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自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは

長尾秀美氏(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)より論考「自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは」をいただきましたので、ご紹介します。

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英語/English

令和2年(2020年)6月15日

長尾秀美(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)

自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは

1.驚愕

5月7日、自称元慰安婦の李容洙氏が韓国の大邱で記者会見を開いた。彼女は正義連(旧挺対協)の資金管理が不透明だと批判し、毎週実施される水曜デモにはもう参加しないと述べた。

正義連は慰安婦募金、寄付金、および政府補助金を使って活動してきたようだが、驚いたのは、政府補助金が2016年から2019年まで約13億4300万ウォン(約1億1670万円)もあったことだ[1]。さらに驚いたのは、最初の少女像(高さ1.3メートル)」を製作した彫刻家の金運成氏はこれまでに100体近い少女像を作り、少なくとも31億ウォン(約2億7700万円)の売り上げがあったとされ、高さ10-50センチメートルの少女像も1万体近く売ったと推定されている[2]。少女像には大小を問わず著作権がある。ちなみに金氏は正義連の理事になっている。

検察当局が正義連の資金流用疑惑解明を進める一方、有識者や論説委員などは、国として、あるいは国民として、彼女たちに何ができるのか、何をするべきなのかを模索している。

李氏の批判は一部の人権保護活動家の私欲を白日の下に曝(さら)すと同時に、慰安婦問題に対する未曽有の意識変革をもたらしている。

2.なぜ

李氏はなぜ公の場で正義連を非難したのだろうか。その動機は何なのだろうか。私は彼女の立場になっていくつかの理由を推測してみた。

(1)30年にもなろうとする自分の活動に対し、納得できる結果が出なかった。

(2)自分は主役の1人なのだが、現状のままだと、舞台から引き摺り下ろされるという怯(おび)えがあった。

(3)これまで国内外の多くの場所に出掛けて話をしてきたが、報酬が少なかった。

(4)数年前の大統領晩餐会でトランプ大統領に抱き付こうとした行為が正当に評価されなかった。

(5)「容洙は独島だ、独島は容洙だ」と述べたことを世間が忘れようとしている。

(6)数十年前の実体験とこれまで自分が述べてきたこととの区別が最近あやふやになってきているので、今のうちに、世間の目を逸(そ)らそうとした。

(7)偽善に対する良心の呵責にやっと目覚めた。あるいは、

(8)最近は孤独に耐えられなくなっていた。

3.正義連と尹美香正義連前代表に対する批判

李氏は正義連と尹美香正義連前代表を以下のように批判しているが、多くが金銭に絡んでいる。

「挺対協が元慰安婦を30年間も売り飛ばしてきたことが、今やっと表沙汰になった。私は絶対に…正しい慰安婦歴史館を建てる」[3]

「水曜集会を中断すべきだ」 [4]

「30年間、芸は熊がやり、カネは熊使いがかすめ取った」 [5]

尹美香正義連前代表は、「私利私欲のため国会議員にもなっていった。容赦できない」 [6]

「尹氏に空腹なので食べ物を買ってほしいと頼んだが、カネがないと断られた [7]

4.韓日学生交流の提言

李氏は正しい歴史が何なのかを理解している。と同時に、韓日双方が受け入れられる歴史があれば、憎らしい正義連はともかく、自分たちすべてが否定されることも知っている。その上で以下のように訴えている。

「日本は1000年後も1万年後も慰安婦問題のために謝罪し、賠償しなければならないが、そのためには韓日両国の学生が正しい歴史を学ぶ必要がある。…。これを実現するためには両国が親しく過ごし歴史の勉強をしなければならない」[8]

5.自称元慰安婦の懊悩

5.1.人権活動の推進

日本を糾弾する慰安婦問題が韓国で大きなうねりとなったのは1990年代初めに挺対協(現正義連)が設立されてからだ。挺対協は慰安婦制度の被害者の名誉と尊厳を回復させ、人生の安定と自由を確保するという方針のもとに日本を糾弾する活動を始めた。

李氏は、1992年6月、元慰安婦だったと名乗り出た。そして慰安婦制度の被害者になり、いろいろな活動に参加するようになった。

正義連の目的は、日本による女性への人権侵害を世界に訴え、日本を糾弾することだ。しかし活動を継続させ、広げるためには資金が必要だ。そこで一般からの寄付を募ることにした。学生を含めた民間人からの募金や企業からの寄付が集まるに連れ、活動は国内から国外へ、国連へと広がっていった。政府からの補助金を得てからは、正義連は政府公認団体となった。とは言え、資金はいくらあっても足りないので、正義連は高額な慰安婦像売買、慰安婦問題関連商品の販売などにも精力を傾けていった。

李氏はそういう枠組みを理解していたつもりだった。

ところが最近になり、3つのことが李氏を悩ませるようになった。1つは、正義連が作り上げてきた自分の人格に対する以前からの批判だ。2つ目は、慰安婦問題の主役は誰なのかということだ。3つ目が、尹氏はもう正義連の代表者ではなく、国会議員になるということだ。

李氏の叫びはそこから派生したものだ。

5.2. 固定観念への疑問

李氏は過去30年を振り返った。恥ずかしさや悔しさが滲み出る思い出があり、高揚感に満ちた思い出もある。講演会や報道関係者との応答などを通じ、多くの人たちに会い、自分の過去を語り続けてきた。2007年には米下院公聴会やハーバード大学などでも自分の体験を証言した。2011年にはアメリカのニュージャージー州パリセイズパーク市に設置された慰安婦碑(*日本軍が20万人の女性を拉致したと記す)の前で号泣した。

様々な場所で会った人たちの自分に対する知識は、すべて自分が中国や台湾などで過ごした1944年からの2年間に凝縮されている。これまでの長い人生のうち青春と呼ぶにはあまりにも短い時間を断片的に切り取ったものだけだ。そして現在の自分を告発者としてしか見ていない。

