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元高校野球監督 野々村直通氏、島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を訴える

野々村直通(ののむら・なおみち)氏といえば、元高校野球監督としてご存知の方も多いと思います。

実は、野々村氏は平成26年(2014年)以来『島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める請願書』の請願者の一人です。

請願は8回続けて不採択となりましたが、島根県の有志の方々は諦めずに令和2年9月に9回目の請願に挑戦します。

令和2年2月の県議会で成相議員が読み上げた野々村氏からの「慰安婦意見書」撤回を訴えるメッセージをご紹介します。

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< 令和2年2月議会 成相議員が紹介した請願者 野々村直通氏のメッセージ >

私、野々村は、8年前の2012年に定年退職に伴い、野球部の監督を退任いたしました。

私の半生は、まさに野球を通じた高校生の育成をみずからの生きがいとして、誇りとして突き進んできたものでした。

その私を理解し支えてくださったのは学校や同僚であり、保護者の皆さんや地域の方々でした。

また、家庭においても多くの負担を引き受けてくれた家族の存在が支えてくれたことは言うまでもありません。

長年の教師生活では、私自身、さまざまな紆余曲折もあり、挫折やトラブルも数多くありましたが、今から思えば貴重な経験であったように思えることが、全力投球で歩んできた結果であると自負しておるところです。

生徒の成長をこの目で見ていくことに大きな驚きや喜びを感じる、充実した毎日でありました。

しかし、平和な時代だからこそ享受することができる恵まれた生活環境があるということ、私自身がそのことに改めて感謝していかなければならないという思いが日に日に強くなり、同時に、その感謝の気持ちを生徒たちに伝えていかなければ真の教育になり得ないのではないのかという気持ちが私の中で大きくなっていきました。

というのも、以前から全国的に学校が荒れていた時代であったことなどもあり、私もそういった生徒と接したときに正面からぶつかっていった経験が、その気づきとなった一つの要因であると考えています。

そういったこともあり、広島県呉市江田島の海上自衛隊の教育参考館の見学を合宿に取り入れたのは平成13年からでした。

江田島での合宿で、生徒たちは確実に変わっていったのでした。生徒たちは、特攻隊員の遺書から、国を愛することや家族を愛するとうとさを学び、大義のためには凛として命を投げ出す潔さに魂を揺さぶられたのでした。

部活動や勉学に取り組む姿勢も、おのずと違ってきました。

当然、他者に対する姿勢や思いやりといったものも備わっていき、見違えるように成長してくれました。

それは、戦没者の方々の遺書に残された言葉や筆跡のたまものであったことは言うまでもありません。

戦没者の方々には、今の時代を批判する言葉は当然持ち得ることはできません。

しかし、今の時代に人としてあるべき指針を確かに示してくださる言葉があるのです。

さきの大戦において、我が国の戦死者、行方不明者はおよそ200万、民間の死亡者は100万人でした。

その中で、いわゆる特攻作戦での戦死者は、海軍、陸軍合わせて4,000名です。

特攻作戦以外の多くの兵士たちは、武器弾薬はおろか、食糧にも事欠くありさまで、後方からの支援も絶望的な中、まともな戦闘さえすることも、異国の地で果てていったのが現実です。

戦争というものがいかにおろかで恐ろしいものであるか、二度と繰り返してはならないということは言うまでもありません。

今を生きる私たちは、謙虚な気持ちで歴史に向き合い、教訓を得ていかなければなりません。

しかし、悲しいかな、教訓というものは、喜びよりも悲しみの中から得られることが多いのも現実であり、悲しみが大きいからこそ、より多くの教訓を得なければならないことも事実です。

多くの戦没者のこういった遺書に身近に触れるには、「きけ わだつみのこえ」が適切であると思われます。

団塊の世代の方々であれば御存じの方が多い、有名な書籍です。

この書籍は、編集段階において、日本精神主義的、戦争謳歌に近いような短文は注意深く除かれ、一部には歪曲、改ざん、誤読もあり、反戦、厭戦に塗り潰された編集が行われたとの指摘があります。

しかし、私はそのように否定的に捉えるのではなく、戦死者の真実の声として捉えたい思いであります。

私は最近、こういった本を手にとるたびに思うことがあります。

それは、死者に民主主義はないのかということであります。

当然、死者には選挙権はありません。

しかし、今日において明確な指針や生きていく上での重要な教訓を与えてくださる死者の民主主義を考えなくてよいとは思いません。

私は一人の教育者として、このことは重要な視点であると思います。

政治においても、この視点は大変重要なことではないでしょうか。

繰り返すようですが、死者からの教訓には、人が人間らしく生きていくための指針が数多くあります。

そこには、どんな小説や映画にもない、真実の言葉があります。

戦場で極限の状態でありながらもなお他者を思いやる気持ちが感じられる遺書に、どんな形であれ異論を挟む行為は、私は許せません。

戦争という異常な状況の中、あすをも知れぬ兵士の俸給を目当てに春をひさぐ貧しい女性たち、女性たちはまたそれが生きていくよすがとするのであるのならば、今の時代を生きる我々が今の価値観で裁くことは果たして正しいと言えるのでしょうか。

例えば、韓国で日本に対して最も手厳しい挺身対策協議会という団体があります。

慰安婦問題で我が国を糾弾している団体です。

この団体について、「反日種族主義」に興味ある記述があります。

1990年11月、挺身対策協議会が結成されました。メーンメンバーは、70年以来、キーセン観光を告発批判してきた女性連合と、慰安婦問題を研究してきた梨花女子大の教授であるというものです。

