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「慰安婦問題―女性たちの反乱」長尾秀美

長尾秀美(元在日米海軍司令部渉外報道専門官・小説家)氏よりいいただいた「慰安婦問題―女性たちの反乱」をご紹介します。英語版はこちらです。

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令和元年(2019年)11月

長尾秀美

慰安婦問題―女性たちの反乱

 

1.概説

本稿では日本と韓半島の宗教や祭祀にまず焦点を当てる。次にそれらと女性との関わりに触れる。続いて日本と韓国との間で確執となっている慰安婦問題を簡潔に振り返る。最後に強引だと非難されるのを覚悟の上で、この問題に対する結論を出す。

世の中には2種類の人がいるので、理解と解釈の違いについて特記しておく。一般的にいうと、理解とは物事の意味・内容を納得することで、解釈とは物事の意味、内容などを説明することだ。したがって個々人の性癖や思想などが解釈に一定の方向性を与える。たとえば、「こう解釈した方が自分らしい、都合が好い」となる。その際優先されるのは事実関係ではなく、自分の社会的立場でしかない。だから2種類の人がいる。これが世の中の現実だ。

2.宗教

現在、世界には数多くの宗教がある。信徒の多さで並べると、20数億人から5億人強までのキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教の順になる。これらの宗教は必ずしも一枚岩とは言えない。キリスト教を例に取ると、カトリック教、イングランド国教会、ギリシャ正教、プロテスタントなどに別れている。これらに加え、特定地域や特定集団が信奉する宗教も世界各地にある。

宗教は信仰の対象により、多神教、一神教、祖霊崇拝、自然崇拝・アニミズム(精霊信仰、地霊信仰)、シャーマニズム(巫師・霊媒師による交信)などに分けられる。経典や教義があるものやないものがあり、多くの場合、儀式を伴う。

現在社会では無宗教の人が数億人いて、その人数は増加しているようだ。

2.1 日本

日本では神道と仏教が2大宗教となっていて、全国各地に神社仏閣がある。

神道には教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話、八百万の神、自然や自然現象などを崇拝している。

仏教は釈迦の教えを信奉するもので、韓半島を通じ、6世紀に日本に伝来した。民間にまで広まったのは12世紀以後だが、神仏習合という形で現在に至っている。

その他には古くから伝わっている儒教があるが、これは思想や行動規範として捉えられている。16世紀にはキリスト教も伝来したが、現在の信徒数は人口の1%ほどだ。

現在、冠婚葬祭は神道、仏教、キリスト教などに従って行われるが、一部では儒教にのっとって行われている。結婚式となると、神道とキリスト教との混在があり、誰も違和感を覚えていない。

呪術は古くからあり、神道や仏教とも深く関わっている。呪術者や霊媒師が降霊など超自然的行為や超心理学的現象を介して霊的存在からの言葉を伝える。

2.2 韓半島と韓国

現代の韓国では仏教とキリスト教が2大宗教となっていて、人口の55%以上が信奉している。特定地域に根差している宗教を除くと、残りのほとんどの人は無宗教だと言われている。

仏教は7世紀ごろから広まり、高麗王朝(10世紀-14世紀)では国教とされた。ところが後を襲った朝鮮王朝(14世紀末-19世紀末)は仏教を排し、儒教から派生した朱子学を唯一の学問(官学)、国家の統治理念(性理学)とした。その朱子学は現代も韓国社会に大きな影響を与えているが、宗教としての信奉者は少ない。

一方、キリスト教が広まったのは19世紀になってからだが、以後信徒が増加していった。3.1独立運動で独立宣言を読んだ33人の代表のうち、16人はキリスト教徒だった。その運動の1年半後、西大門刑務所で獄死した独立運動家の柳寛順と彼女の両親もキリスト教徒だった。

2つの宗教は相互に独立しているが、シャーマニズムの一種とされる巫(あるいは巫堂)と相互に影響し合っているといわれる。

3.祭祀

祭祀とは、生活全般についての感謝や慰霊のために神々や祖先などをまつる儀式のことで、古来、宗教や統治者と密接に結び付いている。人々が集まって供え物を用意し、お祈りをし、踊りや楽曲などを捧げる。祭祀は病気平癒の祈祷や、天候や戦い、作物などについての吉凶占いをするときにも行われる。祭祀をつかさどる人は巫、霊媒師、占い師など呼ばれる。1つの国が成立し、為政者が特定宗教を国教にすると、祭政不分となる。その結果、彼らが告げる神託などは、時に国策をも左右した。

3.1 日本の神話に登場する天照大神は、主神として登場し、女神とされている。天皇家は第1代神武天皇から始まるが、天照大神は数代前の皇祖神だったとされ、8世紀初めに編纂された『記紀』においては太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つとされている。同じく『記紀』によると、古くから太占(ふとまに)と呼ばれた占い方法があり、雄鹿の肩甲骨を使って吉凶を占ったと言われている。後に中国から亀甲を使う方法が伝わると、朝廷の神祇官が亀甲占いをつかさどった。

古墳時代(3世紀-7世紀)においては、ヒメヒコ制度があり、政治をつかさどるヒコ(男)に対し、祭祀をつかさどるヒメ(女、巫女)の権威が強かったとされる。当時男女の古墳埋葬比は6対4とか8対2だったようだ。つまり、ヒメの地位はそれなりに高かった。時代が下るにつれ地位は低くなったが、巫女(シャーマン)は今日でも全国各地にいて、祈祷、占い、神託伺い、口寄せ(降霊)などをしている。ちなみに男性の巫は覡(げき)と呼ばれる。明治以降、神社の神職補佐を務める女性を一般的に巫女と呼ぶ。

現在でも老若男女は元旦に社寺を訪れ、願を掛けている。以前はお祈りのため女性が社寺へお百度参りをする慣習があった。

3.2 韓半島にも神話があり、太陽神の子孫だった檀君が千年以上も国を治めていた。檀君は巫(シャーマン)だったとされ、祭祀はその時代から行われていたようだ。高麗王朝末期までの巫(巫堂)は、国の巫および民間の巫として、日本の巫女と同じような役割を果たしてきた。女性の巫が多いけれど、男性の巫も少なからずいて、博士(박사)とも呼ばれていた。朝鮮王朝が成立すると、巫は儒教の影響で賤民の地位にまで落とされた。しかし一般人の巫術的欲求は強く、巫は朝鮮王朝時代を生き抜いて今日に至っている。

尚、巫に家族の病気平癒などを頼む場合、ある程度の費用が掛かるが、その依頼をするのはもっぱら女性だった。(注:1930年8月現在、韓半島には12,300人の巫がいたとの報告がある。一方、1931年12月現在、官民で医療機関は129、医師は1,791人、医学生は4,472人だったようだが、多くは都市部に集中していた。朝鮮総督府資料によると、1930年の人口は1968万人だった)

4.女性の地位

さて前書きが長くなったけれど、ここから本論に入る。

日本の今上天皇は第126代になられるが、過去には8人10代の女性天皇がおられた。第33代推古天皇(592年-628年)から第117代後桜町天皇(1762年-1770年)までで、短くても7年余り、最長は35年余りご在位された。配偶者に恵まれた方もおられた一方、生涯独身を通された方もおられた。

天皇家の系統維持に際し、公家の間で権謀術数がめぐらされたことは事実だ。武士が統治し始めてからも将軍家内部で争いがあったが、女性が政権を担当することはなかった。ただし、戦国時代に武家の女性当主や城主はいた。明治維新以来現在に至るまで、女性の首相はいない。