人は幼少時代、青春時代、壮年期時代を経て人生の後半を迎える。李氏は大邱で生まれ育ち、弟4人のために幼い頃から働いた[9]。そんな辛さもあったが、父や母やおばさんの声は覚えている。14歳か15歳か16歳だった時、軍帽を被った日本人に連れ去られ、その際ワンピースと革靴をもらったような記憶がないではない。戦後、台湾から故郷に戻った。そして朝鮮戦争を含む激動の時代を居酒屋や屋台などで働きながら乗り切ってきた[10]。母の死後は保険会社の勧誘員としても働いた[11]。1989年に結婚したが、疑い深く暴力を振るう夫とは2年ほどで離婚した[12]。そんなごたごたに辟易していた1991年8月、金学順氏が元慰安婦として名乗り出た。挺対協の誘いに乗り、多くの女が自分たちは元慰安婦だったと告白し始めた。李氏も元慰安婦になることにした。渡りに船だった。

そんな過去を振り返っても3つの疑問は解消されない。尹氏は国会議員になるが、自分は没個性の慰安婦仮面を被ったままだ。

5.3. 没個性化の克服

人は嘘を言ってはいけないと言われて育つ。それでも世の中には嘘が溢れている。李氏もそんな相反する世の中を幼いながらも見てきた。自分は便宜上嘘をつくが、他人の嘘は許せない。自分は誰かを利用しても、誰かに利用されたくはない。

李氏は考えた。自分の人格は正義連の尹美香氏などに言われて作り上げてきた1944年から2年間の虚像だ。記憶と意識の作用を意図的に乱し、良心が志向することを無視して作り上げたものだ。

李氏は是が非でも自分の新たな姿を残したくなった。そのためには何をどうすれば良いのか。

日本に対する千年の恨(はん)を声高に主張するのも一つの方法だが、それだけでは弱い。数年前どこかで話した韓日学生交流による歴史的考察は、あまりにも白々しい。自分自身がその限界を知っているからだ。

他に手段はないのか。公けの舞台でもう一度主役になり、主役のまま舞台を去りたい。そこで思い当たったのが暴露戦術だ。資金管理不正を告発すれば、世間は注目する。そこに新たな自分が生まれる。失敗してもこの方法なら、正義連と尹氏は無傷では切り抜けられない。

李氏は、叫び声を挙げることにした。「条件反射的反日だけでは問題を解決できない」などという学者の意見など、自分にも正義連にも政府にも関係ない。

6.以上は私が想像した李氏が叫び声を挙げるまでの過程だ。惜しまれるのは、それまで誰も李氏に女性史研究家だった山崎朋子氏が『サンダカン八番娼館』で書いたおサキさんのことに触れなかったことだ。誰も李氏にキリスト教徒で民主化運動指導者だった威錫憲氏が残した言葉を伝えなかったことだ。

6.1.山崎氏はおサキさんについて、以下のように書いている[13]。おサキさんは10歳で兄に300円で売られ、〝からゆきさん〟としてインドネシアへ行き、戦後夫と息子と共に京都へ行き、寡婦になってから故郷の九州へ戻り、天寿を全うした。からゆきさんとは明治から戦後まで日本から海外へ出掛け、売春婦になった女性のことだ。

〈おサキさんは、…。人びとから差別の目をもって見られながら、拗ね者になったり、反社会的な行為をしたりすることなく、かえって自己の人格を高めたのだ。…。おサキさんの(*思いやり)は、人間はもちろんのこと、「あれも、いのちのあるもんじゃけん――」と言って、自分の食物を削って九匹の捨て猫に分けあたえるほど広いのである。〉

6.2.威錫憲氏は、下記のように書いている[14]

〈「人間は抵抗するものだ。抵抗すること、それがまさしく人間である。…。生活体験というものは、個人が自己の存在を独自な価値を持つ人格的なものとして理解して掘り下げ、とらえ、表そうとすることから生じるものであ」る。〉

7.李容洙氏の目論見は叫びによって一見成功したようだ。しばらくの間は孤独感に苛(さい)まれることもないだろう。しかし、正義連の資金管理に司直の手が入ったことと、世間による彼女の人格評価とは別物だ。誰にとっても現実は厳しいが、人格者に救われる人は多い。歴史認識とは無関係だが、結果として李氏は歴史に名を残すことになった。

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[1] 2020年5月26日 10:17配信 中央日報日本語版
尹美香元慰安婦団体代表、4日後には不逮捕特権…検察、週末も捜査

[2] 2020年6月3日 11:40配信 朝鮮日報日本語版
校庭に少女像設置しようとしたら…正義連理事が著作権を盾に阻止

[3] 2020年6月6日13:11配信 WoW!Korea
元慰安婦イ氏「我々を売り飛ばした“悪人”…必ずいつか恨みを晴らす」

[4] 同上

[5] 2020年5月31日05:40配信 朝鮮日報日本語版
【萬物相】「芸は熊がやり、カネは熊使いがかすめ取った」

[6] 2020年5月26日10:40配信 朝鮮日報日本語版
「なぜハルモニたちを売ったのか」…30年の恨がこもった李容洙さんの絶叫

[7] 2020年5月26日10:10配信 朝鮮日報日本語版
空腹訴える元慰安婦に「カネはない」と言っ放った尹美香氏、家5戸を現金で購入していた

[8] 2020年5月25日 16:47配信 聯合ニュース
慰安婦支援団体批判の被害者 歴史学習と韓日学生親善の必要性を強調

[9] 韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編『証言―強制連行された朝鮮人慰安婦たち』1993年、明石書店、pp.131-132