ほんの20年くらい前の2000年代前半ごろまで、韓国へ買春旅行がはやっていた時代がありました。

日本からも、観光がてらにそういった目的で少なからぬ男性が訪れていた事実があります。

韓国で反日団体の急先鋒と言われる挺身対策協議会ができたきっかけは、こういったいわゆるキーセン観光だったというのです。

このような実態の一要因が、当時の日韓の経済的な格差にもあったとしたならば、挺身対策協議会の反日の動機も理解できる余地はあります。

そうであるならば、反省するべきは、その観光旅行に赴いた当事者であり、そのような買春旅行を許していた当時の両国の社会的風潮です。

戦時下のそれとは全く質の異なる事案であり、恥ずべきこととして、決して同列に置いてはならないものです。

繰り返しますが、戦没者の方々に今の時代を批判する言葉を持ち得ることはできないのです。

私には、時代の波に翻弄された生と死のはざまで慰め合ったであろう兵士たちや慰安婦たちを批判する言葉は見つかりません。

むしろ、生きることの極限にいた彼らにこそ、私たちが直視するべき人間の本質があらわれていたと思うのです。

ましてや、戦没者の実態は、そのほとんどが飢えと病に侵され、なすすべもなく、紛れもない悲劇の中で死んでいかれました。

彼らの言葉こそ、現代を生きる私たちの心に刻み込まなければならないと思います。

今の平和な時代を生きる私たちは、謙虚な気持ちで戦没者の苦悩を想起しなければ、真の平和などおぼつかないのではないでしょうか。

どのような形であれ、歴史認識をゆがめることは、近隣諸国と正常な関係性をゆがめてしまうのです。

今回の請願書でも触れましたが、グレンデール市の母親からの手紙を読むと、悲痛なメッセージが込められています。

現地の母親たち、子どもたちが置かれている苦境の要因は、我が島根県議会にもあるということです。

そして、それは戦死者にいわれなき汚名を着せることになり、将来の日本人全てをおとしめることになるのです。

県議会で決議されたいわれなきこの意見書を撤回し、本請願を採択していただくよう心からお願いいたします。

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< 野々村直通 (ののむら なおみち) プロフィール >

1951年島根県雲南市生まれ。広島大学卒業後、広島の公立学校・府中東高校に赴任し、6年目の79年春に選抜出場に導く。
86年に松江第一(現・開星)高校に美術教師として赴任し、88年硬式野球部創設に伴い初代監督に赴任する。
創部6年目の93年に甲子園出場を果たすと、以後チームを春2回、夏7回の甲子園へと導く。
2010年センバツでの「末代までの恥」発言で監督を辞任したが、約8,000人の監督復帰嘆願の署名が集まり、翌11年4月から監督に復帰。
同年夏の甲子園では復活勝利を挙げ、優勝した日大三高を最後まで苦しめた。
2012年3月、定年退職のため監督を退任、現在は画家・教育評論家として活動している。

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< 島根県議会 資料 >
島根県議会 令和2年2月定例会(第10日目)議事録
https://www.pref.shimane.dbsr.jp/index.php/1284536?Template=document&VoiceType=All&DocumentID=2033#one
※ 19 : ◯成相安信議員  請願者野々村氏の意見紹介

島根県議会 令和2年2月定例会 3月17日 本会議 録画映像
https://shimane-pref.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=717
※ 成相 安信 議員 答弁 1時間36分33秒~ 請願者野々村氏の意見紹介

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< 島根県有志の取り組み なでしこアクションブログより >
2020年8月4日付
島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める8回目請願不採択、9回目請願へ
http://nadesiko-action.org/?p=14682

2020年3月24日付
島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める7回目の請願
http://nadesiko-action.org/?p=14391

2014年12月31日付
竹島を領有する島根県議会がこのままで良いのでしょうか?
http://nadesiko-action.org/?p=7752

2014年9月29日付
日本を愛する島根女性の会「朝日新聞の大誤報を起因とする「河野談話」の即時撤回を要求する県民大会」
http://nadesiko-action.org/?p=7140

2014年6月23日付
日本を愛する島根女性の会から県議会議長宛て抗議文
http://nadesiko-action.org/?p=6582

2014年6月5日付
島根県議会「慰安婦」可決の説明を ネット署名3600人、提出へ
http://nadesiko-action.org/?p=6528

2014年4月13日付
竹島奪還を目指す島根県議会がなぜ「慰安婦意見書」?県議会議長に説明を求めます!
http://nadesiko-action.org/?p=6265

2014年1月14日付
カルフォルニアの母の会が島根県議会に抗議!
http://nadesiko-action.org/?p=5600

2013年12月12日付
島根県から報告「議長の椅子取りゲームに慰安婦問題を利用するのは許せない」
http://nadesiko-action.org/?p=5440

2013年10月4日付
「島根県議会の歴史認識をただす 島根県民の会」から活動予定お知らせ
http://nadesiko-action.org/?p=5033

2013年9月9日付
島根県民が「慰安婦意見書」撤回に立ち上がった!
http://nadesiko-action.org/?page_id=4791

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< 地方議会の慰安婦意見書について なでしこアクションブログより >

ねつ造慰安婦問題解決に向けて地方議会の意見書・決議・請願・陳情まとめ
http://nadesiko-action.org/?page_id=7180

地方議会の慰安婦意見書
http://nadesiko-action.org/?page_id=2

左派市民団体と国連のマッチポンプ
http://nadesiko-action.org/?page_id=7

8.3 永遠の贖罪 土下座像 即刻撤去 抗議行動 in 韓国


(写真提供:反日銅像真実糾明共対委)

2020年8月3日 江原道平昌自生植物園で行われた反日銅像真実糾明共対委による土下座像即刻撤去 抗議行動 の日本語字幕付動画です。

動画より
「日本統治時代にまさに性を売って食べて生きていくのが職業だった女性たちを今になって呼び出して、日本を悪魔化させる手段として彼女たちを前に立たせて、性を売った女性たちを、その人達をもう一度売って生活している市民運動。私たちは彼らの悪質を今日如実に目撃しています。」

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抗議活動の写真
写真提供:反日銅像真実糾明共対委

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<ニュース>

ZAKZAK 2020.8.4
「土下座像を撤去せよ!」韓国保守系団体、設置の植物園に抗議 すべての「反日像」排除へ
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200804/for2008040008-n1.html

産経 2020.8.3
慰安婦への謝罪像の撤去求め抗議 韓国市民団体
https://www.sankei.com/politics/news/200803/plt2008030023-n1.html

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<youtube チャンネル>

채널fujichan  反日銅像撤去デモシリーズ
https://www.youtube.com/channel/UC0HuFE2BU3LsruQCDUUcSlg/videos

島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める8回目請願不採択、9回目請願へ

島根県議会が平成25年(2013年)6月26日 に可決した『日本軍「慰安婦」問題への誠実な対応を求める意見書』は、河野談話、米国下院決議121、国連人権委員会勧告を受け入れて日本政府に対応を求めるものでした。

この意見書の撤回にむけて、島根県の有志が署名、抗議文、集会など様々な取組を行ってきました。
「島根県有志の取り組み なでしこアクションブログより」参照

令和2年6月定例会にも8度目の請願書『島根県議会において平成25年6月26日付で決議された“日本軍「慰安婦」問題への誠実な対応を求める意見書”の撤回決議を求める請願』を提出しましたが、残念なことにまた不採択となってしまいました。

6月25日本会議では、成相安信議員が意見書撤回の請願を支持する素晴らしい意見表明をして下さっています。

諦めずに、令和2年9月の県議会に9回目の請願に挑戦するとのことです。

粘り強い取り組みに頭が下がります。

※島根県議会に関する情報は現地有志の共有情報から教えていただきました。

<令和2年6月定例会 6月25日 本会議 録画>
https://shimane-pref.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=738

