Monthly Archives: August 2020

「産業遺産情報センター」に行こう!

修学旅行には必ず「靖國遊就館」とここを見学すべき!とケント・ギルバート氏が絶賛する「産業遺産情報センター」。

なでしこアクション代表 山本優美子も見学しましたが、全く同感です。

産業遺産情報センターは、平成27年7月にユネスコ世界遺産委員会において世界文化遺産として登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を中心とした産業遺産に関する展示館で、情報発信の中心となる場所です。

韓国や日本のメディアの一部(KBS聯合ニュース週刊金曜日毎日新聞 ) が、なにやら文句を言っているようですが、ここを見学すれば、日本を誇らしく思い、日本の産業発展の礎を築いた当時の日本人の素晴らしさに感動します。

現在は予約制になっており、ガイドの方が丁寧に説明してくださいます。

是非こちらの動画、加藤康子センター長とケント・ギルバート氏の対談をご覧下さい。

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◆ 産業遺産情報センター
https://www.ihic.jp/

◆ 館内展示案内
https://www.ihic.jp/%E9%A4%A8%E5%86%85%E5%B1%95%E7%A4%BA%E6%A1%88%E5%86%85/

◆ オンライン予約
https://booking.ihic.jp/

◆ アクセス・住所・連絡先
都営大江戸線「若松河田駅」から徒歩5分
〒162-0056 新宿区若松町19-1
(総務省第二庁舎別館)
問合せ専用番号: 0120-973-310
Fax: 03-6457-3658
E-mail: info@ihic.jp

ドイツ国営放送が報じた日本の8月15日「日本の戦争犯罪に一番苦しんだ 韓国」

ドイツ第一国営放送ARDが報じた令和2年(2020年)8月15日全国戦没者追悼式(武道館)のニュース。

Aug 15, 2020
Japan gedenkt Ende des Zweiten Weltkrieges vor 75 Jahren.
(日本の75年前の第二次世界大戦終結記念式典)

後半では慰安婦の写真が登場、「日本の戦争犯罪とそれに一番苦しんだ韓国」と言うコメントと映像が紹介されました。

2019外交青書によると「日本の正しい姿を含む政策や取組の発信に一層力を入れる」対外発信の最前線は在外公館。

在ドイツ日本大使館、領事館は出番ですよ。

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< アナウンサー解説 日本語訳 >

天皇陛下はこの記念式典で戦争に関して後悔と深い反省を述べられた。
300万人以上の兵士と民間犠牲者に対して1分間の黙祷があった。
コロナウイルスの流行から今年の出席者は制限され少数のみ参加が許可された。
安倍首相は100万人以上の戦死者につき語るも、より将来についての展望を多く語る。

(補足:ここまでは一般的な事象に関する報道。以降、古い映像を含み悪意に満ちた反日的解説が始まる)

日本の第二次世界大戦での侵略は多くの犯罪を犯したが安倍は沈黙して語らず。右派で保守的な首相は軍事行動を取れる様
戦後憲法の平和条項9の変更を意図しているが日本国民の大多数は反対。天皇は国の象徴で政治的には無力ではあるものの
日本文化での表現に則り罪悪認知のシグナルを送った。

(補足:映像が韓国関連となり、日本に対して”悪意に満ちた”解説となる)

韓国は中国と共に日本帝国主義によって最も悲惨な目に遭い大きな打撃を受けた。
この日、日本政府の閣僚は問題ある靖国神社に参拝したが、これによりこの地域 (北東アジア) で定期的な怒りを引き起こしている。この神社には有罪判決を受けた日本の戦争犯罪者が祀られている。

以上

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1分9-10秒 慰安婦の写真

1分56秒 韓国 文在寅大統領

2分6秒  閣僚の靖国参拝

1985年8月12日 日航機墜落事故「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たち

なでしこアクション代表山本優美子が、日本航空123便墜落事故について以前産経ウェブに書かせていただいた記事(2016.8.11付)です。
事故の起こった8月に多くの方に読んでいただきたく、ここに再掲します。

https://www.sankei.com/premium/news/160807/prm1608070004-n1.html  より

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日航機墜落事故「勝利なき戦い」に挑んだ自衛隊員たちの苦悩を忘れてはなりません