[10] 同上、p.142

[11] 同上、p.143

[12] 李容洙・高柳美知子『わたしは日本軍「慰安婦」だった』2009年、東京、新日本出版社、pp.78-79

[13] 山崎朋子『サンダカン八番娼館―底辺女性史序章』1972年、東京、筑摩書房、p.255

[14] 威錫憲『苦難の韓国民衆史』1980年、東京、新教出版社、p.399、p.15

OUTCRY OF LEE YONG-SOO, FORMER COMFORT WOMEN

日本語/Japanese

June 15, 2020

Hidemi Nagao ( Former Civil and Media Liaison Officer of the Commander U.S. Naval Forces, Japan, Novelist and Non-fiction Writer )

OUTCRY OF LEE YONG-SOO,  FORMER COMFORT WOMEN

1.Surprise

Lee Yong-soo, a self-proclaimed comfort woman, held a press conference in Tague, South Korea, on May 7.  She accused Seigiren by questioning its money management practices.  She added that she would not join the Wednesday demonstrations any longer.

Seigiren (the Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan) gets not only private funding from individual and corporate donors but also government subsidies.  What is surprising is it obtained 1.343 billion won (approximately 116.7 million yen) from the South Korean government from 2016 to 2019.[1]  Another surprise is that Kim Eun-Sung, the sculptor who made the 1.3-meter-tall girl statue in front of the Japanese Embassy in Seoul, made more than 100 replicas and cashed in at least 3.1 billion won (approximately 277 million yen) so far.  Kim is believed to have sold close to ten thousand smaller statues (10 to 50 centimeters tall). [2]  The replicas, large or small, are copyrighted.  He is one of the directors of Seigiren.

While the prosecutors are investigating Seigiren’s accounting irregularities, the intellectuals and media columnists are struggling to find out what the nation and the public can do or should do for the comfort women issue.

Lee’s accusations have not only uncovered personal greed of certain human rights advocates but also brought about an unprecedented change in public perceptions of the issue.

2. Why?

Why did Lee publicly criticize Seigiran at all?  I got intrigued to figure out what prompted her to do it.  Putting myself in her shoes, I try to make a guess below.

(1) Lee has not been happy with results of her commitments for the past 30 years.

(2) Though she has been one of the key players, she is getting afraid of being pulled out of center stage as things are going on now.

(3) She has not been duly paid for her commitments in places both domestic and foreign.

(4) Her act to give a hug at President Trump at a presidential banquet has not been properly recognized.

(5) The public is no longer paying any attention to her bold statement that “Yong-soo is the Dokdo and the Dokdo is Yong-soo.”

(6) Because she recently finds it hard to tell which is true, her personal experience of decades ago or what she has been narrating about it, she intended to divert the public attention to something else.

(7) She has, at long last, begun to have qualms of conscience about having practiced hypocrisy.  Or,

(8) She has lately been suffering from isolation.

3. Criticisms against Seigiren and its former leader Yoon Meehyang

Most of Lee’s criticisms are related to money as shown below.

Lee sobbingly said, “The fact that the Korean Council (Seigiren) has been making business of the former comfort women for the past 30 years came to light at last.  I will swear to construct a comfort women history museum.” [3]

Lee appealed, “The Wednesday demonstrations should be terminated.”[4]

Lee complained, “The bear trainer taught bears to do tricks and the trainer swindled all the money for the past 30 years.”[5]

Lee fumingly said, “Yoon Meehyang became a congressperson for her personal greed.  It is unforgivable.”[6]

Lee once asked Yoon to buy some food because she was hungry.  Yoon refused to do so by saying, “I don’t have money.”[7]

4. Proposal of exchanges of South Korean and Japanese students

Lee understands what righteous history is.  She is well aware, at the same time, the authenticity of the hateful Seigiren as well as all self-proclaimed comfort women would be denied if there comes a day when both South Korea and Japan can share common historical perceptions.

Lee preached, “Japan must apologize and pay reparations to the comfort women for the next one thousand years, even ten thousand years.  It is necessary, as a prerequisite, for the students both in South Korea and Japan to learn history from a proper perspective.  Both nations must become friendly to put the process on the right track.”[8]

5. Dilemma of the self-proclaimed former comfort woman

5.1.    Promotion of human rights activities

The comfort women issue made a big wave in South Korea in early 1990s when Seigiren was established.  Seigiren launched a policy to restore honor and respect and to secure stability and freedom of the victims of the licensed prostitution system and began a variety of protest activities against Japan.

Lee came forward as a former comfort woman in June 1992.  She became one of the victims of the system and took part in Seigiren activities.

Seigiren’s purpose was to denounce Japan by appeal violations of the women’s rights to the world.  It required funds to promote and continue its campaigns.  Its leaders decided to collect donations from the public.  As donations came in from students and people and from businesses, so Seigiren expanded its campaigns overseas and to the United Nations.  Once it succeeded in obtaining subsidies from the government, Seigiren became a government-endorsed entity.

Funds would never be sufficient.  So, Seigiren committed itself to raise money by selling girl statues and other comfort women related goods.

It was only recently when Lee got concerned about three things.  One is a long-standing criticism against her personality, the image of which Seigiren created.  The second is a question of who should be at center stage as far as the comfort women issue is concerned.  The third one is Yoon is no longer a civic leader but a congressperson.

Lee’s outcry derives from the three things above.

5.2.    Misgivings about stereotypical views

Lee reflected on her life for the past 30 years.  Some recollections were embarrassing but others were elating and pleasant.  She always narrated her sufferings at seminars and media availabilities, meeting with a variety of people.  She took a witness stand at the U.S. Congress and at a Harvard University hall in 2007.  She cried loudly at Palisades Park in New Jersey in 2011 when a comfort women cenotaph was unveiled, an inscription of which stated that the Japanese military abducted 200,000 women to warfront.