49:15~  成相 安信 議員(無会派)

成相議員発言より

二月議会の総務委員会において福田議員が大変重要なことを述べておられます。
「大正に生を受けた男子の内およそ200万人が先の大戦で戦死している。全体の実に7人に1人が戦死している。彼らは地獄の戦場で突撃を繰り返し、子孫を残さないまま多くが何も語らないまま死んでいった。生き残った大正生まれの青年たちは、亡き戦友の無念を胸にがむしゃらに働き、世界から奇跡の復興と呼ばれる経済成長の中核を担った。
子孫を残さず死んでいった若者が礎となって築かれた現代の日本、その思いや無念をきちんと本当に理解されているのだろうか、というのが小沢委員の外交に対する価値観なんだろうと思う」
といった箇所です。
確かに、現在の我が国ではこういった視点が疎かにされている現状を、小沢議員は憂慮しておられました。それが小沢議員の政治に対する姿勢にも現れていたというものです。
以下は小沢議員の言葉ではありませんが、小沢議員もその胸中に抱いておられたであろうことを申し述べます。

民族学者の柳田国男は「御先祖」についてこう述べられています。
「かつて日本では御先祖になる、という言葉が日常的に使われていました。「貴方は良い心がけだから御先祖様になりますよ」とか、子供に対しては「精を出して学問をして御先祖になりなさい」といった言い方です。そして人々は「御先祖になる」ために一生懸命善く生きようとしていたといいます。
柳田の著書にはこう書いています。
「人間があの世に入ってから後に、いかに長らえまた働くかということについて、かなり確実なる常識を養われていた」
それはつまり自分が死んだ後も仕事が待っているということです。
自分のまだ見ぬ孫やひ孫から、いつか「お爺ちゃんは立派な人だった、良い御先祖だ」と言われることによって子孫に対する規範になれるということです。
さらに柳田が戦時中にこれを書いた背景には「戦死者」の存在があったといいます。
多くの若い男たちが兵士として戦場に行き、そこで亡くなっていく。
未婚で子供のない彼らは、親兄弟が亡くなれば忘却され、永遠に御先祖になることはできない。
柳田はそれでは駄目だ、この国はおかしくなってしまう。と言ってこう主張するのです。
戦死者と養子縁組をして、彼らを「御先祖様」とする子孫をつくらなければならない。
そうしなければ私たちは未来と語ることはできなくなるだろう、と。

国家の命令で戦地に赴き、異国の地で無念のうちに短い生涯を終え、そのご遺骨さえいまだに祖国に帰ることも出来ない彼らに、ありもしない汚名を着せるなど絶対にあってはならないのです。
今年ももうすぐ暑い夏となります。お盆と共に終戦の日が訪れます。
我が国では、人は死後も霊魂となってこの世にとどまり、家族のもとへ帰ってくるという一種の祖霊信仰が深く根付いています。
それは魂が幽界から一時帰宅するお盆に祖霊に手を合わせることで、厳粛な気持ちになり、御先祖様に感謝し、自分を振り返ることにより、無意識のうちに自らの魂をも浄化しようとする行為なのです。
お盆と重なる終戦の日、私たちは心から戦死者を悼み、魂の交感をしていくということは、道徳や規律を保ち、より良い社会を目指すために大切なことであります。
しかし戦死者の多くの魂は、帰る家もなく、自らの死を悼んでくれる子孫さえ存在しない現実があるのです。

今の時代、彼らに対して心から思いを馳せる人が少数であることは、当該意見書の撤回が困難なことからでも分かります。こういったことが民主主義の実態であるとしたならば、私たちは改めて本質的な立憲主義というものを考え直していく必要があると言わねばなりません。
「民主主義と立憲主義」のふたつは法学上、あるいは政治学上も相反するというのが基本的な考え方です。
民主主義は多数派によって決定されるという政治システムであり、立憲主義とは憲法が権力を縛る。つまり多数派の支持を得たとしても、してはいけないことがある。というものです。
日本国憲法が発布されたのは74年前の1946年です。作成に関わった人たちは、ほぼお亡くなりになっているでしょう。私たちは死者が作成した憲法に縛られているということです。
民主主義の主体は現在生きている人間、つまり生者に対して、立憲主義の主体は死者であるともいえるのです。立憲主義には死者の民主主義が内包されているということです。
現行憲法は戦争という歴史とその犠牲者の上に立脚しているのです
その現行憲法の是非はともかくとしても、立憲主義を声高に唱える人々が、現在の我が国の立憲主義の主体のなかで、決して少数とは言えない戦死者の存在を意識しないどころか、貶めていこうとする民主主義はグロテスクであり、健全な保守思想とは全く相容れないものです。

ここで一点、すでに意見書撤回にご賛同いただいている方のご発言に少々異論を述べさせていただきます。
小沢議員の議員活動について、国防や竹島を中心とする領土問題など国家レベルの課題に取り組んでおられたことを指して「地方議員として特徴のある活動」とも仰っておられました。

地方議員だからと言って国家意識や国防意識が希薄であって良いわけはないのです。
国政選挙となれば政党間でし烈な選挙活動を繰り広げるなかで、当落においては地方議員の動きがその行方を決定づけることは誰しもが知っていることです。その地方議員の国家意識あり方が、将来の国家の姿に直結していくという現実をご理解して下さい。
当該意見書こそが、地方議員の国家意識の欠落の間隙を突いてきたものであることは明らかです。
グレンデール市の母親からの手紙がそのことを如実に物語っているではないですか。
平凡に生きる私たちも国家という集合体の一部なのです。
「自分は一億分の一だから国家のことを考えなくていい」などと一億人が考えては、国家は立ち行きません。県議会議員諸氏も国家のあり方については常に考えていただきたいと思います。
そして、死者が大切にした国土や、そこで作り上げてこられた文化や伝統も、この国に生まれ、育てられた私たちも国家そのものであります。
私は、終戦の日は、戦死者の方々もかつて眺めておられたであろう山河と同じ景色を眺め、
戦死者の方々は御先祖様であるのだという思いと共に、あまたの戦没者のご冥福と、
国家の安寧を祈りたい思いであります。
また小沢議員の初盆でもありますので、故人を偲ぶ時間も大切にしたいと思います。

