【米国各地で署名広告】サンフランシスコ・フォートリー慰安婦記念碑反対・ユネスコ記憶遺産撤回!

米国のなでしこアクション仲間Japanese Women’s Center がアメリカ全国36都市に無料配布されている日本語のフリーペーパー「ニューヨーク ビズ 」に署名広告を掲載してくれています。
11月5日(木)から2016年1月末までの毎週木曜、以下の3つの署名の広告が掲載される予定です。

在米の皆さま、この広告を見かけたら、是非お知り合いにも広めてください。
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よろしくお願いいたします!

※画像をクリックすると署名サイトが別ウィンドウに開きます
署名は日本語でもローマ字でも大丈夫です。

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「誰強迫慰安婦?誰が強迫して慰安婦にしたか?」自由時報(台湾)より

台湾で発行部数最大の自由時報 2015年7月11日付け読者投稿欄「自由廣場」に掲載された
「誰強迫慰安婦?」投稿者  林瑤棋 氏 (医師)
http://talk.ltn.com.tw/article/paper/896953
自由時報が七月十一日林瑤棋氏(医師)の投稿記事

より、以下に日本語訳、原文、英語訳の順番でご紹介します。

<日本語訳>*********************************************************
自由時報(2015年7月11日)「自由広場」より

誰が強迫して慰安婦にしたか?

◎林瑤棋

昨日の貴紙A三面が掲載した、台湾史の改訂学習指導要領に関する十七項目の争点についての報道を拝読。その中の第十七項目目の、“「慰安婦」との記述の「女性は脅迫されて慰安婦になった」への書き改め”についてだが、私はこの問題に関して少し知るところがあり、それについて申し上げたい。

私のおばの夫の顔氏(もし健在なら今年百十二歳)は、もともと沙鹿で飲食店(飲み屋)を経営していたが、太平洋戦争(※大東亜戦争)が始まると台湾は不景気に見舞われ、特に飲食店への影響は深刻だった。そこで一九四三年ごろから、彼は慰安婦の仲介を兼業せざる得えなくなったのだが、実はこの仕事が飲食店などより遥かに儲かった。

彼は仲介業を営みながら、その状況をよくおばあちゃんに報告していた。当時私はすでに分別が付く年齢で、彼らの会話内容はみな理解できた。

彼によれば、「みな貧しかったため、私が勧誘すると(もちろん強迫ではない)、大勢の酌婦が収入のはるかに好い慰安婦に応募して来た。また田舎を廻り、貧しい家の娘の募集も行った」という。「仲介業でとても稼いだ」と言っていた。
筆者はすでに八十歳の老人だが、私が知り、あるいは見て来たところでは、慰安婦は日本のも中華民国のも似たようなものだった。

良心に従って言うが、慰安婦が多かったのは中華民国の方で、私の推定では民国三十九年(※一九五〇年)以降の三、四十年間だけでも、台湾、澎湖、金門、馬祖の慰安婦は、少なくとも数万人はいた。これらの人達の大多数は今も健在である。ただ賠償金ほしさに表に出て来ないだけだ。

私が民国四十年代(※一九五一~一九六〇年)に軍務に就いた時、金門島のある軍中楽園(※慰安所)で一七歳の女性を見たことがある。彼女は万華の宝斗里で私娼をしていた時、警察に捕えられ軍中楽園へ送られた。彼女は若く新参者だったので、毎日数十人もの強く勇ましい砲兵の相手をさせられ、それに耐えられず毎日しくしく泣いていた。「痛くても休ませてもらえないのだ」と。この手の慰安婦が「強迫」された者でないというなら、「強迫」とは一体何なのか。

私は以前、台北市から私達の住む田舎に派遣されて来た蔡という警察官から、こう聞かされたことがある。

「軍中楽園で女が不足する時はたいてい、国防部が警務処(※警察)とともに私娼を捕え、慰安婦として送り込んだ。中華民国の法律によれば、娼妓の許可証がもらえるのは満二十歳からだが、当時の多くの貧しい家庭は一六、七歳で女児を売り、そして年齢の足りない彼女たちは私娼になるほかなかった。私娼を捕えるのは簡単で、寶斗里の環河南路に行きさえすれば捕まえられた。午前中に十数人捕まえるのも問題ではない。業績にもなったし奨金ももらえ、警察官にとっては好い仕事の一つだった」

