「おばあちゃんの回想録 木槿の国の学校 日本統治下の朝鮮の小学校教師として」上野 瓏子 著 の英語版をご紹介します。
The Children I Loved 1939-1945
Memories of a Japanese Woman Teacher in ‘Japan’s annexation of Korea’ Days
Roko Ueno
https://bit.ly/2qhw1aP
著者のご子息の上野 正裕 氏が英訳したものです。
< 訳者 上野 正裕 氏 からのメッセージ >
私が母の手記を英語に直すことを決意した理由はまさにたまたま聞いたニュースにあります。世界中でたくさんの日本人や日系人、その幼い子供たちが、彼らは日本の韓国統治時代、韓国人を奴隷にした悪魔の日本人の子孫であると言って、韓国系の人々から迫害されている、というものでした。私は世界中の日本人の子弟に真実を知ってほしい、との思いで英訳を始めました。
彼らは、当時の韓国人は基本的人権がなかっただけでなく、奴隷のように扱われ、拷問をされた、若い女性は連れ去られて「慰安婦」、即ち「性奴隷」を強要され、男性は炭鉱のような危険な場所で強制労働を強いられた、と主張しています。更に、何十万人もの韓国人が最終的には殺害された、と言っているのです。韓国政府は「従軍慰安婦」を自国の最大の課題のひとつにさえしており、執拗に日本の謝罪と金銭的保障を要求し続けています。
恐ろしいことに、日本人の中にも、日本の新聞社の繰り返された虚偽の記事、(もっとも、その新聞社は誤報を最終的に公式謝罪しましたが、)や韓国のプロパガンダのせいで、そんなばかげた作り話を信じているものもいます。
母がこの手記の中で語ったことは、その子供たちにとって特に新しい事柄はなく、ほとんどの出来事は私たち子供にとって極めてなじみ深いものでした。というのも、母は若い頃からよく当時のことを話していたからです。母が「韓国での教員時代の思い出」をよく語っていたために、私は彼の国に親近感を覚えて成長しました。
高校を卒業してすぐの1972年、私は初めて韓国を訪れました。1週間程かけて韓国を旅行し、私は下手な英語でたくさんの若い韓国人と話す機会がありました。ソウルのユースホステルで韓国人女子学生が言った言葉は今でも覚えています。それは、
「私はあなたの国がうらやましい」
というものです。韓国は、日本が平和条約のために支払った巨額のお金で急速に発展しつつあり、韓国の人々は日本のレベルに到達することを目指していました。
1985年、私は勤めていた高校の修学旅行で再び韓国を訪れました。その時、その兄が私の祖父西見省三を援助し、自身は私の叔父欣三郎と親しい友人であるソンさん(仮名)がソウルのホテルの私に会いに来てくれました。親日派とレッテルを貼られ迫害されてきたソンさんは、目に涙をため、韓国人が幸せだった時代のことを語ってくれました。私はひどく感動しましたが、同時に、その時ソンさんは、「親日派」と見られることを恐れてか、周囲の目にひどく注意を払っていることに気づきました。戦争が終わってすでに40年が経っていました。
3度目に韓国を訪れたのは2011年。私は校長として勤めていた高校の修学旅行の目的地に韓国を選びました。当時二国間の関係は徐々に悪化してきていましたが、もし若い人たちが学校交流を通して対等で、良好な関係を築くことができるなら、このぎくしゃくした関係を将来彼らが改善できるだろう、と私は本気で期待していました。
しかし今日、韓国の反日気運はますます激しくなり、韓国の動きはかつてないほどに悪化の一途をたどっています。70年以上前の両国民の友好な関係を構築する日が再来することは極めて疑わしく思えます。
こんな時代にあって、日本が世界で名誉ある国家であることを望むなら、私たちは相手が怒ることを恐れて何ら真実を述べない臆病者であってはなりません。沈黙を守るのでなく歴史的事実に基づいた事実に関して声をあげるとき初めて、私たちは、私たちの、祖先の、子孫の名誉と尊厳を守ることができるのです。そしてそれが最終的には、この両国関係を改善することに繋がると信じています。
この本を通して、日本人の子供たちはもちろん、この問題に関心のある全ての人々に当時の真実の両国関係がどのようなものであったのかを知ってもらえたら幸いです。
2018年3月1日
訳者
上野 正裕