8月になると、8月15日の終戦の日や靖国神社参拝が毎年話題になりますが、私が思い出すのは昭和60年(1985年)8月12日に起きた日本航空123便墜落事故です。ヘリコプターから吊るされた自衛隊員が通称・御巣鷹の尾根(群馬県上野村の高天原山)で生存者を引き揚げて救出している映像が印象に残っている方も多いでしょう。あれは陸上自衛隊の写真ですが、航空自衛隊もまた長野県川上村に救難指揮所を設置して活動をしていました。

犠牲者520名、生存者4名。史上最悪の航空機事故に、航空自衛隊は創設以来最大規模の災害派遣出動に踏み切りました。8月12日の事故発生から8月30日の撤収までの18日間は「勝利なき戦い」と呼ばれていました。私の父は当時、入間基地の副司令であり、現地指揮官を務めました。父の保管している当時の資料を見ると、空の守りから陸に降りた航空自衛官の「勝利なき戦い」の様子がよく分かります。

自衛隊のPKO派遣や阪神大震災、東日本大震災での活躍もあり、今では国民の間で自衛隊に対する理解がずいぶん広まりました。共産党幹部が「防衛費は人を殺すための予算」と発言すると非難されるまでになりました。

しかし、昭和60年当時は今のようなインターネットやSNSによる情報はなく、新聞・テレビなどの大手メディアによる情報がすべてでした。その大半は自衛隊バッシングがメディアの正義だと言わんばかりに、まともな防衛知識もないままに自衛隊批判が繰り広げられていました。

事件発生2日後には、ある大手新聞社が「自衛隊に抗議・疑問続々」という見出しで自衛隊の現地到着が遅かったと批判し、それに続いてデマ・放言のようなバッシングが始まったのです。

自衛隊バッシングに熱心な一部メディアは、救難活動の妨げにもなりました。特ダネを求めて軽装で山中に入った記者やカメラマンが脱水症状を起こして陸自のヘリに救助されたこともありました。着陸許可がないのに新聞社やテレビ局のヘリが、救出活動中の現場空域に進入し、2次災害が起きかねない事態も招きました。現場の記者が正確な記事を書いても、冷房の効いた本社にいるデスクに没にされたり、歪められたりして、現場の記者はその都度に自衛隊に弁解したという話も残っています。

では、メディアが批判したように、本当に自衛隊は現場到着が遅かったのでしょうか?

8月12日18時57分、JAL123便がレーダーから消えた4分後の19時01分に百里基地から戦闘機2機が緊急発進し、19時21分には上空から炎を確認しています。

20時33分に羽田空港から災害派遣要請があると、7分後の20時40分には航空自衛隊入間基地から先遣隊30名が出発しました。日付が変わった13日01時10分には同じ入間基地から548名の派遣隊が出発しています。

現地へ急ぐ派遣隊にとって、最初のハプニングは高速道路料金所で起きました。災害派遣で緊急な出動なのだと説明しても料金所の担当者は「料金を払わねば通せない」の一点張り。結局、自衛隊員が立て替え払いしました。急な出動だったので財布を携帯していない隊員も多く、大型車の通行料3200円の支払いに苦労したそうです。

御巣鷹山の事故現場までは40度近い急斜面を歩かねばなりません。背丈以上ある熊笹の藪を切り開き、ロープを伝いながらの移動で3時間以上かかりました。

現場のあまりに無残な様子におう吐する隊員もいましたが、隊員達はみな懸命に働き、「一刻も早く遺族のもとへ」と肉片となった遺体を丁寧に毛布にくるみました。

「遺品はそのままにしておくようにという指示が出されていましたが、熊笹の中に時計などが落ちてると、このまま永久に見つからなかったら遺族は悲しむと思い、目立つ場所まで動かしました」