The knowledge of those people Lee met at various places is limited to the two years since 1944 when she was in China and Taiwan.  The timeframe—too short for anyone’s adolescent years—was, at best, a fragmentary phase of her long life.  And they regard her only as an accuser.

One goes through a life being a child, an adolescent, and an adult before becoming an aged.  Lee did so, too.  Being born and raised in Taegu, she had painful days because she had to work for four younger brothers.[9] She still remembers voices of her father, mother, and an aunt.  When she was 14, 15, or 16, a Japanese who put on a military cap gave her a dress and a pair of shoes and took her away though her memories are not so clear today.

After the war ended, Lee returned from Taiwan to Taegu.  Working as a waitress at taverns and grab-joints, she managed to live through such hard times as the Korean War.[10]  After her mother’s death, she worked as an insurance vender, too.[11]  She got married to an elderly man in 1989 but got divorced in two years as he was very suspicious and violent.[12]  In August

1991 when she was sick and tired of the personal trouble, Kim Hak-sun came to the fore as a former comfort woman.  Quite a few women followed her suit in response to Seigiren’s encouragement.  Lee decided to join them.  She viewed it as a godsend.

Those recollections did not help her overcome the three embarrassing questions.  Things are moving; Yoon would soon become a congress person.

Lee remains as a woman putting on a comfort woman mask, which is nothing but a symbol of depersonalization.

5.3.    Overcoming the depersonalization

One grows being told not to tell a lie.  Reality is the world is full of lies, which Lee also personally experienced.  Lee allows her to tell a lie for the purpose of convenience.  It is unforgivable, however, for others to tell her a lie.  Likewise, she does not mind using others for personal benefit, but she does not want to let others use her.

Lee gave a serious thought about the status quo for a while.  Her personality was a work-up of Seigiren and Yoon; an idolized creation for the two years since 1944.  It was a product intentionally defying her memory, reason, and conscience.

Lee made up her mind that she should create a new personality.  What should she do?

One way is to appeal to the public the Han of a thousand years against Japan more loudly than ever before.  She knows it has already become a

cliché.   A proposal of historical reviews by students of both South Korea

and Japan—which Lee talked about a few years back somewhere—is superficial at best.  For, she is aware of its limitations.

There must be other means.  Lee wants to be a central player on stage again and leave the stage as one.  …  It dawned on Lee.  Exposing hidden malpractices would do.  The world would pay attention to her once again, which ushers in her new image.  Even if her exposure tactics fails, Seigiren and Yoon would not survive unscathed.

Lee finally decided to cry out loud.  She or Seigiren or the government could care less about an academic criticism that Pavlovian anti-Japanese campaigns alone would not solve the issue.

6. What I wrote above is my guess of Lee’s flow of thoughts. It is quite unfortunate for no one to have mentioned her what Tomoko Yamazaki, a Japanese historian on women, wrote in her book about Osaki-san in 1972 and what Ham Seok-heon, an avid Quaker and a pro-democracy movement leader throughout his life (1901-1989), stated in his book in 1962.

6.1.    Yamazaki wrote the following about Osaki-san.[13]

“Osaki-san was sold as ‘Karayuki-san’ by her brother Funazo for 300 yen when she was ten years old.  She was taken to Sandakan in Borneo, Indonesia and she became a prostitute at the age of 13 (*Karayuki-san are Japanese prostitutes who did business in foreign countries).  After the war, she fled from Manchuria with her husband and a son and lived in Kyoto; upon her husband’s passing, she alone came back to Kyushu; and she peacefully died there years later.”

“Osaki-san, despite her having been exposed to the villagers’

prejudice in Kyushu, elevated her personality to a noble level, without becoming cynical or anti-social.  She had a big heart not only toward other people but also toward nine stray cats living around her house.  Osaki-san gave them food while having barely enough food for herself.  She said to me, ‘They also have a life to live through.’”

6.2.    Ham Seok-heon wrote as follows in his book.[14]

“A human being is born to resist.  Resistance proves the existence of the human being.”

“Life experience derives from a mental process of understanding, scrutinizing, and demonstrating one’s existence as a unique and valuable personality.”

7. Lee Yong-soo’s attempt seems to have achieved an objective. She would not feel lonely for a while.  But the authorities’ investigations to the allegations against Seigiren’s fund management are irrelevant to public appraisal of Lee’s personality.  People always face a harsh reality, but the reality also sees many people being saved by a person(s) of integrity.
Lee Yong-soo will earn her place in history though it has nothing to do with historical perceptions.

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Bibliography

[1] The Japanese language edition of the JoongAng Ilbo dispatch at 1017 on May 26, 2020

[2] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 1140 on June 3, 2020

[3] The Japanese language edition of Wow!Korea dispatch at 1311 on June 6,2020

[4] Ditto

[5] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 0540 on May 31, 2020

[6] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 1040 on May 26, 2020

[7] The Japanese language edition of the Chosun Ilbo dispatch at 1010 on May 26, 2020

[8] The Yonhap News dispatch at 1647 of May 25, 2020

[9] The Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan and Teishintai Research Committee, Ed. (1993). Shogen–Kyosei Renko Sareta Chosenjin Ianfu Tachi [Testimonies – Korean Comfort Women Forcibly Recruited] (author translation). Tokyo. Akashi Shoten Publishing, pp. 131-132

[10] Ditto, p. 142

[11] Ditto, p. 143

[12] Lee Yong-soo and Michiko Takayanagi. (2009). Watashi wa Nihongun Ianfu Datta [I was a comfort woman for the Japanese military] (author translation). Tokyo. ShinNippon Shuppan Publishing, pp. 78-79