韓半島では檀君の神話時代から大韓民国に至るまで、いくつもの国家が勃興したが、女王が存在したという事実はないようだ。しかし韓国では近年女性が大統領になっている。

4.1 日本女性

天照大神や実在した女性天皇や養蚕が盛んだった上州(群馬県)の嬶(かかあ)天下を除くと、女性の地位は低かった。儒教の影響もあり、特に武家社会になってからは家父長制度と男子の長子相続制度が定着していた。武士の場合、主君につかえることを除き、子孫に家名と家禄を存続させることが重要課題となっていた。嫡子にしろ、庶子にしろ、男子が産まれないと、同じ地位にある親類縁者から男子を養子として迎えなければ、お家断絶となった。つまり、婿養子を取らない限り、嫡出女子に家督相続権はなかった。

町民や農民の場合、厳格な男子の長子相続制度はなく、単独相続が主流だったが、兄弟姉妹による分割相続もあった。他に嫡子がいない場合は女子が養子を迎え、家業を継いだ。

明治時代になると天皇制が復活したが、政権の中枢にいたのは元武士だった。その後国際紛争(日清・日露戦争など)が続く中、多くの軍人が政治に関わったので、男性中心の社会に変革はなかった。

したがって、近代まで「夫唱婦随」や「女は三界に家なし――幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従う」という状況が続いた。結婚が「永久就職」といわれ、専業主婦は「三食昼寝付き」といわれた時代もあった。ちなみに嫁いだ女性は周囲から奥様、奥さんと呼ばれているが、近代までは夫が妻を家内と呼ぶのがふつうだった。

旧民法には、「被相続人の配偶者は、常に相続人となる。この場合において、前三条の規定によって相続人となるべき者があるときは、その者と同順位とする」、「被相続人の子は相続人となり」、「相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する」との記述があり、男女の区別はない。系譜、祭具及び墳墓の所有権については、「慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべき者がこれを承継する。但し、被相続人の指定に従って祖先の祭祀を主宰すべき者があるときは、その者が、これを承継する」となっていた。現行民法でも骨格は同じだ。

人が亡くなると葬儀が行われ、墓石が建てられ、故人の名前が刻まれる。本家なら既存の墓石に故人の名前を加える。分家なら新たに墓が建てられる。墓の建立者名を刻むことも多い。その後は婚姻で家を出た女子を除き、直系親族の名前が加えられる。

4.2 韓半島女性

韓半島に住んだ女性の地位も、対男性との関係では近代まで日本女性とほぼ同じだっただろう。武士と軍人が統治した日本と異なり、韓半島では文人が国の公権力を行使した。この違いが日本にはない負の影響力を韓半島女性に与えたかもしれない。

というのも、儒教から派生した朱子学は500年余りも続いた朝鮮王朝唯一の統治理念(性理学)になっていたからだ。その統治機構を担っていたのは両班(文班と武班)だったが、実質的に王朝を支配していたのは中国から取り入れた科挙の試験に受かった文班(文人)だった。知識人としての文班は男性だけの身分制社会を定着させ、文公家礼(冠婚葬祭手引書)を制度化した。その過程で本貫という始祖の発祥地に基づく氏族集団(宗族)を重視し、家父長・長子相続制度を維持した。

日本女性は婚姻後夫の姓を名乗り、実家の家系から離れる。一方、韓半島女性は嫁いでからも父親の姓を保つ。この制度は実家の先祖を守るという意味もあるが、彼女は終生夫の家系とは繋がらない存在だという解釈もできる。

他にも家父長制度の強い影響を伺わせる例がある。嫁いだ女性は実家や故郷の名前などで呼ばれることが多い。すでに英一という子供を産んでいれば、彼女は隣近所から「英一のお母さん」と呼ばれる。さらに女性が実家の姓を名乗り続けることは、必ずしも実家での行事が重視されることに繋がらない。暦の上で大切な祖先祭祀が行われる名節(太陰暦の正月と盆)でさえ、舅や姑が自発的・明示的に許可しない限り、彼女は実家へ帰省することができなかった。ちなみに結婚した女性は「内の人」とか「家の人」と呼ばれた。尚、農業が主要産業だった時代の女性は、村(邑里)での各種寄り合いに参加することもできなかった。

韓半島では小さい山を所有し、そこを墓地として故人を土葬するのが慣例だった。風水で定められた場所に棺を埋め、その上に丸く土を盛る。墓は故人ごとに建てられる。そのとき墓標(床石)が置かれるが、墓の建立者(家長や子孫)の名前が刻まれても、嫁いできた故人の配偶者の名前が加えられることは少なかった。尚、近年は土地確保が難しくなり、法改正により、火葬後に納骨堂に納骨することになっている。

土地などの財産については長男が優先的に相続した。次男以下の男性が一部を相続することはあっても、近代まで長女など女性が遺産を分割して相続することはなかった。(注:朝鮮では17世紀まで男女を問わず、すべての子供に財産が均分相続されていて、この頃の夫婦別姓を女性の高い経済的独立性を表すものとして解釈するべきだという説がある)。

5.慰安婦問題の様相

旧日本軍が戦地において利用した慰安婦(公娼)は、30数名のオランダ人を含め、日本や韓半島や中国や東南アジアの女性だった(概数は20万人ではなく1万人弱)。1990年代初頭より韓国の女性団体が、彼女たちの存在を政治問題として取り上げたことから、日本と韓国の外交問題になった。当初は労働力不足を補う挺身隊と慰安婦との混同があり、彼女たちが強制連行されたという誤解もあった。その後同団体や一部の日本知識人の強い働き掛けがあり、慰安婦問題は国連の人権理事会などで何度も取り上げられた。その過程で慰安婦は人身売買や拉致された性奴隷となり、日本政府は人権侵害の観点から批判され続けている。

これに対し、日本政府は1990年代半ばから何度か関係各国に謝罪をし、基金を設立し、元慰安婦(公娼)だったとされる女性に補償をし、彼女たちに関わる社会福祉施設充実や整備を支援してきた。

韓国だけはそうした措置を受け入れたり、拒否したりを繰り返している。2015年、日韓両政府は慰安婦問題が最終的・不可逆的に解決したという合意に達した。ところが2017年に就任した文在寅大統領は、同合意が問題を解決していないと主張した。同政権下では徴用工(戦時労働者)の補償問題も蒸し返している。現状では韓国側に慰安婦問題と徴用工問題とを解決する意図はないようだ。

公娼にしろ、私娼にしろ、売春は歴史上世界各国に見られる。現在も法的規制のあるなしに拘わらず、売春は多くの国で散見される。それはそれとして、韓国の女性団体や韓国政府は公娼や性奴隷を明確に定義せず、慰安婦と性奴隷とを同列に置いている。したがって、慰安婦あるいは彼女たちの両親が仲介者と契約書を交わし、契約金(前借金)を受け取り、身分証明書を発行され、戦地にある領事館警務部に稼業届けを出し、稼ぎ高に応じた収入を得て貯金をし、実家に送金したことを不問にしている。また、公娼制度により売春を管理したという実態も考慮していない。

今日の世界において売春は疑いもなく人権侵害になる。なぜなら、売春は人身売買と関連する性の搾取になるからだ。しかも男性による性欲を満たすためのみの行為は女性の人格を無視するからだ。しかしながら、日本政府が歴史的背景や事実の妥当性を主張しても、根拠のない主張に基づく非難のみが繰り返されている。