どうか、島根県議会の皆さんにおかれましては、これらのことを念頭に当該意見書の存否をご再考いただきますようお願い申し上げます。

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【 成相議員・有志が撤回を求めている意見書 】

島根県議会 平成25年6月26日 可決

日本軍「慰安婦」問題は、女性の人権、人間の尊厳にかかる問題であり、その解決が急がれています。
この問題について、日本政府は 1993 年「河野談話」によって「慰安婦」への旧日本軍の関与を認めて、歴史研究、歴史教育によってこの事実を次世代に引き継ぐと表明しました。
その後、2007 年 7 月には、アメリカ議会下院が「旧日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」として、「謝罪」を求める決議を全会一致で採択したのをはじめ、オランダ、カナダ、フィリピン、韓国、EUなどにおいても同様の決議が採択されているところです。
また、日本政府は、本年 5 月 31 日、国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会より、「公人による事実の否定、否定の繰り返しによって、再び被害者に心的外傷を与える意図に反論すること」を求める勧告を受けるなど、国連自由権規約委員会、女性差別撤廃委員会、ILO専門家委員会などの国連機関から、繰り返し「慰安婦」問題の解決を促す勧告を受けてきているところでもあります。
このような中、日本政府がこの問題に誠実に対応することが、国際社会に対する我が国の責任であり、誠意ある対応となるものと信じます。そこで政府におかれては以下のことを求めます。
1 日本政府は「河野談話」を踏まえ、その内容を誠実に実行すること。
2 被害女性とされる方々が二次被害を被ることがないよう努め、その名誉と尊厳を守るべく、真摯な対応を行うこと。
以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出します。島根県議会
(提出先)
衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣
外務大臣
内閣官房長官

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<参考 島根県有志の取り組み なでしこアクションブログより>

2020年3月24日付
島根県議会に「慰安婦意見書」撤回を求める7回目の請願
http://nadesiko-action.org/?p=14391

2014年12月31日付
竹島を領有する島根県議会がこのままで良いのでしょうか?
http://nadesiko-action.org/?p=7752

2014年9月29日付
日本を愛する島根女性の会「朝日新聞の大誤報を起因とする「河野談話」の即時撤回を要求する県民大会」
http://nadesiko-action.org/?p=7140

2014年6月23日付
日本を愛する島根女性の会から県議会議長宛て抗議文
http://nadesiko-action.org/?p=6582

2014年6月5日付
島根県議会「慰安婦」可決の説明を ネット署名3600人、提出へ
http://nadesiko-action.org/?p=6528

2014年4月13日付
竹島奪還を目指す島根県議会がなぜ「慰安婦意見書」?県議会議長に説明を求めます!
http://nadesiko-action.org/?p=6265

2014年1月14日付
カルフォルニアの母の会が島根県議会に抗議!
http://nadesiko-action.org/?p=5600

2013年12月12日付
島根県から報告「議長の椅子取りゲームに慰安婦問題を利用するのは許せない」
http://nadesiko-action.org/?p=5440

2013年10月4日付
「島根県議会の歴史認識をただす 島根県民の会」から活動予定お知らせ
http://nadesiko-action.org/?p=5033

2013年9月9日付
島根県民が「慰安婦意見書」撤回に立ち上がった!
http://nadesiko-action.org/?page_id=4791

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<参考 地方議会の慰安婦意見書について なでしこアクションブログより>

ねつ造慰安婦問題解決に向けて地方議会の意見書・決議・請願・陳情まとめ
http://nadesiko-action.org/?page_id=7180

地方議会の慰安婦意見書
http://nadesiko-action.org/?page_id=2

左派市民団体と国連のマッチポンプ
http://nadesiko-action.org/?page_id=7

韓国人青年 コウ君とニュージーランド人青年 カレム君が日韓問題を語る

ニュージーランド在住の韓国人コウ君とニュージーランド人青年カレム君の対談動画をご紹介します。
自分で調べ、日本を理解し、youtubeやSNSを使って積極的に世界に発信してくれています。
新しい世代の彼らに期待しています!

— 対談から一部紹介 —
カレム君
「日韓の動画をyoutubeに投稿するようになったきっかけは?」

コウ君
「最初の動画は昨年の今頃(2019年7月)作りました。
日本が貿易優遇から韓国を除外した時でした。
韓国が材料を北朝鮮に流した疑いがあったからです。

韓国政府は日本政府に証拠を示さずに、”日本は韓国裁判所の強制労働問題判決を理由に韓国への優遇措置を外した” と韓国人を洗脳し始めたのです。

私は韓国人みんなが洗脳されているのではないことを知って欲しかったので、最初の動画を公開しました。」

カレム君
「ニュージーランドに来る前に、日本人にもっていたイメージは?」

コウ君
「かなり悪かったです。韓国のメディアは日本を敵視しているので。9歳の僕は日本人に殴られると思ってました。」

カレム君
「韓国政府が反日教育をするメリットは何だろう?」

コウ君
「反日教育の背後は左翼。私は韓国には真のリベラルはいないと思っています。
韓国のリベラルは北朝鮮と中国に主体思想共産主義ルールを信じるように煽られています。左翼は反日教育をすることで韓国人の民族ナショナリズムを推しています。そして、北朝鮮は敵ではなく仲間だよ、と。彼らの最終目的は韓国を北朝鮮の下で統一する事でしょう。」

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◆ ニュージー男子 ( ニュージーランド人青年のカレム君 )
youtube
https://www.youtube.com/channel/UCsn9WDg5JMqN7aZIkMEdrFg

facebook
https://www.facebook.com/AronsenCallem

◆ コウ TV ( 韓国人青年のコウ君 )
youtube
https://www.youtube.com/channel/UCcrd9veNB4CF7Z9STrEJyaQ/

ツイッター
https://twitter.com/kotv05367129

自称元慰安婦の解放後生活

長尾秀美氏(元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家)より元慰安婦の証言集を調べた論考「自称元慰安婦の解放後生活」をいただきましたので、ご紹介します。

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令和2年(2020年)7月30日

長尾秀美

元在日米海軍司令部渉外報道専門官、小説家、ノンフィクション作家

自称元慰安婦の解放後生活

1.懺悔

私は懺悔する。

私が慰安婦問題に関心を持って以来もう数年になる。三面記事のような吉田清治氏や千田夏光氏の著作を読んだ時、すでに朝日新聞が訂正記事を出していた。したがって官憲が20万人もの女性を戦地へ強制連行し、性奴隷として働かせたという主張には与(くみ)しなかった。戦前戦中に日本や朝鮮半島で悪質な人身売買があったことまでは否定しないが、それは公娼制度下の例外だったと考えている。

昨年春からの拙著や拙論で私は自称元慰安婦の人格について何度か触れた(注1)。それは挺対協(現正義連)によって人権侵害問題の偶像となった彼女たちが自己を引き裂かれ、人格を失ったと考えたからだ。