[13] Yamazaki, Tomoko. (1972). Sandakan Hachiban Shokan [Brothel Eight in Sandakan] (a/t). Tokyo. Chikuma-Shobo Publishing, p. 255

[14] Ham Seok-heon. (1980). Kunan no Kankoku Minshu-shi [History of hardships of the South Korean people] (a/t). (Kim Hak-hyon, Trans.) Tokyo. Shinkyosha Publishing, p. 399, p. 15

韓国慰安婦問題~正義連騒動の展開

長尾秀美氏(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)より論考「正義連騒動の展開」をいただきましたので、ご紹介します。

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原文英語/English

令和2年(2020年)6月4日

長尾秀美(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)

正義連騒動の展開

5月7日、自称元慰安婦の李容洙が韓国の大邱で正義連(旧挺対協)および尹美香前代表を公に非難した。以来、抗議の声が各方面から上がり、韓国内は蜂の巣をつついたようになっている。この正義連騒動の今後について、私見を述べたい。尚、個人の敬称は省略する。

1.騒動の限界

1.1. 慰安婦の定義に疑義があることはさて置き、韓国内や海外に建てられた慰安婦碑・像は、日本軍による戦地での慰安婦利用を象徴している。したがって、正義連が否定され、解散しても、韓国民にとって碑や像の存在意義は失われない。

1.2. 慰安婦支援団体については1990年に設立された挺対協が嚆矢となるが、韓国民にとってその存在意義は大きい。したがって、慰安婦に関する反日運動が終息することはない。

1.3. 正義連の活動費の大部分は一般からの寄付金によって賄われていたようだ。したがって、検察側は不正経理による横領や背任などについて正義連の捜査を進める。今後は尹美香や経理担当者および彼女の親族のみを矢面に立たせ、事態を収束させることが予想される。

1.4. 慰安婦を性奴隷(sexual slave)だと呼び始めたのは、戸塚悦朗だと言われている。彼は1992年に国連で使っている。正義連はその英語名称に慰安婦(Comfort Women)ではなく(Sexual Slavery)を使用している。どちらによる造語なのかは断定できないが、慰安婦を公娼(認定売春婦)ではなく性奴隷と同視する考え方は1990年代半ばには定着した。ところが李容洙元慰安婦は5月25日に開いた記者会見の場で、性奴隷という呼称のおぞましさを嘆いた。事情がやや変化した。韓国外交部(外務省)は英語のホームページでComfort WomenではなくSexual Slaveryを使用している。したがって、同国が国連の各委員会に対し、その呼称の訂正を求めるとは考えられない。被害者中心主義を唱えるとしても、性奴隷という呼称に勝る言葉がないからだ。

1.5. この騒動が終息しても、上記のとおり、慰安婦問題に関する環境が劇的に変化するとは考えられない。とは言え、1つ提案したいことがある。正義連は慰安婦問題を女性の人権侵害として捉え、日本を糾弾してきた。女性の人権尊重を掲げるなら、朝鮮戦争中の第5補給品や洋公主およびベトナム戦争中の韓国軍慰安所およびライダイハンの母をもその名称に含めるのが本筋だ。正義連解散後に有志が新しい団体を設立させるなら、次の名称を推奨したい。ただし、それには国民の勇気が必要となる。

女性問題解決のための日本軍、韓国軍、国連軍、ベトナム孤児正義記憶同盟

2. 公的慰安婦支援機関の設立

2.1. 正義連への信頼が地に落ちたことから、韓国政府はこれを好機とし、支援機関を新たに設立し、管理していくことが想定される。ここではその機関を仮に慰安婦支援庁とする。この支援庁は慰安婦の存在を外交問題として捉えれば外交部に、社会的保護の問題として捉えれば保健福祉部に、女性の権利促進の問題として捉えれば女性家族部に所属することになるだろう。

2.2. 支援庁は慰安婦が何を望んでいるのかを明確に把握しなければならない。 彼女たちが慰労金などの受け取りのみを望むなら、慰安婦およびその遺族への慰労金支給が終了した段階で支援庁の役目は終わる。

2.3. 一方、彼女たちが日本政府から明示的な国家責任認定を引き出すことを望むなら、2つの状況が想定される。

2.3.1. 日本政府は、加藤談話、河野談話、アジア女性基金、2015年の日韓合意を持ち出し、慰安婦問題を韓国内で処理するべきだと主張するだろう。日本政府は譲歩しないだろうから、日本政府が拠出した「和解・癒やし財団」への10億円は宙に浮く。慰安婦問題は事実上未解決となるだろう。

2.3.2. 彼女たちが妥協案を出すとすれば、その案は、慰労金を受け取った上で、韓国政府が日本政府への働き掛けを恒常的に続けるという誓約をすることになるだろう。

3. 韓国の日本に対する恨(ハン)

3.1. 現状を考慮した上で日本が蔑ろにしてはならないことが3つある。最初の2つは、千英宇(チョン・ヨンウ)韓半島未来フォーラム理事長・元外交安保首席(李明博政権で大統領外交安保首席秘書官)が述べた韓国人の日本に対する恨(注1)だ。彼は5月24日配信の朝鮮日報日本語版で以下の2点を強調している。

3.1.1. 方々に少女像を立て、慰安婦被害者らが全て亡くなった後も日本の蛮行を反すうすることは、歴史教育の観点からも必要だ。

3.1.2. 日本に対する復讐はいくらやっても足りないが、過去に限りなく埋没して韓国がこれ以上壊れる必要はない。反日も重要だが、韓国にはそれより大切な価値もある日本に対する道徳的優位を喪失したら、克日はさらに遠のくという国民の実態を忘れてはならない。