「悲惨な現場でも尻込みする者はいなかった。作業終了、下山といっても『もっと残ってやりましょう』、『休憩だ』といっても『いや続けましょう』という」

「夜、宿営地に帰った時には、みな作業服が汗でズブ濡れで疲労でおし黙っている。それでも足を怪我した隊員に翌日は『休め』というと『どうしても行かせてください』と必死でいう」

このような現場報告が残っています。18日間の救難活動に派遣された航空自衛隊の隊員は入間・浜松・百里などの各基地から延べ約1万人。怪我で手当てを受けた隊員はいましたが、脱落者はゼロでした。

こうして厳しい任務を終えて戻ってきた隊員を待っていたのは、メディアによる一方的な自衛隊批判でした。隊員はさぞ驚き、落胆したことでしょう。

そんな中、隊員の励みになったのは派遣部隊の前線基地となった長野県南佐久郡川上村のみなさんの協力でした。到着早々、地元の農家の方々が「隊員のみなさんにビタミンを」と大量の高原野菜を差し入れてくれました。汗まみれで帰ってくる隊員に、村の健康センターのお風呂を提供してくれました。体育館を宿舎として提供した川上第二小学校は始業式を2日遅らせてくれ、児童たちは励ましのお手紙を送ってくれました。

「じえいたいのみなさん、とてもつかれたでしょう。じこげんばにいって、ぼろぼろのいたいをみつけて、たいへんでしたね。学校にとまって、毎朝そうじをしてくれてどうもありがとうございます」

「8月22日の昼食をじえいたいのみなさんといっしょにたべさせていただいて、どうもありがとうございます。カレーやサラダとてもおいしかったです。げんばなどにいっていたいをはこんだりしますか。ああいうところでは、しごともきつくてたいへんだと思います。まいにちあついなかごくろうさまです」

川上第二小学校の中澤弘之校長先生(当時)は学校の記録書にこう残しています。

「隊員と児童のふれあい、この大惨事の中で昼食会や激励会がごく自然の形でなされた。隊の救援活動や児童の学校生活に効果的であった。組織体としての自衛隊の規律ある行動、礼節をわきまえた奉仕の精神、子供たちへの思いやり等、児童に多くの教訓を与えた」

あれから31年。自衛隊創設以来の大規模な災害派遣となった日航機墜落事故が残した教訓は果たして生かされているのでしょうか。

救難活動を安全・円滑に実施するために不可欠となる救援機や取材ヘリなどの空中統制は、航空法で十分に規定されているでしょうか。災害派遣車両を料金所で止めるようなことはさすがになくなりましたが、大規模な災害など緊急事態に対応するための法律は、その後の2つの大震災を経て整備されたでしょうか。自治体と防衛省の役割分担・協力体制は充分構築されているのでしょうか。災害派遣された自衛隊員への手当ては充分でしょうか。不幸にも殉職した場合、残された家族に充分な賞じゅつ金は用意されているのでしょうか。

自衛隊の任務は、自衛隊法第3条にあるように「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする」であり、災害派遣は主任務ではありません。災害時の自衛隊派遣は当たり前だと思われていますが、派遣中も限られた人員で通常の防衛業務も遂行しているのです。

政府は、もの言わぬ自衛官に「勝利なき戦い」を強いてはいませんか。自衛隊がその能力を充分に発揮できるよう、憲法改正とともに法整備を進め、装備や予算も充実させるべきです。それが、日航機事故で亡くなった520名の犠牲者の霊に報いることにもなると私は信じます。

※写真 「中警団新聞 昭和60年(1985年)9月15日」より

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元高校野球監督 野々村直通氏、島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を訴える

野々村直通(ののむら・なおみち)氏といえば、元高校野球監督としてご存知の方も多いと思います。

実は、野々村氏は平成26年(2014年)以来『島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める請願書』の請願者の一人です。

