Daily Archives: August 16, 2024

韓国MBCニュース報道~ベルリン慰安婦像・独島(2024.8.14-15)

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2024年8月の韓国 MBCニュースから、ベルリン慰安婦像についての報道と独島についての報道をご紹介します。独島についての報道には、7月10日東京で開催した国際シンポジウムについても触れられています。日本語は松木國俊氏(国際歴史論戦研究所 上席研究員)によるものです。

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ベルリン慰安婦像 関連報道
国力尽き歴史消す日本‥また撤去危機少女像(2024.08.15/ニュースデスク/MBC)

レポーター:
ベルリン市からミッテ区に設置された少女像撤去を通告された。日本政府から強い圧迫があったことが疑われている。歴史を消そうとする日本を見逃すわけにはいかない。少女像を守ろうと言う集会が、現地でドイツ、日本、英国など多様な国からの参加も含めて200人以上が集まって開催された。

ベルリン市議会左派議員:
最初は日本人の名でさらに偽のドイツ人の名前で「少女像を撤去せよ」とのメールがたくさん届いた。

アナウンサー:
5月にベルリン市長が日本に行った時に撤去を示唆し、7月に岸田総理がドイツ訪問時に撤去が公式化した。日本は国家をあげて歴史を消し去ろうとしている。

現地日本人:
実際日本政府が少女像撤去に関して圧迫を加えるために多くの金を使っている。日本人として恥ずかしい。

アナウンサー:
日本と韓国人団体への支援金を断つためのロビー活動をしているとの疑惑が提起されている。

Korea協議会代表:
我々のプロジェクトを日本政府が嫌っているため、我々のプロジェクトを選ばないように審査員に強く働きかけているそうだ。

アナウンサー:
我が国政府は見守るだけで何もやることはないと言っている。

レポーター:
外交問題に発展すれば少女像撤去の名分をドイツに与えるというのが政府の論理である。しかし少女像が女性の人権や暴力に関する世界共通の問題の象徴である点を広く世界に訴えることも政府のやるべきことの一つではないか。

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独島関連 報道
「独島は韓国の土地ではない」‥ユン・ソクヨル政権で繁栄するニューライト (2024.08.14/ニュースデスク/MBC)

( 内容 )
李栄薫先生:
独島を韓国領土と断定することはできない。李朝時代の地図が間違っているからだ。
独島問題は大韓民国独立後、それもこの20年間に反日民族主義の象徴となったものだ。
しかし日本領と見ることも難しく、日韓が独島を巡って互いに譲歩すべき。

アナウンサー:
これは日本の独島を半々にしようと言う主張に似ている。日本との友好関係を害しないように低いレベルで管理すべき。

反日歴史学者:
日本さえちゃんとした根拠がないことを知っているのに何で韓国の学者の口からこんなことを・・

— 日米韓シンポジウムの場面 —

アナウンサー:
李栄薫氏は先月東京で開かれた日米韓シンポジウムでも「慰安婦は売春婦だった」と主張した。
シンポジウムには柳錫春氏やラムザイヤー教授も参加して同様の主張をした。
李栄薫氏の編著の『反日種族主義』の共同執筆者の鄭安基氏は最近『テロリスト金九』という本を出している。(注1)

アナウンサー:
三大歴史機関の長が全てニューライトに占められた。
東北アジア歴史財団 本来英国史専門のソウル大学教授朴チヒャン氏がトップに就任した。彼女は日本統治下で朝鮮が経済発展をしたと主張する『歴史の再認識』の共著者である。
彼女は就任記者会見でも「『日本は過去について謝罪していない』という既存世代の認識を若い世代に強制してはならない」と発言し波紋が広がった。

国史編纂委員・・・委員長に許ドンヒョン氏が就任した。彼は国定教科書編纂にも参与       しており、日帝時代の親日派である李光洙や尹チホを韓民族の「実力養成」によって独立を達成しようとした独立運動家であると評価している。

韓国学中央研究院・・・先月末院長に『反日種族主義』の共著者の一人である金洛年氏が就任した。

これ以外にも独立記念館の理事に落成台経済研究所所長の朴イテク氏が就任した。
5人中4人の理事は彼の就任に反対したが、国家報勲省の後押しで結局就任した。
以上

(注1) 「 金九 」について
1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮し、韓人愛国団を組織して李奉昌の桜田門事件、尹奉吉の上海天長節爆弾事件を指示した。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、南朝鮮単独選挙実施を巡って李承晩と対立し、1949年6月26日に暗殺された。
現在、韓国では独立運動の英雄となっている。

金九は1896年3月9日、李氏朝鮮の黄海道安岳郡鴟河浦で起きた、強盗殺人死体遺棄事件(鴟河浦事件)の犯人の一人でもある。彼は日本人商人・土田譲亮を、日本人だとして集団で暴行、石と鉄棍棒で撲殺し、「義兵」と称して金品・驢馬を奪って、遺体を埋葬せずに凍った河に捨てた。この事件で金九は逃走後に、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらに脱獄する。韓国では鴟河浦義挙として讃えられている。
(以上ウィキペディアフリー百科事典より)