3.2.もう一つ蔑ろにできないのは李容洙が5月25日の記者会見で述べたことだ。5月26日配信の朝鮮日報日本語版によれば、彼女は、「(慰安婦)運動の方式を変えようというのであって、やめようというのではない」としつつ「日本は千年たとうと万年たとうと、慰安婦問題について謝罪すべき」と語った。続いて「結局は韓日両国の学生が歴史の主人であって、慰安婦問題を解決してくれる人々」だとし「両国の学生に正しく歴史教育をして、互いに交流するようにしなければならない」と語った。彼女の言葉は、千英宇氏が述べた恨と同根だ。

3.3. 日本人なら、李容洙と千英宇の言葉の背景に1910年の日韓併合があることは自明だ。ここで帝国主義時代の宗主国と植民地の例を持ち出しても、韓国民には通じない。アジアの歴史を振り返れば、イギリスとインド、フランスとインドシナ、オランダとインドネシア、アメリカとフィリピンの現状はどうなっているのか。そんなことは無関係なのだ。したがって、李王朝時代より韓半島で厳然たる権威の象徴だった両班の存在を持ち出し、日韓併合時に彼らが何をしたのか、何をしなかったのかを問いただしても意味がない。

4. 日本は何をどうするべきか

4.1. ジャーナリストでコリア・レポート編集長の辺真一氏は、5月27日、 「元慰安婦の「爆弾発言」は安倍政権にはプラス! その5つの理由」を列挙している。要点は以下の通りだ。

プラス1.「挺対協」の正当性を否定したこと。

プラス2.「挺対協」の「慰安婦証言集」を問題にしたこと。

プラス3.「水曜集会」を止めるように訴えたこと。

プラス4.「性奴隷」という表現を使わないよう求めたこと。

プラス5.国会議員になった尹美香前理事長の発言力が低下すること。

4.2. 繰り返すようだが、日本政府は慰安婦問題に関し、1992年と1993年に加藤談話と河野談話をそれぞれ発表し、1994年にアジア女性基金を設立し、1995年に村山談話を出し、2015年に日韓合意を成立させた。国連の各委員会が過去何をどう言い、将来何をどう言おうとも、これらは歴史的事実で、日本政府が真摯にこの問題に取り組んだ証拠だ。

4.3. 一方、韓国と国連の各委員会は、慰安婦問題を今日的な女性人権侵害として捉えるだけだ。したがって、彼らは1932年から1945年まで日本軍が利用した慰安婦制度を社会的にも法律的にも検証していない。日韓併合に至るまでの極東の地政学的分析もしていない。過去の経緯を精査しない議論は無責任としか言い得ない。各委員会の役目は、提出された意見に対する勧告を当事国に出すだけなので、各委員の見識を云々することは妥当ではない。彼らはたまたまその場にいて、文筆家として議論らしいことをすれば役目を果たすことができるからだ。当事者でない彼らにそれ以上のことは期待できない。

4.4.最後に李容洙が唱えた「韓日両国の学生に対する正しい歴史教育とお互いの交流」に触れる。同じ資料を韓日両国の学生に提示しても、慰安婦問題解決を望むことはできないだろう。なぜなら両論を並立させ、それぞれを検討し、合理的な判断を求めることができないからだ。ただし、こうした繋がりに1つだけ希望を見出すことは可能だ。それは最終的な判断をしないという前提でのみ可能となる。つまり、韓日の学生が両論併記を歴史的考察の結果として受け入れることだ。

4.5. 日本政府は事態の推移を見守るしかない。

注1:日本人が使う恨みは、他人に対する憤りや憎しみを表す感情だ。一方、恨は、朝鮮文化においての思考様式の一つで、感情的なしこりや、痛恨、悲哀を指す朝鮮語の概念とされているが、近代まで人口に膾炙(かいしゃ)されていなかった。ロビンソン大学のマイケル・シンによれば、恨はジェームズ・ゲイルが1897年に編纂した韓英辞書に掲載されていなかった言葉だ。彼は恨を否定的な感情という範疇に入れ、集団的同一性を喪失したことによる心理的抑圧から生じる複雑な感情が特徴だと定義している(Wikipedia -ja.wikipedia.org/wiki/恨、2020年5月30日閲覧)。特派員としての経験も長く、韓国語が堪能な報道関係者は、恨を人や組織に理想が裏切られたことから生まれる感情で、恨が消えることはないと言っている。

以上

DEVELOPMENT OF THE “SEIGIREN” CLATTER

日本語/Japanese

June 4, 2020

Hidemi Nagao ( Former Civil and Media Liaison Officer of the Commander U.S. Naval Forces, Japan, Novelist and Non-fiction Writer )

DEVELOPMENT OF THE “SEIGIREN” CLATTER

Lee Yong-soo, a self-proclaimed comfort woman, accused Seigiren and its leader Yoon Meehyang in Tague, South Korea, on May 7.  Since then, her accusation has been rocking the entire South Korean society.  I would like to personally offer an observation about the situation which I call a clatter involving Seigiren (the Korean Council for the Women Drafted for Military Sexual Slavery by Japan).    Honorific titles are not used herein.

  1. Limits of the clatter

1.1.        I set aside the definition of the comfort women here.  The comfort women cenotaphs and statues being built in South Korea and foreign countries symbolize the use of comfort women by the Japanese military in warfront.  Their significance will not be called into question by the South Koreans even if Seigiren gets denied and disestablished.

1.2.        Seigiren, established in South Korea in 1990, became the first civic entity to support the self-proclaimed comfort women.  The South Koreans consider the existence of similar groups important.  Accordingly, anti-Japan campaigns will not come to an end as far as the comfort women issue is concerned.

1.3.        Most of the expenses for Seigiren campaigns is said to have been borne by donated funds from the public at large.  The prosecutors will investigate the case for misappropriation and breach of trust in bookkeeping. Investigations would probably be completed by making its leader Yoon Meehyang and her accountant and family members face the fire.