請願は8回続けて不採択となりましたが、島根県の有志の方々は諦めずに令和2年9月に9回目の請願に挑戦します。

令和2年2月の県議会で成相議員が読み上げた野々村氏からの「慰安婦意見書」撤回を訴えるメッセージをご紹介します。

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< 令和2年2月議会 成相議員が紹介した請願者 野々村直通氏のメッセージ >

私、野々村は、8年前の2012年に定年退職に伴い、野球部の監督を退任いたしました。

私の半生は、まさに野球を通じた高校生の育成をみずからの生きがいとして、誇りとして突き進んできたものでした。

その私を理解し支えてくださったのは学校や同僚であり、保護者の皆さんや地域の方々でした。

また、家庭においても多くの負担を引き受けてくれた家族の存在が支えてくれたことは言うまでもありません。

長年の教師生活では、私自身、さまざまな紆余曲折もあり、挫折やトラブルも数多くありましたが、今から思えば貴重な経験であったように思えることが、全力投球で歩んできた結果であると自負しておるところです。

生徒の成長をこの目で見ていくことに大きな驚きや喜びを感じる、充実した毎日でありました。

しかし、平和な時代だからこそ享受することができる恵まれた生活環境があるということ、私自身がそのことに改めて感謝していかなければならないという思いが日に日に強くなり、同時に、その感謝の気持ちを生徒たちに伝えていかなければ真の教育になり得ないのではないのかという気持ちが私の中で大きくなっていきました。

というのも、以前から全国的に学校が荒れていた時代であったことなどもあり、私もそういった生徒と接したときに正面からぶつかっていった経験が、その気づきとなった一つの要因であると考えています。

そういったこともあり、広島県呉市江田島の海上自衛隊の教育参考館の見学を合宿に取り入れたのは平成13年からでした。

江田島での合宿で、生徒たちは確実に変わっていったのでした。生徒たちは、特攻隊員の遺書から、国を愛することや家族を愛するとうとさを学び、大義のためには凛として命を投げ出す潔さに魂を揺さぶられたのでした。

部活動や勉学に取り組む姿勢も、おのずと違ってきました。

当然、他者に対する姿勢や思いやりといったものも備わっていき、見違えるように成長してくれました。

それは、戦没者の方々の遺書に残された言葉や筆跡のたまものであったことは言うまでもありません。

戦没者の方々には、今の時代を批判する言葉は当然持ち得ることはできません。

しかし、今の時代に人としてあるべき指針を確かに示してくださる言葉があるのです。

さきの大戦において、我が国の戦死者、行方不明者はおよそ200万、民間の死亡者は100万人でした。

その中で、いわゆる特攻作戦での戦死者は、海軍、陸軍合わせて4,000名です。

特攻作戦以外の多くの兵士たちは、武器弾薬はおろか、食糧にも事欠くありさまで、後方からの支援も絶望的な中、まともな戦闘さえすることも、異国の地で果てていったのが現実です。

戦争というものがいかにおろかで恐ろしいものであるか、二度と繰り返してはならないということは言うまでもありません。

今を生きる私たちは、謙虚な気持ちで歴史に向き合い、教訓を得ていかなければなりません。

しかし、悲しいかな、教訓というものは、喜びよりも悲しみの中から得られることが多いのも現実であり、悲しみが大きいからこそ、より多くの教訓を得なければならないことも事実です。

多くの戦没者のこういった遺書に身近に触れるには、「きけ わだつみのこえ」が適切であると思われます。

団塊の世代の方々であれば御存じの方が多い、有名な書籍です。

この書籍は、編集段階において、日本精神主義的、戦争謳歌に近いような短文は注意深く除かれ、一部には歪曲、改ざん、誤読もあり、反戦、厭戦に塗り潰された編集が行われたとの指摘があります。

