慰安婦像撤去を求めて活動する韓国の市民団体「国史教科書研究所」「慰安婦法廃止国民行動」作成のポスター。事実がそのまま、分かりやすく伝わります。
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2020年 12月 23日
国史教科書研究所/慰安婦法廃止国民行動
第16次国民行動声明書
誰がこの手を日本軍の手と言ったのか
現在、南山の麓には国権喪失期に総督官邸があった場所に、「日本軍慰安婦記憶の地」が造成されている。 「記憶の地」に入ると、「この地で起きた恥ずべき歴史をすべて見守り、今後この問題をどのように解決していくか見守る」という意志を込めたという大地の目をまず見ることになる。 中央には247人の慰安婦のリストとともに強制連行された時の状況、慰安所生活は、解放後は祖国への帰国の過程と政府に強要されてやむを得ず、沈黙しなければならなかった状況を記述し右側の端には金順徳(キム・スンドク氏の「連れていかれた」という絵が刻まれている。 日本軍によって強制連行された慰安婦被害者の象徴でもあるこの絵は、恐怖におびえた少女の瞳と少女の手を乱暴に握っている手が見る者の視線を引き付けている。
この手について1995年から1998年まで慰安婦美術治療を担当し、キム・スンドク氏にこの絵を指導したイギョンシン氏は自分が書いた本『咲かなかった花』で「少女を引っ張っていく日本軍の具体的形象を省略して乱暴な手だけ描いたのはもっと詳しく描くことは困難であると推測されるが、かえってその選択が非常に素晴らしい結果を生んだであった。」とし、それが日本軍の手だと言った。 イ·ギョンシン氏はさらに左側の少女の絵には数多くの朝鮮の女性を描き、右側には日本軍を描き、その日本軍の中に再び数多くの日本軍を描いた絵を『咲かなった花』に載せた。 数多くの日本軍が数多くの朝鮮の女性を強制的に連れて行ったことを表現したのである。
では、金順徳氏は果たして日本軍に連行されたのか。
2004年6月30日付のオーマイニュースは「17歳の時(1937年)、朝鮮人男性が日本の工場で働く女性を募集して日本に行くことにした。 2018年8月8日、京郷新聞は「咲かなかった花」という絵に、慰安婦問題のシンボルとして知られている金おばあさんは1937年17歳になった年に看護婦を募集するという話にだまされて上海に連行されて慰安婦で苦労した」と報道した。
また、保坂祐二氏は『日本の従軍慰安婦問題の証拠資料集(1)』に「1937年陰暦の正月の2月頃17歳になった年に看護師を募集するという言葉に騙され、中国上海に連行され、そこで日本軍慰安婦被害を受けた。」と書いた。 その一方で、イギョンシン氏は「工場に出稼ぎに行くとばかり思っていた純真な田舎出身の少女スンドクの驚く心を単純ながらも明確に表していた」と言った。 キム·スンドクという一人の特定の履歴について「工場」、「看護師」、「准看護師」などと出所ごとに異なる。 にもかかわらず、いざ強制連行したという日本軍はどこにも登場しない。
では、恐怖におびえた少女の手首を乱暴に握っている絵の中の「あの手」は誰の手なのか。 それは朝鮮人の男の手であり、就職詐欺犯の手であり、抱主の手だ。 ところで誰が、どうして、なぜ、日本軍の手だと偽っているのか。
誰かから始まったこの嘘を全国民は真実だと信じ、政府は国家指定記録物として永久保存し、教育部は教科書に載せて子どもたちの魂を蝕んでいる。 なんという恐ろしいことだろう。
慰安婦関連の嘘はここで止まらない。「 慰安婦被害者を称える日」主人公金学順ハルモニをはじめ、吉元玉、金福童、李容洙(イ・ヨンス)など数多くの女人たちが各自の事情で、慰安婦になったのであるが、なぜか一様に「日本軍に強制連行されて慰安婦となった」に帰着してしまったのである。 しかしながら、’日本軍に強制連行されて慰安婦となった’はこの公式は、断言できるけど、うそだ。
彼らが日本軍に強制連行されたといういかなる公式文書も証言もないからである。 私たちはあまりにも簡単に嘘をつくし、簡単に信じ込んでしまう。 一体私たちはいつからこのように嘘に慣れ、嘘を恥ずかしく思わないようになったのか。
もうこの「記憶の地」を造成したすべての関係者らに、いや、慰安婦問題を世界化させたすべての関係者たちに問いたい。
なぜうそをつくのか。
怖くないのだろうか。
以上