【報告】NJフォートリー慰安婦碑除幕式2018.5.23

ニュージャージのお母さま方の会「ひまわりジャパン」からフォートリー慰安婦碑除幕式の動画、報告と写真をご紹介します。

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アメリカ東部時間5月23日 (水)18時から19時までニュージャージー州Fort Lee市Constitution Parkにおいて、200人ほどの韓国系アメリカ人たちが集まり、慰安婦碑の除幕式が行われました。韓国のメディアからはKBSなど大勢の報道関係者が来て、日本からは産経新聞、読売新聞、共同通信社、NY生活、フジテレビが取材に来ていました。

はじめにフォートリー市長の Sokolich 氏の挨拶から始まり、この碑の立案グループである Fort Lee High School の韓国系アメリカ人の高校生グループ YCFL (Youth Council of Fort Lee) の詩の朗読 (慰安婦碑に刻まれている詩) や、フィリピン系アメリカ人弁護士の挨拶などがありました。この女性弁護士の挨拶では、自分は5年前にこの慰安婦について調べ、14歳や17歳の少女が何度も何度もレイプされたなど、日本軍の名前も出し、性奴隷という言葉を使い、日本を貶めるスピーチでした。

式典にはベトナム戦争韓国退役軍人が10人程招かれていました。韓国人兵士たちがベトナム人女性たちにした虐殺や強姦、そしてその結果生まれた35,000人のライダイハンの存在に封をして、いったいこの式典で彼らに日本兵士を糾弾する資格があるのでしょうか?

また主催者側は、中国、台湾、マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイ、ベトナムの国旗のバナーを立て、あたかも韓国を含むアジア各国で、日本軍による犯罪が行われたように演出していました。

本来なら、退役軍人であり地元フォートリーの名誉市民である日系アメリカ人の方が、当日コミュニティーの分断ではなく団結を訴えるスピーチをするはずでした。しかし最終的に韓国側からスピーチさせるには、慰安婦問題についての韓国側の主張を全面的に認め、 賛同費用を出すことまで要求され、スピーチは諦めざるをえませんでした。

このフォートリー市においては、市民の30%以上が韓国人という数と資金と組織力に完全に負けました。しかしこれがアメリカ各地に広がり、韓国人による捏造された歴史が益々広まっていくことを懸念しています。アメリカの学校教育の中にも、こうした韓国によって捏造された歴史があたかも真実としてアメリカ人の子供たちに着実に教えられ始めています。

アメリカに住んでいる日本の子供たちが、日本人として誇りを持ってこのアメリカで生きていけるよう、私たち「ひまわりJAPAN」は、慰安婦問題に関する書籍も英語と日本語を用意し、日本人保護者だけでなく、日本人の子供たち自身にも本当の日本の歴史を理解してもらう為、日本人補習校、現地校にもお配りし、またご希望の方にはいつでも無料で差し上げております。

今後とも皆さまからのご支援、ご尽力を賜りますようどうぞ宜しくお願い申し上げます。

ひまわりJapan事務局

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抗議のプラカードを持つ日系人「米国第二次世界大戦記念碑の前以外の場所ならどこでもいいから移動しろ」

慰安婦像設置?独ボン女性博物館 関連情報

聯合ニュース2018/05/13 「独ボンへの「少女像」設置計画 日本総領事館が抗議」
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2018/05/13/0400000000AJP20180513000200882.HTML
によると
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ドイツの韓国系住民らがボンの女性博物館に旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する「少女像」の設置を進めていることについて、在デュッセルドルフ日本総領事館が博物館側に抗議していたことが韓国系住民らでつくる市民団体への取材でこのほど分かった。
(以下省略)
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以下関連情報です。