しかし、私はそのように否定的に捉えるのではなく、戦死者の真実の声として捉えたい思いであります。

私は最近、こういった本を手にとるたびに思うことがあります。

それは、死者に民主主義はないのかということであります。

当然、死者には選挙権はありません。

しかし、今日において明確な指針や生きていく上での重要な教訓を与えてくださる死者の民主主義を考えなくてよいとは思いません。

私は一人の教育者として、このことは重要な視点であると思います。

政治においても、この視点は大変重要なことではないでしょうか。

繰り返すようですが、死者からの教訓には、人が人間らしく生きていくための指針が数多くあります。

そこには、どんな小説や映画にもない、真実の言葉があります。

戦場で極限の状態でありながらもなお他者を思いやる気持ちが感じられる遺書に、どんな形であれ異論を挟む行為は、私は許せません。

戦争という異常な状況の中、あすをも知れぬ兵士の俸給を目当てに春をひさぐ貧しい女性たち、女性たちはまたそれが生きていくよすがとするのであるのならば、今の時代を生きる我々が今の価値観で裁くことは果たして正しいと言えるのでしょうか。

例えば、韓国で日本に対して最も手厳しい挺身対策協議会という団体があります。

慰安婦問題で我が国を糾弾している団体です。

この団体について、「反日種族主義」に興味ある記述があります。

1990年11月、挺身対策協議会が結成されました。メーンメンバーは、70年以来、キーセン観光を告発批判してきた女性連合と、慰安婦問題を研究してきた梨花女子大の教授であるというものです。

ほんの20年くらい前の2000年代前半ごろまで、韓国へ買春旅行がはやっていた時代がありました。

日本からも、観光がてらにそういった目的で少なからぬ男性が訪れていた事実があります。

韓国で反日団体の急先鋒と言われる挺身対策協議会ができたきっかけは、こういったいわゆるキーセン観光だったというのです。

このような実態の一要因が、当時の日韓の経済的な格差にもあったとしたならば、挺身対策協議会の反日の動機も理解できる余地はあります。

そうであるならば、反省するべきは、その観光旅行に赴いた当事者であり、そのような買春旅行を許していた当時の両国の社会的風潮です。

戦時下のそれとは全く質の異なる事案であり、恥ずべきこととして、決して同列に置いてはならないものです。

繰り返しますが、戦没者の方々に今の時代を批判する言葉を持ち得ることはできないのです。

私には、時代の波に翻弄された生と死のはざまで慰め合ったであろう兵士たちや慰安婦たちを批判する言葉は見つかりません。

むしろ、生きることの極限にいた彼らにこそ、私たちが直視するべき人間の本質があらわれていたと思うのです。

ましてや、戦没者の実態は、そのほとんどが飢えと病に侵され、なすすべもなく、紛れもない悲劇の中で死んでいかれました。

彼らの言葉こそ、現代を生きる私たちの心に刻み込まなければならないと思います。

今の平和な時代を生きる私たちは、謙虚な気持ちで戦没者の苦悩を想起しなければ、真の平和などおぼつかないのではないでしょうか。

どのような形であれ、歴史認識をゆがめることは、近隣諸国と正常な関係性をゆがめてしまうのです。

今回の請願書でも触れましたが、グレンデール市の母親からの手紙を読むと、悲痛なメッセージが込められています。

現地の母親たち、子どもたちが置かれている苦境の要因は、我が島根県議会にもあるということです。

そして、それは戦死者にいわれなき汚名を着せることになり、将来の日本人全てをおとしめることになるのです。

県議会で決議されたいわれなきこの意見書を撤回し、本請願を採択していただくよう心からお願いいたします。

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< 野々村直通 (ののむら なおみち) プロフィール >

1951年島根県雲南市生まれ。広島大学卒業後、広島の公立学校・府中東高校に赴任し、6年目の79年春に選抜出場に導く。
86年に松江第一(現・開星)高校に美術教師として赴任し、88年硬式野球部創設に伴い初代監督に赴任する。
創部6年目の93年に甲子園出場を果たすと、以後チームを春2回、夏7回の甲子園へと導く。
2010年センバツでの「末代までの恥」発言で監督を辞任したが、約8,000人の監督復帰嘆願の署名が集まり、翌11年4月から監督に復帰。
同年夏の甲子園では復活勝利を挙げ、優勝した日大三高を最後まで苦しめた。
2012年3月、定年退職のため監督を退任、現在は画家・教育評論家として活動している。