要するに、台湾人女性を強迫し慰安婦にしたというなら、日本より中華民国の方が深刻な状況だった。指導要領の改訂は、この問題では特に慎重であるべきだ。(医師)

<原文>*********************************************************
自由廣場》誰強迫慰安婦?
2015-07-11 06:00

◎ 林瑤棋
拜讀昨日貴報A3有關微調課綱「台灣史」相關十七項較大爭議的新聞,其中有關第十七條「慰安婦」改為「婦女被強迫做慰安婦」部分,我略知其中一、二,願意提供我所知道的情形。

我的姑丈顏氏(如還健在是一一二歲)原來在沙鹿開菜店(酒家),太平洋戰爭後,台灣百業蕭條,菜店當然蕭條更嚴重,大約在一九四三年之後,他只好兼業當慰安婦的牽猴仔(仲介),當這種牽猴仔反而比開菜店好很多。

他當慰安婦的牽猴仔,常把營業狀況告訴我阿嬤,那時候我已是懂事的大小孩,他們講話內容我都聽懂。他說大家都窮,當慰安婦收入比當酒家女好很多,所以在他遊說之下(當然不是強迫),很多來應徵酒家女的都願意去當慰安婦。甚至到各鄉下去找窮人家的女兒當慰安婦,聽姑丈說,他賺牽猴仔收入頗豐。
筆者已是八十歲的老人了,所知道的或所看過的日本或中華民國慰安婦不知凡幾。我憑良心講,慰安婦最多的就是中華民國,依我約略估計,光是從民國三十九年到民國七十年代的三、四十年間,在台澎金馬的慰安婦起碼數萬人計,這些人現在大多數都還健在,只是她們不敢出來索賠而已。

我在民國四十年代當兵時,曾在金門某軍中樂園見過一位十七歲的服務生,她是在萬華寶斗里當私娼時被警察抓來軍中樂園的,因為她年輕又是菜鳥,每天遇到幾十個強擱勇的砲兵,她受不了而每天哭哭啼啼,叫痛也不能休息,這種的慰安婦不叫「強迫」,那麼什麼才叫「強迫」?

我曾聽一位原在台北市、後來調到我們鄉下的蔡姓警察說:凡是軍中樂園服務生不夠時,國防部就會同警務處抓私娼,抓到私娼就送去當慰安婦。依照中華民國法律規定,年滿二十歲始能申請娼妓執照,可是當年很多窮人家把十六、七歲的女兒賣掉,因她們年齡不到,只能當私娼。蔡先生說,抓私娼很容易,只要到寶斗里環河南路去抓,一個上午抓十幾個不成問題,有業績又有獎金,是警界的好業務之一。

總之,強迫台灣婦女當慰安婦,我想中華民國比日本還嚴重,所以我希望「微調」這條課綱要特別慎重。
(作者為醫師)

<英語訳>*********************************************************

Excerpt from Liberty Times dated 11 July 2015

Who Forced Them Become Comfort Women?

Written by Dr. Lin Yau Chyi (medical doctor)

I read your newspaper article on the 17 issues regarding the Revised Government Guideline for Teaching of Taiwan history. On the 17th issue about “comfort women” you stated that “they were forced to become comfort women.” Since I have some knowledge in regards to this issue, I would like to point out the following.

My aunt’s husband, Mr. Yen, was running a restaurant in Shalu, but with the outbreak of the Pacific War, Taiwan suffered depression and especially restaurants and bars were seriously affected by the depression. Thus, starting around 1943, he started a broker business of comfort women, while still running his restaurant. It turned out that the broker business was so much more profitable than the restaurant business. Often he talked to my grandmother about his broker business and I was old enough to understand their conversation. Some of the conversation I remember were: “Everybody was poor, so many bar girls wanted to become comfort women when I recruited them” “I went around the countryside and recruited many daughters of poor families.” “I earned so much money being a broker.”

I am an old man of 80 years old now, but as far as I knew and saw, there was not much difference between comfort women for Japanese or for Chinese. I also can say out of my conscience that there were much more comfort women in the Republic of China (than in Taiwan during Japanese rule.) Even for 30 to 40 years after 1950, I assume there were at least some 20,000 to 30,000 comfort women in Taiwan, Penghu, Chinmen and Matsu. Many of them are still alive but they simply do not come on the surface asking for compensation.