私の人格への拘(こだわ)りはマハトマ・ガンジーが残した言葉に由来する。

「信念が変われば、思考も変わる。
思考が変われば、言葉も変わる。
言葉が変われば、行動も変わる。
行動が変われば、習慣も変わる。
習慣が変われば、人格も変わる。
人格が変われば、運命も変わる。」

誰しも自分とは何者か、何のために誰のために生きているのかを常に自問する。そこから信念が生まれ、行動により、人格が作り上げられる。これを人の成長と言う。

人生には教育期、勤労期、引退期がある。自称元慰安婦は貧困や教育制度の不備により、教育期を奪われたまま勤労期に入らざるを得なかった。そして長い勤労期を経て引退期を迎えた時、彼女たちを待ち受けていたのが慰安婦問題だった。

そうした流れを振り返り、私は自分の考えが一面的だったことに気が付いた。彼女たちの長い勤労期に焦点を当てることなく人格を論じていたからだ。

2020年5月7日、李容洙氏が口火を切ったことで、挺対協(現正義連)による慰安婦関連募金や政府補助金の使途が大きな問題になった。一方、彼女は「性奴隷」という言葉に対する嫌悪感を表明した。その後一部有識者は彼女たちの生活に一番必要なのは何だったのかを問い直し始めた。

以上の状況を踏まえ、私は、自戒の意味で、自称元慰安婦の解放後生活を振り返りたい。それが私の懺悔だ。大見えを切ったが、私は朝鮮語ができない。したがってここでは下記資料を参照した。

証言集A:韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編 『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』(1993年、東京、明石書店) 証言者:19人

証言集BI、BII:『証言 未来への記憶 アジア「慰安婦」証言集-南・北・在日コリア編』アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」編 西野留美子・金富子 責任編集 (2006年、2010年、東京、明石書店) 証言者:12人と14人の26人(そのうち5人は証言集Aと重複)

2.証言集に対する疑問

上記証言集は平均すると1人当たり15~18ページの分量になる。信憑性はさて置き、奴隷のような体験は充分書き尽くされている。ただし証言集全般に関し、いくつかの疑問がある。その前提として、証言集Aの巻頭言を下記に抜粋した。(下線は筆者)

〈発刊に当たって〉 尹貞玉挺対協共同代表
 「真相究明が何よりの急務であろう。過去の新聞や公文書から発見される資料はもちろん重要だ。しかしそれにも劣らず重要なのは、元慰安婦たちの証言である。彼女たちは生きている資料だ。…。
 元慰安婦たちに慰安所での体験を聞くことがむごいことだということは承知している。しかしこの問題は…人間の問題である。…。歴史に記録を残さなければならないと思う。」

〈調査に参加して〉 安秉直ソウル大学経済学部教授
「調査を検討するうえで非常に難しかった点は、証言者の陳述がたびたび論理的に矛盾することであった。…。この中でも調査者たちを困らせたのは、証言者が意図的に事実を歪曲していると思われるケースだった。私たちはこのようなケースに対処するために、調査者の一人ひとりが証言者との間に信頼関係を築くことによってそのような困難を克服しようとした。そうして大部分の場合は意図した成果を得ることができたが、どうしても調査を中断せざるを得ないケースもあった。…。一人の証言者に対し大体五、六回以上の面接調査を行った。
この調査に、いたらなかった点がまったくなかったとは断言しない。なぜなら、軍慰安婦の生活のような、人間以下に扱われた経験をありのままにすべてさらけだして証言するということは、誰にでも難しいことであり、またこのような調査を短い期間のうちに行うことも無理があると思うからだ」

2.1. 当初110人が元慰安婦として登録されたが、証言集Aの調査者が実際に話を聞いたのは半数以下の40人で、出版されたのはその中の19人の証言だった。安教授が書いた「論理的矛盾」と「事実の歪曲」が理由だと推測されるが、なぜ110人→40人→19人になったのかを誰も説明していない。除外された91人は元慰安婦ではなかったのか。

2.2. これも事実歪曲に関連するが、自称元慰安婦はなぜ事実を述べようとしなかったのか。同性の調査者は彼女たちとの信頼関係構築に務め、面接を数回実施したのだから、彼女たちの胸襟を開くことは可能だったはずだ。さらに言えば、彼女たちは自分たちの証言が女性の権利を守り、ひいては社会的正義を追求するためだと理解していたはずだ。

2.3.  19人中、6人の元慰安婦は仮名で証言しているが、そのうち5人はなぜ証言集に写真を掲載したのか。

2.4. 証言集Aの5人と証言集Bの5人の証言は一字一句同じものだ。この重複は証言集Aの残り14人に信憑性がないからなのか。

2.5. 証言集の調査者はなぜ慰安婦問題に関する重要事項一覧表を事前に用意しなかったのか。尹氏が書いた真相究明のためには、各証言を項目別に整理することが不可欠だ。これを徹底していれば、各人が慰安婦になった経緯だけでなく、どのような制度の下に戦地で生活していたのかが可視化されたはずだ。しかし調査者が聞き取りを重視した結果、証言集は慰安婦の言い分の羅列になっている。場所や時期が曖昧なままの証言もある。尹氏が述べた「生きている資料」の価値は半減している。

証言集Bは証言集Aより10数年を経た後で編纂されているが、Aの不備をまったく修正していない。この不備との関連で整理者オ・ヨンジュ氏は以下のように述べている(証言集BⅠ、pp. 237-238)。(下線は筆者)

「ハルモニの話はよくまとまったメモを順番通り読んでいくかのように、空間の移動が比較的正確だった。…。ハルモニは四度にわたるインタビューの間、ほぼ類似した枠をくり返し(*た)。…。しかし、一方ではハルモニの定型化された記憶からいかにして抜け出せるのか、そしてその前にハルモニの記憶がどうしてこのように定型化してしまったのかを悩むようになった。…。
 ハルモニの定型化したインタビューの流れを変えるためには、やむを得ず質問を投げかけるしかなかった。質問には事実的な経験を聞くのではなく、ハルモニの全体的な考えを問うもの、あるいはハルモニの感情の状態を聞く内容を盛り込むことに決めた。」

2.6. 証言集A もBも下記重要事項に対する総合的判断をなぜか留保している。

①戦地の軍慰安所と日本が国際法上統治していた朝鮮半島、台湾、満州にあった遊郭、日本国内にあった遊郭(釜山、新竹、吉林、大阪、富山、沖縄)との違い。

②両親や近親者や配偶者による人身売買(金学順黄錦周李用女朴順愛李桂月李玉善)、身分証明書(朴酉年)、年季(韓国在住の李相玉朴順愛)、給料(韓国在住の李相玉朴酉年、金順玉)、貯金や送金(文玉珠朴順愛朴酉年河床淑)、手紙の遣り取り(文玉珠朴頭理吉元玉)、外出時の買い物、観劇など行動の制限(呉五穆文玉珠李得南朴頭理)の有無。

