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山川出版中学歴史教科書「従軍慰安婦」の削除を文科省に申し入れ

令和3年度から使用される、山川出版社発行『中学歴史 日本と世界』に、「義務教育諸学校教科用図書検定基準」に違反する「従軍慰安婦」の記述があります。

令和2年12月18日、新しい歴史教科書をつくる会慰安婦の真実国民運動の代表者が文科省を訪問し、文科大臣の権限を行使して出版社に対し該当箇所を削除する訂正申請の勧告を行うよう申し入れ、その後記者会見を開きました。

慰安婦の真実国民運動の幹事長である山本優美子も参加しました。

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申入書の手工

手交.JPG

記者会見

記者会見.JPG

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【 申し入れ書PDF版 】
※画像をクリックすると別ウインドウで拡大でご覧になれます。

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<参考ニュース>

産経  2020.12.18
「『従軍慰安婦』は検定基準違反」つくる会 文科相に削除要望 山川出版教科書
https://www.sankei.com/life/news/201218/lif2012180047-n1.html

韓国高校歴史教科書 -表も裏も中身も慰安婦像

ここにご紹介するのは、現在韓国の高校で使われている歴史教科書の一つです。

韓国小学校5年生の教科書にも慰安婦像が載っていますが、このような教科書で勉強したら日本が嫌いになってしまうのも当然でしょう。

他の高校歴史教科書も同じような内容だそうです。

将来への影響が心配です。

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【 表紙 】 タイトル「歴史附図」

【 196ページ 】

<日本語>
強制的に動員された人々

日本帝国は老若男女を問わず、韓国人を強制的に戦争に動員させた。
日帝の強制動員に韓国人たちがどんなに苦痛を受けたか調べて見よう。

日本の軍需工場に強制的に動員された勤労挺身隊

勤労挺身隊として連れて行かれた人たちは主に韓国人と日本の軍需工場で働いた。
彼らは長時間労働と劣悪な環境、過酷な待遇に苦しみ、賃金もまともにもらえなかった。

日本軍慰安婦
1944年9月、連合軍が中国のスンサンで生き残った日本軍慰安婦を撮った写真だ。

強制動員の記憶

軍艦島徴用 イイング氏の証言
軍艦島では3人ずつ2交代で12時間ずつ仕事をし、そして寝た。日本式の下着姿で装備を付けて海底1000Mの石炭を掘りに入った。暴行は日常的で事故にあった同僚たちは死体となって坑道を出た。死体を焼く匂いが島を覆った。 - 中央日報 2017年8月10日 -

強制徴用労働者像
ソウル 龍山
龍山駅は強制労働被害者たちの出廷式が行われたところだ。ここには強制徴用を追慕する韓国人労働者像が設置されている。

端島(日本長崎)
多くの韓国人たちがこの島の炭鉱で過酷な条件の下労役を強いられた。

【 298ページ 】

<日本語>
日本軍慰安婦とは

日本軍慰安婦とは、日本軍慰安所に強制動員されて性奴隷生活強要された女性たちのことをいう。

日本軍慰安所は1932年、戦争を効率的に遂行するという名目で上海にはじめて設置されたという。日本が敗戦するまで運営された。

国際的には日本軍慰安婦を性奴隷(Military Sexual Slavery)と表現している。日本軍が慰安婦を強制的に動員し慰安所を制度化した歴史的事実を見せており、犯罪主体として日本軍を公にするため、「日本軍慰安婦」と表現している。

太平洋戦争当時、特別報告者は、慰安婦という用語は被害者たちが戦時中、強制売春と性暴力を受けながら忍耐しなければならなかった苦痛の内容を全く反映できなかったという意見に全面的に共感する。よって特別報告者は「軍の性奴隷」という用語がはるかに正確であり適切な用語だと確信した。(国連、女性暴力報告官 ラデイカ クマラスワミ 報告書 1996年)

太平洋戦争当時
日本軍慰安婦被害者たちを象徴する韓国、中国、フィリピン等、3ヶ国の少女と金学順ハルモニ銅像が共に立てられた。

日本軍慰安婦の事実の証言と日本政府の立場。

日本軍慰安婦被害者、金学順おばあさん初の証言。

受けたことを思い出しても怒りがこみ上げ、日本人たちは挺身隊という事実自体がなかったと言い逃れをする。本当に息がつまり、証言しようと思った。
はじめは日本軍を避けて逃げようしても、追いかけてきて泣きながら暴力されたんです。その時私の歳は17歳だったんです。- 京郷新聞 1991年8月15日 -

日本軍慰安婦運営と日本軍

日本の中央大学の吉見義明教授は日本軍が慰安所設置、および日本軍慰安婦運営に関与したことを証明する公文書を日本防衛省図書館で発掘し公開した。

【 299ページ 】

<日本語>
日本軍慰安婦性暴力被害者から世界人権運動の中心に

日本政府の日本軍被害者に対する公式謝罪と保障要求に出た日本軍慰安婦おばあさんたちは、既に人類普遍の、人権保障と戦時女性暴力防止に先立つ人権を守るため活動している。日本軍慰安婦問題の始まりと、問題解決のための努力をしてみましょう。

日本軍慰安婦問題解決のための努力

1992年 水曜デモ
水曜デモは1992年1月8日ソウル鐘路区日本大使館前で始まった。2011年12月14日は1000回の水曜デモを迎えるにあたり日本大使館前に平和の碑、少女像を立てて日本政府の謝罪と真実糾明賠償を要求している。

2001年 日本軍性奴隷戦犯国際女性法廷
日本軍慰安婦制度が国際法違反だということを全面的に認定すること。
違法行為とこれからの世代を教育するための努力をすること。
性平等と地域全ての人たちの尊重を実現するために必要条件に対する教育を支援すること。