When I was on military duty in the 50s, I saw a 17 year-old comfort girl in a military comfort station on Chinmen Island. While she was a streetwalker at Bao Dou Li in Wanhua District, she was arrested by police and sent to a comfort station. Since she was a young new-comer, she was forced to have over 10 customers a day. Those customers were strong artillerymen and she spent days crying from the pain. She was saying, “I have so much pain but I am not allowed to have any day off.” Is it correct to say that a girl like her was forced to become a comfort woman?

I once heard the following from a police officer named Tsai, who was transferred from Taipei to the countryside where I lived. “When we needed more comfort women in the military comfort stations, police along with the national defense department arrested streetwalkers and sent them to the comfort stations. Since the law of the Republic of China only grants the permit for prostituting to women over the age of 20, many young girls of 16 to 17 years old, who were sold by their families but could not prostitute legally because of being under age, had no choice but to become streetwalkers. If we wanted to arrest them, all we had to do was to go to Hwan Her South Road in Bao Dou Li. We could easily arrest more than 10 streetwalkers just in the morning. Arresting such streetwalkers was one of the good and easy police duties since we could get a reward based on the number of arrests, and we were considered to be doing good police work.”

In short, the Republic of China is guiltier than Japan in forcing Taiwanese women to become comfort women. The revised guideline should be more careful about this issue.

【署名お願い】ユネスコ「南京大虐殺」登録取消/慰安婦像・決議反対

有志が立ち上げたの署名です。ご協力お願いします!
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<宛先>国連教育科学文化機関(ユネスコ)
ボコバ事務局長
ユネスコ「南京大虐殺文書」の世界遺産登録、
取り消しを求めます。
I demand world heritage registration,
the cancellation of the UNESCO
“Nanjing Massacre document”

こちらをクリック
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

chn.ge/1jsZ59K

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<宛先>サンフランシスコ市議会、グレンデール市議会等、
マイク・ホンダ氏
あなた方は自国の軍隊を貶めていいのですか。
米軍は嘘つき集団と言われていいのですか。
Do not Defame The Army of Your Country.
Is The US Army a Liar?

こちらをクリック
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

goo.gl/7Dg20i

[日本語]
どうか気づいてください。慰安婦像を立てることは米軍を貶めることであることを。そして下院決議121号もまた米軍を貶めていることを。あなた方の決定や決議は、米軍は嘘つき集団であると言っているのと同じなのです。

1944年の米軍オフィシャルレポート49号には、慰安婦とは高報酬を得ていた売春婦であると書かれています。この内容は朝鮮の元慰安婦の証言と相いれません。 あなた方は口頭の元慰安婦の申し立てを信じ、それを否定しているあなた方の国の公的レポートを否定しているのです。

更に、あなた方は2007年のIWGのオフィシャルレポートも貶めています。このレポートは8年の歳月をかけた詳細な調査の結果であり、そこには日本軍のよる性奴隷に関する文章は一つもなかったと記載されています。

あなた方が外国人の申し立てを信じ、あなた方の国の公的レポートを疑っているということはどうみても理解できません。アメリカ人であるあなた方でさえ信じないということであれば、どうして世界が米軍、否アメリカ自体を信頼することができるでしょうか。

75年前、日本とアメリカの間で、悲惨で不可解な戦争が勃発いたしました。現在、この戦争には共産主義者たちの陰謀が深く関与していたことが明らかになっています。米国も日本も共産主義者たちのプロパガンダや偽情報に踊らされていたのです。

もしあなた方がもう一度戦争を望むなら、米国と日本の分断を図る共産国のプロパガンダや偽情報を信頼し、あなた方の国の公的情報をないがしろにすることが一番の近道 です。

そして忘れないでください。慰安婦像を推進している活動家達は、反日であるとともに反米であることを。

有志からのメッセージ/サンフランシスコ市議会「慰安婦記念碑設置」採択9月22日

★フォートリー・サンフランシスコ慰安婦記念碑反対署名はこちらをクリック

サンフランシスコ現地で中華系・韓国系・他の組織に囲まれ、劣勢の中、反対に立ち上がった有志の皆様、有難うございます。
日本国政府、姉妹都市である大阪市からサンフランシスコの公共の場所に慰安婦記念碑が建立されないよう、強く働きかけることを望みます。