6.結論

6.1 慰安婦問題は、国連の場で何度議論され、日本政府に対する勧告が何度出されようと、国際問題にはなり得ない。なぜなら、この問題は日韓の確執のみに起因するからだ。慰安婦像や慰安婦碑を世界中の都市に設置することは、めくらましともいえる宣伝活動の一環でしかなく、国連には馴染まない。

6.2 慰安婦問題は元慰安婦(公娼)だったとされるすべての女性が他界したとしても、日韓で解決されることはない。なぜなら日韓に新たな懸案が生じる都度、韓国は日本の古傷をつつきたがるからだ。さらにこの問題は日韓併合条約が国際法上有効だったのか無効だったのかという議論にも繋がるからだ。

6.3 では対処法はないのか。否。現状では無理だが、広角レンズを使って全体像を見直すと、慰安婦問題を韓国女性による日韓の男性に対する反乱だと解釈することができる。もちろん韓国女性は公の場所で韓国男性を非難しない。国民として節度をわきまえているからだ。朝鮮戦争中やベトナム戦争中の彼らの行為に対しては、政府を非難するだけだ。結果として日本男性のみに白羽の矢が立てられる。その男性を象徴するのが日本という国だ。フランス語では定冠詞が付かない少数の国を除くと、女性名詞となる国と男性名詞となる国がある。日本は「le Japon」と表記される男性名詞なので、非難の対象として問題はない。

6.4  ではなぜ韓国女性は日本に対して反乱を起こすのか。彼女たちは、王朝時代、大韓帝国時代、日本統治下時代、解放後の軍事政権時代を通じ、自分たちに与えられた役割を勤勉に着実に果たしてきた。しかし彼女たちの働きは正当に評価されてこなかった。文班は朱子学(性理学)を国家統治理念とし、衛正斥邪思想に固執し、中国を除く国外からの文化などを拒絶してきた。かたくなに家父長制度、長子相続制度を維持しつつ、女性の立場に留意しなかった。文化が支配階級と被支配階級とで異なるのはいつの世も同じだろうが、文班が知識を独占したのは事実だった。

ちなみに平安時代の日本では、紫式部(源氏物語)や清少納言(枕草子)や和泉式部(和泉式部日記)が恋愛について筆を進めつつも、支配階級の男性による権力争にはっきりとあるいはそれとなく触れている。事情が似ていた韓半島女性にも同じ想いを小説、随筆、日記に書き残したいという夢があったはずだが、そんなことは彼女たちに許されていなかった。ただし16世紀には画家の申師任堂や詩人の許蘭雪軒が活躍している。

人の口に戸は立てられないというが、目の前の権力闘争や面子に拘る男性と異なり、各階級の女性たちは物事の推移を見守り続けていた。王朝や政府の繁栄や破綻をまざまざと見ていた女性は、しばしば巫(巫堂)を訪れて宗族を含む一家の繁栄を祈願した。夫(家長)は、知ってなのか、知らないでなのか、彼女たちの宗教心に口出しをしなかった。巫に縋ることだけが、彼女たちに許された精神的自由を象徴するものとなり、男性優越主義に対し女性の欲求不満や恨みを晴らす浄化装置にもなった。

なぜ彼女たちは男性や社会に対しそこまで耐え忍んでいたのか。たしかに檀君の母は、真っ暗な洞窟の中で21日間も一握りのヨモギとニンニク20個だけを食べるという試練を経て、熊から女の身に変わった。だから彼女が女性の忍従を象徴しているというのは無責任だ。それが韓半島固有の文化だったとするのも無責任な捉え方だ。

大きな理由が二つある。一つは朱子学が彼女たちに救いの手を差し伸べなかったからだ。もう一つは仏教の聖典もキリスト教の聖書も、女性たちの身近にはなかったからだ。現実問題として、彼女たちには巫に頼るしか選択肢はなかった。

6.5 時代は移り変わった。1960年代後半から、韓国は漢江の奇跡という経済発展への一歩を踏み出した。ここでは日韓請求権協定に基づく無償資金協力などには触れない。いずれにしても70年代後半になると、都市部の発展はもちろん農村でも機械化が進み始め、国の近代化を享受し始めた女性の生活は少しずつ楽になっていった。その過程で彼女たちの考え方や行動にも余裕が出てきた。さらに母親は娘を含む子供の高等教育に目を向けられるようになった。折しも軍事政権が続いていたが、盧泰愚大統領候補は1987年6月29日、8つの選挙公約を掲げ、青瓦台に入ると民主化を実行し始めた。こうして女性たちは慣習という軛(くびき)から徐々に解放され、歴史上初めて女性としての権利に目覚め、大手を振って社会的関与を強めるようになった。

6.6 自分たちの過去を振り返った韓国女性は、いくつかの女性団体を設立し、民主化運動を推進し始めた。その過程である研究者が関心を持ったのが慰安婦問題(当時は挺身隊問題)だった。それが1990年代になって世間に注目され、日韓の政治的確執の主要課題となり、現在まで続いている。

当然のことだが、彼女たちの視点の先には、自分たちを道具として扱い、性欲のみの対象とする男性がいる。表面上、日本(男性)だけを敵視しているが、心裡には韓半島の歴史を牛耳った朱子学があり、それに心酔し家父長制度に胡坐をかいた男性がいる。つまり、慰安婦問題追及は韓国女性にとって男性に対する反乱なのだ。したがって韓半島男性が女性の地位を根底から見直して猛省しない限り、同問題は終息しない。この政治劇場において、日本は彼女たちの脇役にしか過ぎない。残念なことは、日本男性(日本)が各場面で切られ役を演じざるを得ないことだ。

日本はいうまでもなく、韓国にも男性の知識人や政治家や活動家がいて、慰安婦問題で日本の責任を追及している。韓国女性はその事実をすでに織り込み済みとし、男性の贖罪行為の一部だとみなしている。

日本女性は男性に対しどういう立場を取っているのだろうか。彼女たちは同胞に対する希望を諦めてしまい、とにもかくにも自分たちのために前へ進もうとしているのかもしれない。

6.7 この問題を解決するとすれば、男性は単に猛省するだけでなく、自己変革能力を発揮しなければならない。ではどこに視点を置くべきか。男女同権とは、「男女両性の法律上の権利や社会的待遇などが同等であり、差別されないこと」と説明されている。これはすべてのことにおいて男性と女性の役割が平等だと解釈するべきではない。たとえば夫婦間では男性が女性の妊娠と出産と授乳とを肩代わりすることはできない。しかし男性はその負担を理解することなく、性差による役割をはき違え、男性は仕事、女性は家庭としてきた。だからこそ韓国では女性発展基本法(1995 年 12 月制定・2007 年 10 月改正)が、日本では男女共同参画社会基本法(1999年制定、改正同年7月、12月)などができた。

それらの法律は、男性と女性が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、共に責任を担うべきとする。

男性の自己変革とはその意図を理解し、実践することだ。そうしない限り、女性たちは矛(ほこ)を収めてくれないだろう。換言すると、男性はこの世に生を受けたときから女性と同じ出発点にいるのだと常に認識しなければならない。

70年ほど前の著書『第二の性』で、ボーボワール女史は、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」、「女性史さえも男性に作られたものだ」と指摘した。男性はこの解釈の過ちを素直に理解しなければならない。

 

