroo, a former Imperial Japanese Army intelligence officer
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/30_S4.pdf

「従軍慰安婦問題」でワシントンポストに意見広告-唯一の武器は「事実」(すぎやまこういち)
Paid Advertisement concerning “Comfort Women” Run in the Washington Post
“Facts Are Our Only Weapon”
SUGIYAMA Koichi, composer
http://www.sdh-fact.com/CL02_1/33_S4.pdf

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他 資料

米国公文書館資料 Japanese Prisoner of War Interrogation Report No.49
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/02/Japanese-Prisoner-of-War-Interrogation.pdf

米国国立公文書館所蔵資料、国立国会図書館所蔵資料(アジア女性基金資料より)
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_5.pdf

中山成彬議員、3月8日予算委員会、質疑 英文書き起こし
Questions by Congressman Nakayama at the Diet on March 8, 2013
http://jpnso.blogspot.jp/2013/03/questions-by-congressman-nakayama-at.html