採択された決議(PDF)[Urging the Establishment of a Memorial for “Comfort Women”]AMENDED AT BOARD 9/22/15
議会採択の動画はこちらをご覧ください
【動画】2015年9月22日サンフランシスコ市議会 慰安婦像建立採択

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< サンフランシスコの有志 からメッセージ >

9/22、サンフランシスコ市議会にて慰安婦碑設置決議案が全員一致で可決されましたことをご報告します。

決議案が市にのぼってから約2ヶ月という短い間でしたが、皆様のご協力、ご支援により最後まで有志一同で市議に反対の意志を伝えてまいりました。
しかしながら、相手側の組織力の前に全員一致で可決という非常に残念な結果となりました。

7月の半ばごろ、慰安婦碑設置決議案が議題にのぼり、危うくそのまま決議されるところを反対の声があがり7/19の市議会ではコミッティーにまで持ち込むところまで抑えることが出来ました。
しかし、中国系初の主導ということで、どのような戦略をとられるのか未知のまま進んでいきました。
まるで、慰安婦とは縁のないような決議案に、慰安婦関係の資料と同時に政治を主にした資料などを市議に送るといった活動を積極的にすすめました。真実の歴史を伝える書籍(目良浩一著や産経新聞社刊など)もひとりひとりの議員に送りました。
なでしこアクションさんのウェブサイトには署名やメール運動のご支援をのせていただきました。

流れが急に変ったと感じたのは、8月下旬のマー市議による秘密会議の招集の直後です。
相手側は、勝率を確実にするために、このまま中国系だけでやるよりも、政治を理由にした反撃をさけるためにも、韓国の協力が必要になったのではないかと想像します。
韓国側の協力により、元慰安婦を戦略の中枢にすえることになりました。感情に持ち込もうという作戦だったのでしょう。
そのころには、かつて(昨年まで)、名がでていた抗日連合会は陰をひそめ、他の団体が力を持って活動していたようです。
そのあたりからは、南京の連合会を設立したジャッジ2人(シンとタン)がかなり活躍していることがわかりました。
このジャッジ2人は市議をとりこみ、市議会を手のひらでまわすようにあやつり、9/17 公聴会前の一週間ほど市議会で慰安婦を中心にすえた活動を連日繰り返しました。

公聴会でのスピーチの準備においては、特にこれといった有効な部分がみつからず、コミュニティーの分断、日本一国を攻める理不尽などを含めた個人の思いを主体にあらゆる角度でいくことにしました。
慰安婦が公聴会に来ることを聞いていたので、慰安婦の証言に日を当てるスピーチは複数の仲間で確実にすることにし、議会での座席もこのスピーチの方には前方にすわるようにお願いしました。

公聴会当日は、このジャッジ2人により既に完全にセットアップされた中での不公平な議事進行で市議3人全員一致で可決、9/22の市議会の投票を待つこととなりました。

現地の日系のうち、2世などを含む長年サンフランシスコの住人であるコミュニティーは相手側のいう歴史については肯定する向きが多かったように思います。
また、長年培ったコミュニティにおけるビジネス等への影響を考えると反対が難しいところでしょうが、公聴会では非常にがんばってくださったと思います。
私達仲間はこの公聴会ではじめてこれらの団体、個人の方とお会いすることになりました。
私達のように日本から来た1世の日本人は、最近の日本の流れ、種々のウェブサイトからの情報やビデオなどで真実の歴史を勉強することにより、捏造された歴史に目覚めているので、真実の歴史について触れたものも多かったです。

公聴会において、市議が”歴史を認めない反対者”に対し 4度の”Shame on you”発言を行ったことにより、反対者がひどく傷つけられました。それに対して出した謝罪を求めた手紙には、更なる “Shame on..” で返されたことも付け加えます。