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<参考文献>

青野正明 『朝鮮農村の民族宗教』2001年、社会評論社

趙 興胤 Cho Fung Yum (著), 小川 晴久 (監修), 李 恵玉 (編集, 翻訳) 『韓国の巫(シャーマニズム)』2002年、彩流社

韓国宗教民俗研究会編、星合亘子・姜信和ほか訳 『韓国の宗教と祖先祭祀』2008年、岩田書院

『姫神の本』聖なるヒメと巫女の霊力 2007年、株式会社学習研究所

趙戴国(チョジェグク)『韓国の民衆宗教とキリスト教』1998年、新教出版社

The Korea Times: Children Can Adopt Mothers Surname. Posted : 2007-06-03 18:07, Updated : 2007-06-03 18:07

ウィキペディア 『巫(Wu (shaman))』

ウィキペディア 『韓国の姓氏と名前Korean name』

ウィキペディア 『武家の女性当主』

Classification of Religions written by Charles Joseph Adams on https://www.britannica.com/topic/classification-of-religions

古墳の被埋葬者の男女数。ベストアンサー 回答者: dayone 回答日時:2015/01/22 17:54

宋連玉 【特論】『朝鮮女性はどのように生きてきたか?』掲載:2014.06.28、更新:2018-12-11

“COMFORT WOMEN ISSUE—WOMEN’S REVOLT” Hidemi Nagao

[Japanese]

November, 2019
Hidemi Nagao ( Former Civil and Media Liaison Officer of the Commander U.S. Naval Forces, Japan, Novelist and Non-fiction Writer )

COMFORT WOMEN ISSUE—WOMEN’S REVOLT

1. Overview

This essay starts with observations of religions and rituals in Japan and the Korean Peninsula. It then focuses on their relations with women. Next is a brief review of the comfort women issue, a protracted conflict between Japan and South Korea. Presented finally are a few conclusions that may not please the knowledgeable in some sector.

There are two kinds of people in society. Highlighted herein is to explain them by simply clarifying two terms; ‘Understanding’ and ‘Interpreting.’ To understand is to have a clear or complete idea of something, whereas, to interpret is to present something in understandable terms. It follows interpretation is oriented to a certain direction in the light of individual belief, judgment, or circumstance. An example is given; people tend to think “It would be better or convenient for me to interpret this matter this way.” What is prioritized there is not facts but one’s social status. That is why there are two kinds of people, which is reality of life.

 

2. Religions

There are numerous religions in the world today. In terms of the number of followers, Christianity tops with more than two billion while Islam, Hinduism, and Buddhism come next with at least several hundred million. Each of the top four is not a monolithic organization. Christianity, for example, has schools of Catholic, the Church of England, the Greek Orthodox Church, Protestant, etc. There are also countless indigenous religions and group-oriented religions in the globe.

Simply speaking, religions can be classified, by objects of worship, as polytheism, monotheism, ancestor worship, nature worship, animism, shamanism, etc. Some of them have scriptures/teachings and others do not. Most of them perform a set form of rituals.
The number of people without religious faith is said to be several hundreds of millions, which is on the rise in the world.

 

2.1 Japan

There are two major religions in Japan; Shintoism and Buddhism. Shrines and temples are abundant in every corner of the country.
Shintoism does not have scriptures or teachings, nor its founder. It is a sort of a tribal religion to worship mythology, a multitude of spirits in natural things, and ancestors.

Buddhism to practice teachings of Buddha was introduced to Japan through the Korean Peninsula in the 6th century. It began to be pervasive among the public at large in the 12th century, however, both Buddhism and Shintoism have been coexisting in harmony until today.

As for other religions, Confucianism came from China through the Korean Peninsula before Buddhism did. It was, however, taken rather as a norm of thought and behavior than a religion. Christianity landed in the nation in the 16th century. Its followers are less than 1% of the population today.

Japanese people are supposed to carry out marriage and funeral ceremonies according to their individual religions. One exception is a wedding ceremony, most of which begin with a Shinto ritual and end with a Christian one. No one considers it as incoherent.

Magic has long been observed in Japan. It is not foreign to Shintoism and Buddhism. Those who practice it deliver what spiritual beings state, through a supernatural act or a parapsychological phenomenon such as evocation. They are called spirit mediums or shaman.

 

2.2 Korean Peninsula and South Korea

Buddhism and Christianity in South Korea are top two religions with followers of more than 55% of the population. The rest are said to be without religious faith, excepting some indigenous ones.

Buddhism began to propagate in the Korean Peninsula from the 7th century. It became the national religion in the Goryeo Dynasty (10th – 14th centuries). The Joseon Dynasty (14th – 19th centuries)—which took over Goryeo—denounced Buddhism while elevating as a national religion the Zhu Xi school of Confucianism. The dynasty made it the sole academic discipline and used it as political construct to govern the peninsula. Despite its significant influence still looming over the South Korean society of today, the Zhu Xi school has no longer many followers as a religion.

Christianity did not get any attention of the people until the 19th century. Followers gradually increased over the years since then. 33 men jointly read their declaration of independence during the 3.1 Independence Movement in 1919. 16 of them were Christians. Yu Gwan-sun, one of the independence movement activists who died in Seodaemun Prison a year and a half later was also a Christian and so were her parents.

Though Buddhism and Christianity are respectively observed in South Korea, both are said to have been inextricably intertwined with “mudang” or shamanism.

 

3. Rituals

Rituals are ceremonies to worship gods and ancestors to appreciate their protection of the people’s life and to console the dead.
Since the dawn of history, they were closely linked with religions and those who govern the people. People gathered to present foods, and offer prayers, dance, and music. Rituals also serve to pray for recovering of a person from illness, a good climate, fortune for battles, and good harvest. Those who perform rituals are called shaman, spirit mediums, diviner, and the likes. When a nation/dynasty was established and its ruler adopted a specific religion to adhere to, government and religion became inseparable. As a result, messages shaman delivered often influenced government policies.

3.1  Amaterasu-omikami appears as the most important goddess in Japanese mythology. She is said to be one of the founders of the nation whose descendant, several generations apart, is Emperor Jinmu who established Japan’s Imperial Household. According to Kojiki (Records of Ancient Matters) and Nihonshoki (the Chronicles of Japan), Amaterasu-omikami is a goddess of the sun and a shaman. The two official records above—written in early 8th century—refer to a divinatory method called “futomani” which used a shoulder blade of a male dear for fortune-telling. After a method to use a turtleback was introduced to Japan from China, a Shinto administrator of the imperial court practiced divination by use of the turtleback.

During the Kofun Period (when large burial mounds were built in the 3rd – 7th centuries), it is said there was a Hime-Hiko system, in which Hime (women) as administrators of rituals exercised more authority over Hiko (men) who were responsible for government. A research indicates the ratios of influential men and women buried in mounds were 6 to 4 or 8 to 2. In other words, Hime’s status was reasonably high. As years went by, Hime’s social status declined but Hime as Miko (shaman) have survived to this day and they practice rituals for prayer, fortune-telling, divination, and evocation. A male Miko is called “geki.” A woman who plays a supplementary priestess in shrines is generally called Miko since modern times.

Today, it is still a custom for men and women, regardless of ages, to pay a visit to a shrine/temple on the new year day for praying. There was once a custom for women to visit a shine/temple a hundred times in a day—repetitively walking from the entrance gate to the main hall and back—to wish for good fortune, etc.