◆ ニュースにある「ボン女性博物館」
FRAUENMUSEUM BONN
https://www.frauenmuseum.de/

Frauenmuseum Außen Foto Horst Pitzen

◆ 館の説明文 ※公式サイトから抜粋
ボン女性博物館は、1981年5月2日に、現在の女性ディレクターのマリアンネ・ピッツェンとボンの学際的に働く女性のグループによって設立されました。
当時、世界初の女性博物館でした。国際的に認知されたその博物館は、発足後、500以上の展示会を紹介し、それに加えて広範囲な付随プログラム企画も展示しました。
ボン女性博物館は、女性博物館協会 – 美術、文化、研究協会 から支援を受けています。

◆ 館長(女性) マリアンネ ピッツエン Marianne Pitzen (ウィキペディア

◆ マリアンネ ピッツエン 館長 インタビュー動画 2018年3月8日
Marianne Pitzen

◆ 女性博物館のコンタクト、場所
https://www.frauenmuseum.de/kontakt/

マニラ 慰安婦像撤去、支持・お礼のメッセージ

昨年(2017年)12月にマニラに設置された慰安婦像が4月27日に撤去されました。

これに対して設置側が撤去を批判するニュースもあります。

私たちから慰安婦像撤去支持、お礼のメッセージを送りませんか。

Thank you for the removal of the “Comfort Women Statue” in Manila.
マニラの慰安婦像撤去、有難うございます

We support the removal of “Comfort Women Statue” in Manila.
マニラの慰安婦像撤去を支持します。

 

続けてご自分のメッセージを加えてはいかがでしょうか。
例えば、、、
The Japanese government had been concerned about the Statue as an impediment to a good relation between Philippines and Japan.
The Comfort Women Issue has been very complicated for a long time.
Furthermore there are many fabricated stories.
We wish the Philippines government holds a fair and objective position to the Issue, and does not mix up this Issue with the human rights for women.
日本政府は慰安婦像が比日間の友好関係の障害になることを懸念していました。
慰安婦問題は長期にわたり更に複雑になっています。
また、ねつ造の話しが多くあります。
比政府がこの問題について公平で客観的な立場をとり、女性人権問題とは分けて理解するよう望みます。

 
<参考 メッセージの送り先>

◆ フィリピン
ロドリゴ・ドゥテルテ大統領 官邸
The honorable Rodrigo Roa Duterte
The President of the Republic of the Philippines
メール pml@malacanang.gov.ph

 

◆ 在日フィリピン共和国大使館 
ホセ カスティーリョ ラウレル 5世
駐日フィリピン共和国大使館特命全権大使
Philippine Ambassador to Japan
Jose C. Laurel V
メール  jose.laurelv@philembassy.net

〒106-8537 東京都港区六本木5-15-5
Fax (03) 5562-1597

 

マニラ市 the City of Manila
エストラダ 市長
Mayor Joseph Ejercito Estrada
市長宛てメッセージ・フォーム http://manila.gov.ph/email-mayor-erap/

 

<ニュース>
産経 2018.4.28
【歴史戦】マニラの「慰安婦像」撤去 比政府、日本大使館に前日伝える
https://www.sankei.com/world/news/180428/wor1804280034-n1.html

英語版「おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校 日本統治下の朝鮮の小学校教師として」

「おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校 日本統治下の朝鮮の小学校教師として」上野 瓏子 著 の英語版をご紹介します。

The Children I Loved 1939-1945
Memories of a Japanese Woman Teacher in ‘Japan’s annexation of Korea’ Days
Roko Ueno
https://bit.ly/2qhw1aP

著者のご子息の上野 正裕 氏が英訳したものです。

< 訳者 上野 正裕 氏 からのメッセージ >

私が母の手記を英語に直すことを決意した理由はまさにたまたま聞いたニュースにあります。世界中でたくさんの日本人や日系人、その幼い子供たちが、彼らは日本の韓国統治時代、韓国人を奴隷にした悪魔の日本人の子孫であると言って、韓国系の人々から迫害されている、というものでした。私は世界中の日本人の子弟に真実を知ってほしい、との思いで英訳を始めました。