※カンポス市議”Shame on you”4連続発言 3分53秒~

この2ヶ月の間、サンフランシスコのローカル新聞、全国のメディアなどにもオピニオンなどを送り続けましたが、どこにも掲載されませんでした。抗日関係者がサンフランシスコの新聞社を買収した過去も背景にあるでしょう。
また、8月後半からはそれまでいろいろな情報を流していた中国系新聞が一切報道をとめ、慰安婦がサンフランシスコに到着した公聴会1週間前に堰を切ったように、テレビと新聞で連日のように慰安婦を写真つきで報道し始めました。
更に、人権団体などを使いながら行事を行ったり、最後の1週間は圧倒的な活動をみせつけました。

中国系は各団体がまとまらないという話をよく聞いていましたが、今回は全く違ったようです。
韓国系の協力も大きく、それらが日本から多くの賛同のレターを提出させたようです。

結局、中国系の力の前には、結果をだすことはできませんでした。

9/22市議会では、具体的に碑(像)の設置場所についての話し合いがすすんでいるという話がありました。
また、教科書にも書き込ませるという意欲をみせました。
慰安婦もさることながら、いわゆる南京事件などを徹底することを主眼をおいていることでしょう。
アメリカによる日系人の強制収用などを碑(像)の文言にいれるというような話もでたようです。
これは、日系の慰安婦碑反対者に対する譲歩という形ですが、実際には、中国のアメリカへのバッシングを包含するものになるでしょう。

今回の可決をマー市議は”歴史的” と表現しましたが、まさに、中国が日本、更にアメリカを一気に攻め入る一歩になったのではないかと思います。

今後は、引き続き有志一同、碑の設置を阻止していきたくおもいます。
本当に、右も左もわからず、どうして良いのかわからない中、皆様のご協力だけが頼りでした。
ご協力いただいた皆様、署名していただいたお一人お一人の心に添えず、可決にいたりましたこと申し訳なく思います。

9/22市議会でのマー市議の発言ではありませんが、これからが本当に大変なところとなります。
どうぞ、今後ともご協力の程、よろしくおねがいします。

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生放送から画像

蝶Tシャツのマー市議(慰安婦記念碑提案・中華系)

慰安婦支援者とお揃いの蝶Tシャツのマー市議(慰安婦記念碑提案・中華系)

手を挙げて賛同を示す慰安婦記念碑支持者

手を挙げて賛同を示す慰安婦記念碑支持者

採択直後、元慰安婦に集まる報道(右側)

採択直後、元慰安婦に集まる報道(右側)

<参考ニュース>
産経 9/24/2015
【歴史戦】菅氏、米サンフランシスコ市議会の慰安婦像設置案採択「極めて残念」

産経新聞 9/23/2015
全米屈指の観光都市サンフランシスコに慰安婦像設置へ 中韓共闘を前に反対派日本人に広がる無力感

産経 9/23/2015
【歴史戦】慰安婦像設置決議案を全会一致で採択 サンフランシスコ市議会

The Japan Times 9/23/2015
San Francisco unanimously adopts measure to build ‘comfort women’ memorial

NBC Bay Area 9/23/2015
San Francisco Supervisors Approve Controversial Memorial for Comfort Women 

CBS SF Bay Area 9/23/2015
SF Supes Approve ‘Comfort Women’ Memorial To WWII Sex Slaves For Japanese Soldiers 

Jiji Press 9/23/2015
San Francisco OKs “Comfort Women” Monument

Kyodo News
Proposal to erect “comfort women” memorial in San Francisco approved 

Kyodo News 9/23/2015
San Francisco city assembly adopts resolution on “comfort women”

Talk910 9/22/2015
Comfort Women Memorial Proposal in San Francisco

KBS World Radio 9/23/2015
San Francisco Council Passes Resolution to Erect Comfort Women Memorial

Arirang News 9/24/2015
San Francisco to set up memorial for Japanese wartime sex slavery victims

San Francisco Metro Bugle 9/22/2015
S.F. supervisors call for memorial to WWII ‘comfort women’

聯合ニュース 9/23/2015
サンフランシスコ市議会 慰安婦碑設置支持の決議可決
英語版ニュース

中央日報 9/23/2015
サンフランシスコ、米大都市では初めて慰安婦碑決議案通過

朝日新聞 9/23/2015
慰安婦記念碑、米サンフランシスコに設置へ 決議案可決

日本経済新聞 9/23/2015
サンフランシスコに慰安婦碑を設置 市議会で決定、米大都市で初

NHK 9/23/2015
サンフランシスコ市議会 慰安婦の碑など設置求める決議

時事通信 9/23/2015
慰安婦像設置を支持=米サンフランシスコ市議会

聯合ニュース 9/23/2015
サンフランシスコ市議会 慰安婦碑設置支持の決議可決

産経 2015.9.23 12:10
【歴史戦】慰安婦碑決議を採択 米サンフランシスコ市

ABC7 News 9/22/2015
SAN FRANCISCO SUPERVISORS VOTE TO CREATE MEMORIAL FOR WWII ‘COMFORT WOMEN’ 