3.2 The Korean Peninsula also has a mythical ruler named Dangun who as a descendant of the sun god reigned for more than 1,000 years. He is said to be Mudan (shaman) and therefore the Koreans practiced rituals for the sun god since those legendary years. Mudang, through the end of the Goryeo Dynasty, played a major role for both the dynasty and for the public in the same way as Miko did in Japan. Most mudang were female yet there were also many male mudang who were also called “baksa.” Upon the establishment of the Joseon Dynasty, mudang’s status was lowered to an underclass (Cheonmin, vulgar commoners) due to the flourishment of the Zhu Xi school. The people at large had and still have such a big want for mudang, which has survived until today.

Fact of the matter is it was costly to ask a mudang to pray for recovery of a family member from illness, etc. It was always the women who took pains in arranging a ritual by the mudang. (Note: There were 12,300 mudang in the Korean Peninsula as of August 1930. There were 129 medical facilities, both public and private, with 1,791 physicians and 4,472 physician assistants, most of which were in urban areas. The population was 19.68 million as of 1930 according to a Government General of Korea record.)

 

4. Status of Women

Now that introductory discussions are done, it is time to discuss serious issues.

Emperor Naruhito is the 126th emperor of Japan. History saw eight empresses for ten periods. The first one was Empress Suiko (592-628) and the latest one was Empress Gosakuramachi (1762-1770). The shortest reign was about seven years while the longest one was about 35 years. Some of them had spouses and others stayed single.

It is true that maintaining the imperial lineage had brought about tangles of political machinations in the imperial court before. Similar struggles had also been observed while keeping the Shogunate power intact. Truth is there was no female Shogun in history. Some exceptions were a few female lords and clan heads in the 16th-17th centuries. Since the Meiji Restoration, no woman has become a prime minister of Japan for the past 150 years.

In the meantime, no queen ruled the Korean Peninsula since the days of King Dangun to the 20th century. South Koreans, however, enthroned a woman president in 2013, the first female leader in East Asia.

 

4.1 Japanese Women

Excepting Amaterasu-omikami, eight empresses, and wives of Jushu (Gunma Prefecture of Japan where silkworm cultivation for silk production was going strong), the status of women was low. Due to the influence of Confucianism, patriarchy and primogeniture were social norms, especially since the days of the samurai reign. The most important agenda for a samurai—other than serving his lord—was to maintain his family name and “fuchi” (appropriations given by his lord or Shogun). If the samurai did not bear a son, by marriage or by outside of marriage, he lost the samurai status. The samurai had to adopt a son with the help of his kin. In other words, daughters did not have a right to succeed her family.

In the case of merchants and farmers, they did not strictly follow primogeniture. Though a direct heir often inherited the family estate, the heir’s siblings (brothers and sisters) sometimes shared inheritance. In the absence of sons, a daughter married a man brought into the family to continue the family business.

The imperial rule was restored in 1868. Those who were in government were former samurais in early years. Throughout the periods of international conflicts such as the Sino-Japanese War to the Pacific War, generals and admirals engaged themselves in politics; the male-dominant society had not seen any change in the women’s status.

Consequently, such sayings as “Fusho-fuzui” and “Onna wa sangai ni ie nashi” were prevailing in modern times, which respectively means ‘The wife is to follow the husband’s lead,’ and ‘A woman always obeys her parents, her husband, and her children as she grows old.’ There was a time until recently when women’s marriage in Japan was touted as ‘a permanent employment’ and the life of a full-time housemaker was to come with ‘three meals a day with a daytime nap schedule.’ It was customary for people to refer to a wife as “Oku-sama” or “Oku-san,” which means she is in the ‘back of the house.’ When a husband referred to his wife to other people, he addressed her as “Kanai,” which literally means ‘inside the house.’

The old Civil Code states, “The spouse of the deceased becomes an heir at all times. When there are other heirs …, the spouse’s inheritance order will be the same as other heirs. … Children of the deceased will be successors. … When two or more heirs exist, they will share the estate.” The code did not prejudice male or female. As for the family’s genealogical chart, ritual apparatus, and family tomb, custom dictates who should inherit them unless the deceased stated otherwise in last will. The Civil Code of today follows the old one as far as succession is concerned.

Upon the death of a person, his/her family holds a funeral ceremony and erects a tomb unless one is available. The head family carves the name of the deceased on the side of the tomb stone or on a stone marker. A collateral family may choose to erect a new one, in which case, the branch head inscribes his/her name on the stone/marker as the founder. Thereafter, names of direct descendants will be carved on it, regardless of gender, excepting daughters who married out.

 

4.2 Korean Peninsula Women

Korean women would have been similar in social status to Japanese women until modern times. While samurai clans and military ruled the society in Japan, it was the munban of the yangban who oversaw the dynasty administration. This difference might have affected the status of the Korean women in a more adverse way than that of the Japanese women.

For, the Zhu-Xi school became the sole political/philosophical construct to govern the peninsula for as long as 500 years until the Joseon Dynasty ended. The yangban, consisting of the munban and the muban (soldiers), were the dynasty business administrators. It was the munban—the intellectuals who passed the gwageo exams that had been modeled on the imperial examinations of China—who ruled the peninsula. They firmly established the male-dominant hierarchical society and institutionalized a manual for ceremonial functions as “mun-gong-ga-rye.” Meantime, they emphasized in the lineage system the clan of the extended families, “bon-gwan,” by linking the birthplace of the founder. As such, the patriarchal society upholding the primogeniture continued to survive.

A Japanese woman adopts her husband’s family name upon marriage and detaches from her lineage. A Korean woman, on the other hand, keeps her maiden name after marriage. Though this practice may put more weight on her family than on her spouse’s family, it can be interpreted, in a way, to keep her staying out of his lineage all her married life.

There are other examples to indicate a strong influence of the patriarchal society. A married woman is often addressed not by a given name but by her surname or hometown name. If she has a son named Yeongil, neighbors call her “Yeongil eomma (Yeongil’s mother).” Her keeping the family name does not necessarily mean that she can freely participate in her family rituals. Without express, voluntary permission from her mother/father-in-law, she cannot visit her family on such auspicious days as the lunar new year day (Seol or Seollal) or the 15th day of the 8th lunar month (Chuseok or Hangawi). Additionally speaking, a married woman was commonly called ansaram (a person inside) or jipsaram (a person in the house). As a side note, the women—who lived through those years when agriculture was the main industry—could not participate in village autonomy as it was the men who governed the community.

It was and it is still partially a custom for the Koreans to purchase a small mountain site to build a tomb for the deceased. They first determine the tomb location, using feng shui (Chinese geomancy), then bury a coffin and build a mound. A tomb is prepared for each deceased person. Being erected aside to it is a stone marker with the names of a family head and descendants. The wife of the deceased had her name rarely carved on the marker. Because of the recent change of law, the Koreans are encouraged to cremate the deceased and place the bones in a charnel house due to lack of burial ground.

As for the decedent’s estate, the male head of the family inherited it on a priority basis. Though his brothers sometimes were given a small portion of the wealth, sisters were not entitled to succession of the estate until modern times. (Note: A researcher makes an assertion that the system of having separate surnames for married couples should be interpreted as evidence of the women’s high economic independence up until the 17th century because children, regardless of gender, evenly inherited the deceased’s estate.)

 

5. A Brief of the Comfort Women Issue

The comfort women (licensed prostitutes) the defunct Japanese military used in warfront were women from Japan, Korea, China, and Southeast Asia, including dozens of Dutchwomen—a reasonable estimate of those women is not 200,000 but less than 10,000. The comfort women became a diplomatic issue between Japan and South Korea since a united women’s group launched a political campaign in early 1990s. At the beginning, there was a misunderstanding that the women had been forcibly taken to war zones, in addition to a mix-up about those women with the supplementary Korean wartime laborers.