1.4.        It is said to be Etsuro Totsuka who first began to call comfort women sexual slaves.  He used the phrase at a United Nations committee in 1992.  Sexual slavery is used with specific reference to comfort women in Seigiren’s English name.  It is unknown who first used the phrase.  Its usage—to refer to licensed prostitutes—began to prevail by mid-1990s.  Things have made an abrupt turn backward on May 25 when Lee Yong-soo said at the media availability she had detested the naming as abominable.  The South Korean Foreign Ministry, in its English homepage, favors sexual slavery to refer to comfort women.  It is, therefore, inconceivable for Seoul to bother to retract the naming at the U.N. committees.  It is because there is no substitute phrase that can carry as much social impact as sexual slavery does even if the premise of the victim-centered approaches is being upheld.

1.5.        As mentioned above, the environment regarding the comfort women issue would not drastically change.  I would like to make a proposal here, despite such an observation.  Seigiren has been accusing Japan by making the comfort women issue a case of women’s rights violation.  If it seriously intends to advance the women’s rights, its name should reflect the existence of comfort women for the South Korean military and the U.N. command during the Korean War and the South Korean comfort stations and Lai Dai Han during the Vietnam War, too.  I would recommend the following name if volunteers are to establish a new coalition after the Seigiren clatter, which requires courage of the South Koreans.

The Korean Council for the Women (and Lai Dai Han Mothers) Abused by the Japanese Military, the South Korean Military, the U.N. Command

  1. Establishment of a public comfort women support organ

2.1.        Trying to turn the challenge into to opportunity, the South Korean government is believed to establish and manage a new support agency for the comfort women as public trust for Seigiren has reached its nadir.  The new organ would belong to either the ministry of foreign affairs, the ministry of health and welfare, or the ministry of gender equality and family, depending on what the Blue House prioritizes, i.e., diplomacy, social welfare, or promotion of women’s rights.

2.2.        This new organ must clearly understand what the comfort women want to accomplish.  If the women may merely ask for provision of consolation money, this organ would fulfill its role when it completes provision of the money to all comfort women and their bereaved families.

2.3.        If the women, on the other hand, calls on the government to negotiate with the Japanese government for the purpose of making the latter unequivocally acknowledge the national responsibility for having institutionalized the comfort women system in warfront.  Predicted at present are two situations below.

2.3.1.     The Japanese government would claim the issue to be settled domestically in South Korea by referencing the Kato statement, the Kono statement, the Asian Women’s Fund, and the recent bilateral agreement.  Because it is unrealistic for Japan to make concessions, the donation of one billion yen for the Foundation to Support Former Comfort Women would get out of hand now that the South Korean government already disestablished the foundation.  The comfort women issue would remain unresolved.

2.3.2.     The comfort women may propose a compromise.  They would accept the consolation money on condition that the South Korean government pledge to continue its efforts to call for Japan’s concession.

  1. South Korean “Han” against Japan

3.1.        The Japanese government should be aware of three things while observing events in South Korea.  All of them relate to “Han (see Note at the end)” the South Koreans have toward Japan as mentioned by Chun Yung-woo, former chief diplomatic adviser to President Lee Myung-bak.  He emphasized two points below in the Japanese language edition of the Chosun Ilbo of May 24.

“It is necessary for fellow citizens to continue to erect girl statues and reflect on the violence Japan inflicted upon us as a historical lesson, even after all comfort women pass away.

We would never be able to say enough is enough when it comes to revenge campaigns against Japan.  It is unwarranted, on the other hand, for our country to turn our attention solely to the past.  Our country has core values more important than the anti-Japan commitment.  We must remember that our goal of overtaking Japan shall slip away if we lose our moral superiority over Japan.”

3.2.        The Japanese government must also bear in mind the third point, which also relates to “Han” Chun narrated.  According to the Japanese language edition of the Chosun Ilbo of May 26, Yee Yong-soo said at the press conference of May 25 as follows.

“What I would like to say is not to quit the campaigns but to change the way they are carried out.  The pillar of our philosophy is Japan should continue to apologize for the comfort women issue for thousands of years to come.

Key players in our history are students of both South Korea and Japan who are to solve the comfort women issue.  We must strive to lead them to develop righteous historical perceptions and encourage them to mutually exchange.”

3.3.        A Japanese would clearly see in the background of the thoughts Yee and Chun mentioned is the annexation of the Korean Empire by Japan in 1910.  It is meaningless here to mention to the South Koreans the present relationships between the former colonial power and the former colonized territory in the days of imperialism; Britain and India, France and Indochina, the Netherlands and Indonesia, and the U.S. and the Philippines, for example.  When it comes to matters involving South Korea and Japan, they are irrelevant, period.  It is, therefore, meaningless what the yangban, the ruling class since the Yi Dynasty in the Korean Peninsula, did or did not do when their homeland was annexed to Japan.

  1. What Japan is supposed to do?

4.1.        Pyon Jinil, editor-in-chief of the Korea Report, contributed on May 27 an opinion piece titled “Five reasons why a bombshell statement by a former comfort woman is good news for the Abe administration.”  The gist is as follows.

Merit 1:  Seigiren’s legitimacy is denied.

Merit 2:  The published comfort women statements are questioned.

Merit 3:  The Wednesday demonstrations are not encouraged.

Merit 4:  The phrase of sexual slaves is detested.

Merit 5:  Congressperson Yoon Meehyang’s political voice will decline.

4.2.        I hate to reiterate this, but the Japanese government issued the Kato statement in 1992, the Kono statement in 1993, established the Asian Women’s Fund in 1994, issued the Murayama statement in 1995, and reached an agreement with South Korea in 2015, regarding the comfort women issue.  Whatever the U.N. committees presented as conclusive observations/recommendations in the past and whatever they will issue in future, what Japan did in earnest has been carved in stone.