SF GATE 9/22/2015 By Emily Green
S.F. supervisors call for memorial to WWII ‘comfort women’ 

GAHTサンフランシスコ市議会委員会への参加者からの報告(日・英文)

★フォートリー・サンフランシスコ慰安婦記念碑反対署名はこちらをクリック

歴史の真実を求める世界連合会/GAHTから「サンフランシスコ市議会委員会への参加者からの報告!」日本文/英文 をご紹介します。

委員会当日の動画は↓こちらをご覧ください。
【動画】2015年9月17日サンフランシスコ公聴会/慰安婦像建立について

<日本語>**********************************************************************

9月17日のサンフランシスコ市議会委員会への参加者からの報告
GAHT-US代表 目良浩一

サンフランシスコ市議会は、7月21日の審議の結果、慰安婦記念碑の建設の案件は、エリック・マー市議会議員が委員長である委員会の審議に託して、そこで承認されたならば、全体の市議会にかけて、決定することになった。そこで、9月17日にその委員会が開かれることになり、筆者はその会議に出席した。以下は、その日の会議の模様である。

前から知らされていたことではあるが、この会議に韓国から元慰安婦であったとするイ・ヨンス女史が入室してきた。彼女は2007年に米国の下院で、日本非難の決議案が上程された時に、一時間以上演説をした女性である。車椅子で入室したが、その後は最前列の椅子に着席した。マー委員長は、まずこの記念碑を建設することの意義と重要性を長々と説明し、日本軍がいかに悪事を大々的に働いたか、その典型的なのが、朝鮮の婦女子の性奴隷化であるとした。そして、そのような逆境にも拘わらず、今まで強い意志をもって生き延びてきた闘士であるとして、イ・ヨンス女史を紹介した。そこで、彼女は10分近く流暢に話し、拍手を浴びた。話し終えると彼女は、頭上に手で丸を作り、カメラマンたちのフラッシュに笑顔で答えた。

それから参加者の意思の表明が各人2分間のみという条件で始まった。最初の方は、委員長の指名で、委員長になじみのある人が続けて提案を支持する発言をした。15人目位にイグナシアス・ディングが、発言した。彼は、4月に安倍総理が訪米した際に、総理が「戦時中に人身売買(human trafficking) があり女性が犠牲になったことに胸が痛む」と語ったことを引用して、日本政府は慰安婦問題で日本が悪事を働いたことを認めていると宣言した。安倍総理は、日本軍が行ったとは言っていないのであるが、彼はそう解釈したのである。

その数人後で、私の名前が呼ばれた。その直前は、やはりロスアンジェルスから来た日本の女性で、力強く韓国や日本でなくて、米国に建てられることの非合理性を指摘した。そのあとで、私は、そこで言われている慰安婦説が、史実に沿わないことを説いた。第一に、20万人説が、虚偽であること、第二に、強制連行があったとすることが真実でないこと、更に彼らが性奴隷であったことが真実でないと述べた。更に、具体例をあげますとして、「本日ここで証言されたイ・ヨンスさんは、サンフランシスコ州立大学の人類学教授、C. サラ・ソー氏の2008年の『慰安婦』と称する図書によりますと、ある日の早朝に友だちと共に家をこっそり出て、慰安婦の斡旋員のところへ行き、」と述べた時に議長のマー氏が制止した。

マー氏: イさんは、そんなことは言っていない。君は、彼女が嘘つきだというのか。
目良: 最後まで言わしてください。
マー氏: 彼女はそんなことは言っていない。
目良: 私は、彼女が言ったことを繰り返すことはしません。この本に書いてあることを述べているのです。この本を読んでください。続けます。
「そこで赤いドレスと革靴をもらって大いに喜んだ」とあります。これがこの本に書いてあることです。
さて、この件の一般的な性格について疑問を述べます。慰安婦問題は人権問題であると言われています。しかし、慰安婦像の推進者は、このような絵を掲げています。これはグレンデールの際に取った写真ですが、このような活動で人権は守れるのでしょうか。以上です。