2007年アメリカ連邦議会
日本軍慰安婦謝罪HR121  決議案(2007年7月30日)
日本政府は1930年代から第2次世界大戦に繋がるアジア太平洋地域植民地統治期間、日本軍が日本軍慰安婦の女性として知られている若い女性たちを性奴隷化したことに対して明白に模糊していない方式で公式認定して謝罪し、歴史的責任を遂行すべき。

私の話は絶対知らなければなりません。実際あまりにも苦痛を伴うものなので話はしたくないのですが、このようなことをもう2度と繰り返されないためにも他の女性を保護しなければならないからです。

外国に出てみると自分達だけが性暴力被害者ではないと外国でも被害を受けた女性たちが多いし、世話をする人もいないし、生きていくのが大変だ。なので、どうしたらそのような人たちを助けられるか?基金を一度集めましょうと言いました。基金の名前は蝶々しましょうと。

金福童おばあさん 2013年3月8日
世界女性の日を迎え慰安婦被害者のおばあさんは日本政府から受けた法的賠償金全額を戦時性暴力被害者の女性たちを援助することを明らかにした。これを契機としてナビ基金がつくられました。

【 裏表紙 】

韓国の小5教科書「戦争に駆り出された幼い少年たち」写真は本物?偽物?

 
現在使用されている韓国の小学5年生教科書にこのような写真が掲載されています。

説明書きは「戦争に駆り出された幼い少年たち」

こちらが教科書の表紙です。

写真が掲載されているページはこちらです。

この教科書で学習する小学5年生は、「戦争に駆り出された幼い少年たち」の写真を見て戦争中に日本軍が韓国の少年たち強制的に少年兵にしたと信じるでしょう。

教科書にはこのように書いてあります。

日本帝国は1937年に 中国と戦争を起こした。その後我が国民は武器工場で仕事する労働者や戦争の軍人として強制的に動員された。さらに女性たちは日本軍慰安婦として戦地に引っ張られ酷い苦痛を強いられた。

日本軍慰安婦は日本軍が侵略戦争を起こした後に日本軍と日本政府によって戦地に強制的に動員され持続的に性暴力と人権侵害受けた女性のことをいう。
今日まで日本は明確な事実の認定と心からの謝罪をしていない。ここに多くの市民が毎週水曜日に在韓日本大使館前で25年以上デモを継続している。また、日本軍慰安婦の被害者たちの名誉と人権を回復しようと平和の少女像を作って国内のいくつかの場所に建てた。

実はこのページ、以前はもう一つ写真がありました。

この写真です。

「強制労役に動員されるわが民族」(いわゆる徴用工)の説明で掲載されていたのですが、実際は全く関係ない写真だったため指摘されて削除されたのです。

「戦争に駆り出された幼い少年たち」写真の出典をご存じの方がいらしたら教えてください。関係のない写真だと証明できれば、こちらも削除されるべきです。

※なでしこアクション連絡先 問い合わせフォーム

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<参考ニュース>
産経2019.3.25
「徴用工写真」訂正 嘘の刷り込み放置するな
https://www.sankei.com/column/news/190325/clm1903250001-n1.html

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< 参考  「少年兵」について >
戦時中の朝鮮半島の新聞記事に「少年兵」の見出しがある記事があります。
どれも志願したもので、「戦争に駆り出された」、「戦争の軍人として強制的に動員された」のではありません

毎日新報 昭和19年(1944年)8月23日
いざゆけ少年兵
来年度に採用する要点

【東京電話】陸軍では明二十年度に採用する各種少年兵生徒召募に関する告示を21日官報で広報、青少年の戦陣への突入を可能とした。
 折よく、去る20日九州地方の米国機空襲に皇土守護の必勝精神を持って敢然と肉弾攻撃によってB29を撃墜した少年飛行兵出身の野辺軍曹、
 高木兵長の壮挙が報道され、この二勇士の後に続く者は我々であると愛国の至情に燃える全国青少年の「陸軍少年兵生徒」への突撃への期待は大きい。
 以下召募の要点は次の通りである。
 (※この後は新聞の漢字で意味がとれる)
 各学校も同じであるが、来年3月31日現在で満14歳から18歳

毎日新報 昭和19年(1944年)3月21日

送ろう、我らの誇り
少年兵壮行大会

若き胸から湧き上がる熱い祖国愛を抑えることが出来ず半島青少年たちは一足先に軍門へ入った兄貴たちの後を追い一斉に立ち上がった。少年飛行兵学校、戦車兵学校通信兵学校など陸海軍制少年兵をはじめとして、今年から新しく実施された特別幹部候補生へと大東亜10億の平和のために正義の剣を手に取り、殉忠の大道へと雄壮な出発をすることになった。皇国半島の輝く希望であり世紀の若い勇者である彼らの壮途を、我々銃後の国民はどんな言葉、どんな方法で祝福すべきであろうか。大日本青少年団では22日全国一斉に彼等の為に壮行会を開催することになり、これにより朝鮮総督府にても大野学務局長が各道に通達を出し、同日全鮮津々浦々で一斉に盛大な壮行会が開かれることになった。

この日、鮮内の重要な各都市を始め、小さい面及び邑に至るまで一か所ももれなく開催された壮行会には少年団員とその父兄また地方の各有志達が参席した。(彼らは)壮行会を行った後、少年兵志願者を押し立てて勇ましい街頭行進を行い、軍からは陸軍機が飛来して通信筒を投げるなど、(壮行)会は我らのあらゆる精誠を込めてもっとも燦爛に彩られた。

毎日新報 昭和19年(1944年)3月23日
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