彼らは、当時の韓国人は基本的人権がなかっただけでなく、奴隷のように扱われ、拷問をされた、若い女性は連れ去られて「慰安婦」、即ち「性奴隷」を強要され、男性は炭鉱のような危険な場所で強制労働を強いられた、と主張しています。更に、何十万人もの韓国人が最終的には殺害された、と言っているのです。韓国政府は「従軍慰安婦」を自国の最大の課題のひとつにさえしており、執拗に日本の謝罪と金銭的保障を要求し続けています。

恐ろしいことに、日本人の中にも、日本の新聞社の繰り返された虚偽の記事、(もっとも、その新聞社は誤報を最終的に公式謝罪しましたが、)や韓国のプロパガンダのせいで、そんなばかげた作り話を信じているものもいます。

母がこの手記の中で語ったことは、その子供たちにとって特に新しい事柄はなく、ほとんどの出来事は私たち子供にとって極めてなじみ深いものでした。というのも、母は若い頃からよく当時のことを話していたからです。母が「韓国での教員時代の思い出」をよく語っていたために、私は彼の国に親近感を覚えて成長しました。

高校を卒業してすぐの1972年、私は初めて韓国を訪れました。1週間程かけて韓国を旅行し、私は下手な英語でたくさんの若い韓国人と話す機会がありました。ソウルのユースホステルで韓国人女子学生が言った言葉は今でも覚えています。それは、
「私はあなたの国がうらやましい」
というものです。韓国は、日本が平和条約のために支払った巨額のお金で急速に発展しつつあり、韓国の人々は日本のレベルに到達することを目指していました。

1985年、私は勤めていた高校の修学旅行で再び韓国を訪れました。その時、その兄が私の祖父西見省三を援助し、自身は私の叔父欣三郎と親しい友人であるソンさん(仮名)がソウルのホテルの私に会いに来てくれました。親日派とレッテルを貼られ迫害されてきたソンさんは、目に涙をため、韓国人が幸せだった時代のことを語ってくれました。私はひどく感動しましたが、同時に、その時ソンさんは、「親日派」と見られることを恐れてか、周囲の目にひどく注意を払っていることに気づきました。戦争が終わってすでに40年が経っていました。

3度目に韓国を訪れたのは2011年。私は校長として勤めていた高校の修学旅行の目的地に韓国を選びました。当時二国間の関係は徐々に悪化してきていましたが、もし若い人たちが学校交流を通して対等で、良好な関係を築くことができるなら、このぎくしゃくした関係を将来彼らが改善できるだろう、と私は本気で期待していました。

しかし今日、韓国の反日気運はますます激しくなり、韓国の動きはかつてないほどに悪化の一途をたどっています。70年以上前の両国民の友好な関係を構築する日が再来することは極めて疑わしく思えます。

こんな時代にあって、日本が世界で名誉ある国家であることを望むなら、私たちは相手が怒ることを恐れて何ら真実を述べない臆病者であってはなりません。沈黙を守るのでなく歴史的事実に基づいた事実に関して声をあげるとき初めて、私たちは、私たちの、祖先の、子孫の名誉と尊厳を守ることができるのです。そしてそれが最終的には、この両国関係を改善することに繋がると信じています。

この本を通して、日本人の子供たちはもちろん、この問題に関心のある全ての人々に当時の真実の両国関係がどのようなものであったのかを知ってもらえたら幸いです。

2018年3月1日
訳者
上野 正裕

ジェファーソン大統領の言葉とブルックヘブンの慰安婦像

アパグループの勝兵塾月例会(H30年4月19日)にて、なでしこアクション代表山本優美子が「誇れる祖国日本の復活を目指して」というテーマでお話しする機会をいただきました。

アトランタのストーンマウンテン、そこに刻まれた南軍の英雄たち、ジェファーソン大統領(南部連合)の言葉、記念館長の言葉、そしてブルックヘブンの慰安婦像の碑文を紹介し、「今こそ私たちが行動しましょう」と訴えました。

配布 資料  ※ PDF版 1 2