その後、数多くの人々が意見を述べた。反対派の中には、ソー教授の図書に言及して、イ・ヨンス氏の証言に疑問を呈した人が二人いた。記録によると賛成の意見を述べたのが50人、反対の意見を述べたのが29人であったとされている。今回は、7月21日の時とは異なり、サンフランシスコに居住している日本人とその配偶者による反対意見がかなり出された。これらの人には、以前にはほとんど情報が伝達されていなく、やっと最近になって情報が与えられて、目覚めた方が多いようであった。

しかし、注目すべきは、中国系の人たちの統率力である。彼らは、韓国系の人たちと協力して、統制のとれた動きを示していた。賛成派の多くは黒の地に黄色い蝶の図案が入ったTシャツを着て、指揮者の指示に従って動いていた。その中には、日系のアメリカ人もかなり加わっていて、日中韓が共同して、慰安婦の記念碑設置に動いているとする印象を与えるように画策されていた。日本名を名乗りながら、設置賛成意見を展開するのを聞くのはかなり不愉快であった。その典型例は、キャッシー・マサオカであった。グレンデールでも賛成意見を述べた女性である。

参加者による意見の表明は4時間近く続いたが(私は時間の都合で途中退席したが)、それが終了した際に、本人の証言が目前で否定されたイ女史を不憫に思った議員の一人、カンポス氏が、彼女の証言に深刻な疑問を投げかけた人々に対して、発言を始めた。「この聴衆の中に史実を否定する人が幾人かいた。私は、彼女に対して偉大な愛と敬意をもって、次のように声明をする。恥を知れ、恥を知れ、実際に起こったことを否定することの恥を知れ、恥を知れ、女性に対する個人的な攻撃をする恥を知れ」と叫び、イ女史を抱擁し、彼女の頬に口づけをした。それで、賛成派の意気は最高に達した。提案は、修正案を退け、原案のまま承認された。

委員会での承認を受けて、提案は9月22日の定例本会議で承認されることになるであろうが、この委員会に出席した経験は、慰安婦碑の設立に対して反対している我々に幾つかの教訓を与えてくれた。第一には、人口の60%が中国系であると言われているサンフランシスコで、組織化された中国系の人々と戦うことの困難さである。第二には、真実がどうであろうと、目的に向かって突進する市議会議員を説得することの困難さであり、第三は、反対運動を成功させるためには、かなりの組織力が必要であることを痛感した。その結果、法的な解決方法が残された道になることを確信した。其れでも尚且つ、一般の人々の慰安婦に対する理解を深めることによって、判事の決定に影響を与えることができるであろう。そして、今我々が戦っている方法こそ与えられた条件の中では最善のものであると思う。

<English>**********************************************************************

Report on the San Francisco City Committee Meeting on Building a Comfort Women Memorial on September 17, 2015
Koichi Mera, Ph. D. President, GAHT-US Corporation

The Board of Supervisors of the City and the County of San Francisco had decided that the proposal to urge to build a comfort women memorial be discussed at the Committee chaired by Eric Mar, and upon approval by the Committee, the Board will formally review the proposal. The Committee was scheduled to take up the proposal on September 17, and the author attended the meeting. I shall be describing the developments in the meeting.

As was known in advance, Young Soo Lee came into the room in a wheel chair. She is the person who spoke more than an hour in the chamber of the U.S. House of Representatives when the resolution was proposed accusing Japan in 2007. She sat on the front bench without wheel chair. Chairperson Mar spoke at length explaining the implications and significance of building a comfort women memorial, and referring to atrocities which the Japanese military committed. He told that the enslavement of comfort women was a typical crime. Then, Mr. Mar introduced Young Soo Lee as a brave and determined fighter who survived in such difficult environment. Then, she spoke eloquently for 10 minutes, and received enthusiastic applause. She greeted to the audience by raising both hands upon her head, and received flushed from cameramen with cheers.