4.3.        On the other hand, what South Korea and the U.N. committees have done so far is to merely link the comfort women issue with women’s rights violation in today’s ethical standards.  They have never attempted to scrutinize the comfort women system—which the Japanese military used from 1932 to 1945—from the sociological or legal viewpoints.  They have not paid any attention to the geopolitical situations of the Far East up until the Japan-Korea Annexation Treaty of 1910, either.  Any discussion without reviewing the how and why of the past events are irresponsible per se.  The mission of each U.N. committee is to issue a recommendation to the state party concerned in response to a presented claim.  It is, therefore, not appropriate to question the committee members’ wisdom.  They happen to be there for talking as writers till the day is done.  No one can expect more from them because they are no more than bystanders.

4.4.        Lastly, what Yee Yong-soo recommended must be reviewed.  She encouraged students of South Korea and Japan to be given righteous history education and to engage in cross-pollination of ideas.  Presenting historical materials to students of both countries would not usher in any solution to the comfort women issue.  For, it is not possible to ask them to reduce into writing contentious and divisive issues, to examine each, and to come up with a reasonable judgement.  It is, however, possible for such an interaction to become a means to inspire hope.  This hope will become realistic only on condition that no decisive conclusion is to be made by both students.  In other words, they are supposed to accept pros and cons of the issue as a result of historical consideration.

4.5.        The Japanese government has nothing to do but to wait and see till the clatter subsides.

Note:  Han in Japanese is an emotion of rage and hate against others.  Han is a concept of an emotion, variously described as some form of grief or resentment, among others, that has been said to be a characteristic of Korean culture.  Han is a modern phenomenon that did not exist in premodern Korea.  Han is not found in the first Korean–English dictionary, published by James S. Gale in 1897, according to Michael D. Shin of Robinson College.  Shin says almost any negative emotion can be called Han and argues that the central aspect of Han is loss of identity, in that the complex of emotions that result from the traumatic loss of collective identity, according to Wikipedia (browsed on May 30)  One seasoned journalist who is well-versed in Korean language and has years of professional experience in South Korea said, “Han is an emotion to be generated when one’s pursuit of an ideal gets undermined by a person or an organization, which, therefore, never goes away.”

世界中あちこちに慰安婦像を立てて何がえらいんですか!?

ソウルの慰安婦像の前で韓国の方がこのような演説をして下さる日が来るとは思いもしませんでした。真実を語ってくれて感謝です。

反日銅像撤去デモ 2020年5月15日 韓国日本大使館前 慰安婦像真実糾明緊急記者会見

<国史教科書研究所 金柄憲所長 演説 日本語字幕より>

今回の李容洙氏の事態を詳しく見てみると金銭的な問題もあるし、色々残念で寂しい問題でありますが、これは、核心から外れているのです。

本質から外れているというのです。その本質とは何か?本質は、与党であれ野党であれ慰安婦が日本軍による日帝被害者だという認識を基本的に持っていることです。

ところが、これは明らかに嘘です。

この慰安婦は日帝による被害者でもなく、日本軍による被害者でもありません。加害者と言えば加害者がいますが、加害者が日本軍ですか?日帝ですか?とんでもないことです。

加害者は、その当時、貧しい朝鮮と言う地で生まれた女性が親たちによって売られていったんです。最初に慰安婦だという事実を告白した金学順氏は40ウォンで売られていったんです。

誰によって?  人身売買犯にです。

そして吉元玉(キル・ウォノク)平和賞の主人公の吉元玉はいくらで売られていったのか?
20ウォンで売られていったのです。そして売られていったならば、買う人がいるでしょう?
誰ですか?人身売買犯です。この人身売買犯が女性たちを買って、20ウォンで買って、40ウォンで買って、そしてまた売るのです。

そして売ったら、また買う人がいて、また売って、売って転売過程を経ながら、この女性たちの体の値段が100ウォン200ウォン2000ウォン、5000ウォン、とてつもなく上がります。

そして重要なことは、この女性たちは自分たちがいくらで売られたかを知らないのです。そして連れていかれます。

誰によって?

最後にこの女性たちをもってして売春業をする抱え主によって身動きのできない身の上となるのです。そしてこの女性たちは、抱え主によって国内でも物、あちこち売春宿で国内での営業が難しければ、異域萬里(とても遠く離れたほかの国の土地)戦地に行きます。

日本軍は朝鮮の女性を引っ張って連れていく理由もありません。

何故?お金になるならば、抱え主たちはこの女性たちを引っ張って何処にでも連れていきます。

日本軍たちは、給料が安定的です。抱え主たちの立場にとって最高の顧客は日本軍です。だから香港、シンガポール、インドネシア、あちこち行かないところはありません。よって、慰安婦の女性たちに対する加害者は、日本軍や日本帝国主義ではなく、貧しい朝鮮の親たち、人身売買犯たち、そして最後に抱え主です。ところで、恨みたいのであれば、貧しい朝鮮に生まれたことを恨まなければなりません。貧しい親が、子供たちを守ることができずに物のように売ってしまったんです。

そのような恥ずかしい私たちの歴史を考えなくて、世界中あちこちに慰安婦像を立てて何がえらいんですか!?慰安婦が正義の化身ですか?慰安婦が何か平和の使徒でしょうか?

国際的な恥さらしを今、私たちはしているのです。物事の侮蔑のない者たちが横でお話にならないこと!調べもしないで、慰安婦が何なのか?しっかり理解してから話をしないといけないのに!

これまでにします。

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<参考動画>
youtube   채널fujichan
韓国日本大使館前 反日銅像撤去デモ  動画一覧
https://www.youtube.com/channel/UC0HuFE2BU3LsruQCDUUcSlg/videos