Because of a series of successful campaigns of the group with a support of certain Japanese intellectuals, the issue was taken up at United Nations commissions/committees many a time. The comfort women, in the process, have been considered as sexual slaves who were subjected to abduction/human trafficking. As a result, the Japanese government has been criticized for violating women’s rights.

In response, the Japanese government offered, since mid-1990s, apologies to the governments concerned a few times and established a fund to provide reparations to the self-proclaimed comfort women (licensed prostitutes) and to improve social welfare facilities related to them.

South Korea alone repeatedly accepted and rejected those measures of Japan. The Japanese government and the South Korean government reached in 2015 an agreement on the issue that it was finally and irreversibly settled. President Moon Jae-in who took the office in 2017 began asserting the bilateral agreement had not solved the issue. He resumed another issue relating to the wartime Korean laborers. It seems that the South Koreans do not have any intention of solving the two issues under existing circumstances.

Licensed prostitution and private prostitution were historically observed in the world. Even today, prostitution, legally or illegally, is practiced in many countries. Putting it aside, the South Korean group and the South Korean government blindly identify the comfort women as sexual slaves, with no intention of clearly defining what a licensed prostitute was or what a sexual slave was. They, as a corollary, disregard such corroborated facts as a contract exchange between an agent and a woman or her parent, receipt of contract money, issuance of her official identification paper, registration of her profession at a consular police division in warfront, receipt of monthly earnings, and remittances of money for home. They do not question either the reality that the prostitution license system was enforced under law.

It is true today that prostitution is unquestionably a case of human rights violation because selling flesh for money is subject to sexual exploitation that can be linked to human trafficking and because man’s satisfying sexual urge amounts to marginalizing woman’s personality. It is also true today, however, that groundless allegations have been repeated despite the Japanese government’s attempt to explain the propriety of historical background and facts.

 

6. Conclusions

6.1 The comfort women issue cannot be an international issue no matter how many times United Nations committees may bring it up as an agenda and present conclusive recommendations to the Japanese government. For, it pertains to a conflict particular to Japan and South Korea. Erecting comfort women statues and cenotaphs all over the world is nothing but a propaganda operation to cover up facts and therefore it is irrelevant to the U.N.

6.2 The issue will never be solved between the two nations even if all self-proclaimed comfort women (licensed prostitutes) pass away. It is because South Korea wants to irritate the old wound each time a new conflict develops between them.
The issue is also linked to the discussion on whether Japan’s annexation of Korea in 1910 was legal or illegal under international law.

6.3 Is there any way to solve the issue? No, not for the time being. Nevertheless, using a wide-angle lens to see the whole picture again, it is possible to interpret the comfort women issue as Korean women’s revolt against men in both Japan and South Korea. The Korean women as fellow citizens of the nation, by no means, publicly blame the Korean men because they know where to stop. They point a finger only at the government for what the men did during the Korean War and the Vietnam War. It follows Japan is solely responsible for the issue as it is Japan that represents the men. In French language, most country nouns are given either masculine definite articles (le or les) or feminine definite article (la or les) and the rest are without any article. Japan is “le Japon” in French and, therefore, it is a masculine noun. No wonder the Korean women are tempted to be belligerent toward Japan.

6.4 Then, why do the Korean women are revolting against Japan? They had diligently and tenaciously played their role for centuries of the dynasties and years of the Japanese rule and the military reigns thereafter. They had never been duly appraised of their dedication by the men. The munban, having made the Zhu-Xi school a national political/philosophical construct, kept refusing to accommodate foreign culture and thoughts under the policy of “wijeongcheoksa,” while appreciating whatever China could provide. They did not place much emphasis on the women’s well-being. Culture, in most of history, was different between the governing class and the governed class, however, it is a fact that the munban monopolized intellectual work.

During the Heian Period (794-1185) in Japan, three women, Murasaki-Shikibu, Sei-Shonagon, and Izumi-Shikibu, authored the Tale of Genji (novel), the Pillow Talk (essays), and the Izumi-Shikibu Diary (poems) respectively. While writing about romances and love, they did describe, expressly or tacitly, political struggles among the powers that be. The women in the Korean Peninsula must have shared similar sentiments the trio had, dreaming of engaging themselves in those endeavors. They had never been at liberty to do so. Noteworthy exceptions were Shin Saimdang (artist, writer) and Heo Nanseolheon (poet) who were outstanding as women in the 16th century.

Fact of matter is people talk. So, women in social hierarchy, high or low, had been observing what was going on in the peninsula while men were blindly engaging themselves in power politics and their prestige. The women saw the rise and fall of dynasties and governments. In the face of those discouraging circumstances, they willingly paid visits to mudang to pray for fortune of their clan and family. The head of the family had never dared to intervene his wife’s religious or shamanic commitments, whether knowingly or not knowingly. Seeking for mudang’s advice became a symbol of liberty for the women. It was mudang that served, in a way, as catharsis for the women to let out frustrations and grudges they had against male chauvinists.

Then, why had the women been so subservient to the men and the society? Their mythology says Dangun’s mother went through an ordeal of eating only a bunch of tansy and 20 bulbs of garlic in a pitch-dark cave for 21 days, to transform the body from a bear to a woman. It is irresponsible to interpret the ordeal as the symbol of the women’s obedience. It is also a thoughtless view to attribute the women’s behavior to a built-in culture unique to the peninsula.

Two key reasons follow: (1) it is because the Zhu Xi school had not extended its support for the women; (2) it is because Buddhist scriptures or Christian bibles were not accessible to them until decades ago. Realistically speaking, the women had no alternative but to turn to the mudang.

6.5 Those days were long gone in the Korean Peninsula. Since late 1960s, South Korea started taking a significant step for economic development called the Miracle of the Han River. The Agreements Between Japan and Korea Concerning the Settlement of Problems in regard to Property and Claims and Economic Cooperation and grants and loans are not mentioned herein.

Late 1970s saw farming mechanization spreading throughout the country, not to mention urban development. The Korean women began to experience and appreciate a lifestyle of modernization, which gave them more time to think and act without being bothered so much by traditional household chores. Mothers began to be able to pay more attention to higher education for children, including daughters. While the government was still ruled by a former Army general, a presidential election candidate Roh Tae-woo who was also with military background launched an eight-point proposal for the nation’s democratic reform on June 29, 1987. He did deliver the promises upon arrival at the Blue House. As reforms were being revved up, the women, being gradually freed from traditional tether, took bold steps forward in the society for the first time in history and developed social bridging with other women, being aware of and exercising their rights.

6.6 Those women, reflecting on societal constraints of the past, promoted pro-democracy movements by launching women’s groups. It was not coincidental for a woman researcher to have become interested in the comfort women issue—a volunteer labor corps issue at the time due to their misunderstanding. The issue caught on among the public in early 1990s, which became a major source of political conflicts between Japan and South Korea until today.

The women have, understandably, zeroed in on the men who exploited them either as a convenient tool or an object merely for fulfillment of lust. Their hostility is oriented toward the Japanese men on the surface, however, deep down in their heart are (1) the Zhu-Xhi school that wrapped the entire peninsula for so long and (2) the men who indulged themselves in it and upheld the patriarchy as an unquestionable concept. That having been said, charging the comfort women issue is nothing but the women’s revolt against the men. Unless the men in the peninsula commit themselves to serious soul-searching regarding their counterparts’ status, the issue will never be solved. Japan in this political theater merely plays a supporting role for the women. It is unfortunate for Japan (Japanese men) to keep playing a role to be knifed down at each episode.