After this, visitors started to express their own views, each given two minutes. First dozen or so speakers were nominated by Mr. Mar, being familiar to Chair, and expressed support to the proposal. Ignasius Ding, Executive Vice President of the Global Alliance for Preserving the History of WWII in Asia, was about the 15th speaker. He referred to Prime Minister Abe’s remark at Harvard University in April, and stated that the government of Japan admitted the wrongdoing of the Japanese military when Abe stated that his heart felt serious pain when he thought about those women sacrificed by human trafficking during the war. Even though Mr. Abe did not mention who did the human trafficking, Mr. Ding interpreted that the one who did the human trafficking was the Japanese military.

Several persons after Mr. Ding, my name was called. Immediately before me, a Japanese lady from Los Angeles stressed firmly the irrationality of placing such a memorial in the U.S. instead of in Korea or Japan. My remarks are as follows:
Thank you very much, Mr. Mar. I would like to convey is that the comfort women stories generally propagated in this country are totally false. They’re not true. For example, 200,000 people, that’s not true. Forcible recruitment, that was not true. And the sex slaves, that is not true. So, one example I would like to give today is that there’s a book written by C. Sarah Soh, Professor of
Anthropology in this San Francisco State University. She wrote a book called “The Comfort Women.” Then she referred to the lady who spoke earlier, Young Soo Lee. The books states she said In her early testimony “In an early morning of 1944, she sneaked out of her home with a friend and went to a comfort women recruiter,”
Mr. Mar interrupted with this remark “That’s not what she said. Are you calling her a liar?”
Mera replied “ Let me finish.”
Mr. Mar remarked again “That’s not what she said.”
Mera continued with the following: “ I’m saying what is written in this book, I’m not repeating what she said. Please read this book.
Then she was given a pair of shoes and red dress. She was delighted.
So that is what this book says. It’s written in this book. So, ex-comfort women’s testimonies are not reliable.
Now, let me give you a more general talk about this issue. The principal issue is said to be human rights. Some of the human rights proponents are showing this picture. Please see it.
This was taken in Glendale. So i do not believe any of this kind of activity is promoting for women’s human rights. Thank you.

After my presentation, many more people presented their views. Among those who opposed, two more persons referred to Professor Soh’s book questioning the credibility of Ms. Lee’s testimony. According to the records, 50 persons expressed support, and 29 persons did opposition. This time was different from July 21st. Many more Japanese residents and their spouses in San Francisco attended the meeting this time. They did not get information about this issue before, and only recently they have obtained information on this issue.

Among others, we need to pay attention to the organizational power of the Chinese/Chinese Americans. They worked closely and in harmony with Korean participants. Many of the supporters wore a black T-shirt with a yellow butterfly in front, and moved around according to the direction given by leaders. Among them, there were several Japanese Americans, and they tried to create an atmosphere of coalition among Chinese, Koreans and Japanese. It was not pleasant to see
persons with Japanese family names supporting the proposal. One typical example was Cathy Masakoka, who also supported the proposal in Glendale.

When the visitors completed their statements in nearly four hours, Mr. David Campos, one of the Committee members, compassioned with Ms. Lee whose testimony was seriously questioned, stood up and spoke loudly:
“I do want to address some of the members of the audience that came here and spoke to deny what happened. I say this with a great deal of love and respect, but
Shame on you. Shame on you. Shame on you for denying what happened and shame on you for the personal attacks on this woman, Grandma Lee who had the courage to fly from another side of the world to come here and speak her truth. You know, it is amazing and by the way, I hope that the Japanese government is not behind some of these denials.”
Then, he approached her, embraced her, and kissed on her cheek. Supporters felt supreme. The proposal, although amendments were proposed, was approved without any difficulty.

Receiving the passage of the proposal by the Committee, the proposal will be officially approved by the City at their September 22nd Board meeting. The experience of observing this Committee meeting gave us some lessons. First, it is very difficult to block the proposal where some 60% of the population is Chinese or Chinese American. Second, regardless of the historical facts are unfavorable to them , City Supervisors proceed as they wish to proceed, and third, to have a successful opposition movement, a fairly strong organization is necessary. As a result, these lessons indicate that the legal approach appears to be the only possible way. In addition, by spreading historical knowledge based on facts to the general public in the U.S., judges at the court would be able to make correct decisions more often than otherwise. Thus, I believe that what we are undertaking is the best approach under the circumstances.