③朝鮮人が慰安婦を仲介し、戦地へ引率し、慰安所を経営していた事例。アーチ—・宮本退役米陸軍中佐は、日本の外務省領事部公文書を引用し、朝鮮人慰安婦を擁する慰安所を運営していたのは朝鮮人で、日本人慰安婦を擁する慰安所を運営していたのは日本人だったと書いている(注2)。

3. 調査の限界と拡大解釈

証言集Aにより、19人の自称元慰安婦は当初名乗り出た110人、最終的に名乗り出た総数の239人、そして一部で主張されている拉致された20万人の慰安婦全員の代表となった。その意味では挺対協の意図は成功した。

日本の報道機関はしばしば世論調査を実施する。信頼区間や信頼水準を考慮し、無作為抽出による2,000人ほどの被調査者(母集団)に対し、通常、5割ほどの回答に基づき、その結果を民意として発表している。

自称元慰安婦の場合、証言集AおよびBの40人は、110人、239人、あるいは20万人を母集団とする女性から無作為に抽出したものではない。したがって、証言内容には当初からバイアス(偏り)がある。つまりその40人は独自に母集団を形成するので、他の慰安婦全員を含めるという拡大解釈をするべきではない。これが調査の限界となる。

自称元慰安婦が語った「人間以下に扱われた経験」については、第三者による供述証拠を欠く自己主張に過ぎない。証言全体を眺めると、彼女たちの多くが悪質な斡旋業者と慰安所・遊廓経営者の犠牲になったと結論するのが妥当となる。

4.解放後の生活

40人の自称元慰安婦は多少なりとも帰国後の生活を語っている。彼女たちの証言には信憑性がある。なぜなら「論理的矛盾」や「事実の歪曲」を実生活に加えても、日本政府を糾弾する補強証拠にならないからだ。

証言集AおよびBの調査者は、面接時の彼女たちの生活状況に少しは留意していたようだ。彼女たちの生活が一般女性と比べてより苦しければ、その現実と慰安婦という過去に因果関係があると結論付けることができるからだ。

4.1. 朝鮮半島の歴史事情

1945年8月、連合国が勝利したことにより、朝鮮半島は日本から解放された。ところが連合国の思惑により、半島は北緯38度線を境に韓国と北朝鮮とに分断された。北朝鮮は全体主義の道を歩み、韓国は民主主義の道へと進んだ。1950年から3年間は全土が戦争に巻き込まれ、1953年には休戦協定が結ばれた。しかし、朝鮮人は自由に南北を往来することができなかった。韓国社会が高度経済成長の道を歩み始めたのは朴正熙大統領が就任してからの1960年代半ばからだ。1970年代には朴正熙大統領が暗殺されたが、1980年代になってから民主化が進んだ。民主化により女性が発言する機会も増えた。

4.2. 慰安婦就業期間と帰国時期および結婚と出産の有無

自称元慰安婦の就業期間と帰国時期および結婚と出産などについての記録を表〈1〉に抜粋した。

4.2.1. 慰安婦就業期間

自称元慰安婦は、人身売買や就職詐欺や金儲けなどの理由で故郷を離れた。慰安所・遊廓にいた期間は、最短だと2カ月から半年、最長だと9年、平均すると3年3カ月ほどだった。祖国解放後、現地にそのまま定住した女性が数人いるが、数十年後に帰国した女性もいる。

4.2.2. 結婚と出産

生涯独身を通した自称元慰安婦の多くは、尹頭理氏や張秀月氏のように自分の処女性や貞淑さを汚(けが)されたことを強く意識している。これは14世紀末より続いた両班による統治と家父長制にも関連する儒教(守節や殉節による夫への貞節と親への考節)で培われたものだと推測される。しかし当時の日本や他の国でも男尊女卑が一般的だったし、女性は貞操観念を持たされていた。

彼女たちの生涯未婚率は8÷40x100=20%となり、現在の日本(2015年の国勢調査資料:男子23.4%、女子14.1%)に比べるとかなり高い。

異郷での経験は必ずしも彼女たちを男性不信にしていない。これは帰国時に彼女たちがまだ若く、周囲から結婚相手を見つけるようにと言われたからのようだ。29人は伴侶あるいは一緒に住む相手を見つけている。

一方、夫婦間の不妊率は一般的に10%くらいだと言われているが、2015年に実施された日本の国立社会保障・人口問題研究所の調査では、29.3%の夫婦が不妊を心配している。数十年前と比較するのは無理があるが、自称元慰安婦の不妊率は8÷29x100=27.5%となる。これらの数値を比べると、1日に20~30人の軍人を相手にしたとされる慰安婦経験が不妊の原因だという即断はできない。11人は1度ならず出産している。

なお、伴侶などの有無に拘わらず、彼女たち12人が養子を迎えて育てている。この事実は、母性本能や社会生活に対する欲求に関わるものだと推測される。解放後の困難な社会情勢の中、この事実は特記するべきだし、社会的に評価されるべきだ。

結婚、妾(愛人)、同棲:29人(慰安婦前の結婚を除く、1人は同居のみ)
独身:8人
不明:3人

出産―11人
不妊―8人(流産1人を含む)
結婚直後に夫が行方不明―1人
不明―3人

養子養育―12人

表〈1〉(*自称元慰安婦の名前の色分けは証言集AとBとでの重複を表示するため)

証言集A

金学順1941年秋までの3カ月。1946年6月帰国:結婚、娘1人息子1人
金徳鎮(仮名―写真):1937年~1940年2月、3月。1カ月後帰国:として息子2人娘1人を養育
李英淑:1939年12月~1945年8月。1946年1月帰国:同棲、不妊、離婚
河順女:1940年(1938年)~1942年。1946年帰国:同棲
呉五穆:1937年~1945年。同年帰国:後妻、不妊、離婚、養女養育
黄錦周 1941年~1945年。同年12月初め帰国:孤児3人養育、独身
文必ギ(王編に基) 1943年~1945年8月。帰国:妾、妹の孫養育
李容洙:1945年1月~8月。1946年春帰国:結婚(89年)、離婚
李玉粉:1942年~1945年8月。1947年帰国:独身
文玉珠1940年~1941年、1942年7月~1945年8月10日。同年帰国:2度結婚、前夫の息子を養子
李順玉(仮名―写真)慰安婦前、戸籍上結婚と離婚:1938年~1944年末。1945年初頭帰国:同棲
李相玉(韓国)(北朝鮮慰安婦と同姓同名): 1936年~1942年、1946年12月帰国:結婚、流産
李得南(仮名―写真)1939年~1942年。1945年秋帰国:妹の子供養育、独身
李用女:1942年~1945年。1946年4月帰国:同棲、不妊、相手の息子を養子
金台善(仮名―写真なし)1944年11月~12月。1945年帰国:同棲、娘2人
朴順愛(仮名―写真): 慰安婦前結婚、息子出産、夫に売られる:1942年~1943年末。1944年1月帰国:解放後再婚、子供3人
崔明順(仮名―写真):1945年1月~7月。同年末帰国:結婚、息子出産:再婚、娘3人息子1人
姜徳景1944年秋~1945年8月。慰安婦中、出産:1946年1月帰国:独身
尹頭理:1943年9月~1945年8月、その間は釜山:独身