In South Korea, as well as in Japan, are male intellectuals, politicians, and activists who continue to condemn Japan for the comfort women issue. The Korean women have already taken it for granted as one of the men’s gestures of penance.
What about the Japanese women toward their counterparts? Having already given up on the men, they may be striving to step forward for their own sake.

6.7 That having been said, the men must demonstrate a massive self-transformation ability to solve the issue.
Where should the men start from? The equal rights of the sexes are defined as both enjoy the same rights legally and socially. It should not be interpreted, however, as their roles are identical in every aspect. Man cannot substitute woman who conceives, delivers, and breast-feed a baby, for example. The men, knowingly misunderstanding the gender difference, have upheld a belief that they should go out to work while keeping the women at home, without heeding to the women’s physical burden. That is why South Korea and Japan respectively passed such laws as the Basic Law for Women’s Development in 1995 with an amendment in 2007 and the Basic Act for Gender-Equal Society in 1999 with two amendments later that year.

Those laws stipulate that both men and women, as equal members of the society, should be guaranteed opportunities to voluntarily take part in every activity, afforded all political, economic, social, and cultural benefits without gender prejudice, and be jointly responsible for their commitments.

The men’s self-transformation means they should fathom the laws’ intent and put it into action. The women would not lay down their arms if they continue to stick to the traditional, unilateral thoughts. In other words, the men must keep telling themselves their counterparts also stand at the same starting point in the society since the day of birth.

Simone de Beauvoir said, “One is not born but becomes a woman” and “The whole of feminine history has been man-made” in her book, the Second Sex, published about 70 years ago. The men must understand the wrongfulness of that interpretation in an unreserved manner.

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Primary references

Aono, Masaaki. (2001). Chosen Noson no Minzoku Shukyo [Ethnic religions in Korean farming villages] (author translation). Tokyo, Shakai-Kyoron-Sha

Cho, Fung Yum. (2002). Kankoku no Shamanism [Shamanism in South Korea] (author translation). Tokyo, Sairyu-Sha

Kankoku-Shukyo-Minzoku-Kenkyu-Kai (Ed.). Kankoku no Shukyo to Sosen Saishi [South Korean religions and rituals for ancestors] (author translation). Tokyo, Iwata-Shoin

Classification of Religions written by Charles Joseph Adams on https://www.britannica.com/topic/classification-of-religions

The Korea Times: Children Can Adopt Mothers Surname. Posted: 2007-06-03 18:07, Updated: 2007-06-03 18:07

Wikipedia: Wu (shaman)

Wikipedia: Korean name

Wikipedia: Bukeno Josei Toushu [Female heads of clans and castles in Samurai days]

(author translation)
Song Ryeon-Ok (宋連玉, 송련옥). Tokuron: Chosen Josei wa Donoyouni Ikite-kitaka [Special Opinion on How Korean women have led their life] (author translation). Posted: 2014.06.28, Updated: 2018-12-11

SparkNotes: The Second Sex, Important Quotations Explained 2. https://www.sparknotes.com/lit/secondsexSimone de Beauvoir

川崎市・NPO宛て 映画「主戦場」上映決定に対する抗議文 2019.11.4

当方の見解を無視した一方的な決定に厳重に抗議する
-映画「主戦場」上映について-

NPO法人KAWASAKIしんゆり映画祭
実行委員会代表 中山 周治 殿
川崎市市民文化振興室室長 山崎  浩 殿
市民文化振興課課長 田中 智子 殿

令和元年(2019年)11月4日

ケント・ギルバート 藤岡信勝
藤木俊一 山本優美子

 11月2日付け朝日新聞夕刊などが報じたように、川崎市で開催中の「KAWASAKIしんゆり映画祭」で慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」(デザキ監督)の上映が一旦中止になったのち、一転して本日4日上映されることになりました。

私たちはすでに10月31日、川崎市役所内の記者クラブで記者会見を行い、映画「主戦場」によって人権を侵害された被害者の立場から、この映画を上映しないように強く求めました。ところが、その後も上映する流れがつくられつつあることを知り、翌日の11月1日午後5時過ぎに、NPO法人KAWASAKIしんゆり映画祭実行委員会の中山周治代表と川崎市に対し、上映するか否か最終決定する前に「双方の見解を聞く公開討論の場を設けよ」との趣旨の公開質問状を提出しました。

しかし、それらの当方の要求を徹底的に無視して、一方的に上映が決定されてしまいました。手続き的に重大な欠陥のあるこの決定は正当性がなく、絶対に承服できません。

一転して上映するにいたる決定的な転機は、10月30日の「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」と題する「オープンマイク・イベント」であったことは明らかです。3時間に及ぶこの集会では、中山代表に対する激しい吊し上げが行われました。実行委員会はこの糾弾に屈したといわれてもしかたのないものです。

この集会を提案し、司会まで務めたのは、なんと映画祭に作品を提供している配給会社の社員でした。彼らは利害関係者です。集会には事前に「シナリオ」がつくられており、結論ありきの場が設定されたのです。「主戦場」の配給会社東風の社員とデザキ監督も同席し、それぞれ2回も発言しています。その彼らを訴えているのですから、私たち被害者も出席して発言する権利が当然あります。

公開質問状に書いた通り「制作者側の見解だけを聞いてものごとを判断するのは、自由で民主的な社会のルールに違反」します。実行委員会は中立性を完全に喪失しており、公金を支給されるNPO法人として失格です。私たちは貴NPO法人と川崎市の責任が今後厳しく問われる事態になったことをお伝えいたします。

以上

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<参考ニュース>
共同通信 11月4日(月)
一度中止の慰安婦映画上映、川崎 「表現の自由守れ」と監督
https://this.kiji.is/564069039717467233?c=110564226228225532

日刊スポーツ 2019/11/5
「主戦場」上映に監督「勝利」も提訴藤岡氏“乱入”
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201911040000978.html

朝日新聞 2019年11月4日
映画「主戦場」、⼀転上映で列 反対派が舞台上る要求も
https://www.asahi.com/articles/ASMC444XXMC4UTIL00F.html

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<参考サイト>

映画「主戦場」被害者を支える会
https://punish-shusenjo.com/wp/

映画「主戦場」上智大学研究不正事件の全体像
https://rinri.punish-shusenjo.com

川崎市・NPO宛て 映画「主戦場」上映に関する公開質問状 -双方の見解を聞く公開討論の場を設けよ-2019.11.1

PDF版ダウンロード

 映画「主戦場」上映に関する公開質問状
-双方の見解を聞く公開討論の場を設けよ-

川崎市市民文化振興室室長 山崎  浩 殿
市民文化振興課課長 田中 智子 殿

NPO法人KAWASAKIしんゆり映画祭
実行委員会代表 中山 周治 殿

令和元年(2019年)11月1日

ケント・ギルバート
藤岡 信勝
藤木 俊一
山本優美子
映画「主戦場」被害者を支える会

 

(1)映画「主戦場」上映の動き
11月1日付けの神奈川新聞(電子版)によれば、川崎市で開催中の「KAWASAKIしんゆり映画祭」で慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」の上映が中止になった問題で、主催者のNPO法人は31日、同映画を上映する方向で検討を進めていることを明らかにしたとのことです。

これは極めて遺憾なことであり、映画「主戦場」において、無断で「登場」させられ、「歴史修正主義者」などの誤ったレッテルを貼られて一方的に攻撃され、人格的に侮辱されている被害者の私たちとしては、絶対に容認できないことです。