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< 島根県議会 資料 >
島根県議会 令和2年2月定例会(第10日目)議事録
https://www.pref.shimane.dbsr.jp/index.php/1284536?Template=document&VoiceType=All&DocumentID=2033#one
※ 19 : ◯成相安信議員  請願者野々村氏の意見紹介

島根県議会 令和2年2月定例会 3月17日 本会議 録画映像
https://shimane-pref.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=717
※ 成相 安信 議員 答弁 1時間36分33秒~ 請願者野々村氏の意見紹介

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< 島根県有志の取り組み なでしこアクションブログより >
2020年8月4日付
島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める8回目請願不採択、9回目請願へ
http://nadesiko-action.org/?p=14682

2020年3月24日付
島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める7回目の請願
http://nadesiko-action.org/?p=14391

2014年12月31日付
竹島を領有する島根県議会がこのままで良いのでしょうか?
http://nadesiko-action.org/?p=7752

2014年9月29日付
日本を愛する島根女性の会「朝日新聞の大誤報を起因とする「河野談話」の即時撤回を要求する県民大会」
http://nadesiko-action.org/?p=7140

2014年6月23日付
日本を愛する島根女性の会から県議会議長宛て抗議文
http://nadesiko-action.org/?p=6582

2014年6月5日付
島根県議会「慰安婦」可決の説明を ネット署名3600人、提出へ
http://nadesiko-action.org/?p=6528

2014年4月13日付
竹島奪還を目指す島根県議会がなぜ「慰安婦意見書」?県議会議長に説明を求めます!
http://nadesiko-action.org/?p=6265

2014年1月14日付
カルフォルニアの母の会が島根県議会に抗議!
http://nadesiko-action.org/?p=5600

2013年12月12日付
島根県から報告「議長の椅子取りゲームに慰安婦問題を利用するのは許せない」
http://nadesiko-action.org/?p=5440

2013年10月4日付
「島根県議会の歴史認識をただす 島根県民の会」から活動予定お知らせ
http://nadesiko-action.org/?p=5033

2013年9月9日付
島根県民が「慰安婦意見書」撤回に立ち上がった!
http://nadesiko-action.org/?page_id=4791

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< 地方議会の慰安婦意見書について なでしこアクションブログより >

ねつ造慰安婦問題解決に向けて地方議会の意見書・決議・請願・陳情まとめ
http://nadesiko-action.org/?page_id=7180

地方議会の慰安婦意見書
http://nadesiko-action.org/?page_id=2

左派市民団体と国連のマッチポンプ
http://nadesiko-action.org/?page_id=7

8.3 永遠の贖罪 土下座像 即刻撤去 抗議行動


(写真提供:反日銅像真実糾明共対委)

2020年8月3日 江原道平昌自生植物園で行われた反日銅像真実糾明共対委による土下座像即刻撤去 抗議行動 の日本語字幕付動画です。

動画より
「日本統治時代にまさに性を売って食べて生きていくのが職業だった女性たちを今になって呼び出して、日本を悪魔化させる手段として彼女たちを前に立たせて、性を売った女性たちを、その人達をもう一度売って生活している市民運動。私たちは彼らの悪質を今日如実に目撃しています。」

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抗議活動の写真
写真提供:反日銅像真実糾明共対委

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<ニュース>

ZAKZAK 2020.8.4
「土下座像を撤去せよ!」韓国保守系団体、設置の植物園に抗議 すべての「反日像」排除へ
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200804/for2008040008-n1.html

産経 2020.8.3
慰安婦への謝罪像の撤去求め抗議 韓国市民団体
https://www.sankei.com/politics/news/200803/plt2008030023-n1.html

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<youtube チャンネル>

채널fujichan  反日銅像撤去デモシリーズ
https://www.youtube.com/channel/UC0HuFE2BU3LsruQCDUUcSlg/videos