証言集BI

朴永心(北朝鮮):1938年8月~1944年9月。解放後(?)北朝鮮へ :結婚、不妊、孤児養子
宋神道:慰安婦前結婚、慰安婦中4人出産:1938年~1945年。解放後宮城に:男性と同居
金学順
李桂月(北朝鮮):1937年~1939年3月。1940年末(?)北朝鮮へ:独身、養子
郭金女(北朝鮮):1939年秋~1941年11月。解放後故郷には戻れず北朝鮮へ:結婚、子供1人
朴頭理: 1940年~1945年。同年帰国:妾、本妻、息子1人娘3人
金英淑(北朝鮮):1940年~1945年春。1946年北朝鮮に帰国:結婚、不妊
黄錦周
朴玉善:1941年~1945年。解放後、朝鮮族部落へ、2001年帰国:結婚、娘1人息子1人
李玉善:1943年~1945年。2000年帰国:結婚直後、夫行方不明
文必ギ
姜徳景

証言集BⅡ

朴酉年:1939年8月~1945年。1946年3月帰国:同棲、息子1人、養女数人、再同棲
沈達蓮:1939-40年~1945年。(?)年帰国:不明
吉元玉:1940-41年~1945年(一時帰国在り)。解放後帰国:結婚、家出、歌のファンと同棲、養子
文玉珠
張秀月(北朝鮮): 1941年9月~1945年6月。解放前帰国:独身
金福童:1941年~1945年。解放後帰国:結婚、不妊、再婚
金君子:1942年3月~1945年。解放後、38度線を越え、帰国:同棲
金ソラン:1944年~1945年。解放後帰国:結婚、息子3人、離婚、再婚、中絶6回
李相玉(北朝鮮):1943年~(?)年逃走、解放後北朝鮮へ:不明
姜日出:1944年~1945年。解放後、吉林に住み、2000年帰国:結婚、息子1人、再婚、娘1人息子2人
李宗女(北朝鮮)1943年7月~1945年。解放後生活の言及なし:不明
裴奉奇:慰安婦前、2度結婚:1944年~1945年3月。以後沖縄に住む、独身
河床淑:1944年5月~1945年。解放後中国在住:同棲、不妊、同棲、結婚、不妊
金順玉:1943年~1945年(?)。解放後中国在住、2005年帰国:結婚、娘2人息子1人再婚、娘2人、男子養子。

4.3. 職業

現地に残った女性を除き、自称元慰安婦のほとんどは帰国直後に故郷へ帰った。実家に両親などが健在だった場合もあり、行方不明だった場合もある。無一文では帰省できないと考え、釜山や仁川に上陸後、就職した例もある。多くの女性は職業を転々と変えているが、一カ所に定着し、成功した例もある。他人の保証人となり、築き上げた財産を失った例もある。結婚、妾、養女、後妻、同棲により、家事に専念した女性も数人いる。彼女たちは混乱の時代を必死に生き抜いて1990年代を迎えた。批判を受けるのを承知で言うが、彼女たちの生き様(ざま)は称賛に値する。

彼女たちが従事した職業は以下の通りだ。

アヘン売買、アメリカ製品販売、衣料品行商、飲食店経営、飲食店従業員、貸金業、家事手伝い(家政婦)、歌手、看護師、妓生、木こり、協同組合・協同農場従業員(北朝鮮)、下宿屋営業、工場務め、魚売り、酒造り、雑貨屋経営、女中、畑仕事、米軍相手の慰安婦、保険勧誘員、密輸品売買、野菜売り、屋台営業、闇ドル商売、養蚕、旅館経営など

補足だが、韓国在住の自称元慰安婦の9人は調査時点で生活保護を受けている。北朝鮮在住の6人うち、少なくとも2人は同様の保護を受けているようだ。

5. 人生に対する述懐

以下に抜粋したのは自称元慰安婦数人の人生に対する考え方だ。惜しまれるのは、調査者が彼女たちの人格を描こうとしなかったことだ。それらしい記述は多くても数行ずつしかない。彼女たちの強固な意志と長い経験に裏打ちされた考え方は、人生に関する卓越した知見を老若男女に与えたかもしれない。(下線は筆者)

金徳鎮: 「日本も悪いけれど、その手先をした朝鮮人はもっと憎い。韓国政府に言いたいことがたくさんあります。韓国政府も私たちに補償してくれなければなりません。」

李英淑:「日本人だけでなく、朝鮮人も自分が生きて行くために人を踏みつけてきたのだから、悪いのは同じだと思います。…。補償が出ようと出まいと関係ありません。いつ死ぬかわからない身だからです」。

黄錦周:「いまからでも、他人から無視されずに残された人生を、苦しい人達の手助けをしながら、他人の世話にならずに生きて死ねたらと願っています」。

李得南:「人間は、持って生まれた運命に順応して生きればいい。それ以上望みを大きくして欲張ると、今の幸せも逃してしまう。私にはもう大きな望みはありません。昔は大変激しい性格でしたが、若い人生をあのような場所で生きてきたので、今は人と会うのも怖いし、ただ静かに一人でいたいです。」

金台善:「すべて先祖たちの罪悪の性だと思います。生まれた国があまりにも貧しかったからでしょう。私が当時(若い時)結婚していたとしても、慰安婦になっていたかもしれないし、そんな時代に生まれたのが私の運命だと思います」。

朴順愛:「私はこれから先、祖国が発展するのに少しでも役立てばと願って申告したのでした。私たちの民族が二度と他の国の奴隷になってはいけないのです。」

尹頭理:「もう一度女に生まれ変わりたい。今のようにいい世の中で、いい両親のもとで勉強をいっぱいして、いい人のところに嫁に行き子どもを産みたい。」

沈達蓮:「うちの仏さまはほんとに霊験あらたかなんですよ。それで、私は毎日に、知恵が浮かぶようにしてくださいますよ、ご本尊様がなんとかして人間になるようにして下さって、他の人ともいっしょに付き合っていけるようにして下さるから、毎日すごせるんです。」