昨日、10月31日、私たちはすでに、川崎市役所の市民文化振興課にうかがいましたが、課長も上司も用事で外出中とのことで、別の担当者に託して資料と動画のDVDを手交して参りました。私たちは映画「主戦場」を中止した市の立場を支持する者ですが、このような対応は後日責任が問われます。

そのあと、市の記者クラブで記者会見を行い、私たちの立場を資料に基づき詳細に説明いたしました。会見は2時間近くになりました。同会見は、10月31日付け共同通信配信記事等によって全国的に報じられております。

 

(2)不正な手段で入手した映像の詐欺映画で人格攻撃
実行委員会の委員の一人は「中止によって多くの映画人、観客を傷つけた」などといっていますが、上映によってもっとも傷つけられるのはわれわれ被害者です。話は真逆です。

「主戦場」の監督を自称する出﨑幹根は、上智大学の大学院修士課程の「卒業制作」のための学術研究として、私たちに研究協力を求めました。「上智大学」の「学術研究」という信頼によって、私たちはインタビューに協力しましたが、実際には、上智大学が定めている手続きや規定を完全に無視し、事前の告知が義務付けられている重要事項がことごとく隠匿されたままにインタビューは進められていたのです。もちろん、商業公開の準備も、全く伏せられていました。つまり、詐欺的手法で入手した映像・音声によって作られたのが、商業映画「主戦場」なのです。

私たちは、5月30日に出崎幹根および東風に対して同映画の上映中止を求めて、その欺瞞性・問題性を指摘した「共同声明」を発しており、既に運営委員会および市当局においても、ご検討されたことを仄聞しております。その後、民事・刑事の訴訟になっています。大学で出﨑と共謀してこの陰謀を指揮した指導教授の中野晃一氏に対しては、共同声明に連名した出演者全員が「研究参加同意撤回書」を提出済みです。上智大学の規程では、撤回書が出された場合、無条件で、入手した研究資料(この場合は映像・音声)を廃棄しなければならないことになっています。従って映画「主戦場」は廃棄される義務下にある映像資料であり、すでに世の中に存在する正当性を失っているものなのです。

研究に協力した善意の国民を騙し違法な手段によってつくられた映画について「表現の自由」を求めることは、泥棒が盗品の所有権を主張することと論理的に同一であり、法治社会では絶対に許されないことです。もちろん、盗品であることを知りながら、それを売買した古物商も、同じく罪を問われます。他者の人権を踏みにじる権利は、誰にも与えられておりません。

 

(3)公開の討論会を求める
実行委員会が「上映実現にむけて前向きに協議」するというのであれば、この映画の存在根拠そのものが失われていることを主張し、重要な当事者である私たちの意見も当然聞くべきです。

上記のような事情を知らずに、制作者側の見解だけを聞いてものごとを判断するのは、自由で民主的な社会のルールに違反します。上映を推進する立場の人々は、しばしば「民主主義」を口にしますが、民主主義は異なる双方の意見を聞いた上でことを判断するのが最低の条件です。今の実行委員会の進め方は、反民主主義的なやり方です。

川崎市に対しては、映画「主戦場」はすでに民事事件・刑事事件となっており、それは上映中止の理由としては十分な根拠となり得るもので、市の判断は妥当です。川崎市は公的機関なのであり、恣意的判断をしてはならず、明確な基準を示す必要が義務づけられています。もし、上映再開を認めるとしたら、このような映画に公金を支出してよいという「川崎市の公金支出基準」を示していただきたいと要求します。

以上の理由から、私たち「被害者」は、市または実行委員会の主催(または両者の共催)による双方の当事者の主張を聞く公開の討論会を強く要求します。この手続きなしには、川崎市における「主戦場」の上映は法的・道義的正当性を完全に喪失するものとなることを重ねて強調しておきます。

2日正午までにご回答頂きますよう求めます。
(以上)

 

<連絡先電話番号>
川崎市役所(直通)044-200-2416 市民文化振興課 田中智子課長
市民文化振興室 山崎浩室長
NPO法人しんゆり映画祭実行委員会事務局044-953-7652 中山周治代表

映画「主戦場」被害者グループ 連絡先 ****(藤岡信勝)

川崎市役所記者会見 映画祭における「主戦場」上映中止について 被害者の見解 2019.10.31

映画「主戦場」の上映中止問題に関する「詐欺被害者」の見解

令和元年(2019年)10月31日
川崎市役所 記者会見室にて

<出席者>
出席者  (被害者として) ケント・ギルバート
藤岡 信勝
藤木 俊一
山本優美子

(代理人弁護士) 中野 浩和(著作権担当)
尾崎 幸廣(元検事正)

川崎市「しんゆり映画祭」における「主戦場」上映中止問題

川崎市が公費600万円を支出して行われる「しんゆり映画祭」で上映が予定されていた映画「主戦場」が、上映取りやめとなったことが報道されました。取りやめの理由として、主催者側は、映画が上映中止を求める訴訟が提起されていることと、「映画館での妨害・いやがらせなど迷惑行為」への懸念を理由にあげています。

この理由は半分正しく、半分間違っています。訴訟が起こされていることは事実ですが、混乱が起こる危険があることを理由にするのは適切ではありません。そういう理由では、逆に、混乱さえ起こらなければどんな映画でも上映して構わないという論理になっているからです。現に、上映中止への抗議文のなかで、同映画の配給会社・東風は、同映画が上映された国内50箇所の映画館で一つの混乱も起こっていないことを理由に、主催者の中止決定を批判しています。

この映画の問題はそんなところにあるのではありません。私たちは、映画「主戦場」の監督を名乗っている出崎幹根が上智大学の大学院生として、修士論文に相当する動画を学術研究としてつくるとのふれ込みでインタビューへの協力を求められ、善意で無償の協力をしたところ、思いもよらぬ商業映画に使われ、しかもその映画のなかで悪逆非道な人物であるかのようにレッテルを貼られ、攻撃され、愚弄されました。

私たちは5月30日に、被害者7名(ケント・ギルバート、加瀬英明、櫻井よしこ、トニー・マラーノ、藤岡信勝、藤木俊一、山本優美子)の連名で共同声明を発表し、映画の上映の差し止めを要求しました。しかし、出﨑はこの要求を拒否したので、著作権侵害、肖像権侵害、名誉毀損で上映差し止めと損害賠償を求め、東京地裁に民事告訴しました。のちには、著作権侵害のかどで刑事告訴も行いました。

さらに上智大学教授で、出﨑の指導教員であった中野晃一教授に対し、上智大学が規定する書式に基づいて「研究参加同意撤回書」を全員が送りました。上智大学の規程では、同意撤回書がだされた場合は無条件で映像や音声を廃棄することが義務づけられています。これによって映画「主戦場」は、もはや存在の根拠を失い、世の中に存在してはいけないものになっているのです。これこそが、この映画が上映されてはならない最大の理由です。

私たちは公的機関での上映については抗議の意思表示をしてきましたが、この映画の素性を公知させる努力に欠けていたことを深く反省し、この記者会見を皮切りに、この映画上映問題に今後積極的に取り組んでいくことを表明します。

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映画「主戦場」被害者を支える会
https://punish-shusenjo.com/wp/

映画「主戦場」上智大学研究不正事件の全体像
-中野晃一教授と大学院生出崎幹根による人権侵害と大学当局による隠蔽工作-
https://rinri.punish-shusenjo.com/