吉元玉:見知らぬ女性が産んだ子を養子にしたことについて、「息子に神学大学の大学院まで行かせた。天のお父様に感謝」。

金ソラン:「(今の夫)は大学も卒業していました。(姉を通じ、過去を打ち明けた後)それでも私がいいって言ってくれたのです。〝過去のことなのに、何が問題なのか〟と。私は心の中で〝本当に勉強した人は違うんだな〟と思いました。」

姜日出:「従軍慰安婦は金を稼ぐために行った我々は強制的に無理やり連れて行かれた慰安婦。」

河床淑:「私は1962年から10年ちょっと前まで、紡績工場で働いた。仕事を模範的によくやると新聞にも出た。中国人の工場で、ちょっとでも仕事ができなければ、朝鮮人は仕事もできないといわれるからと思って、熱心に働いた。1992年には、和やかなよい家庭だという賞ももらった。」

(補足)姜徳景:1992年、ナヌムの家に入居後、絵画に手を染める。

6. 挺対協の方針と考察

挺対協には日本を糾弾するという大義名分があるので、自称元慰安婦個々人の生活は二の次だったかもしれない。しかし先に述べたように、9人が生活保護を受けていた。研究者の多くは、「その事実こそ彼女たちの過去に起因する。だからその原因を作った加害者に正義の鉄槌を下さなければならない」と主張するだろう。挺対協による鳴り物入りの運動は実際に彼女たちの境遇を改善したのだろうか。募金の一部を彼女たちに支給し、支援施設ナヌムの家を提供しただけで彼女たちは満足したのだろうか。

同施設職員の矢嶋宰国際室長は、2020年5月28日、共同通信に対し、「ナヌムの家が、寄付金を入居する被害者のために使っていない」と内部告発している。その矢嶋氏は、2005年、入居者に関する興味深い観察を小論に書いている(証言集BI、pp. 255-257)が、これを境遇の改善とは言わない。

 「(9人しかいない自称元慰安婦同士で)お互いの意地をかけた口喧嘩が展開される。私に言わせれば、普通(そこらにいる普通のおばあちゃん)どころかその何倍も姑息で欲深でめったなことではへこたれない、怖いものなし揃いだ。人間だれしも裏と表の顔を持っているわけだが、ここの女性たちが見せる裏の顔は一緒にいるものをとてつもなく不快にさせると同時に、愉快にもしてくれる」

本来、挺対協の運動方針の柱は、

(1)日本政府の責任を追及し、謝罪させ、損害を賠償させる、
(2)自称元慰安婦の生活を物心両面で支援する、

で、その2つは荷車の両輪として推進されるべきものだった。

挺対協は彼女たちを国内の水曜デモなどに参加させたり、国外で慰安婦碑や慰安婦像関連の行事に参加させたり、議会などの証言台に立たせたりした。たしかに彼女たちの体験を公けにすることで、日本を含め、世界に人権侵害を訴えることはできた。(1)はほぼ成功している。

慰安婦問題について鄭鎮星ソウル大学教授は、『被害者のための〝具体的な〟解決策を求めて』という小論で、「(慰安婦)制度を産出した社会的条件である戦争と民族差別、家父長制をなくすことがより根本的な解決策になるだろう」と述べている(証言集BⅡ、pp. 381)。

鄭教授が述べたやや抽象的な3つの要因を簡単に考察する。①戦争とは人類普遍の利害の衝突から発生するので、地政学的観点からは必ずしも日本だけに非があるわけではない。②民族差別とは日本が朝鮮半島を植民地化したことに起因するもので、日本人に対し、朝鮮人を二級市民として扱ったことに対する批判だ。近世の植民地帝国主義の下、西洋諸国はどこにおいても現地人を搾取した。この事実は日本の免罪符にはならない。③家父長制度は近代まで国を問わず存在していた。殊に朝鮮半島の場合、同制度は5世紀にもわたる李朝時代の遺産として大きな影響を朝鮮人に与えてきた。この要件を日本の責任だとするのは妥当ではない。蛇足になるが、慰安婦制度は朝鮮半島が起源ではなく、江戸時代からの売春制度が発展したものとして認識する必要がある。

以上の事柄を勘案すると、鄭教授の解決策は挺対協が将来取り組むべき課題だと解釈される。したがって彼の持論を(1)と同列に置いて捉えるべきではない。

では(2)はどうか。内面的欲求や生活安定に関する限り、挺対協は引退期を迎えていた彼女たちを満足させてきたとは言い難い。彼女たちの行動や意思決定にまで干渉し、彼女たちを偶像化させることで自我を引き裂いた。言い換えると、彼女たちは言論人に利用されるだけの道具になり、人生に対する自分自身の知見を誇りに思うような機会は与えられなかった

誠実な人と不誠実な人、双方ともに歴史に名を連ねはする。世間が評価するのは前者で、後者ではない。挺対協は判断を誤り、拭いきれない汚点を残した。現時点で今回の不正経理騒動がどう落ち着くかは不明だが、挺対協を引き継いだ正義連は、どのような形にしろ、出発点に戻り、(2)を再考し、具体策を講じなければならない。時間はない。

「真実」には心地良い響きがあるけれど、「真実の糊塗(こと)」はいただけない。

最後に断っておく。人権侵害行為に対しては責任の所在を追求しなければならない。朝鮮女性が慰安婦として戦地で働くことになったのは、日本政府が朝鮮半島に公娼制度を導入した1916年以降、戦域を拡大したことによる。同制度は慰安婦の権利を保護するために慰安所経営者にいくつかの義務を負わせているが、制度自体は人身売買を間接的に認めるものだ。したがって当時の日本政府に落ち度がなかったとは言えない。しかし、今日的な観点から同制度を批判するのは妥当ではない。自称元慰安婦が語った「人間以下の扱い」については、貪欲な慰安所・売春宿経営者による不法行為を追及するのが妥当だ

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注1:『慰安婦(公娼)関連用語―解説』(2019年4月)、『映画「主戦場」について』(2020年3月)、『Korean Puzzle』(2020年4月)、『正義連騒動の展開』(2020年6月)、『自称元慰安婦、李容洙氏の叫びとは』(2020年6月)

注2:Miyamoto, Archie. (2017). Wartime Military Records on Comfort Women. 2d Edition. Amazon Fulfillment, pp. 37-39